印刷

2016.12.02

家庭用インクジェットプリンターでハガキに写真を印刷するのは難しい

久しぶりに印刷の話を。
といっても長年関わっていたオフセット印刷ではなく、家庭用プリンターでの印刷。

モノクロ写真をインクジェット用ハガキに印刷をしたところ、撮影データのままだと真っ黒につぶれてしまった。
それは予想していたことだったけど、予想をはるかに超えたつぶれ具合だった。...
特に中間~シャドウのつぶれ具あうは半端ではない。真っ黒で暗い印刷になってしまう。(印刷用語でいうところのヤレ=不良品だ)

理由はいくつか考えられる。

まず紙の問題。
インクジェット用ハガキとはいえ紙の表面の凹凸があることに変わりはない。紙の表面にインキがノッタ後毛細管現象でインキの色素が紙の中に吸い込まれる。インキ被膜に凹凸ができ激しい乱反射をおこし、結果としてつぶれが発生する。
これを防ぐには紙を変えるしかない。
コーティングしたり鏡面加工を施し用紙表面の平滑度の高い紙を選ぶしかない。
そういうハガキがあるにはあるが、ハガキとしては仕上がりの品が悪く好みではない。
なんとかインクジェットハガキに印刷する手立てを考えなければならない。

次の問題は平滑度の低い紙にモノクロ写真を印刷するということだ。
一般にカラー印刷の場合、いくつかの色に撮影データを分解して色再現をする。
オフセット印刷の場合はYMCK(黄・紅・藍・黒)に分解し4色で刷り重ねる。
家庭用プリンターの場合は撮影データはRGB(赤・緑・青)。実際のプリントでは5色~6色の刷り重ねで色を再現している。色素も明るさを強調できる染料タイプ。(オフセットは粒子の大きい顔料)
色分解されたそれぞれのデータは軽いものに抑えられる。だからつぶれは生じにくい。(ディスプレイに表示された色と、紙に印刷された色のに違いが生じるという問題はあるが)

対してモノクロ印刷には「色」の要素はない。黒と白の諧調表現があるのみだ。(実際の家庭用プリンターでは他の色も使ってモノクロに見せている)
この「諧調」ってやつがモノクロ写真の命であり、厄介なシロモノでもある。
0%(白)~100%(黒ベタ)で表される(トーンカーブ)。PCなどのディスプレイで写真を見る分にはそのままでもいい。
でも紙に印刷するとなるとこのトーンカーブをいじってやらなければ違った仕上がりになってしまう。
違った仕上がりというのは上記の調子(諧調)のつぶれや、毛細管現象によるインキ表面の凹凸からくるドライダウン(インクの盛りが弱く感じられる現象)だ。

調子のつぶれが一番目立つのは中間(50%)近辺。
明るさ(ライト~中間)、暗さ(中間~シャドウ)が段階的につぶれていく。
(オフセット印刷では印刷をするときに圧力がかかるためドットゲインも考慮しなければならない。紙の上でインキの粒=網点がつぶれる。結果最もつぶれやすいのは70%近辺といわれている)
白いところは白く。黒いところは黒く。その間をなだらかな諧調でつないでいくのがモノクロ写真の印刷なのだが、実際にはこうはいかない。
明るいところは薄汚れた印象になり、薄暗いところは真黒になってしまう。

そこでトーンカーブをいろいろいじってみた。
まず中間(50%)の部分を10%程度落としてみた。
試刷りでは幾分明るくなった程度。
次に中間はそのままに75%近辺を落としてみた。
試刷りではだいぶつぶれが無くなったが、なんとなく薄汚れた感じがぬぐえない。
そこでこの状態からさらにライト~中間も落としてみた。
結果はまずまずの再現にはなった。でも自分のイメージとはまだ離れている。
さらに2回ほど微調整をくりかえし、やっとこ「まあ、こんなもんか」と思えるところまできた。
ディスプレー上には撮影データとは似ても似つかない画像が写っている。まるで幽霊写真だ。

たった1枚のモノクロ写真のハガキを印刷するのに試刷りに5枚もハガキを使ってしまった。
オフセット印刷と家庭用インクジェット印刷では印刷の仕組みがまるで違うので、同列に考えることはできない。
でも色再現や諧調再現という視点ではオフセット印刷技術担当時代に培った考えやノウハウが役に立った。

久しぶりに印刷屋に戻ったような気がする。

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2013.04.10

ありがとうございます。そしてさようなら。

今思えば・・・

最も脂がのり、一番ナマイキな時期だった。

40代のはじめ。

仕事に自信が持てるようになった頃。

あっちにかみつき、こっちに吠えていた。

こわいものなしだった。

相手が協力会社の社長だろうが、社内の部課長だろうが、
おかまいなしに自分の考えを開示していた。

「武闘派」といえばカッコもつくが、要は向こう見ずの無鉄砲。

当然の帰結として「敵」も少なくなかった。

.

.

扱いにくい部下だったと思う。

生意気盛りの自分を「しょうがねえなぁ」という顔で見守ってくれていた。

時に組織の枠を飛び越え、他の部門からおしかりを受けることもあり・・・

それでも影でかばってくれていた。

まあまあまあ
あれはあれで人材なんだから
よろしく頼むよ

てなあんばいで。

そんな彼を僕は当時「俗物」と思ったりもした。

.

.

時は流れ、彼は部長職をしりぞき、五霞の子会社に出向していった。

僕は僕で自分の「分」と、思い上がりを知る年頃になっていた。

「俗」と感じていたものが「懐の深さ」と感じられるようになっていた。

生意気な輩を潰さず切り捨てず、育ててくれていたんだ。

そう感じ取れる年になっていた。

感謝した。

.

.

さらに時は流れた。

印刷業界は業態が大きく変わり始めた。

僕は印刷会社を辞め、あらたな挑戦をせんがため1年に渡る人生浪人をしていた。

次の仕事が決まった昨年3月、彼が完全退職しリタイアするという話を聞いた。

長年の礼をしなければ気が済まなかった。

車を走らせ、五霞の工場を訪ねた。

おお、どうした
仕事は決まったか?

そう出迎えてくれた彼と桜を眺めながら、しばし語り合った。

オマエくらい扱いにくいヤツもそうはいなかったな
フジケンとE村とオマエには手を焼いた
まあ、いいおもいでだ

屈託のない笑い顔が焼きついた。

陽射しが暖かだった。

.

.

突然の訃報が届いたのは一昨日。

わが耳を疑った。

.

斎場までの道のりは20年前、彼を乗せて時折走ったコースを選んだ。

第×美術~A文社~△美術~□印刷~KP辞書~○西印刷・・・

廃業して今はもうない印刷会社の跡地をつなぎながら車を走らせる。

当時の想い出が次から次へと浮かんでくる。

斎場に着くのが怖かった。

彼の遺影を見たくはなかった。

.

弔問客の焼香が終わり、人影もまばらになった斎場で静かに手を合わせる。

まるで雲の上を歩いているようなふわふわした感じ。

外に出るとE村さんが煙草を吸っている。

件の「問題児」のひとりだ。(僕の1年先輩になる)

短く会話を交わし、握手をする。

ギューッとありったけの力で握りかえしてくるE村さん。

彼の無念さをその手に感じる。

.

.

.

タイコーさん。

   新井大幸さん。

静かに眠ってください。

ありがとうございました。

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2013.03.03

1日だけの印刷人に戻る  ~いきさつ編~

25年来おつきあいのあったTB印刷の社長からオファーがあったのは今年の正月だった。

.

古池さん
ウチの連中に印刷品質について講義してもらえませんか
品質保証や品質管理のノウハウを形あるものとして植えつけたいんです

.

少々とまどい、一度は固辞した。

なにしろ印刷業界を離れてまもなく2年になろうとしている。

そんな自分に講義をする資格などあろうはずがないと思えたからだ。

そんな自分を社長は口説いた。

.

古池さんがKP印刷でやってきたこと、指導してきたこと、そのやり方を
私は信頼しているんです
それを眠らせてしまうにはあまりにしのびない
財産として私たちに残してほしいんです

.

いささか(いやたぶんに)かいかぶりの感があるが、この一言に心をゆさぶられた。

.

会社の事情と自分の事情(オモワク?)が重なり早期退職をしたのは57歳だった。

55歳を過ぎたあたりから印刷業界に対する恩返しや次代へのバトンタッチを意識していた。

急な退職だったためそんな思いは思いにとどまったまま去った。

.

考えてみれば・・・
オレは何ひとつ恩返しができぬまま去ってしまったな
せっかくいただいたチャンスだ
恩の一端でも返せるならば、
それもまたヨシだな

.

.

今思うと、自分は恵まれた環境の中で多くの経験を積ませてもらった。

一子相伝ではないが、
師匠(Mizuiのオヤジ)にかわいがられ(いじめられ)
印刷人としての心構えと基礎をたたき込まれた。

それを土台に、
印刷にとどまらず前工程(製版)や後工程(製本)とも関わりを深く持つことができた。

くわえて営業担当やいくつかの得意先やデザイナーとも関わりを持つことができた。

そして何よりも技術担当として数多くの印刷協力会社と深い関わりを築くことができた。
(TB印刷もそんな中のひとつ)

大手印刷会社の中でこれほど広範囲に、しかも横断的に関わりを持てたなんて、
一介の印刷マンとしては恵まれていたとしか言いようがない。

得難い体験を数多くさせてもらった。

.

.

.

「入稿から出荷まで」

印刷物が製品として仕上がるまでの全工程を流れの中でとらえ、
その流れの中で印刷を位置づけること。
これはけっこう難しいものだ。

ほとんどの印刷職人やオペレータ(技能者)は印刷のことしか視界にはいらないのが実情だ。

そのため客先に求められる品質と、みずから作りこむ品質との間にズレが生じる。
その結果、品質事故やクレームにつながることのなんと多いことか。

.

全体の流れの中で印刷を位置づける。

そこから自然に見えてくる品質の意味を浮きぼりにする。

その上でTB印刷が日常的に発生させ、
一番困っている品質事故の背後にひそむものはなにかを考える。

.

まずはこの辺から手を付けることにした。

.

T社長の言葉が印象に残っている。

優れた技能を持つ人間を技術者とよぶわけじゃないと思うんです
技能はいわば「技」
「技」を持つ人間はウチにもいます

「技」を言葉に変えて伝えることができる人
伝えるだけではなく理解させることができる人
それが「技術者」なんじゃないでしょうか

広く、深い知識や経験があり
修羅場を潜り抜けてきた判断力と胆力が備わっている
そんなものに裏打ちされてなきゃならない

一人でいいから、ウチに「技術者」と呼べる人間が育ってほしい

それが私の願いなんです

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2012.03.26

印刷老師を訪ねる

印刷の師匠、「M井のオヤジ」の家を訪ねた。

4月から新しい仕事が決まった。
でもその仕事は印刷とは無関係。
長年たずさわってきた印刷とはいよいよこれで決別することになる。

ケジメとしてその報告を「M井のオヤジ」にしないわけにはいかないと思っていた。


  なにしにきた


御年77歳の師匠はあいかわらずの毒舌だった。

この人にけなされ、いじめられ、仕事の仕方や印刷技術のイロハをたたきこまれた。
その礼をするとともに、次世代につなぎきれなかったことを詫びようと思っていた。
しかしそんなこと口にしたって取り付くシマなどない人だということもわかっている。
淡々と次の仕事の報告をし、元気でいてくださいとだけ言って辞した。

印刷技術者としてそれなりには極めたつもりでいた自分だが…
やはりオヤジの前にでるといまだにただの小僧っ子。

遠くから深く頭をさげその場を後にした。

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2011.03.23

別れの時が近づいて

3月いっぱいで長年勤めてきた印刷会社を退職する
いわゆる希望退職、早期退職だ

長引く不況の中で多くの印刷会社が基礎体力を失いつつあり
生き残るために何らかの手を打たなければならない状況に置かれている

当社も大幅な人員削減を余儀なくされ、年配者や不採算部門を中心に多くの人員が退職することになった


共に退職する技術班の同志たちには共通の「痛み」がある


  「技術の継承」を自分の代で途切れさせてしまった


師匠や先輩諸氏から受け継いできた歴史
それらを次代に伝える前に退職する悔しさ、もどかしさ

これが「痛み」として「傷跡」として心の中でうずいている





昨夜、当社の出版営業に招かれた
「送別会」という名の壮行会だった

献杯から始まったこじんまりとした酒宴だった
予想以上に多くの中堅・若手営業が集まってくれた
ひとりひとりがねぎらいの言葉を我々に送ってくれた

共通することがあった

共に手を携えてクリアしてきたひとつひとつの仕事の中に学ぶべきものがあったということだ
それはルートにのってなされただけの仕事からは決して得ることのできない満足感であった


  うれしかった


そういう「手探り、手作りの仕事」を通して彼らは我々からなにがしかのことを受け継いでくれていたのだと思えた

無論それは「技術の継承」ではない
けれど底に流れる「心意気」の点では共通のものだ

彼らは営業の立場から
ひとつひとつの仕事に対する我々の姿勢や心意気を感じ取り、
共感し、受け継いでくれていた


うれしかった




  お客さんが喜んでくれるものを作りたい


これはものづくりの基本だと思う
受注産業である印刷業は仕事の底辺にこの思いがなければいけない

「顧客満足・品質第一」というスローガンはそれがあって、はじめて生きてくるのだと思う



帰りしな、節電で暗い夜道を歩きながらある営業からこう話しかけられた



  昔、古池さんが言っていた言葉の意味が
  最近分かるようになりました
  あの頃は現場のいいわけだと思ってましたけど・・・
  
  お客さんの要望を100%満たせることが理想
  でも機械的、物理的にそれを満たすのが難しいのが印刷
  仮に80%のデキだったとしても、限界まで挑戦し
  それを通してお客さんに納得、満足してもらえた時
  80%は120%になる
  それを付加価値という・・・



うれしかった  

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2011.01.09

師匠・水井のオヤジのこと

年賀状の束の中に見慣れた、そして懐かしい右肩上がりの文字がおどっていた

  水井のオヤジだ
  良かった
  また1年、生きながらえたか!

水井のオヤジは僕に印刷の何たるかをたたきこんでくれた師匠だ

  お前なんぞ弟子にした覚えはない

そんな答えが返ってきそうではある
でも彼に鍛えられた日々がなければ、印刷人としての自分は絶対になかった
だから誰がなんと言おうと(本人が認めなかったとしても!)自分にとっては師匠である

影でささやかれていた言葉がある

  水井は若い芽を摘んでいく
  水井に見込まれたやつは皆つぶされる
  おまえも気をつけろ

たしかに「鍛える」といっても半端ではなかった
いじめやいびりとほとんど紙一重だった

およそ25年前、印刷技術班に僕は配属された
技術班は現場で職制経験のあるベテラン4~5人のチームで協力会社の技術指導に当たっていた
ベテラン猛者連の中で、三十代半ばの僕はひよっこの若葉マークでしかなかった

自分では十数年の印刷現場経験で、ある程度の自信を持っているつもりだった

鼻っ柱をボキリとへし折ったのは水井のオヤジだった

協力工場で印刷立会いをして持ち帰ったOKシートの刷り本(印刷物)をちらりと一瞥くれただけで彼はそれを床に放り投げる

  こんなもんでOK出してくるんじゃない

と言いたげな顔でプイと横を向く

  どこがまずいんですか

気色ばんだ僕の問いに返す言葉は常に冷たかった

  それくらい自分で考えろ
  これで良しとして技術者ヅラするんじゃない
  

困り抜いた僕は何度も何度も刷り本を凝視し、ふたたび協力工場へ
再度印刷立会いをしてOKシートを持ち帰る

深夜すでに誰もいない職場で穴の開くほど刷り本を見つめる
自信が持てない

  水井さんからOKをもらえるだろうか・・・

疑心暗鬼に陥る

そんなやりとりが頻繁にくりかえされていた

わずかばかりの自信も、印刷人としてのプライドも
なにもかもが根こそぎもぎ取られた

  ダメなヤツ!

そんなレッテルを自分で自分に貼り付ける
不安で不安でしょうがない日々を送った

いつしかそれは水井さんに対する恨みになり、やがてそれは殺意にまでなった

  オヤジ!
  いつか殺してやる

穏やかではないが、そこまで思いつめたこともあった

そんなことが3年も4年も続いたある日のことだった

立会いを終えて帰社した僕はいつものように机に刷り本を広げ水井のオヤジの判断を待った

いつものように一瞥をくれ、ポツリとつぶやいた

  おまえも少しはまともなものを刷ってくるようになったな

そう言い残し、その場を立ち去った

(水井のオヤジの背中を見ることもできず、僕は立ちすくみ泣いた)

ここから二人三脚が始まった

殺してやりたいとまで思ったオヤジの一挙手一投足に意味があったと感じるようになった

「いじめ」と感じるか、「鍛錬」ととらえるかでその評価はガラリと変わってくる

水井のオヤジが出す難題を「鍛錬」と素直に受け止めることができるようになった
過去「いじめ」と思えたことの中にも意味を感じることができるようになった
(デキが悪いくせに反抗的な視線で見返す僕に、単に怒っての仕打ちだったかもしれないが・・・)

僕はまるで海綿が水を吸収するように、水井のオヤジが持っているものを会得していった
目の前の視界がパーッと開けたような気がしていた

「職人」、「技術者」そして「技能者」はそれぞれ似て非なるものかもしれない

水井のオヤジは完全なる「職人」だった
仕事に対する姿勢、技、判断、責任感、潔さ、そして頑固さ
どれをとっても自分の身体に叩き込み血肉と化していた
何十年もくりかえし続けた作業を通してしか産まれてこないものだ
そしてそれはきわめて個人的な産物である

僕もまた「職人」たちによって鍛えられ、仕事=印刷技能を覚えてきた
けれど「完全なる職人」に育つ前に「技術担当」にコンバートされた

時代はすでに「職人」を必要としていなかったのだ

閉ざされた「職人技」の世界を開放し、すべての作業工程をマニュアル化することが推し進められた時代だった
必要とされたのは「決められたこと」を「決められたとおり」にこなすことができる勤勉なる「技能者」であった

僕は「技能者」ではあってもまだ「技術者」ではなかった
身体で覚えこんだ「技能」が基本=「表」の技であるとすれば、「技術」とはその裏にあるものを駆使する技である
マニュアル=基本作業だけでは解決できない問題や、問題=トラブルが発生したときにそれを解決する技が「技術」である

言葉を変えるとこうなる
「あたりまえの品質」を保証するのが「技能」である
これは印刷製品としての機能を充足させるワザ、つまり不良生産をしないためのワザだ

「あたりまえの品質」の保証が困難な時に解決策を講じるのが「技術」である
さらに付加価値を高め、「魅力的な品質」を創造するところまでが「技術」の守備範囲である

今にしてみれば・・・
ひよっこ技能者に過ぎなかった僕を水井のオヤジは「職人の手法」で「技術者」にたたきあげようとしたんだと思う

僕の作ったOKシートが製品としては通用したとしても、魅力的な刷り物ではなかったということだ
だから一瞥しただけで床に放り投げたりもしたのだ
その理由を聞いても教えてくれなかったのは、言葉では決して伝えることのできない感性の問題だからだ

ある日突然水井さんは会社を辞めた

彼が長年高品質の再現に執念を燃やし続けた月刊誌・SB社の「○○画報」の印刷を終えた直後
水井さんは会社に来なくなった
上司の数度にわたる説得にもかかわらず、オヤジは沈黙を貫きだまって消えていった

当時水井さんは体調を崩し、気力も弱くなっていたのは感じていた
しかし一週間にわたる最後の「○○画報」の印刷を鬼の形相で取り仕切った
最終の印刷立会いを終えた夜、職場で一杯やりながらポツリとつぶやいたのが印象に残っている

  ウチの技術を作ってきたのは「○○画報」だったな

水井さん56歳の時だった
今彼と同じ年齢になり、当社での技術者としてのキャリアも残すところわずかになった
「技術の継承」ということを最近よく考える

水井さんが去った後、僕は自分のやり方で「技術者」たらんと努めてきた
寡黙なる職人・水井さんに対し、僕はモノ言う技術者となった
コンピュータ技術が製版や印刷を大幅に変え、古い仕組みの手法はほとんど一掃された
そういう時代への適応をめざした結果が「モノ言う技術者」につながった

昨日あるベテラン営業と話をしていて言われた

  古池さん
  あんたの仕事を見てると水井さんを思い出すよ
  印刷界はずいぶん変わったけど
  「職人の魂」は変わらないんだね
  水井さんと同じだね

うれしかった
反面、内心を突き刺す刃のようでもあった

  オレの中には水井のオヤジをはじめ、たくさんの先輩の血やDNAが流れ込んでいる
  オレは次代にナニモノかを残せているんだろうか・・・

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2010.12.23

技術者としての満足感を感ずる印刷立会い

会心の印刷立会いをさせてもらったのは久しぶりのことです

入稿時から尋常のやり方では印刷できない予感がありました
お客様のEB社もそれを感じていたようで、当社営業を通して早々と品質管理の要請を出されていました



EB社の仕事は昔から特殊な仕掛けを要する印刷が求められてきました

・特色(既製インキではない、特別に調合したインキ)を駆使する
・印刷の刷り順を通常とは違ったものにする
・印刷適正の低い特殊な紙を使う
・その他もろもろ

いわば印刷屋泣かせの仕事が多い出版社です



カラー印刷はほとんどすべての色を
黒・青・赤・黄の4色に分解して
刷り重ねることで色再現をします

この4色を標準色といい、印刷機もこの順番でセットされています


今回の仕事は標準色を使用せず特色を6色刷り重ねる内容でした

・蛍光イエローの2回刷り
・その上に濃度の高い特色黒+特色の淡いオレンジ+ホワイトインキ
・最後にニスという透明の表面保護インキ

加えて表面がぼそぼその紙


普通に印刷したんでは、まずうまくいかないことが予想されました

・6色機で同時印刷したのではインキの皮膜が厚くなりすぎ、インキどうしがくっついてしまう
・それぞれのインキの特性上インキが紙に乗りにくい
・特殊な紙での印刷再現が未知数


ポイントはホワイトインキがばっちりと白く見えることでした

実はこれが難しい
ホワイトインキは濃度が低くて下地が透けて見えやすいのです
黒のインキの上に刷ったのではグレーっぽく見えてしまう

そこであらかじめホワイトの刷版を2版用意しておきました
白の色が出ない時に2回刷りするためです


印刷は5色機を使い、2回に分けて印刷しました
印刷というよりも版画の刷り重ねの発想です

前日の夜勤で蛍光イエローを2度刷りして乾かしておきます
翌日お客様の立会いのもとで他の4色を刷り重ねます


案の定ホワイトのインキをいくら出しても白くなりません


  うーん
  これじゃ、ぜんぜん話になりません
  なにか手がありませんかね(客)


  じゃぁ、ホワイトを2回刷りにしてみましょう(僕)



30分後・・・


  おお、だいぶ白くなった
  でももっと白くしなきゃ意図のようになりません
  この白はペンキが飛び散ったイメージなんです(客)


  ぺ、ペンキですかぁ?
  それじゃこの印刷方式じゃ無理がありますよ
  シルク印刷とかにしなきゃ、質感がだせませんよ(僕)


  そうなんですよねぇ
  なにぶん予算がねぇ・・・(客)

   (註:シルク印刷の方がインキを分厚く盛れるが、価格が高い)

  
  分かりました
  限度一杯までインキを盛りましょう



10分後・・・


  おお、白くなりましたね(客)


  特盛つゆだくですから(笑)
  そのかわり、この状態が維持できるのは
  いいとこ3000枚までです
  それ以上刷ればインキがあまり過ぎて刷れなくなります(僕)


  印刷枚数が3200枚ですから、大丈夫ですかねぇ・・・(客)


  もたない時は一度リセットして、
  ローラーを洗いますから、ご心配なく
  でも、重版がかかって50000枚なんてことになったら
  ちょっとえらいことですけどね(僕)


  あ、だいじょぶ、だいじょぶ
  そうあってほしいけど、ありえませんから(笑)
  それよりも、白くはなったけど・・・
  このぶつぶつした感じもう少しなんとかならんでしょうか(客)


  うーん・・・
  これは難しいなぁ
  ぶつぶつ感の原因は紙なんですよ
  紙の表面があらすぎて、インキが食いつかないんです
  ホワイトインキは普通より固いインキなんでその弊害が大きい
  普通のコート紙で試しに刷った物がこれです
  同じ条件だけど紙が違うとこんなになめらかになります
  これだとペンキっぽいでしょ(僕)


  うわぁ、紙の違いでこんなにも再現が変わるんですか
  どうしようかなぁ
  これでデザイナーは納得するかなぁ・・・(客)


  別の手を試してみましょう
  今ホワイトインキは2回刷りしてますでしょ?
  そのうち1回目のホワイトを手直しします
  インキを薄めてやわらかくします
  やわらかくするとインキの流れが良くなります
  その上で紙にかける圧力(印圧)を強くしましょう
  紙の凸凹のところにうまく流れ込んでくれれば
  ぼそぼそ感は多少緩和されるかもしれません
  ただ、その場合白さは多少落ちるかもしれません(僕)


  ぜ、ぜひお願いします(客)



10分後・・・


  お!
  なめらかになった!!
  白さも悪くない!!
  OKです
  これで進めてください(客)




帰りの車の中で一人・・・

ほっと一安心し、胸をなでおろしていました
なんとかお客様のイメージに近づけることができて良かったぁ
物理的にも技術的にも難しい仕事だっただけに、喜びはひとしおでした




お客様とやる印刷立会いには難しさと面白さが同居しています

まずなによりお客様の求めているイメージをいち早くつかみ共有すること
これができなければ印刷は迷走します
お客様のイライラ感をつのらせることになります

さらにお客様の求めるイメージを印刷物に再現するために、即座に手を打つこと
結果が目で見て分かるようにすること


それでもイメージと刷り物にギャップは必ずあるものです
ギャップを埋めていくと同時に、ぎりぎりの線でギャップを受け入れてもらえるようにすること

たがいに納得しあいながら、
「一緒に印刷物を作っていく」というのが理想かもしれません

だからどんなに優れた印刷技術を会得していても、必ずしもいい印刷立会いにはならないと思います

一番大切なのはお客様に納得していただくことであり、喜んでもらえること

それには技術の研鑽はもちろんですが、
お客様と気持ちを合わせて進めることがとても大切な要素だと思っています


難しいことではあるけれど、うまくいった時は無常の喜びを感じます




  ありがとうございます


満面の笑みでそう言ってくれたEB社・編集Sさん

こちらこそありがとうございます
おかげさまで、楽しくいい仕事をさせていただけました

この一言、この笑顔が
技術者にとって最高の満足であり、最高の報酬かもしれない

そんなことを思いながら夜道、車を走らせました

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2010.05.24

技術の継承 2 父から息子へ K印刷の場合

印刷立ち会いでK印刷を訪ねた

六十半ばの親父さんと三十半ばの息子二人
三人で2台の4色機を切り盛りしている

典型的な町工場である
(従業員をかかえている分、寅さんのタコ社長の印刷所の方が規模はまだでかい)

親父さんは刷り物を鋭い目で眺め、必要な処置をしていく
ずんぐりした身体で動き回る
無駄な動き一つない、考え抜かれた手順を踏んでいく
長年修羅場を踏んできた職人の動きだ


息子たちはそれぞれに分担された仕事をこなしながら、父親の仕事を見つめている

八割がた仕上げたところで親父さんは息子にまかせる

息子たちはあとを引き継ぎ色出しをする
鍛えられていると見え、きびきびと動く

判断に迷い動きが止まる

その様子をじっと見つめる親父さんの鋭い眼光
でもその目はやさしく、慈愛に満ちている


頃合いを見計らって怒声が飛ぶ

息子も負けてはいない
やり返す

同じ顔が二つ、ツノ突き合わせてまくしたてる


こんな状態の刷り物を古池さんに見せようってのかexclamation ×2
バカモンexclamation ×2



わかってるよexclamation ×2
親父は黙って見てろexclamation ×2



こんなやりとりを見ながら思う


技術の伝承はこうしてなされてくんだなぁ…

ふと、若き日の自分とM師匠がよぎった

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技術の継承 1 職人の血

三十余年、印刷マンとして働いてきた


自分の中には印刷職人としての「血」が流れている
同時に印刷労働者としても育てられてきた

かつて大先輩が己のことをこう称した


  オレは印刷の職工だ


「職工」という言葉の裏には
職人であると同時に、自分が組織された工場労働者であるという思いがあったのではないか?

職人というのは自分でたたき上げ、ワザを身につけてきた一匹オオカミというニュアンスが強い

しかし工場で働く以上個人プレーは許されないのも事実だ

「自分は100%純潔の職人ではありえない」

という自嘲が含まれていたに違いない






僕が印刷現場を離れてもう久しい
自分で印刷機を回して生産する立場から一歩引き、「技術担当」と呼ばれるようになった

だから、もう「職工」ともいえない

それで「印刷マン」「印刷人」というあいまいな言い方になってしまう





とはいえここ数年自分の中に流れる「職人」としての血、「職人」としての誇りを強く感じるようになった

それは長老とよばれる年になり、印刷人としての時間が残り少なくなってきたことと無関係ではないだろう




まだ20代の頃
僕たちは先輩に怒鳴りちらされ、蹴とばされ、スパナで追いかけまわされていた
そうして印刷のいろはをたたき込まれたのだ


30代になり、ある程度一人立ちできるようになった
偶然が重なり僕は技術チームの一員になった

さすがに鉄拳は亡くなった
しかしここでも師匠の強烈なシゴキが待っていた

自分が立ち会った刷り物を一瞥しただけで捨てられたりもした
どこが悪いのかを問うても決して教えてくれなかった

  自分で考えろ!

現場で培ってきた「自信」が粉々に打ち砕かれる日々だった
そんなことが5年続いた

ある日M師匠はポツンと呟いた


  やっと、お前もまともな刷りができるようになったな


あたりはばからず、僕は泣いた
やっと認めてもらえたと思った
うれしくて、うれしくて、うれしくて…
涙が止まらなかった



それからは完全に一本立ちできるようになった

しかしことは簡単ではなかった

一人立ちするということはすべて自分で判断し、責任をとるということだ
少なくともその心意気がなければ通用しなかった
(僕をたたきあげたM師匠は大きな判断ミスを犯したことを恥じ、自ら身を引き会社を辞めていった。今の僕の年、56歳の時だった)


日々の印刷立会にもまれここまで(師匠が身を引いた年齢まで)たどりついた。



ここまでの三十余年
今まで僕は自分の力で道を切り開いてきたという自負とプライドがあった


しかしそれはとんでもない思いあがりだと感じるようになった

自分の中にはM師匠を始め、多くの先輩方、さらにはこれまで関わってきた協力会社のベテラン職人たちの技術が流れている
そう強く感じるようになったのだ

「技術」というものは個人の努力なしには身につけることができない
でもその努力の一つ一つに諸先輩の膨大な歴史が流れ込んでいるのだ

「技術の継承」とはこういうことをいうのだろう

僕の中に流れ込む諸先輩の歴史
それを僕は次代に繋げていくことができるのだろうか
「技術の継承」という伝統のバトンを僕は渡すことができるのだろうか

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2010.05.13

印刷立会い・・・ 「印刷道場」

仕事柄、得意先の印刷立ち合いに同行することが多い
今日もある得意先に同行した

旧知の仲というのもあるが、初めてお会いする方がほとんどだ

今日も初めてお会いする方だった

僕は初めてお会いする方とやる印刷立ち合いが好きだ

多くの場合、お客様は印刷の素人の方だ

印刷の仕組みをご存じないがゆえにハッとさせられる鋭い指摘も多い

思い通りの刷り物にならず、いらだつ方も多い

最終的な仕上がりに不安を感じられ、ナーバスになられる方も少なくない


僕の役割はお客様が心に描いているイメージをいち早く察知し、そのイメージに近づけるべく調整することだ

反面、微妙な色再現が物理的に不可能な場合もある

印刷を中断し、前工程に戻り補正処理をするにも納期的に時間がない

そんな時はお客様にあきらめていただかざるをえない

でも「これ以上はできません」と言ってしまったのでは身も蓋もない

当社の技術力に不安や不信を感じさせてしまうことは技術者として忍びないし、恥でもある

だから理解・納得していただいた上で「気持ちよくあきらめていただく」ことが大切になる

その前提として最大限の努力で色の再現に努める
時に邪道ともいえる裏技をも駆使する

そしてその経過がお客様にも分かるように示さなければならない

ここが一番大事なところだ

本来工業生産物は「結果=仕上がり」で判断されるべきものだ

しかしあえて「結果」に対して「経過」という要素を持ち込むのだ

「経過」が見えるから「限界点」も見える
「限界点」が見えるからお客様に理解し、納得していただける




いずれにしろ自分の経験値や技術力を総動員する

身体中をアドレナリンが駆け回り、ピストンがフル回転になる


それが自分の技術や経験値を維持向上させることにつながっていく

ひいてはお客様の信頼を得ることにもつながっていく

お客様との印刷立ち合いはその意味で最高の『印刷道場』だ



そんなことをぼんやり考えていた
そしてふと思った


ライブでお客様に接している自分

印刷立ち合いでお客様に接している自分

なんだか同じことをやっているようだ


印刷立ち合いもライブも
お客様に喜んでいただく、納得していただくことが僕の根底にあるようだ

「お客様志向」

これが僕の基本スタンスなのかもしれない




さて今日の印刷立ち会いは・・・?

さいわいにも喜んでいただけたように思う

たぶんねウインク


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