お好み焼きの三貴ライブの想い出

おととしの今日、「お好み焼きの三貴ライブ」をやった。
久しぶりに納得のいく「通常営業中ライブ」になり、うれしくてアップしていた。
その前の月、僕は喧騒の中で己を見失い満足のいくライブにはなっていなかった。
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「共存すること」
そのために「己の存在を消すこと」
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などが当時のキーワードだった。
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昨夜、「歌い初めライブ」終了後に出演者・関係者たちと打ち上げを「お好み焼きの三貴」さんでやった。
その時話題になったのが、お好み焼き屋さんでのライブについての心得(?)だった。
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音楽演奏の環境とはおよそ無縁の通常営業中のライブ。
その難しさと面白さについて語った。
歌を聴きに来たわけではないお客様に向かって歌う逃げ場のないライブ。(演奏者にとってもお客様にとってもね)
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演奏する側にとって必要なことは、
まず何よりも己の弱気の虫と闘う勇気。
そのうえでお客様との共存を目指すこと。
そのためには己の存在を消して空気になること。
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そうしながらもお客様の「耳を盗む」ことができるか否か。
全く聞いていないように見えていても、耳はこちらを向く。
そんな状態を作り出せれば、単なるBGMではなくライブとして成立する。
これが難しさと面白さ。つまり醍醐味。
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そんな話をした。
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そしてこの記事を再読して思った。
この2年間で変わったこと。
それは「空気になってお客様との共存をはかる」を前提に「耳を盗む」ことを意識するようになったこと。
より積極的に一歩進められたように感じる。
そのきっかけになったのが2年前のこの「お好み焼きの三貴ライブ」だったように思う。
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ちなみに現在はアンプを使わず、生声・生ギターでやっている。
演奏条件は難しくなったが、生声・生ギターならではの表現方法がわかってきた。
そしてそれが「耳を盗む」ためには一役かっているように思う。
アンプによって増幅された音はややもすると押しつけになってしまう。
押しつけられた音に対し食事客の耳はそれをシャットアウトする。
それがここ数年ようやっとわかってきた。
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【2年前の記事】
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2018年2月17日
新年初の「お好み焼きの三貴ライブ」は不思議な盛り上がり。
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お客様の入りはいつもより少なめ。およそ三分の二くらいかな。
年齢層はバラバラ。
ほとんどが家族連れ。
4~5歳の子供たちや中学生、そしてそのご両親たち。
そして熟年夫婦とその息子さん。
中年男性とその娘さん(多分)
これに30代くらいのこわもて風男性3人組。
20代の男女3人組。
総勢30人くらいのお客様。
それぞれのグループでこじんまりとお好み焼きをつついてる。
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あまりに広範囲な年代層で選曲を絞れない。
あきらめて冬の歌を中心に思いつくままに歌うことにした。
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最初は淡々と歌い始める。
それぞれのご家族やグループのじゃまにならないようにね。
お客様の反応はイマイチ。
いきなり始まった演奏に戸惑いがあるようだ。
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歌う進めるにつれグループごとにばらばらに反応してくれる。
やはり年代によって感じるツボが違うようだ。
この曲をやるとあちらの卓から拍手が来る。
別の曲ではこちらの卓から拍手が。
曲ごとにあちらこちらから年代別拍手。
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それでもしばらく歌ううちにどの歌を歌っても店内まんべんなく拍手をいただけるようになる。
きっかけはこわもて風3人衆に突如スイッチが入ったことだ。
どこかツボにはまったのだろう。店の中央の卓で僕の歌に合わせてサビを一緒に歌い始めた。
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ほかの卓のお客様もつられるように口ずさみだす。
ここからはやる歌やる歌店内全体で反応を返してくれるようになった。
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雑多なお客様に歌う「通常営業中のライブ」としてはそうそうあることではない。
じわりとした盛り上がりが気持ちよかった。
めったに感じることのない不思議な盛り上がりのうちに、年内初の「お好み焼きの三貴ライブ」を終えることができた。
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こいつぁ春から縁起がいいやい。
淡々、じっくりと『お好み焼きの三貴ライブ』。
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本日のお客様はみな20代と思われる。
小グループでそれぞれに内向きなイメージ。
仲間同士、会話しながら静かに食べている。
演奏に対する反応も極めて薄い。
先月の異様な盛り上がりとは対照的だ。
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こういう時は淡々とBGM的に歌うしかない。
でも決して投げやりな気分を持ってはいけない。
むしろ普段以上にていねいに歌うべきだ。
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トークはほとんど入れずに、間断なく歌い続ける。
選曲は今月末の「おーるどたいむライブ」のプログラムを中心にした。
お客さんの知らない(知るはずのない)歌がほとんどだ。
通常営業中のライブではポピュラリティのある歌を中心に歌うのが常だ。
でも今回は若いお客さんばかり。
ポピュラリティのある歌をやったとしても共有はできないだろう。
何を歌っても「知らない歌」オンパレード。
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むしろ「知らない歌」を歌ってもそれを届けられるかどうかということが歌い手に問われる。
だからこそ普段以上にていねいに、きっちりと歌うことを心がけなければならない。
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お客さんに多少なりとも届いたかどうかは不明ではある。
でも演じ手としてはやるべきはやれたかなと思う。
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今日は常連・MATUMURA君に加え、時折来てくださる盟友・ふく助さんご夫妻が足を運んでくださった。
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本日の使用ギターもHEADWAYのOMタイプ。
立ち上がりがよく、音に芯があり、各弦のバランスもいい。
弾いている時のイメージはサウンドホールから音の束が放出されていく感じ。
喧噪を切り裂いて音が直進していく感じは生音ライブでは大きな安心感につながる。
まさにお好み焼き屋さんでのライブのために作られたかのようなギター。
お気に入りの1本だ。
雨模様のせいか、お客様の入りは7割くらいでした。8卓に30人くらい。
一人ひとりに目が届く、歌いやすい環境。
ただしほとんどが20代とおぼしき若い衆。共通項が少ないと思い、自分の好きな歌をマイペースでじっくりやることにしました。
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ところが!
予想に反し、1曲目から素晴らしい好反響が。
それも程度の差はあれ、どの卓からも好感をもって受け入れてもらえているのがわかります。
手拍子や拍手はもちろん、一緒に歌ってくれるお嬢さん方あれば、身体全体を揺らしながら聴いてくれるあんちゃん方もいる。
お好み焼きライブでこんな盛り上がりは何年に一度のことです。
いや驚いた。
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急遽アップ~ミディアムテンポの選曲に変えました。そしてところどころにスローバラードを挟んで。
ステージングはスピーディーにたたみかけるように進めます。
ノリが途切れぬようにね。
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休憩後の2部になっても勢いは止まりません。
次から次へリクエストをちょうだいし、それをきっかけにトークも炸裂。
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最後までそんな雰囲気のライブが続きました。
若い衆にノセられて知らずのうちに全力投球。
久しぶりに腹筋が痛くなりました。
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歌いながら感じたこと。
若者たちは音楽を身体で聴いている。リズムに乗りごく自然に身体が揺れてます。
大人は音楽をかしこまってじっくりと耳で聴きます。
反応の違いが面白かった今宵のライブでした。
今回の「お好み焼きの三貴ライブ」をふりかえります。
今回は音楽を通したご友人たちが何人もおいでくださいました。
それも初めての方々もいらっしゃる。
「お好み焼きの三貴ライブ」としては異例のことです。
なにしろライブと銘うってはいるけれど、通常営業の中で歌ってるわけです。主役はライブ演奏ではなく、飲み食いおしゃべりのお客様。歌を聴きにきたわけではなく、偶然そこに居合わせただけ。
演ずる僕としては彼らとの「一期一会」を大切に共存をはかりつつ歌い進めます。
2時間ほどの演奏時間に種を撒き、耕しながら芽の出るの促します。やがて花開き収穫の時を迎え、次回への種を残す。
そんなイメージでやっています。
お客様には不幸にもその場に居合わせてしまったと思われぬよう、幸運にもこの場に居合わせたと思っていただけるように歌っています。
さて、自らも演奏される友人たちがたくさんいらっしゃり、とてもうれしかった。僕のやり方を観ていただけることは喜びであり、自分にとっても学びにもなります。
一方で演奏しながら心がけたことがあります。
はしゃぐな、走るな、舞い上がるなってことです。
もって生まれた性分か、知った方々を前にするとついより楽しんでいただきたいとスイッチが入ってしまいます。
「普通のライブ」ならまったくOK。お客様は皆歌を聴きに来ていただいた方々だから。
でもここは通常営業中の演奏。度を過ぎれば「一般の」お客様には「内輪だけで盛り上がってる」と感じさせてしまいます。
そうなればライブとしては失敗。
ライブ開始前の「土壌調査」で難しさの予感がありました。
家族連れの一団。おじいさんを筆頭に、父さん、母さん、孫たちたくさん。
このじいさん、いかつい顔で頑固そう。孫たちの年頃から推し量り、年の頃70過ぎ。じいさんがこちらを向いてくれれば孫たちもなびく。(孫たちは最初から興味津々)
このじいさん果たして演歌が好きなのか、フォークソングは受け付けてくれるのか。
そう思いながら夏の流行歌(昭和40年代半ば)を繋げて様子を見ました。
真赤な太陽~恋のバカンス~天使の誘惑等々。
昭和歌謡の強さは多くの世代の体にしみこんでいること。普遍性があります。(ド演歌はまたちょっと違うけどね)
悪い反応じゃない。
最初は少々苦虫つぶしていたじいさんも、もんじゃをつつきながらこちらをチラチラ。
初来店の友人たちはフォークソング世代。
彼ら向けにそろりそろりとフォークに舵を切ります。
友人たちもいい案配でノッテきました。拍手、手拍子、かけ声。
気がつくとじいさんの唇が歌に合わせてもぞもぞ動いてる。
最初はお好み焼きを噛んでいるのかなって思ってました。
が、違う❗
明らかにそれは歌詞を追う唇の動き。
やがて目が合い、ニヤリと笑います。(おっかない顔はそのままに目だけが柔和)
ここで一気に舵を切り、フォークソングコーナーに突入します。
最後は『落陽』で一気に盛り上げ、1部は終了。
2部はフォークソングで始まりカントリーソングもまじえたアラカルト。
終幕は星の歌3題。
『星のフラメンコ』
『僕の星から』
『見上げてごらん夜の星を』
最後は静かに静かに締めくくりました。
20時~23時の長い旅路。
終わるころにはとっぷりと夜も更けていました。
今宵も大入り満員の中、貫徹いたしました。
どこかの会社の宴会と重なり、店内はごった返しています。
喧騒という「音の壁」に向かって歌うのはなかなかしんどいものです。
音圧に抗して歌うのではなく、音の間隙をぬって歌うというのがいいみたい。音量にたいして音量で立ち向かうと双方のボルテージが上がりいい結果は得られないからです。
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ここ半年、生音の演奏をやっています。毎回工夫を重ねて歌い方やギターの弾き方を変えてやるうちになじんできた感じ。
頑張らずに音を響かせるコツみたいなものが見えてきました。頑張りすぎると音は濁るし、攻撃的な感じになります。これでは場との共存は望むべくもない。
よく通り、しかも耳にさわらぬ気持ちいい音を響かせるというのが理想。
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嬉しい出来事がありました。
同年代のご夫婦とその娘さんのご家族が途中から入ってきました。
卓に着くなり親父さんが眉をひそめます。団体さんのはしゃぎ声と僕の出す歌声が混ざりあい、やかましいと感じたんだと思います。
ところが時と共にその表情が柔らかいものに変わっていきます。
なにか琴線に触れるものがあったんでしょう。その目にうっすらと光るものが。そんなご亭主に微笑みながら寄り添う奥さん。老夫婦をやれやれという目で見守る娘さん。
おそらくこの時3人の耳には団体さんのはしゃぎ声は入っていなかったと思います。歌声だけがすっと入っていったんだと思います。
お好み焼き屋ライブでの「場との共存」の望ましい状態が端的に表れた瞬間だと思いました。
団体客の邪魔にはならず、聴いてくださる方の耳にはすっと入っていく。多分これが共存のひとつの形なんだと思います。
それには耳にさわらぬ心地いい音色で、しかもしっかり全体に通る歌を歌わなければ音の間隙をぬうことはできない。
毎回のちょっとした工夫の積み重ねが形になったように思えました。
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今宵はいつにもましてうれしい「お好み焼きの三貴ライブ」でした。
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金曜日、土曜日、日曜日と3日間連続の年内最終ライブ。
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