三貴ライブ

2024.11.01

お好み焼きの三貴ライブ

僕にとってライブの道場だった「お好み焼きの三貴ライブ」。
ここで16年に渡って毎月やってきたライブ。
とてつもなく多くを学び、鍛えてもらった。
ひとたび演奏が始れば逃げ場はもうない。
酔客に対峙して真剣勝負の2時間だった。
コロナ以降三貴ライブは中断している。
果たして再開する日が来るのかどうかは分からない。
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でも再開する日が来たとして、あのプレッシャーに再び向き合うことができるものだろうか。
そんなことを考えるともなく考えながら、古い記事を読んでいた。
仕事を終え、三貴ライブに向かう車の中。
胃がキリキリ痛み、吐き気をこらえる。
逃げ出してしまいたい思いと戦いながら車を走らせる日々。
耐えられるかなぁ。
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月に一度の「お好み焼きの三貴ライブ」。
今宵も楽しくやらせていただきました。
大入り満員、ぎゅうぎゅう詰め。
その分にぎやか過ぎて音が埋もれる。
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ギブソンLG-2をアンプにつなぎ、音量をやや上げてスタート。
この上げ具合が難しい。やり過ぎてもいけないし、その逆もまたよろしくない。
そのバランスは長年の経験でなんとなく分かってはいる。分かってはいるが確証はない。
えいままよと歌い始めた。
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今日場を支配しているのは2組の団体さん。
一組は学生さんっぽい。こちらは比較的お行儀がよい。
もう一組の会社員グループがなかなかにぎやか。
ことに若者の絶え間ない高笑いというかバカ笑い。高笑いをすることで自分の存在をアピールしている様子。若さゆえの大背伸びがほほえましくもやかましい。
トーク抜きで1曲勝負を積み重ねることにした。
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一方できっちり聴いてくれるお客さんも。
常連・松村くんはもとより、盟友・ふく助さん。
楽器屋MACSのSさんもギター教室の生徒さん二人を伴い奥の卓に陣どっている。
加えて年配のご夫婦は目をつぶりうなずきながらじっくりと。
年配ご夫婦のために「星屑の街」「十九の春」「舟唄」等をおりこむ。
あとは好きな唄を勝手放題に歌う。
トークはほとんどなし。休憩なしでひたすら歌うこと2時間ちょい。
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団体さん二組が帰り、店内は落ち着いた空気に。
アンプのスイッチを切り、完全生音演奏。
LG-2の本領発揮。ギブソン特有の直線的な音にボディ音の控えめなバックアップがいいバランス。
歌はギターに合わせて滑舌を意識した。
チョロチョロ入るリクエストにお応えしつつも相変わらず勝手気ままに歌う。
決してやりやすい状況ではなかった。
場との共存をはかりつつ、集中を切らすことなく歌いきることができた。
終わってみると納得の行く2時間の歌旅だった。

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2020.02.17

【耳を盗む】


おととしの今日、「お好み焼きの三貴ライブ」をやった。
久しぶりに納得のいく「通常営業中ライブ」になり、うれしくてアップしていた。
その前の月、僕は喧騒の中で己を見失い満足のいくライブにはなっていなかった。

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「空気になること」

「共存すること」
そのために「己の存在を消すこと」

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などが当時のキーワードだった。

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昨夜、「歌い初めライブ」終了後に出演者・関係者たちと打ち上げを「お好み焼きの三貴」さんでやった。
その時話題になったのが、お好み焼き屋さんでのライブについての心得(?)だった。

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音楽演奏の環境とはおよそ無縁の通常営業中のライブ。
その難しさと面白さについて語った。
歌を聴きに来たわけではないお客様に向かって歌う逃げ場のないライブ。(演奏者にとってもお客様にとってもね)

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演奏する側にとって必要なことは、
まず何よりも己の弱気の虫と闘う勇気。
そのうえでお客様との共存を目指すこと。
そのためには己の存在を消して空気になること。

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そうしながらもお客様の「耳を盗む」ことができるか否か。
全く聞いていないように見えていても、耳はこちらを向く。
そんな状態を作り出せれば、単なるBGMではなくライブとして成立する。
これが難しさと面白さ。つまり醍醐味。

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そんな話をした。

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そしてこの記事を再読して思った。

この2年間で変わったこと。
それは「空気になってお客様との共存をはかる」を前提に「耳を盗む」ことを意識するようになったこと。
より積極的に一歩進められたように感じる。

そのきっかけになったのが2年前のこの「お好み焼きの三貴ライブ」だったように思う。
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ちなみに現在はアンプを使わず、生声・生ギターでやっている。
演奏条件は難しくなったが、生声・生ギターならではの表現方法がわかってきた。
そしてそれが「耳を盗む」ためには一役かっているように思う。
アンプによって増幅された音はややもすると押しつけになってしまう。
押しつけられた音に対し食事客の耳はそれをシャットアウトする。
それがここ数年ようやっとわかってきた。

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【2年前の記事】

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2018年2月17日

めずらしくガランとした店内。
オリンピックにやられた❔今夜の「お好み焼きの三貴ライブ」。
お客様は子連れママ友三人衆。いや小さな子供たちも三人。元気でかしましい。そして生演奏に興味津々。
なにやら話し込むアベック。二人の世界に没入中。
二人の男性は仕事の話を延々とやっている。どうやら比較的若い方が親会社で年配の方は子会社という関係のようだ。
そしてニッカーポッカと作業着で身をかためたおにいちゃんときゃぴきゃぴねえちゃんのカップル。
くわえて常連・松村くん。
店内静かなり。
演奏も音量を下げ淡々と。
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「今日は空気になろう」
そう決めて声も張らず、トークも入れずにおのれの存在を消すように歌う。
選曲は決めず思いのままに。
この1曲が全て、何十曲もの「3分間ドラマ」を積み重ね、まるで歌の玉手箱。
お好み焼き屋さんでお客様と共存するのにストーリー性は不要なのかもしれない。ただ1曲勝負あるのみ。
そう考えたらストーリーやテーマに縛られない分幅が出た。
普段出番のない歌や、20年ほど前「ぶどうの木」時代にやっていたちょっとマニアックな歌や自作曲まで飛び出した。
お客様からは目立った反応はない。これでいい。
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店の中の空気になって歌うとはこういうことだ。
ステージ席からは聴いていないようで聞いているのが手に取るように分かる。
ママ友三人衆も子会社のおじさんもチラチラこちらに視線を投げてくる。
子供たちはもっとストレート。
一番面白かったのはニッカーポッカのお兄ちゃん。にこりともせず、無論拍手など一切せずにじっとこちらをにらむように見つめている。
この視線は「うるせえ‼️やめろ‼️」というものではなく、じっくり聴いているもの。
お兄ちゃん、帰りがけに初めてニッと笑いかけてくれた。
子会社のおじさんも帰りがけに声をかけてくれる。
「よかったよぉ❗」
多分親会社の若いのに遠慮してたんだろう。
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「これまで十数年、ここで古池さんの歌を聴いてきたけど、今日が一番良かったよ。
騒音の中で四苦八苦しながら何とかする古池さんもいいけどね。
なにしろ自然だった。
1曲、1曲の説得力が一番あったよ」
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常連のMartin古池評論家、松村くんからはうれしい一言。
彼はこの13年、通いつめてくれた。僕のいいところも、良くないところも全て体感している。
「評論家」だけあって、耳に痛いこともつつみかくさず僕にぶつけてくる。
この一言は嬉しかった。
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先月は喧騒の中で自分を見失い、失敗した。
今月は納得のいく「お好み焼きの三貴ライブ」となった。

 

 

 

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2020.01.18

新年初の「お好み焼きの三貴ライブ」は不思議な盛り上がり。

新年初の「お好み焼きの三貴ライブ」は不思議な盛り上がり。

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お客様の入りはいつもより少なめ。およそ三分の二くらいかな。
年齢層はバラバラ。
ほとんどが家族連れ。
4~5歳の子供たちや中学生、そしてそのご両親たち。
そして熟年夫婦とその息子さん。
中年男性とその娘さん(多分)
これに30代くらいのこわもて風男性3人組。
20代の男女3人組。
総勢30人くらいのお客様。
それぞれのグループでこじんまりとお好み焼きをつついてる。

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あまりに広範囲な年代層で選曲を絞れない。
あきらめて冬の歌を中心に思いつくままに歌うことにした。

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最初は淡々と歌い始める。
それぞれのご家族やグループのじゃまにならないようにね。
お客様の反応はイマイチ。
いきなり始まった演奏に戸惑いがあるようだ。

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歌う進めるにつれグループごとにばらばらに反応してくれる。
やはり年代によって感じるツボが違うようだ。
この曲をやるとあちらの卓から拍手が来る。
別の曲ではこちらの卓から拍手が。
曲ごとにあちらこちらから年代別拍手。

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それでもしばらく歌ううちにどの歌を歌っても店内まんべんなく拍手をいただけるようになる。
きっかけはこわもて風3人衆に突如スイッチが入ったことだ。
どこかツボにはまったのだろう。店の中央の卓で僕の歌に合わせてサビを一緒に歌い始めた。

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ほかの卓のお客様もつられるように口ずさみだす。
ここからはやる歌やる歌店内全体で反応を返してくれるようになった。

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雑多なお客様に歌う「通常営業中のライブ」としてはそうそうあることではない。
じわりとした盛り上がりが気持ちよかった。
めったに感じることのない不思議な盛り上がりのうちに、年内初の「お好み焼きの三貴ライブ」を終えることができた。

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こいつぁ春から縁起がいいやい。

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2019.11.16

「お好み焼きの三貴ライブ」

淡々、じっくりと『お好み焼きの三貴ライブ』。

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本日のお客様はみな20代と思われる。
小グループでそれぞれに内向きなイメージ。
仲間同士、会話しながら静かに食べている。
演奏に対する反応も極めて薄い。
先月の異様な盛り上がりとは対照的だ。

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こういう時は淡々とBGM的に歌うしかない。
でも決して投げやりな気分を持ってはいけない。
むしろ普段以上にていねいに歌うべきだ。

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トークはほとんど入れずに、間断なく歌い続ける。
選曲は今月末の「おーるどたいむライブ」のプログラムを中心にした。
お客さんの知らない(知るはずのない)歌がほとんどだ。
通常営業中のライブではポピュラリティのある歌を中心に歌うのが常だ。
でも今回は若いお客さんばかり。
ポピュラリティのある歌をやったとしても共有はできないだろう。
何を歌っても「知らない歌」オンパレード。

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むしろ「知らない歌」を歌ってもそれを届けられるかどうかということが歌い手に問われる。
だからこそ普段以上にていねいに、きっちりと歌うことを心がけなければならない。

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お客さんに多少なりとも届いたかどうかは不明ではある。
でも演じ手としてはやるべきはやれたかなと思う。

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今日は常連・MATUMURA君に加え、時折来てくださる盟友・ふく助さんご夫妻が足を運んでくださった。

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本日の使用ギターもHEADWAYのOMタイプ。
立ち上がりがよく、音に芯があり、各弦のバランスもいい。
弾いている時のイメージはサウンドホールから音の束が放出されていく感じ。
喧噪を切り裂いて音が直進していく感じは生音ライブでは大きな安心感につながる。
まさにお好み焼き屋さんでのライブのために作られたかのようなギター。
お気に入りの1本だ。

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2019.10.19

びっくりの盛り上がり 「お好み焼きの三貴ライブ」

 

雨模様のせいか、お客様の入りは7割くらいでした。8卓に30人くらい。
一人ひとりに目が届く、歌いやすい環境。
ただしほとんどが20代とおぼしき若い衆。共通項が少ないと思い、自分の好きな歌をマイペースでじっくりやることにしました。

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ところが
予想に反し、1曲目から素晴らしい好反響が。
それも程度の差はあれ、どの卓からも好感をもって受け入れてもらえているのがわかります。
手拍子や拍手はもちろん、一緒に歌ってくれるお嬢さん方あれば、身体全体を揺らしながら聴いてくれるあんちゃん方もいる。
お好み焼きライブでこんな盛り上がりは何年に一度のことです。
いや驚いた。

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急遽アップ~ミディアムテンポの選曲に変えました。そしてところどころにスローバラードを挟んで。

ステージングはスピーディーにたたみかけるように進めます。
ノリが途切れぬようにね。

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休憩後の2部になっても勢いは止まりません。
次から次へリクエストをちょうだいし、それをきっかけにトークも炸裂。

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最後までそんな雰囲気のライブが続きました。
若い衆にノセられて知らずのうちに全力投球。
久しぶりに腹筋が痛くなりました。

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歌いながら感じたこと。
若者たちは音楽を身体で聴いている。リズムに乗りごく自然に身体が揺れてます。

大人は音楽をかしこまってじっくりと耳で聴きます。

反応の違いが面白かった今宵のライブでした。

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2019.09.21

歌うに歌う『お好み焼きの三貴ライブ』

数年ぶりにいらしたお客様一団。
かつて僕の歌を聴きながら大泣きされたSさんとその同級生の皆さん。
僕もそのときの情景を昨日のことのように思い浮かべることができる。
そのSさん、数年前に大病を患い、長い入院とリハビリ生活が続いているとのこと。
最近体調も少しずつ回復され、三貴ライブを楽しみに来てくださったとのこと。
これは気合いが入らぬわけがない。
いつもよりも早く始め、途中小休止を挟んでびっちり3時間。
大いに歌う。
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Sさんは無理ができないので先にお帰りになったが、同級生の皆さんからもリクエストを頂戴する。
最後まで同じテンションを貫く。
この一団、僕より一回り下だけれどフォークソング好きの方々。
そちら系の唄が多くなる。
たとえば「かぐや姫」のカバーを歌うのは本当に久しぶり。
それでも一定の精度できっちり歌い切れるのは、過去それだけ多くの方々からリクエストを頂戴してきたということなんだろう。
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通常営業中のお好み焼き屋さんでのライブでは毎回選曲が難しい。
「ライブ」といっても「自己表現の場」ではない。
「お客様に気持ちよくご飲食していただくためのスパイス的な演奏」
これが通常営業中のライブの位置づけ。
(その意味では「喫茶店JUNEライブ」や「朝市コンサート」なども同様)
まずはお客様が聴きたいと思う唄を優先的に選ぶ。
さらに自分が今歌いたい唄を加えていく。
このバランスが難しい。
客層は毎回全く違うので、このバランスも毎回変わってくる。
その時々のお客様の構成でも当然変わってくる。(積極的に聴いてくださる客なのか。好感を持って聞き流して下る客なのか。はたまた演奏に無関心の客なのか)
毎回手探りで歌い進めていく。
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今宵はラグビーワールドカップ初戦の放映時間と重なったためかどうかわからないが、
お客様の数はあまり多くはないし、賑やか過ぎということでもない。
好感を持って聴いてくださる方が多かったのでやりやすかった。
Sさんご一行様のお好みの選曲が3割。ポピュラリティのある唄を3割。残り4割が自分の今歌いた唄。
通常営業中のライブとしては理想的な状態。
『お好み焼きの三貴ライブ』での「3:3:4」はいわば黄金分割比。
いい調子で突っ走り、歌い抜ける。
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実は、
演奏に不安をかかえて臨んだ本日のライブ。
このところの練習で歌もギターも思い通りにできない状態が続いていた。
力が入ってしまいで音が堅すぎると感じていた。
力を抜こうとすると逆に気の抜けた出音になってしまう。
どう修整して良いかわからぬまま臨んだのだ。
ところが、
それはまったくの杞憂だった。
ライブが始まった瞬間、喉がぱっと開き体の力がすっと抜けるように感じる。
内心思わず「え? うそっ!」と思った。
そう思った瞬間、急に力がみなぎり自信が湧き出てくる。
ゲンキンなものでそうなると演奏が進むほどに調子が上がってくる。
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あらためて思いました。
「100回の練習よりも、1回の本番」
これに勝る練習はないな。

 

 

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2019.06.16

お好み焼きの三貴ライブ

今回の「お好み焼きの三貴ライブ」をふりかえります。


今回は音楽を通したご友人たちが何人もおいでくださいました。

それも初めての方々もいらっしゃる。

「お好み焼きの三貴ライブ」としては異例のことです。


なにしろライブと銘うってはいるけれど、通常営業の中で歌ってるわけです。主役はライブ演奏ではなく、飲み食いおしゃべりのお客様。歌を聴きにきたわけではなく、偶然そこに居合わせただけ。


演ずる僕としては彼らとの「一期一会」を大切に共存をはかりつつ歌い進めます。

2時間ほどの演奏時間に種を撒き、耕しながら芽の出るの促します。やがて花開き収穫の時を迎え、次回への種を残す。

そんなイメージでやっています。


お客様には不幸にもその場に居合わせてしまったと思われぬよう、幸運にもこの場に居合わせたと思っていただけるように歌っています。


さて、自らも演奏される友人たちがたくさんいらっしゃり、とてもうれしかった。僕のやり方を観ていただけることは喜びであり、自分にとっても学びにもなります。


一方で演奏しながら心がけたことがあります。

はしゃぐな、走るな、舞い上がるなってことです。

もって生まれた性分か、知った方々を前にするとついより楽しんでいただきたいとスイッチが入ってしまいます。

「普通のライブ」ならまったくOK。お客様は皆歌を聴きに来ていただいた方々だから。


でもここは通常営業中の演奏。度を過ぎれば「一般の」お客様には「内輪だけで盛り上がってる」と感じさせてしまいます。

そうなればライブとしては失敗。


ライブ開始前の「土壌調査」で難しさの予感がありました。

家族連れの一団。おじいさんを筆頭に、父さん、母さん、孫たちたくさん。

このじいさん、いかつい顔で頑固そう。孫たちの年頃から推し量り、年の頃70過ぎ。じいさんがこちらを向いてくれれば孫たちもなびく。(孫たちは最初から興味津々)


このじいさん果たして演歌が好きなのか、フォークソングは受け付けてくれるのか。

そう思いながら夏の流行歌(昭和40年代半ば)を繋げて様子を見ました。

真赤な太陽~恋のバカンス~天使の誘惑等々。

昭和歌謡の強さは多くの世代の体にしみこんでいること。普遍性があります。(ド演歌はまたちょっと違うけどね)


悪い反応じゃない。

最初は少々苦虫つぶしていたじいさんも、もんじゃをつつきながらこちらをチラチラ。


初来店の友人たちはフォークソング世代。

彼ら向けにそろりそろりとフォークに舵を切ります。


友人たちもいい案配でノッテきました。拍手、手拍子、かけ声。


気がつくとじいさんの唇が歌に合わせてもぞもぞ動いてる。

最初はお好み焼きを噛んでいるのかなって思ってました。

が、違う❗

明らかにそれは歌詞を追う唇の動き。

やがて目が合い、ニヤリと笑います。(おっかない顔はそのままに目だけが柔和)


ここで一気に舵を切り、フォークソングコーナーに突入します。

最後は『落陽』で一気に盛り上げ、1部は終了。


2部はフォークソングで始まりカントリーソングもまじえたアラカルト。


終幕は星の歌3題。

『星のフラメンコ』

『僕の星から』

『見上げてごらん夜の星を』


最後は静かに静かに締めくくりました。

20時~23時の長い旅路。


終わるころにはとっぷりと夜も更けていました。

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2019.01.20

お好み焼きの三貴ライブ 

今宵も大入り満員の中、貫徹いたしました。

どこかの会社の宴会と重なり、店内はごった返しています。
喧騒という「音の壁」に向かって歌うのはなかなかしんどいものです。
音圧に抗して歌うのではなく、音の間隙をぬって歌うというのがいいみたい。音量にたいして音量で立ち向かうと双方のボルテージが上がりいい結果は得られないからです。

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ここ半年、生音の演奏をやっています。毎回工夫を重ねて歌い方やギターの弾き方を変えてやるうちになじんできた感じ。
頑張らずに音を響かせるコツみたいなものが見えてきました。頑張りすぎると音は濁るし、攻撃的な感じになります。これでは場との共存は望むべくもない。
よく通り、しかも耳にさわらぬ気持ちいい音を響かせるというのが理想。

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嬉しい出来事がありました。
同年代のご夫婦とその娘さんのご家族が途中から入ってきました。
卓に着くなり親父さんが眉をひそめます。団体さんのはしゃぎ声と僕の出す歌声が混ざりあい、やかましいと感じたんだと思います。
ところが時と共にその表情が柔らかいものに変わっていきます。
なにか琴線に触れるものがあったんでしょう。その目にうっすらと光るものが。そんなご亭主に微笑みながら寄り添う奥さん。老夫婦をやれやれという目で見守る娘さん。

おそらくこの時3人の耳には団体さんのはしゃぎ声は入っていなかったと思います。歌声だけがすっと入っていったんだと思います。

お好み焼き屋ライブでの「場との共存」の望ましい状態が端的に表れた瞬間だと思いました。
団体客の邪魔にはならず、聴いてくださる方の耳にはすっと入っていく。多分これが共存のひとつの形なんだと思います。

それには耳にさわらぬ心地いい音色で、しかもしっかり全体に通る歌を歌わなければ音の間隙をぬうことはできない。

毎回のちょっとした工夫の積み重ねが形になったように思えました。

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今宵はいつにもましてうれしい「お好み焼きの三貴ライブ」でした。

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2018.12.24

2018年 歌いおさめ その① 「お好み焼きの三貴ライブ」

金曜日、土曜日、日曜日と3日間連続の年内最終ライブ。

「お好み焼きの三貴ライブ」~「朝市コンサート」~「喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ」とレギュラーライブで〆ることができほっとしている。
それぞれの特性が100%出る典型的なライブとなった。
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「お好み焼きの三貴ライブ」
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店内超満員。どこかの医療関係の会社の忘年会でほぼ貸切状態だった。
1年のタガが外れる忘年会。おしゃべり、何度も重ねる乾杯、そこかしこで起こる気勢。
喧騒の渦でものすごい圧力だった。
他のグループもその圧力に気おされまいとテンションが上がっている。
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凄絶! 猛烈! 強烈!
    (お店のスタッフ談)
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クリスマスが近いので「ホワイトクリスマス」や「ブルークリスマス」を歌おうと思っていた。
とてもそんな余地はなし。
正しく日本の忘年会がくりひろげられていた。
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通常営業中の宴席でのライブ。その中で演奏の共存をはかっていく。
まさにこれが「お好み焼きの三貴ライブ」の本質的な姿であり、そのエッセンスが今回のライブだった。
お客様の邪魔になるような激しい、大音量での演奏は禁物。
さりとて、喧騒の中に埋もれさせず存在感をキープする。
これが通常営業中の宴会ライブだ。
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完全生音の演奏。
こんな時こそ平常心で歌い続けることを試される。
気持ちの面では「がんばらない」ことが求められる。がんばって力が入り全力投球するとそれはお客様からは拒絶される。拒絶されないまでもおしゃべりのボルテージは上がっていき音量のいたちごっこになる。
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淡々と歌う必要がある。しかしそれは唄の表面をなぞることとは違う。
情感を込め、丁寧に歌い続けなければいずれ喧騒の中に埋没していく。
丁寧に2時間歌い続ける気持ちを維持し続ける強さが試される。
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技術的には出す音がいつも以上に攻撃的にならないようにしなければならない。
ギターのピッキングは柔らかく。(今回ギターは強い音質のギブソンだったのでソフトなタッチを特に心がけた)
声は丸く。身体全体に音を共鳴させるイメージで、発生も喉を締めずに鼻から抜く感じを意識する。
出音は直線的なものではなくゆったりと円を描くイメージ。
お客様に直接届くのではなく、天井や壁に当たりながらふわりと伝わる感じだ。
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こんな感じを基調としながら、アンテナは客席に張り巡らせる。
お客様同士の会話などがアンテナに引っかかったら、そこだけはピンポイントで音と視線を向ける。むろん空振りもあるが、これがお客様との距離を縮めるのにとても有効。
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およそ15年の三貴ライブの経験で会得したこのやり方を年の瀬に、しかもこれまでやってきた中でも飛び切り難しい環境で再確認することができたことに満足している。
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おかげさまでバラエティに富んだ年代層の方々からリアクションを頂戴することができた。
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2018年のいい〆になった。

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2018.07.21

変わりゆく「お好み焼きの三貴ライブ」

「お好み焼きの三貴ライブ」。
今月も無事に貫徹。

ここ3~4年、客層がすっかり変わってしまった。20代の若者たちが今のメイン層。
以前の客層と違い音楽的な接点はほとんど無くなった。僕の歌は彼らにとっては初めて聞く歌ばかり。逆に彼らの好む歌を僕はほとんど知らない。

それなのに今もってなおここで歌い続けるのはなぜなんだろう。
多分彼らに対する挑戦の気持ちが僕の中にあるためだろう。

たとえ「古い楽曲」や今時「流行らない歌」であったとしても、それをちゃんと歌うことで若い世代になにがしかの痕跡を残せるはずだ。そう信じるから歌えるのだと思う。

以前の「三貴ライブ」では客層や反応に合わせて選曲をどんどん変えていった。『お客様志向』のライブだった。
今は自分のやりたい歌を自由に歌っている。
それは古い歌謡曲やフォークソングだったり、カントリーだったりする。僕を通り抜けてきた歌の数々を『一曲入魂』で歌い重ねる。

そんな歌が彼ら若い世代に痕跡を残すことができれば、スタンダードな歌になっていく。
僕の愛した歌の数々がたとえ10曲に1曲だったとしても、10人に1人であっても若者に足跡として残すことができればそれでいい。

若い世代への挑戦。
それが「お好み焼きの三貴ライブ」を貫徹するモチベーションになっている。

今日の三貴ライブ。
若者たちで超満員。
歌声は喧騒の中に吸い込まれ、ややもすると呑み込まれそうな状況。
それでも何人かは絶えず反応を返してくれた。

そのおかげで2時間しっかりと歌いきることができた。
ありがとう❗

【追記】

20代~30代の若い世代に自分の歌を問うということは、実は自分の成長にとってとても大きなことだと思う。
「古くさい歌」「今時流行らない歌」に耳を傾けてもらうために工夫をしなければならない。
楽曲の良さを充分に伝える表現(アレンジ、奏法、歌唱法)をどうするか。
リズムを変えてみたり、普段はフィンガーピッキングのところをあえてストロークで押しきったり、ミュート気味のストロークにしたり。逆にあえてオリジナルの雰囲気をデフォルメしたり。
これといって正解などない。だから毎回その場のインスピレーションでやる。
演奏結果は蓄積され次のインスピレーションの卵になる。
三貴ライブではそんな感じで臨んでいる。
この積み重ねがいずれ実を結ぶと信じたい。

三貴ライブ。たとえアウェイでも、やはりやめられない。やめるわけにはいかない。

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