日記・コラム・つぶやき

2024.07.01

夏が来た?

2週間ぶりに早朝散歩。
この間体調不良のため、ほとんど自宅にこもっていた。
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久しぶりの散歩はなんとなく足がもつれる感じ。
まあ、初日からは飛ばさずゆっくり歩こう。
(飛ばすに飛ばせないけど)
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今年初めて見るひまわり。
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ああ、夏なんだね。
花の画像のようです

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2024.06.17

あわてずに、ていねいに、ゆったりと

すでにカウントダウンが始まっている「老後」をどう生きるか。
「老後」という呼び方が適当かどうかは分からない。
何しろ今まさに「老い」の時代のまっただ中を生き始めてるんだからね。
最近そんなことを考えることが多い。
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残念ながら10年前に比べると体力は衰え、身体のあちこちに不具合も出始めている。
「老い」という現実から眼をそらすことはできないし、眼をそらしてもいけない。
真正面から「老い」を受け入れ、受け止めなければなるまい。
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幸いなことに気力は以前と変わらず充実している。
精神年齢もおそらく若い頃とさして変わらない。(というかどこかでストップしている)
気さえ充実していればこそ前向きに受け止めもできようというもんだ。
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子供の頃の自分はいたってマイペースだった。
あわてずに、ていねいに、ゆったりと日々を過ごしていた記憶だけが残っている。
.いつの頃からだろう。
生きることに急ぎ始めたのは。
「より早く、より高く、より遠くへ」がひとつの生きる指針のようになっていた。(オリンピックみたい)
どれほど多くの実体験ができるか、どれほど多くのことを同時にこなすことができるか。
一日24時間という限られた時間の中でより早く、より効率的に、より多くの果実を得ることが大切だと思ってきたところがある。
それは仕事の上でも、音楽活動の上でもだ。
(QC思考を仕事のみならず、プライベイトでも実践するほどだった)
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その結果ずいぶん無理を重ねてきた。
長年「仕事と音楽どちらも全力投球であること」を自分に科してきた。
睡眠時間を削るしか双方をこなすことはできなかった。
そして無理を重ねてでもやれる「若さ」があった。
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ここ数年無理を重ねることが難しくなってきている。
無論無理をすることはできないわけではないし、あいかわらず無理はしている。
でもその後の消耗を回復させるために倍以上もの時間を要するようになっている。(肉体的にも精神的にもね)
これが「老い」というものなのかと感じる日々だ。
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今思っていることは子供の頃のマイペースの自分に立ち戻ることだ。
急がない生き方。
あわてずに、ていねいに、ゆったりした精神状態を保つ生き方。
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これからはひとつひとつの具体的な事柄の中で、「急がない生き方」を暗中模索することになるんだろう。
人に等しく与えられた1日24時間という時間。
より多くをつめこむのではなく、よりていねいに接していくことが肝要かと思う。
そうすることでより充足感のある意味ある24時間になるんではないかな。
それが「今を生きる」ということにつながるんじゃないかな。
そう思いたい。

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市場のラーメン


久しぶりに美松食堂でラーメン餃子。

昔ながらの醤油ラーメン。
鶏ガラベースのあっさり味。
あっさりなんだけど深ぁい旨味。

時々モウレツに食べたくなる。
そうなると矢も楯も堪らなくなる。
でもこのスープが一番美味しいのは、開店してから1時間ほど。
仕込み終わったスープがなじみ、かつ煮しまらない一番いい状態。
スープがもっとも澄んだ時間帯が開店から1,2時間のこの辺りを狙ってくのがベスト。

越谷市場で「朝市コンサート」をやってた頃は、コンサート開始直前にラーメン餃子を食べていた。
いわば戦闘準備を美松のラーメン餃子でととのえて、出陣していた。

久しぶりのラーメン餃子。
あの日のままだった。
最後の一滴まで飲み干した。
旨かった!


















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2023.11.12

天寿全う 我が家のモグ猫

2023_20231112093701
11月11日(土)16:25
12年間一緒に暮らした猫のモグが旅立った。
10月半ばあたりから急激に弱ってきていた。
医者の診断では腎臓病とのことだった。
ネコの場合特別な病気やケガ以外であれば多くの場合が腎臓を患って亡くなっていくとのことだった。
モグの場合はかなり悪くなっており、人間でいえば人工透析を要するくらいであったらしい。
もともと大食というわけではなかったが、食が極端に細くなっていた。
10月の末には水もあまり摂らなくなっていた。
医師から処方してもらった腎臓の薬と栄養補給のためのシロップをスポイトで口から流し込む日が続いた。
(それすらも受け付けなかったり、口から出してしまったりということも多かった)
11月1日、自力で動くことも難しくなってきた。
部屋の隅に置いた椅子の上が定位置となり、そこから動こうとはしなくなった。
「終末ケア」に移行した。
椅子の上で丸くなったまま1週間過ごしてきた。
その椅子から転がり落ちてしまった。
ここまでと覚悟をした。
静かな部屋にタオルを敷き、そこが新たなねぐらにした。
ひがな丸くなりうずくまったまま呼吸をくりかえすだけとなる。
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11月9日(木)
いつ逝ってしまうかわからない状況になり臨戦態勢をひいた。
啼きもせず、身動きもせず、静かな呼吸だけをくりかえす。
「モグ」という呼びかけに対して尻尾を振ることだけが生存の証のように思えた。
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11月11日(土)
前日の夜から呼びかけに対しても反応が鈍くなってくる。
それまでは尻尾の付け根から大きく振っていた。今は尻尾の先がかすかに動くのみ。
目に宿していた光も少しずつ弱くなっている。
開いていた瞼もとじかけ、伏し目がちになる。
時折ひきつけを起こしたようにピクリと身体をふるわせる。
でもそれは己の意思で動かしたというよりも、生命反応により動いたものなんだろう。
生死の狭間をさまよいながら、消えかける生命の炎をかろうじて灯している。
僕は右足の肉球に指を挟み時折もんでやる。
残されたわずかな力で握り返してくる。
まるで握手を返すかのように。
胸が突かれる思い。
「握手」という親の代から70年続く我が家の儀式。
握手で始まり、握手で終わる信頼の挨拶。
モグもまたそれを最後に示してくれたのか。
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突然、吠える。
身体の底から絞り出すような野生の雄たけびのように思える。
そして宙に向かって四つ足をまわし始める。
それはまるで草原を走る野生の猫のように力強く感じられる。
最後の力を振り絞り、死にあらがったのか。
あるいは野生に戻ろうとする本能のようなものなのか。
もしかしたら「モグ」から「猫」に戻るための儀式なのか。
やがてぐったりと身を丸める。
静かな呼吸だけを続ける。
静かに呼吸だけを続ける時間がどこまでもどこまでも続く。
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陽が落ちるころ、2度大きな呼吸をする。
かすかな鳴き声とともに呼吸をすーっと止める。
16時25分だった。
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もう少し長く生きられるとずっと思っていた。
モグ不在の暮らしがどんなものになるのか想像もつかない。
おそらく本当の喪失感はこれからやってくるのだろう。
思えば我が家にはウサギに始まり、何代かの猫たちがいつもいた。
物言わぬ「小動物」たちだが彼らのいる暮らしにはなにか潤いがあった。
自分の年齢を考えると、この先もう猫や犬と一緒に暮らすわけにはいかない。
なんともやるせない気分だ。

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2023.07.07

たなばた様

 ♪ たけにたんざくたなばたまつり
  おおいはいやよ
  ローソクいっぽんちょうだいな ♪
  (くれなきゃかっちゃぐぞ!)
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今年もやってきたたなばた様。
毎年毎年あきもせず書いてきたが、函館で幼少時代を過ごした子供たちには決して忘れられない行事のひとつだ。
特に昭和40年代くらいまでの函館の子供たちには特別な行事だった。
夕暮時から真っ暗になる時間帯を手に手に提灯や手作りカンテラを持って子供たちだけで家々をまわるという行為のわくわく感はハンパではなかった。
一面闇におおわれた中に浮かび上がるローソクのぼんやりとした灯りは妖しげでさえあった。
(ぼくの育った青柳町は函館山の麓だったので「灯りさざめく松風町」などとは違って、夜の暗さは際立っていた)
闇の中をカンテラの灯りをたよりに歩くことで、なんだかちょっとだけ大人になったような気にすらなった。
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なんで子供たちがローソクをもらい歩くのか。
長年の疑問で毎年自分なりに考察をしてきた。
ご先祖様の盆帰りで暗い夜道をローソクで照らすためか、といったあんばいだ。
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函館イベント状況局のおもしろい記述を見つけた。
それによると箱館(当時はこう記された)では江戸時代後期からねぶた祭のようなものをやっていたそうだ。
竹で組み、彩色を施した和紙を貼り付けた大きな灯籠(山車)で練り歩くというような行事だったらしい。
灯籠の灯りは大量の蝋燭が使われていた。
その蝋燭をもらい集めるのが子供の仕事だったということだ。
やがて(昭和初期)にその祭りは行われなくなったが、ローソクもらいの行事だけは風習として残った。
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目からうろこのような記述だったのでリンクを貼る。
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今の「ローソクもらい」はローソクの代わりにお菓子をもらい歩いてるそうだ。子供の安全ということもあるので、比較的明るい時間帯に保護者同伴というケースが多いようだ。
「妖しげなたなばた様」で育った世代にとってはちょっと淋しい感じがする。
それでも江戸時代の末期からつづくこの風物詩が、姿形を変えながらも末永く続いていってほしいものだ。
そう願わずにはいられない。
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[函館の七夕「ローソクもらい」と「大いに祝おう」の謎]
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[最近のローソクもらいの風景と歌]

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2023.02.21

松本零士 逝く

2023_02_20
50年前、それまで暮らしていた三畳一間の下宿を脱出し、「大四畳半」での暮らしが始まった。
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「無芸大食人畜無害」ではあったが、いつも腹を空かせていた。
納豆かキャベツが主食で、腹いっぱいラーメンライスを食べることが夢だった。
それでも「大四畳半」には自由があった。
酒瓶を片手に絶えず友が出入りしていた。
米に困っても酒に困ることのない日々だった。
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そんな「我が青春の石井荘」時代に愛読した漫画があった。
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『男おいどん』だ。
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自分の暮らしぶりにあまりにもにかよった主人公、大山昇太に親近感を覚えた。
どうもこうもならないような日々を送りながら、大山昇太は前向きだった。
自堕落に陥ってもおかしくない暮らしをギリギリのところで踏み止まる。
辛い心情をトリさんにだけ語る。「トリよ、おいどんは負けんのど!」
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大山昇太は若き日の自分だった。
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数年後、僕は大学を退学し印刷会社に就職した。
就職といえば聞こえはいいが、新聞広告を見て応募し運よく拾われたのが実際のところだ。
新聞広告に書かれていたであろう一文をつい見落とした。
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「夜勤あり」
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経済的にある程度安定したのは夜勤手当のおかげだろう。
でもそれと引き換えに「自由」を失った。
そう感じていた。
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その頃愛読したのが『キャプテン・ハーロック』だった。
自分の信じるもののためにのみ命をかける、そうである限り心は自由だというハーロックに憧れた。
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『銀河鉄道999』の主人公、星野鉄郎に大山昇太とキャプテン・ハーロックのにおいを感じていた。
大山昇太的な鉄郎が物事に体ごとぶつかり、跳ね返されながらハーロックのような「漢」に育っていく姿。
共感を覚えた。
自分自身もそうありたいと願った。
それは今も変わることがない。(もっともキャプテン・ハーロックには未だなれずにいるが)
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やがて長男が生まれた。
「哲郎」と名付けた。
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自分の願いを押しつけた格好だ。
今のところ長男から名前のことでクレームはついていない。
命名した時の願いまでは押し付けることはできない。
それでも頭でっかちにならず自分の体で感じたままに生きているようではある。
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大山昇太、キャプテン・ハーロック、星野鉄郎の生みの親。
そしてクイーン・エメラルダス、大山トチローの生みの親。
松本零士さんが亡くなられたそうだ。
いつかその日が来ることは人の世の理ではある。
それでも残念でならない。
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多感だった若き日に生き方の羅針盤のひとつになってくれた松本零士さん。
心から哀悼の意を表します。
ありがとうございます。

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2023.02.10

【絵本の歌シリーズ】 「そつえんセブン」

2023_02_10-2
世界文化社の絵本部門から作曲と演奏・録音を依頼されていた「絵本の歌シリーズ」もいよいよ最後の1冊。
本日発売となります。
その名も「そつえんセブン」。
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保育所や幼稚園を卒園する児童たちの一抹の淋しさと、新世界=小学校生活への漠とした不安。
それでも自分たちを育んでくれた人達へちょっとした手作りプレゼントを。
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これまで関わらせていただいた絵本の数々は幼児向けでしたが、「そつえんセブン」は春には小学生になる子供たち向け。
ストーリーも明確で、言葉数も多い絵本でした。
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作詞は絵本作家のもとしたいずみ先生。
絵本の中で歌われている歌にメロディをつけました。
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メロディをつけるにあたってこんなことをイメージしていました。
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1.孫たちの保育所卒園シーン。(特に孫娘は来年保育所を卒園予定)
2.そして息子たちが保育所を卒園した時の想い出。
3.自分自身が函館の白百合幼稚園を卒園したときのイメージ。
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じいちゃんの立場から、若き父親の立場から、そして幼き頃の自分自身の立場から。
三世代、60余年の時の流れの中を徘徊しながら浮かんできたメロディは少々ノスタルジックなものになりました。
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過去15年で関わらせていただいた本は5冊になります。
・「おせちのおしょうがつ」(作詞:ねぎしれいこ先生)
・「おつきみどろぼう」(作詞:ねぎしれいこ先生)
・「おうちピクニック」(作詞:きむらゆういち先生)
・「おひなさまのいえ」(作詞:ねぎしれいこ先生)
・「そつえんセブン」(作詞:もとしたいずみ先生)
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長きにわたりいい勉強をさせていただいた世界文化社様には心から感謝。
(そして質の高い印刷を担ってくれている共同印刷の後輩たちにも感謝)
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2023.01.30

【おひなさまのいえ】

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新装版「おひなさまのいえ」(世界文化社刊)という絵本が本日発売される。
初出は2012年3月で重版を重ね、装いも新たに発行されることとなった。
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新装版第1刷りにあたり挿入歌を作って演奏してほしいという依頼が世界文化社からあった。
昨年秋のことだ。
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依頼の主は編集者のN女史。
15年ほど前に世界文化社絵本の歌シリーズ・三部作を手がけた時の編集担当の方だ。
当時僕は印刷設計~印刷立ち会いを担当し、同時に絵本の歌を作った。
できあがった絵本と歌を携えて「絵本コンサート」を幾度も開催した。
書店や幼稚園、時には葛飾柴又の団子屋さんの前での路上コンサートなどもやった。
出版社と印刷会社がタッグを組んでの「絵本コンサート」は業界としては希有な出来事だった。
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あれから15年たった。
突然のN女史からの連絡は涙が出そうになるくらいうれしく、懐かしかった。
印刷業界を離れて早十余年になるというのに、忘れずにいてくれてお声をかけていただけた。
これは元印刷マンとしても、歌い手としてもうれしいことだ。
喜んでお手伝いさせていただくことにした。
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手始めに依頼があったのは、15年前発行の「おせちのおしょうがつ」という絵本の歌をリメイクすることだった。
この本も重版を重ね子供たちに読まれ続けてきた絵本だ。
そしてかつての「絵本コンサート」のきっかけになった記念碑的な歌だ。
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本日発売の「おひなさまのいえ」は僕が印刷を離れた後にできた本なので、僕自身は印刷に関わっていない。
作家は「おせちのおしょうがつ」と同じねぎしれいこ先生。
絵も「おせち~」同様吉田朋子先生。
15年前のコンビ復活だ。
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歌詞はねぎしれいこ先生があらかじめ書いて下さっていた。
絵本のストーリーに沿った内容の歌詞だった。
人形屋さんで売れ残ったおひなさまたちが、飾ってくれる家を探しに旅に出る物語。
最終的には小さな空き家を見つけ、きれいにしてそこを安住の地とするという内容だ。
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メロディをつけるにあたり、絵本を何度も読み返しイメージと妄想を膨らませていった。
深読みを進めると子供向けに書かれたものであるとともに、現代社会へのアンチテーゼをも感じさせられた。
たとえば売れ残った人形は落ちこぼれ人間で、その人間が自身のアイデンティティを確かめるために旅に出るという物語として読めないこともない。
それは大人社会だけではなく子供社会にも広がっているのが現代だ。
「おひなさまのいえ」がグッと近寄ってきてくれた。
2023_01_08-5
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ねぎし先生のシンプルな歌詞に子供たちが口ずさめるようなシンプルなメロディのくりかえしで応えることにした。
1番から4番までシンプルな形を重ねる。
最後の4小節にちょっとした仕掛けを。
旅だったひな人形たちへの共感とシンパシーを込めたメロディを付け加えた。
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来月予定している「おーるどたいむ de ライブ 冬の陣」の1部、近況報告コーナーでお披露目しようと思っている。
もし、機会があれば足を運んでいただければさいわいです。
そして書店で世界文化社刊「おひなさまのいえ」をお買い求めいただければなおさいわいです。

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2023.01.29

シャケの飯寿司(いずし)

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今年も津軽海峡を渡って故郷の味「シャケの飯寿司」がやってきた。
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中学校時代の同級生S君手作りの飯寿司だ。
一昨年はシャケが不漁で高かったことと、S君のオヤジさんが病気だったこともあり飯寿司は作らなかった。
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昨年秋に親父さんが他界されたこともあり今年は作ってくれた。
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S君の親父さんは飯寿司作りの名人で、S君はその一番弟子。
親父さんが亡くなられたことで彼が名人に昇格。
親父さんが亡くなられた10月から11月は気温がグッと下がり、飯寿司作りには最適の頃だ。
おそらく今年の飯寿司はS君の万感の思いが込められた逸品だと思う。
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そんなことを思いながら飯寿司を味わっている。
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子供の頃、我が家で作る飯寿司はシャケではなくニシンだったりホッケだったりした。
シャケは高くて手が出なかったんだろう。
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大きな樽に大根やキャベツ、にんじんといった野菜と魚を何層にも積み重ねていった。
固く炊いた米や麹も同時に挟んでいく。
最後に蓋をかぶせ、その上に漬物石を乗せる。
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庭に立てられた小さな掘っ立て小屋(物置)の中で漬物作りは進められる。
そのままひと月くらい寝かして発酵を待ち、正月頃から食べ始める。
物置の中には飯寿司のほかにたくあんなどの樽が3~4個あったように記憶している。
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小学生の頃、漬物をつける母の手伝いをさせられた。
寒いし、手はしゃっこいし、できれば避けたい手伝いだった。
でも今思えばいい経験だった。
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内地に出てきてから一度だけ飯寿司に挑戦したことがある。
みごとに失敗した。
飯寿司作りには気温が高すぎたんだろう。
すっかりアメてしまった(「あめる」は腐る、傷むの北海道弁)
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以前帰道した折りにお土産屋さんで飯寿司を買ってきたのだが、これが旨くない。
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S君の送ってくれる飯寿司は昔ながらの懐かしい味、懐かしい香り。
親父さんの後を継いだみごとな名人技だ。

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今年もごっつぉーさん!

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2023.01.21

赤色エレジー

フォークの歌声音楽会の唄本を作り始めています。
毎日1~2時間で10曲が目標。
すでに3日目になるというのにいまだ8曲。
パソコンに向かって歌詞を書き込むたびに「筆」が止まってしまいます。
歌詞を吟味し、その歌の世界にどっぷり浸かってしまう。
いつもの妄想癖が止まりません。
音源を聴いてまた涙して・・・
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今朝は「赤色エレジー」で筆がピタッと止まってしまいました。
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高校2年生の頃でした。
テレビのブラウン管の中で苦しげに歌うあがた森魚さん。
「ガロ」という漫画雑誌に連載していた林静一の「赤色エレジー」。
墨1色の白黒漫画なのに、なぜがどぎつい赤の極彩色をイメージしていました。
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高校生の一知半解のイメージでしたが、なにか胸に迫るものがありました。
当時の世相は70年安保闘争が敗北し、挫折していく若者たちがいる一方で、個人の私生活に拘泥していく「三無主義(無気力・無関心・無責任)」「しらけ世代」と呼ばれる若者もまた増えていました。
そんな落ち着かない世相の中で「ある愛の詩」や「小さな恋の物語」などの映画がヒットする一方で「同棲時代」(上村一夫)などの社会の底辺でうごめく若者を描いた作品もまたありました。
「赤色エレジー」もまたそんな作品のひとつかと思います。
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あがたさんの独特の感性はそういう混沌とした世相の中で醸成されたものなのかもしれません。
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当時はキワモノ的なざらっとした肌触りの歌として受け止めていました。
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若いとは言えぬ年になりあらためて「赤色エレジー」の歌詞を吟味し、あがたさんの歌を聴き直し感じるもの。
それは当時には模糊としていた世界が身に迫ってくるものでした。
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後になってあがた森魚さんが函館・潮見中学の6級先輩だったことを知りました。
思春期に同じ学び舎で過ごした生徒生活の中であがたさんが影響を受けたものはあったんだろうか。
以来ずっとそう思っていました。
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函館のこだるま食堂でライブをしたことがあります。
その数日後にあがた森魚さんもまたこだるま食堂でライブをやっています。
ドアにはあがたさんのライブポスターとぼくのライブポスターが並べて貼ってありました。
ニアミスです。
あがたさんのライブ当日、ぼくは内地に向かう飛行機の中にいました。
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昨年、あがたさんが企画している王子・飛鳥山での音楽ピクニックに参加しました。
初めてあがたさんと話しをする機会を得ることができました。
その時は僕の時間の都合で突っ込んだ話しをすることはできませんでした。
いつか「赤色エレジー」のこと、当時の世相のこと、そこから今のあがたさんにどうつながってきたのか。
じっくりうかがってみたいものです。
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こんな寄り道ばっかりしてるから、唄本作成作業は滞るばかりです。
ふう・・・😅

 

赤色エレジー https://youtu.be/dKBFWMQHR58

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