僕を通り過ぎた歌たち

2020.08.14

【浜辺の歌】

 

子供の頃から好きでよく歌っていた。ライブでも時々歌っている。
今度の「おーるどたいむ de ライブ」でもハンマーダルシマーとニャンダル(小さなダルシマー)をフューチャーして歌うこととなった。

馴染み深いメロディなんだがその歌詞は実に難解。
大正2年に書かれた歌詞だ。昭和生まれの自分にはなかなか敷居が高い。
考えてみると小学校でも2番までしか歌わなかった。3番は古語であり死語となっている。分かるはずもない。

文学部国文科中退の意地で(?)なんとか解析し、妄想をたくましくして自分なりのイメージをふくらませた。(3番の歌詞の解釈はいろいろあるらしい)

   浜辺の歌

 明日浜辺を さまよえば  
 昔のことぞ しのばるる
 風の音よ 雲のさまよ
 寄する波も 貝の色も

 ゆうべ浜辺を もとおれば
 昔の人ぞ しのばるる
 寄する波よ 返す波よ
 月の色も 星の影も

 はやちたちまち 波を吹き
 赤裳のすそぞ 濡れひじし
 病みし我は すでに癒えて
 浜辺の真砂 まなごいまは

1番2番は昭和生まれの自分でも理解できる。
朝に夕に浜辺をぐるぐると徘徊しながら昔を偲んでいる様子が表されている。(もとほる=ぐるぐると回る)

ところが3番がいけない。さっぱり分からない。

 はやち(突風) たちまち(突然に)
 赤裳(女性の着物の腰から下を覆う衣服。
 濡れひじし(びっしょり濡らしてしまった)
 真砂(細かい砂) まなご(愛子)

ここから考えるとどうやら3番こそがこの歌の核心のようだ。

浜辺を徘徊するうちに気がつくと足下に寄せる波によって着物の裾がすっかり濡れてしまった。昔の追憶に浸るうちに気がつきもしなかった。
私の長患いもすっかり癒えたというのに、この先もこうしていつまでも「愛子」を想ってさまよい続けるのでしょうか。

大正初期のこと、長い療養を必要とした病、それは肺病なのだろうか。
当時肺結核は治らぬ病として社会から隔離され、長期療養を余儀なくされた。治療薬ストレプトマイシンが発見され、肺結核は治る病とされたのは太平洋戦争後のはなし。当然大正時代には「死の病」だった。
(余談だが僕の父も戦後肺結核に冒され1年以上の療養生活を余儀なくされた。父の姉は残念ながら自宅の2階に隔離されながら力尽きて命を落とした)

この女性は「死の病」であるがゆえに嫁ぎ先からは離縁されたのではないか。奇跡的に病が癒えたにもかかわらず、離縁された身として自分の子供にも会うことができない。
こうして朝な夕な浜辺をさまようことしかできぬわが身よ。。。

こんな風に妄想的に解釈するとなかなか重たくせつない歌だ。
小学校では3番を歌わなかったというのも頷ける。

さて、今回のライブでも「核心の3番」は歌いきれない。慣れ親しんだ美しいメロディを2台のダルシマーとギターで奏でることを主眼にすることにした。歌は1,2番をそっと口ずさむのがいい。
とはいえ、自分の中にはこの妄想的解釈をしっかりとおさめての演奏にしたい。

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2020.03.02

「さくら」 ミツダイ

ミツダイというフォーク・デュオの「さくら」という唄が好きで、春になると毎年歌わせてもらっています。

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「さくら」は卒業する子供たちがいつの日かまた校庭の桜の木の下で集まりたいねという願いのこもった唄です。
出会いと別れをくり返していくのが人の世の常。
別れの時は人生の分岐点。
その分岐点にはかなく揺れる桜はともに過ごした日々を思い起こさせてくれます。

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  さくら さくら その花びらが
  みんなの心をつないでくれる
  さくら さくら はかなく揺れる
  いつまでも忘れないで
  僕はここにいるよ

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この歌を歌う時いつも思い出すのは三郷にあった瑞沼小学校でのコンサート。
16年前廃校になることが決まり、卒業式を前にして行われたコンサートでした。
全学年150名の生徒たちが全員集まっても体育館はがらんとしていたのを思い出します。
でも子供たちは目を輝かせながら演奏に聴き入ってくれました。
唄の途中に教えてもらった瑞沼小学校の校歌を挟んで歌ったりしながら1時間程のコンサートはとても温かかでした。
春の風に揺られながらひらひらと舞い散る花びらが印象に残っています。

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「少子高齢化」という言葉が実感されたコンサートでもありました。
僕の卒業した函館市立青柳小学校も谷地頭小学校と統合されました。
潮見中学校も統廃合の末青柳中学校に。
函館市立東高校は道立北高校と統合され函館高校に。
転校した室蘭東高校も清水が丘高校と統合され東翔高校に変わりました。
歌い慣れた校歌は今ではもう歌われることもなくなったと聞きます。
瑞沼小学校の統廃合も児童数減少の結果でしょう。

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単に人口バランスが崩れて「高齢化社会」になったというだけではありません。
児童数の絶対的減少と高齢者数の絶対的増大の結果であることを考えるとなんとも言えない気分になります。

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あの日卒業した最後の卒業生も今ではもう28歳くらいかな。
いい若者に育ってることでしょう。
おーい、みんな。達者でやってるかーぃ!

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今年は暖冬の影響で桜の開花もかなり早い模様。
もうそろそろ「さくら」を歌いたいなあ。

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「さくら」 ダウンロード - e38195e3818fe3828920efbc88e3839fe38384e38380e382a4efbc89.docx

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2019.11.19

達者でな

わらにまみれてヨー 育てた栗毛
  今日は買われてヨー 町へ行く アーア~アー
  オーラ オーラ 達者でな
  オーラ オーラ 風邪ひくな
  離す手綱がヨー ふる ふるえるぜ

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目頭がじわーっとあつくなる。

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昭和35年、三橋美智也さんの名曲のひとつ「達者でな」。
子供の頃、その意味も理解せぬまま「ワーラーニ マミレテヨー」と大声で歌っていた。

当時函館の町でも車に混じり、数こそ多くはないが馬車や馬そりが走っていた(歩いていた)。
馬糞を踏むと背が伸びるなんてこと本気で信じていた。

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それにしても昭和の歌謡曲にはちゃんと筋書きがありドラマになっている。
情景がふわっと浮かんでくる。
数少ない言葉の裏側かにいろんなことを想像させられる。

三橋美智也さんの「夕焼けとんび」にしても「古城」にしても同じ。
まさに「3分間ドラマ」だ。
歌詞、メロディ、歌唱の三拍子がしっかりかみ合ってのことなんだろうな。

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三橋美智也さんは函館のすぐお隣、上磯町出身だと言うことを知ったのはずっと後になってからのことだった。
高校3年の時、学校祭でファイヤーストームの前で「北海盆唄」を歌う企画を立てたことがある。
三橋美智也さんのお弟子さんに民謡風の歌い方を教えてもらえることになり、汽車に揺られて豊浦まで行った。
その方は僕の歌を聴くと「おめ、三橋先生のレコードケルから(やるから)、よっぐ聴いて真似しれ」とドーナツ盤を1枚くれた。
多分、こいつには民謡の才がなく、教えようがないと即座に思ったんだろう。

かなり三橋美智也唄う「北海盆唄」を聴きこんだが、結局モノにはならなかった。

でも以来「歌手・三橋美智也」は僕にとって憧れ以上の存在になった。

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→「達者でな」

 

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2019.11.16

「港が見える丘」

名曲だ。
「港が見える丘」。

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昭和22年。
戦後まだ2年。
東京にはまだ焼け跡にバラック。闇市が全盛の頃なんだろうな。
上野地下道なんかには戦災孤児もたくさんいたんだろうな。
歌の舞台の横浜はどうだったんだろうな。横浜も焼夷弾に焼かれたと聞いている。
敗戦を色濃く引きずりながらも、そこから這い上がらなければという時代。
この歌はそんなときにラジオから流れていたんだろうか。

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僕はこの歌を歌うとき、函館の元町公園から眺める函館港を思い浮かべる。
函館もまた空襲を受けている。特に青函連絡船を狙った爆撃は執拗であったと聞く。(1945年7月)

古くは箱館戦争で榎本武揚率いる「蝦夷共和国」(旧幕府軍)と薩長率いる新政府軍との戦いの場となった弁天台場から見る函館港を思い浮かべる。
弁天台場の窮地を救うため五稜郭から打って出た土方歳三はその道すがら戦死している。

時は1869年5月。函館に桜の咲く頃ではなかったか。

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戦後、函館の元町で両親は出会った。
母は時々「港が見える丘」を口ずさんでいたのが幼い記憶として残っている。

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「情緒過多症」と笑われるが、この歌を歌うとき古い戦のイメージがよぎるともなくよぎる。

(特に函館の特養「旭が丘の家」でやる歌謡ショーではそんな思いが強い)

ちあきなおみさんのカバーもぐっとくるが、平野愛子さんの歌は時代の持つ力のようなものを感じる。

好きな歌だ。

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→「港が見える丘」 by 平野愛子

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2012.10.05

生きているということは

http://www.youtube.com/watch?v=-LfAQ7onyzY

生きているということは


生きて いるという ことは 誰かに 借りを作 る こと
生きていく ゆうことは その借りを 返していくこと
...
誰かに 借りたら 誰かに 返そう
誰かに そうして もらったように
誰かに そうして あげよう

生きて ゆくという ことは 誰かと 手を つなぐこと
つないだ手の ぬくもりを  忘れないで いること
めぐり逢い  愛し合い     やがて  わかれの日
その時に 悔やま ないように  今日を 明日を 生きよう


ららら ららら


人は  一人では  生きて ゆけない
誰も  一人では  歩いて ゆけない


ららら ららら るるる るるる


生きているという ことは    誰かに 借りを つくる こと
生きていくと いう ことは    その借りを 返してゆくこと
誰かに 借りたら   誰かに 返そう
誰かに そうして もらたった ように
誰かに そうして あげよう
誰かに そうして あげよう
誰かに そうして あげよう


  作詞 : 永 六輔
  作曲 : 中村 八代





オレは借りを作りっぱなしで生きてきたかもなぁ。
そろそろ借りを返しながら生きなきゃならん年かもな。

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2012.09.23

「涙そうそう」

今月は送別会プライベートライブを除き、すべてのライブを終えました。
月半ばで終えることができるのは久しぶりのこと。
その分この2週間は忙しかった。(八ヶ岳。トリプルヘッダー。蓼科へ遠征音楽会)
ぽっかり空いた2週間を充電に当てようかと思っています。
気になっていた歌をアレンジしなおしています。

真っ先に手がけたのは「涙そうそう」。
亡くなられたお兄さんを思って森山良子さんが書いた歌と聞きます。

僕ももう10年近く歌わせてもらってきました。
「街角ライブ」をメインでやっていた頃は必ずといっていいほど毎回リクエストされていました。

いろんな人が歌っています。
僕の中ではBeginのイメージが原型として定着していました。
サビの部分を結構張って歌うかんじです。

最近になって徐々にその歌い方がなじまなくなってきていました。
雑踏の街角ではあの歌い方で良かった。
でもじっくり歌える機会が増えた昨今、今のままじゃこの歌の哀感が損なわれてしまうんじゃないか。
この歌い方では、このアレンジでは饒舌に過ぎないか。
余分な声はいらない。余分な音もいらない。

そんな気持ちになり最近ではあまり歌わなくなっていました。

思い切ってキーを2度ほど下げました。
コード進行も少し変えてアレンジしてみました。


    うん、いい感じ

そう思いながら歌いこんでみました。
徐々にギターの音が邪魔に感じ始め・・・
気がつきゃだんだん音数が減っていきます。
ぽろんぽろんとぽつんぽつんという感じに変わってしまいました。

今までの歌い方やアレンジとずいぶん印象が変わり・・・。
でも今の心境ではこの感じがとてもフィットしてね。


「涙そうそう」って歌にあらためて正面から取り組んでみて、あらためていい歌だと思います。
人生の様々なシーンに寄り添うような歌だと思い始めています。

「兄の死」という個別の想いから生まれた歌。
数年の時を経て良子さんの中で熟成され、やっと歌えるようになったというこの歌。
歌として熟成されていく中で普遍性が生まれてきたような気がします。

父母との別れにも通じたり、
子供の巣立ちにも通じる。
あの震災にもつながっていく。
もちろん恋人との別れにも。

歌う人、聞く人それぞれの哀しさ、やさしさに寄り添える歌だなって思い始めました。


涙そうそう

古いアルバムめくり  ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中  はげましてくれる人よ
晴れわたる日も 雨の日も  浮かぶあの笑顔
想い出 遠くあせても
おもかげ さがして  よみがえる日は 涙そうそう

一番星に 祈る  それが私のくせになり
夕暮れに見上げる空  心いっぱい あなたさがす
悲しみも 喜びにも  思うあの笑顔
あなたの場所から 私が  
見えたら きっといつか  会えると信じ 生きてゆく

晴れわたる日も 雨の日も  浮かぶあの笑顔
想い出 遠くあせても
おもかげ さがして  よみがえる日は 涙そうそう

会いたくて 会いたくて  君への想い 涙そうそう


もしも・・・
お前に15分の時間を与えると言われたら・・・
そんなにはいらない。
半分の時間でいい。
この歌を歌わせてほしい。

この歌ですべてを語りつくしたい。
今、そんな心境です。


余分な音をそぎ落とし、歌自体の持つ力だけでいい。

でもそれには歌い手としてもっともっと熟成されていなければ(技術的にも、人間的にも)
できぬ技なのかもしれないな。

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2010.07.03

「カントリーロード」 私のカントリーミュージックことはじめ

ジョン・デンバーが歌う「Take Me Home Country Roads」

この歌がラジオから流れ始めたのは1971年の夏だった


じりじりと焼けつく陽ざし
トタン屋根を通して部屋の温度はぐんぐん上がっていく
それでも開け放した窓からは北国の乾いた風が流れ込む
玉のように流れる汗にほのかな風が心地よい

ラジカセでエアチェックした『カントリー・ロード』
何度もなんどもくりかえし聴いていた




大学受験に失敗した僕は、「人生浪人」と称して伊達紋別のカトリック教会に寄宿していた

予備校通いを拒否し、家から出た
ラジオ講座だけが頼りの浪人生活だった

みずから退路を断ったつもりでいた

「馬小屋」とよんだ教会の離れにこもり、受験勉強に明け暮れる
…はずだった…


小説を読みふけり、エアチェックに明け暮れ、物思いにふける毎日をくりかえす…

「浪人生」のあるべき姿からはおよそかけ離れた毎日だった

(心の中はそれとは裏腹にあせりと不安、そして無常感にたえず支配されていたのだが)

他人との関わりはエミール神父とともにする昼食時間だけだった
エミール神父は30歳になったばかりのアメリカ人
陽気と繊細とが同居しているような人だった
僕にとっては兄貴のような存在だった

ゆったりした食事時間
僕たちは英語と日本語のチャンポン会話をする
音楽の話をずいぶんとした



ある日エミール神父が切り出した


  マサヒコ
  この歌、知ってるか?

  Country road take me home,to the place I belong…

  ジョニー・デンバーの歌だよ



それまでも『Will The Circle Be Unbroken 』『I Saw The Light 』など、いくつかのカントリーソングを教えてもらっていた
当時の僕にはいまひとつピンと来なかった


「カントリー・ロード」には琴線にひっかるものがあった

3コードのシンプルなカントリーソングの中にあってこの歌はマイナーコードも使っている
加えてAのコード進行の中に1音だけGを使っているのが斬新に感じた

そこいらへんが日本人としてのメンタリティに引っかかったのかもしれない
(小室等の音使いに共通するものを感じた)


この歌を覚えたいと思った


カセットを何度もくりかえし聴きながら歌詞を書き取る
怪しげなところはエミール神父にチェックをしてもらい、ついでに発音の特訓もしてもらう

エミール神父もこの歌が特別に好きだったようだ
故郷アメリカを遠く離れ、極東の島国に暮す
望郷の思いもひとしおだったかもしれない


受験が終わるまではと封印していたギターをひっぱりだし、
受験勉強の合間(?)を縫ってくりかえす練習

時にはエミール神父と共に合唱もした



北国の夏は駆け足で通り過ぎ、山々はあっという間に赤く色づく
やがて身を切る風とともに白い冬がやってくる

半年があっという間に過ぎ去った



初披露したのは伊達カトリック教会のクリスマスパーティ

声を張るだけの若い演奏だった

今思えばこの演奏が初めてカントリーソングを歌った「ことはじめ」だった


後になって分かったことがある

数多くのフォークソングがカントリーやブルーグラスミュージックの影響を強く受けていることを
(高田渡、高石ともや等々)

「先祖帰り」と称して原曲を聴き始めた
アメリカのオールドタイミー音楽が好きになった


そのきっかけはエミール神父とのやりとりだった
そしてその象徴が『カントリー・ロード』だった


以来三十数年、様々なアレンジでこの歌を歌ってきた

歌うたびに心の中に故郷・北海道の景色がよぎり、エミール神父の顔がよぎる



エミール・デュマス神父は今なお、札幌の地で布教活動をされている

故郷アメリカを離れて40年

  Take me home country road

そう思うことはあるのだろうか…

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2010.03.24

はつかり5号

「ほたるの里」ミニライブで、ばしさんがアンコールに『津軽海峡冬景色』を歌った

サビのくりかえし部分にシカケがあった

青森駅に近づく特急はつかり5号の車内放送をおりこんでいた

そのアイデアは秀逸だと思った
それ以上にばしさんの「語り口」がとても良かった

夜汽車の車内放送の香りをみごとに表現していた
夜汽車の持つなんともいえぬ切なさをかもしだしていた



  本日は、ご乗車 まことにありがとうございます

  まもなく 終点 青森に到着いたします
  1番線到着 お出口は左側でございます

  青森から、乗り換えのご案内 いたします
  奥羽線、津軽線方面
  本日運転は すべて 終了しております

  北海道方面 青函連絡船をご利用のお客様は
  0時30分 摩周丸 函館行きでございます
  青函連絡船をご利用のお客様は
  乗船名簿にお名前をご記入の上、
  改札 係員にお渡しください

  本日は特急はつかり5号を ご利用いただきまして
  まことに ありがとうございます

  まもなく終点 青森です



ばしさんの「語り」を聞きながら、35年前の自分を思い出していた

夢を見て、北海道を後に東京に出てきた自分だった
しかし思い通りにいかぬやりきれなさから、時折故郷を思うこともあった

バイトに精を出し金をため、何度か帰郷したこともある
ほとんどが鈍行列車を乗り継いでの貧乏旅だった
しかし一度だけ特急はつかり5号で帰ったことがある

その時の記憶が鮮明に蘇ってきたのだ

  特急はつかり5号
  16:00 上野発 0:15 青森着
  735.8キロ 8時間15分の夜行列車だった

  この後0時35分の青函連絡船に乗り継ぎ内地を後にする
  船が函館に到着するのは未明の4:25だった


朝焼けに煙る臥牛山(函館山)を眺めながら、デッキで一人ワンカップ大関を呑んだ
デッキを渡る風は強く、冷たかった
しかし、心は安堵感で充たされていた



はつかり5号

故郷を思い起こさせるひとつの象徴だった
東京と北海道を結ぶ生命線のようにすら感じていた


同郷のひとつ下のフォーク歌手・松山千春の歌にはつかり5号が登場するものがある


    帰りたい

  夕焼けに 赤く染まる 故郷の手紙
  握りしめ 駆け出せば 涙があふれてた
  帰りたい 今すぐにでも 荷物をまとめて
  大きな声で叫んだ 故郷へ届けと

  夢を見て 飛び出した 故郷は遠い
  やるせない せつなさは ぬぐえない涙
  帰りたい 今すぐにでも 荷物をまとめて
  大きな声で叫んだ 故郷へ届けと

  帰りたい 今すぐにでも 荷物をまとめて
  上野発  はつかり5号 見送れば夕焼け

           (詩・曲 松山千春)



今でもこの歌を口ずさむと望郷の念にかられる
それは北の大地に対する望郷であり、若き日への回帰なのかもしれない


  帰るんだ 帰るんだ
  まだ寒い 北国へ
  だけど そこには
  僕の愛した人がいる

     (松山千春)





はつかり5号は…
もう走っていない

青函連絡船は…
もう通っていない

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2009.09.01

【好きな歌】 Crazy

ウィリー・ネルソンの書いた失恋ソング。

いろんな人がカバーしているらしいが、僕はウィリーのオリジナルしか聞いたことがなかった。

きれいなメロディだとは思っていたが、それほど胸に来ることはなかった。

一昨年、トミ藤山さんのアルバム「Lonly Together」に収録されている「Crazy」を聴いた。

胸にグッと来るものがあった。

ウィリーのバージョンとは別物だった。

ウィリーはミディアムテンポでそっけなく歌っている印象だが、
トミさんのはテンポをグッとおさえたスローバラード。

これがたまらなく切ない。

レパートリーにすべくさっそく稽古を始めた。

が、これがなかなか難しい。
サビや間奏でどうしても走ってしまう。
気がつくと、ウィリーのテンポにまで上がってしまう。

スローバラードを歌いこなすってのは至難のワザ

そう思いながらひそかに稽古を積んだ。

この歌を人前で初めて歌って、今日でちょうど1年になる。

昨年の夏、「へたくそ親父のギター弾き語り」の落合キャンプで披露したのが最初だった。

今思うとひどい出来だった。

録音は残していないが、たぶん歌っているうちにテンポがガンガン上がっていたと思う。

リズムパターンも2ビートのカーター・ファミリー・ピッキング。

情緒もなにもありゃしない。

それでも、たまたまそこに居合わせた人からおほめの言葉をいただき、その気になった。

もしかしたら
イケルんでないかぃ?

「Crazy」との格闘が始まった。

とにかくライブのたびに歌い続けた。

特に選曲の制約がない限り、必ず歌った。

時々は録音して、イメージと実際のギャップを埋めようとした。

思い通りに歌えぬまま月日が経った。

人前で歌うことおよそ50回。練習も含めると何回歌ったことか・・・

思い通りに歌えぬ日々が続いた。

お・

ここにきて、ようやっと自分のイメージと実際の演奏が近づいてきた。

ちょうど1年、

おりしも「へたくそ親父のギター弾き語り」のオフ会が一昨日あった。

ここで、1年目の経過点として歌った。

まずまず、満足のいくデキだった。

ひとつの歌を自分のものにするまでべらぼうな時間がかかる。

残念なことにあまり器用な方ではない。

時間をかけて実践の中で少しずつ仕上げて行くしかない。

しつこく、しつこく歌うしか自分のものにすることができない。

でも、そうすることでこの歌をますます好きになった。

そして、トミ藤山さんバージョンだけではなく、ウィリー・ネルソンのオリジナルバージョンもまた好きになっている。

でもめざすのはMartin古池バージョン。

「Crazy」との格闘はまだまだ続くことになりそうだ。

続きを読む "【好きな歌】 Crazy"

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2008.02.06

いいじゃないの幸せならば…

40年ぶりにこの歌を聴いた

不思議な魅力にとりつかれ、また聴いた
何度もなんども聴きなおした

妙に胸に残るしこりを感じた



さがらなおみはあまり好きな歌手ではなかった

のっぺりとした丸い顔に薄笑いを浮かべて歌うあの空気がどうしても好きになれなかった


二人のため世界はあるの♪


と、歌われた日にはワーッと叫びながら押入に頭をつっこみたくなる衝動に駆られた


いいじゃないの幸せならば

この歌がレコード大賞を取るなんて信じられなかった

この歌がレズビアンの歌だとまことしやかに噂され、彼女自身もレズビアンだとささやかれた
やがてさがらなおみは表舞台から姿を消し、僕の記憶からも遠ざかっていった


50を過ぎあらためて聴くチャンスがあり、今静かにうちよせる波のような感動を覚えている


思春期の少年にはわからなかったものが、秋の時代を歩いている今の僕には判るような気がする

当時、すでに秋の時代に足を踏み入れつつあった父がこの歌に
じっと耳をそばだてていた姿を思い出す


諦観

彼女が身にまとっていたものはこの感覚だったのではなかろうか

男と女の関係に対する諦観
女と女の関係に対する諦観
そして…
人生に対する諦観

そう考えると、あの薄笑いにすら何かさがらなおみの当時の心境が投影されているような気がする



すべて僕の勝手な思い込みではある

しかし人生のあらがいようのない切なさを感じる時、
言いようのないそして魔力のような力に引きずり込まれそうになる

  今しかない

  明日じゃない

  昨日でもない

  今でしかない



ネガティブでもポジティブでもない
今を受け入れること

これを諦観というのだろうか…

  いいじゃないの…
 
    幸せならば…




追伸

You Tubeで動画を探してみた
残念ながら1件もヒットしなかった
ちょっとほっとした
やはり…
あの平べったい、薄笑いを浮かべた丸顔は
…見たくない

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