清津峡

2024.11.01

20年目の第18回 Live in 清津峡

20年間、よくぞ続けてくることができた。
そんな感慨がこみ上げてくる第18回 Live in 清津峡だった。
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20年の間に2回中止せざるを得なかった。
一度は台風と大雨による土砂崩れだった。
キャンプ場に続く山道が壊滅した。
道が土砂に飲み込まれて無くなってしまったんだ。
1年がかりで管理人のアキラッチは修復作業と新たな道を作った。
誰もが再開を信じつつも、心は半ば折れかけた。
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もうひとつはコロナの影響だった。
得体の知れぬ「伝染病」に誰もが不安におののいた。
「濃厚接触」などあろうはずのないキャンプ場。
なのにマスクをつけざるを得ない空気だった。
社会はライブハウスを目の敵にし、人が集まることを非難した。
そんな状況ではたとえ広大なキャンプ場であったとしても音楽祭など開催できようはずがなかった。
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中断が入れば人の心は弱る。
翌年の再開・再会に向けたパワーは半減する。
それでも18回までこぎ着けることができたことがうれしい。
キャンプ場管理人のアキラッチはもちろん、音楽会の言い出しっぺで1回目から深く関わってきた僕にとって今回のLive in 清津峡は20周年記念でもあった。
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中止せざるを得なかった2回もその後音楽祭を続けることができたことによって意味を持った。
第1回目は出演者2名、お客さん4名、管理人一家数名のこじんまりとしたライブだった。
その時3歳の小さな娘だった萌ちゃんが、「カレシ」を連れてやって来るまでに育った。
中学生の若武者ツカサがいつのまにか三十路を越えて達者な演奏を聴かせてくれる。
そしてなにより胸に来たのはそのツカサのバックアップを受けて19歳の健太郎がデビューしたことだ。(健太郎の父親は当時まだ高校生だったヤエちゃん)
10年前の僕とツカサのステージが思い浮かぶ。
(健太郎とツカサの写真を撮り損ねたのが悔やまれる)
バトンは間違いなく受け渡されている。
彼らのステージを観ながら、そんな感慨にひたり少々涙目になる。
20年という時間はそれだけでひとつの歴史だな。
そんな思いにふける。
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20周年を彩る試みがなされた。
これまでは日曜日の昼間に開催されてきたLive in 清津峡。
それを土曜日の晩、「夜祭り」に形を変えた。
これまでやってきた前夜祭の枠と時間を拡大した。
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ランプの灯りだけが頼りのステージは幻想的だった。(まぶしすぎるLEDは使用不可とした)
客席の後ろで盛大にたき火をして暖をとった。
たき火でお尻をあぶりながらステージを見つめる。
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マイクもスピーカーもない生の音が木々にぶつかり、すり抜け流れくる。
キャンプ場には電気がない。スポットライトもなければPA装置もない。
ランプの灯りと自分の身体、そしてたき火の暖かさだけが頼り。
まるで原始時代にいるような錯覚と高揚感が生まれる。
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便利さと快適さに包まれた我々「現代人」にとって、あえて不便さに身を置くことは貴重なことのように思える。
昔の人たちがあたりまえにやってきたことをたとえ一時であったとしても体感することに意味がある。
重たいザックをかつぎ、さらにかさばる楽器をかかえ、標高差150メートルの山道を歩かなければたどりつけない清津峡キャンプ場。
この山道を歩く時間は現代社会から大昔の社会へのタイムトンネル。
そこでくり広げられる音楽祭。
僕にとってなにものにも替えがたい大切な場所であり、大切な時間。
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この先何年、この山道を往復できるか分からない。
身体の続く限りこれからもLive in 清津峡に通おう。
そう、想いを新たにした第18回 Live in 清津峡だった。
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2023.11.01

第17回 Live in 清津峡

今年で17回目になるLive in 清津峡。
過去数回の中断があった。
台風や豪雨の直撃を受けてキャンプ場への山道が破壊されて復旧作業が追いつかずに中止。
最近のコロナの影響での中止。
開催できなかった年を含めると足かけ20年。
よく続けることができたと正直思う。
そして今年は常連のベテラン勢だけではなく、若い力が割って入り頑張ったのがなによりうれしい。
明日のLive in 清津峡につなげていってくれそうな勢いだった。
2年ぶりに会う(僕は前回参加することができなかった)ベテラン勢はそれぞれの「味」に磨きがかかり、懐かしくうれしかった。
中学生の頃初めて参加したツカサやショータらも早30歳を超え中堅どころに成長した。
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涙が出るほどうれしい出会いや再会があった。
そのひとつは若くして亡くなったアツシの姪っ子さんが安部ンジャーズ(品川子供劇場)の一員として参加してくれたこと。
アツシが逝ってしまったのは若干26歳。
第2回から参加していたけどずっと先輩・しばちゃんの後ろに隠れるようにして恥ずかしげにギターを弾いていた。
そのアツシがソロとして独り立ちした直後に事故で帰らぬ人となった。
あれから16年。その姪っ子が若者に成長してLive in 清津峡に参加してくれた。
万感の想いで挨拶を交わした。
そしてもう一つは「清津のキヨシロー」が10年ぶりに出演してくれたこと。
彼は初期のLive in 清津峡を盛り上げてくれた主役の一人だった。
忌野清志郎に心底惚れこみ、清志郎と同じ店でロードバイクを組み、清志郎の出入りする中華屋に通い、そしてギブソン・ハミングバードをかき鳴らして歌いステージを飛び回った。
そのステージはコピーとかカバーとかというものをはるかに凌駕していた。まさに「清津のキヨシロー」でしかなかった。
Live in 清津峡では「トリ」として出演し、会場を興奮と笑いの渦に巻き込んだ。
僕はその後最後に登場し「鳥の首を絞める」(熱気を沈め次回への想いを深める)役割を担うのが習わしとなった。
「清津のキヨシロー」が最後に出演したのは忌野清志郎没後ほどなくだった。
清志郎が棺の中で着ていたスーツと同じ生地で、同じテイラーで仕立てたものを着ていた。
以来10年、ハミングバードに触れて歌うことはなかったそうだ。(ドラマーとして活動していた)
10年ぶりに見る「清津のキヨシロー」。
ステージを見ながら泣きそうになった。
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今回僕には確かめたいことがあった。
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それは自然の中で生音で歌い、弾くLive in 清津峡。
電気のないキャンプ場なのでPA装置など使えず、生音でやるしかない。
広大なキャンプ場の中で生音演奏がどれほど聴衆に届けられるのかということだ。
僕自身は毎週川沿いの広場で生音演奏をやっているし、生声・生ギターで音を届けるための訓練もやってきた。だからある程度(20メートルや30メートル)であればちゃんと音が届けられるという感じはある。
でも大事なのはそういった経験の少ない出演者たちが生音をどこまで届けられているのかということだ。
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以前は演奏会場は木に囲まれた林の広場だった。
音は木々にぶつかり跳ね返り、天然のリバーブがかかっていた。
数年前にステージ兼用のバンガローができた。
場所は「星の広場」(勝手にそう命名している)の青空天井の下、広大な広場。
音が逃げてしまうのではないかという気がしていた。
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今回聴く場所を転々と移動しながら演者たちの音を聴いてみた。
自分自身は声量に頼らず、ひかえめの音量で歌ってみた。
結果は「なんも心配いらない」ということだった。
声量やギター音量は人によって大きな違いがある。
比較的小音量で演奏する人の出す音も30メートル離れたところでもちゃんと聞こえていた。
客席のあるステージ前20メートルではなんの問題もない。
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いくつか理由があると思った。
ひとつはステージが三方囲まれており、音が逃げることなく前方に広がること。いわばエンクロージャーの役割を果たしている。
もう一つはオーディエンスが聞き耳を立ててしっかりと聴いていること。これは一番大切な要素だと思う。参加者全員が心を合わせて音楽会を作っていければ、音量の大小は大きな問題ではない。
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そして最後に強く感じたこと。
「人の出す生の音」をもっともっと信じてもいいんでないか。
むろんアコースティックな音楽会だからこその話。
ドラムやエレキベースやキーボードなどが入った場合はまた別の話なんだけど。
「人の出す生の音」を信じ、自信を持ってしっかりと歌える、弾けるということがなにより大事だということをあらためて感じさせてもらった。
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うれしさ、懐かしさ、そしてちょっぴり寂しさを味わえた今回のLive in 清津峡。
来年もまたしっかり山道を登り降りできるように体を鍛えなければね。

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2023.10.09

第17回 Live in 清津峡 前夜祭

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2年ぶりの参加となったLive in 清津峡。
昨年は義母の1周忌参列のため山形に行っていたため、初めて不参加となった。
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「前夜祭」は翌日の「本祭」の前哨戦として毎年やってきた。
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前夜祭には本祭とは違った深い味わいがありいいものだ。
「電気もガスも何もない」澄んだ空気とおいしい水が魅力の清津峡キャンプ場。
ここにたどり着くためには電車とバスを乗り継いで、食料と酒と楽器を背負って山道を自力で歩いて行くしかほかに手段はない。
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前夜祭はそんな何もないキャンプ場を象徴するような音楽会だ。
星明かりだけが頼りの真っ暗なキャンプ場にともるランプの灯り。
ガンガンに焚かれるたき火の炎が冷えた体をあたためてくれる。
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そんな中で出演者が順番に1曲ずつ、自己紹介や近況報告を交えつつ歌っていく。
演奏が終わると翌日の本祭出演順を決めるためのくじを引く。
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1時間少々の前夜祭ではあるが、漆黒の闇が人の心をたきつける。
なんとも言えぬ興奮状態が人をして原始の昔にいざなってくれるような錯覚すら覚える。
その後はキャンプ場の管理小屋の前で、酒を酌み交わしながら延々と「歌の宴」が始まる。
そしてそれは深夜まで途切れることなく続いていく。
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今年の「歌の宴」は以前とは少し様子が変わってきたように感じた。
以前は宴の中心には僕を始めとした50~60代の「年長者」がいた。
今回は輪の中心にいるのは20代~30代の若者たちだった。
歌も今風の流行り歌が多い。
我々年長組はその様子を眺めながら絡む形だ。
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僕はほとんど知らない今風の流行り歌を奏でる若者たちを、少し離れたところで眺めながら目を細めていた。
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  時代がひとつ回ったんだな
  世代交代は一気に進んだな
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この5~6年、世代交代を進めるため僕は輪の中心から少しずつ外れていくことを意識してきた。
Live in 清津峡に初回から関わってきた最年長ではあるが、当初50歳だった僕も来年は70歳になる。
この先あと何年元気で参加できるかわからない。(しぶとく参加し続ける気ではいるけどね)
この音楽会がその先も長く続いていくためには、次世代にバトンを渡していく必要があった。
去年参加できなかったことでバトンタッチは一気に進んだのかもしれない。
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若者たちの歌の輪に入っていけない一抹のさみしさ。
これからのLive in 清津峡を支えてくれる若い力の躍動の心強さ。
ちょっと複雑な気持ちの中で夜はふけていった。

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2023.03.20

【ご案内】 「歌い初めライブ 2023」


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今度の日曜日(3月26日)です。
3年ぶりの「歌い初めライブ」をLive cafe おーるどタイムでさせていただきます。

題して「再開!再会!」。
コロナの影響で3年間待ちに待ったライブです。
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南丹沢の清津峡キャンプ場で20年近く続けている「LIVE in 清津峡」
この音楽祭で知り合った仲間たちでお届けするライブです。
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30代の若武者ツカサ。
40代の中川シンちゃん。
50代の隊長・柴ちゃん。
そして60代のMartin古池。
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異なった世代がそれぞれの好きな音楽を奏でるステージです。
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骨折のため出演を辞退していた隊長・柴ちゃんもかなり回復してきたようで、急遽出演する運びになりました。
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「楽しいひととき」になるように祈りつつ、出演者一同皆さまのお運びをお待ちしております。
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  日 時  3月26日(日)15:00 開演
  場 所  Live cafe おーるどタイム
        東武スカイツリーライン
        北越谷駅 東口 徒歩10分
        越谷郵便局向かい
        ☎ 048-971-1812
  出 演  ツカサ
       中川シンちゃん
       隊長・柴ちゃん
       Martin古池
  木戸銭  ¥1500(オーダーもお願いいたします)

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2016.10.07

Live in 清津峡の歩み

第1回 Live in 清津峡

第2回 Live in 清津峡

第3回 Live in 清津峡.

第4回 Live in 清津峡.

.第5回 Live in 清津峡.

第6回 Live in 清津峡.

第7回 Live in 清津峡.

  緊急のお知らせ 今年の清津峡ライブは中止させていただきます

  モミの木は倒れた 台風の傷跡生々しい清津峡キャンプ場

第8回 Live in 清津峡.

第9回 Live in 清津峡.

第10回 Live in 清津峡.

第11回 Live in 清津峡.

第12回 Live in 清津峡.

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2016.10.06

第12回 Live in 清津峡 2016

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無事に12回目を終え、ひとまわりした「Live in 清津峡」。
いろんなことのあったこの音楽会。
長かったような、短かったような12年。(土砂崩れで中断があったから13年だ)

特別の感慨があった。...
参加者の歌声を聴きながら、頭をよぎっていたのもの。
それは出演者がたったの2人、お客さんもたった4人で始めた第1回目のライブのこと。

あの頃まだお元気で硬派な歌をバリバリ歌っていた中村先生は今病に伏しているという。

40代後半でイキの良かった僕も気がつけばとうに還暦を過ぎてしまった。
足腰の衰え方はこの先あと何年清津の山道を歩けるか、ちょっと不安を感じている。

とはいえ12年目という節目を迎えられたことは本当にうれしい。

中学生だった若い衆が見事な青年に育ったことがうれしい。
彼らはこれからの「Live in 清津峡」を担ってくれるだろう。

毎回この音楽会を楽しみにし、集まる仲間たちがうれしい。
音楽を愛し、キャンプを楽しむ彼らに支えられてここまで来られたLive in 清津峡。

足腰が立つうちは通い続けなきゃな。
そんな思いを新たにした今回のLive in 清津峡だった。

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前夜祭。

ランプの灯りを頼りに歌う。周りは漆黒の闇。

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毎回歌ってきた定番ソング「旅」(ワンカップ大関の歌)。

  星は夜空に光るものなら
  酒は情けを交わすもの...
  花は野原に咲くものなら
  愛する人には出会うもの
  ワンカップ ワンカップ
  ワンカップ大関

https://www.youtube.com/watch?v=QBIKTqVhNqw&list=PL50CkNDX0G8qTlh9oyFX1aJ-6OG4bc73E&index=4

台風や大雨による土砂崩れで再起不能と思われたキャンプ場。
1年の中断を挟んで再びみんな集まり、清津峡ライブ復活。
以来毎回歌っている「彗星」

https://www.youtube.com/watch?v=yi5o2x8EApo

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年に1度のワンタイム・バンドJACK ROEGUNS。
歌うはお約束ソング「ありのままに」。
今年は社会人1年生・空子ちゃんが特別参加。
おっさん連中の毒気の中に一輪の可憐な花が咲いた。

https://www.youtube.com/watch?v=j8G6SCzGOVI

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2016.05.09

お前らはコミックバンドか! JACK ROUGUNGS!

https://www.youtube.com/watch?v=QKfuTnMzFe8&index=3&list=PL50CkNDX0G8qTlh9oyFX1aJ-6OG4bc73E

PCが不調で1年ほどDVDが焼けなかった。

やっと回復し、撮りためた動画を少しずつ整理しDVDに焼き始めている。

そんな中でお気に入りの1曲は「ありのままに」。(take-z:作、歌)

昨年の「第11回 Live in 清津峡」でそろい踏みしたJACK ROUGUNGSで演ったヤツだ。
楽しかったなぁ。

    コミックバンドか!

と、笑われた。

でもそれはオーディエンスがノセまくってくれたがゆえに、自然に生まれたパフォーマンス。
やろうと思っても、もう同じことはできないだろうなあ。

ライブはジャスト・ワンタイム・オンリーだぜっ。
イエーイ!

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2015.05.05

清津峡 春の陣 2 静かなるひととき

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キャンプ前半、清津峡には静かな時間が流れていた。

時が止まっているかのように感じることがここではしばしばある。

まさにそんな感じだった。

明るいうちからちびりちびり。

ギタをつま弾き、なれしたしんだ歌を口ずさむ。

小さな焚き火をつつきながら友とぼそぼそ語り合う。

とってもすきなひととき。

「優しい時間」とでもいうのだろうか。

何者にも代えがたいひととき。

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キャンプ飯は楽しみのひとつ。

一人旅の時は簡単にさっと済ませるのが常だった。

この10年、仲間たちとともにキャンプをするようになってからはだいぶ凝るようになった。

家族できていた頃のようにいろいろ手をいれ工夫している。

とはいってもしょせん山料理の延長。たいしたものは作らない。

なにしろ清津峡は体に背負えるものしか持ってこられない。

中には大きなザックにギターをくくりつけ、肩からでかいクーラーボックスをぶら下げて来る豪の者もいるけれどね。

僕のやり方はその時居合わせた仲間たちが持ち寄った食材で何ができるか考えて作る。

自分も食材はあれこれ持っていくけれど、友の持ってきたものも遠慮なく使わせてもらっている。

できあがったものをみんなでつつきながら食べるメシがうまいのは、味そのものよりも自然の空気というスパイスが効いているためだろう。

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夜の帳が降り、あたりが闇に包まれる。

空気も冷え込んでくるころ、あちこちで盛大に焚き火が始まる。

闇の中に妖しく揺れる炎は美しい。

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夕飯を終え、のんびりしたあと片手に酒瓶、片手にギターを持ち管理棟の前テーブルにふらふらと遊びに行く。

まるで蝶や蛾が灯りに集まるように、テーブルに揺れるランプの灯りに集まっていく。

飲みながら、歌いながら、しゃべりながら始まる宴。

30年前から変わらぬ光景。

それ以前から管理棟前の宴はお約束だった。

先代管理人・清津の仙人は時々毒舌を吐きながらみんなのおしゃべりを見守っていた。

この宴にギターや歌を持ち込んだのは僕だった。

仙人のクラシックギターを借りて歌ったのが最初だった。

最初はお客さんのおしゃべりの合間に歌うという感じだった。

何年か経ち、歌の集いのように変わりそれが「丑三つライブ」につながっていった。

テーブルを囲むキャンプ客だけではなく、闇の中のテントやバンガローからリクエストの声がかかるようになり、すっかり定着した。

仙人が亡くなり、息子のアキラッチが跡を継いでからも「丑三つライブ」は続いた。

この「丑三つライブ」がやがて「Live in 清津峡」につながり、現在のように音楽キャンプのようになっていく。それについてはまたの機会に。

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キャンプ場の朝はすがすがしい。

ちょっとひんやりした空気。

木々の間を朝の光が差し込む。

僕の好きな時間だ。

今日はにぎやかな仲間たちが集まってくるはずだ。

ドンチャン騒ぎの前のひと時の静寂はいいもんだ。

静かなるひとときに身をまかせたキャンプ前半だった。

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清津峡 2015年 春の陣  変わり果てた景色

第2東名高速の予備工事が始まった。

清津峡キャンプ場への降り口に立ち、あまりの変貌ぶりに息をのむ。

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山の斜面にやぐらが組まれ、その上にそびえ立つ重機。

ゴールデンウィークのため作業はしてはいなかった。

でも普段の道路工事の様子は容易に想像できる。

これから高速本道のトンネルを掘るための予備道路が作られ、5年後には第2東名のトンネルは完成する予定とか。

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降り口からは鉄パイプで仮設階段が組まれ谷に向かってのびている。

かなりの急傾斜で、幅も人一人が通れる程度しかない。

不安定な山の斜面に急設された階段ゆえ、一段降りるたびにきしんだ音をたてながら揺れる。

荷物、ましてギターを持って階段を下りていくことに不安を感じながら数十メートルを降り立った。

見上げる。

あまりの無残な姿に声も出ない。

山の斜面に群生していた木々はすっかり切り刈り取られ、丸裸になっていた。

なにもここまでしなくたって…。

怒りともあきらめともつかぬイヤぁな気持ちになる。

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「緑のタイムトンネル」

僕たちはここをそう呼んでいた。

木々が群生し、鬱蒼と生い茂った山の斜面につけられた踏み跡が谷底のキャンプ場まで続いていた。

踏み跡道はまるでトンネルのようだった。

僕たちは日常のあれこれを背負いながらこの「緑のタイムトンネル」を下った。

うさや憂いや煩わしさをひとつひとつぬぐいさり、脱ぎ捨てながらキャンプ場に降り立った。

ガスも電気も何もない清津峡キャンプ場で数日を過ごす。

ゆったり流れる時間に身をゆだねつつ。

戻り道、再び「緑のタイムトンネル」を喘ぎながら登る。

一歩登るたびに、日常の暮らしへの新たな覚悟を刻みこむ。

「緑のタイムトンネル」は日常と非日常をつなぐ、大切な時間・空間だった。

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「緑のタイムトンネル」は数年前のたびかさなる大雨と台風で一度は失われた。

キャンプ場管理人・アキアラッチの(そして清津峡ファンの切なる願いと応援で)気の遠くなるような復旧作業が続けられ、再び道はつながった。

「緑のタイムトンネル」は失われたが、木々の成長とともにいずれは新たなトンネルは徐々にできていくはずだった。

僕はトンネルが再びかたちづくられるまで、体力、気力を維持しながら清津峡に通い続ける覚悟を固めていた。

第2東名の工事が近いことは知っていたが、工事が終われば「タイムトンネル」は10年先くらいには復活するだろうと願っていた。

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鉄パイプの階段を下り切り、ふりかえり、見上げる。

丸裸にされた斜面とその上にそびえるやぐらとクレーン車。

まるで旧約聖書の中にある「バベルの塔」のように思えてならなかった。

人は己の力を過信・盲信し、神を超えようと巨大な「バベルの塔」の建設を始める。

神は空高く伸びていく塔に雨、風、雷をもってその全てを破壊しつくした。

この話が僕にはとても暗示的に思えてならない。

再び長雨や台風が直撃した時、丸裸にされた山の斜面は持ちこたえることができるのだろうか。

数年前の土砂崩れも破壊的だったが、生い茂る木々のおかげで土砂崩れはキャンプ場の上でかろうじて止まった。

丸裸にされた斜面が崩れた時どんなことになるのか。

杞憂で終わることを祈るばかりだ。

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僕が清津峡に通える残された時間。

それはけっして長くはない。

第2東名の完成は5年後だそうだ。

高速道路は山の中のトンネルを走るそうだが、今建設が始まったトンネル掘りの工事用道路はそのまま放置されるだろう。

樹木が育つのに10年。

「緑のタイムトンネル」が部分的せよ復活するのにさらに10年。

合わせて20年!

その頃僕は80歳を超えている。

はたして生きているかどうかもあやしい。

よしんば生きていたとして山道を昇り降りする体力、筋力、気力が残っているかどうか。

暗澹たる気分になる。

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それでも清津峡キャンプ場は健在。

それが救い。

清津峡キャンプ場はこの30年の僕の足跡の中で欠くことのできぬ大切なもだった。そのことを今ほど強く感じたことはなかった。

60歳を過ぎた今、1回1回の清津峡通いがとてもとても貴重なものに思える。

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2014.10.17

今週末は「第10回 Live in 清津峡」

Photo

台風直撃のため2週間延期されたけれど、今年もなんとか開催できそうです。

そして今回は記念すべき10年目の「Live in 清津峡」

最初は出演者2人、オーデイェンス数人で始まった音楽会でした。

年を重ねるごとにだんだん盛大になりました。

ありがたいことです。

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1回目のライブの様子

この音楽会のいいところがいくつかあります。

まず自然とたわむれながら音楽を楽しむことができること。

生身の体と生の楽器音って案外強力なもんです。

広いキャンプ場のどこにても声や音は届けられるんですから。

次に出演者はプロミュージシャンやベテランも初心者も、子供でも同じステージに立てること。

音楽は上手いとか下手とかということだけではないと感じさせてくれます。

「音を楽しむ」という音楽の原点を感じられることが最大のいいところかもしれません。

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10年目を迎える「Live in 清津峡」を前にしてふと昔を思い出していました。

2004年夏。

「第1回 Live in 清津峡」が開催される前年の夏、僕はこんな文章を書いていました。

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ゆったりした時間を過ごし、夜のとばりがおりるころ
管理棟前のテーブルをステージにしてギターを弾き始める。
たきびの灯りとランプがスポットライトのアコースティックライブだ。
徐々にテーブルのまわりに人が集まり始める。
お客さんはその時来ていた人たち。
(時々鹿やムササビも参加する)
前宣伝は一切なし。
酒を酌み交わしながらのライブ。
構成も選曲もへったくれもない。
なりゆきまかせ、風まかせ。
時に飛び入りがあったり、一緒に歌うということもある。

佳境にはっいてくるとあっちのテント、こっちのバンガローからリクエストが飛び交う。
何しろ暗い。闇に向って歌うようなものだ。
でも闇の中からしっかり反応が返ってくる。

ライブは深夜まで続く。
体力が尽きる頃集まってくれた人も徐々に自分のねぐらへ戻り始め、
たき火の火が消えるようにライブも終わる。

http://martinkoike.cocolog-nifty.com/blog/2004/08/post_7.html
(全文はこちらをクリックしてくださいな)

それまではこんなミニライブを(ミニといっても数時間に及んでいましたが)10年くらいやっていました。

「ウシミツライブ」と称してね。

今では管理棟前に集まって演奏することはごく普通の光景。

この音楽会を続けてきて一番嬉しいことはもしかしたらそういうことかもしれません。

一人で歌うことの満足感と孤独感。

たくさんの人達と時間を分け合って歌うことの欲求不満と連帯感。

どちらがいいかといったら迷わず後者を選びます。

それもいきなりこうなったわけではなく、少しずつ積み上がってきたからこそ価値があるんだろうなと思う次第です。

「一人の百歩より、百人の一歩」というわけです。

みんなで一歩ずつ歩みを重ねてきた10年という時の重さを感じます。

「第10回 Live in 清津峡」を

単に音楽が好きで好きでたまらなかったガキの頃に戻って満喫しようと思います。

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