日記・コラム・つぶやき

2017.06.22

リフレッシュ休暇

昨日から1週間の「リフレッシュ休暇」をいただいている。

4月に今の会社に再就職してから5年が経った。
5年頑張れば「はい、ごくろうさん」ってことで5日間のリフレッシュ休暇が取得できる。

前の仕事とは全く畑違いの職種。
60歳近くになって新しいことを覚えるのは容易ではなかった。
いまだにわからぬことが多く、都度勉強しながら業務に対応する毎日だ。
それでも自分なりにスタイルがようやっとできてきたように思う。

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5年は長く、短かった。
心身ともに日々消耗しきり、それでもなんとか再生産させながらやってきた。(自転車操業の毎日)

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今月いっぱいで「定年」を迎えることになる。
63歳の誕生日のある四半期で定年となる決まりなのだ。
7月からは再雇用という形で同じ業務にあたる。
馴れてきた頃に「定年」というのも皮肉なものだ。

当然労働条件面で大きな違いが出てくる。
その最たるものが「残業ができなくなる」ということだ。
本来残業に頼らず業務はこなされるべきものだが、なかなかそうもいかないのが実際だ。
これからは残業時間の厳しい制約を受けることになる。
作業量は多少軽減されるとはいえ、定時間内でこなすのはなかなかしんどい。
労働密度は今以上に上がることがおおいに予想される。

仕事の仕方や段取りの組み方を見直す必要があるだろう。
でもそれ以上に気持ちの持ち方をリセットすることが大切だと思う。

たとえやることは同じでも今までの延長としてあたるべきではない。
「現役」ではなくなるが「退役」となるわけではなく、あらたなるモチベーションで臨みたい。(時間の制約という大きな難物がある分今以上のモチベーションが必要だろう)

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気持ちのリセットをするために定年直前のリフレッシュ休暇は意味があるように思う。
この1週間の前半は体のケアと、延ばし延ばしになっていた家の用事にあてている。
(昨日は病院と役所と銀行をかけずりまわっていた)
後半はちょっとだが旅に出て心のケアをすることにしている。

「リフレッシュ休暇」すなわち「心身のリハビリ休暇」ということになる。
この1週間で少しずつ気持ちを切り替え、心持を塗りかえよと思う。

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2017.06.18

老母のメンタルケアについて

去年の今頃函館に帰省の折に感じたことを別のところに書いていました。

忘備のために再掲載します。

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オレにできるメンタルケアって。

午前中から夕方にかけて母と過ごす。
母はほとんどベッドで横になっている。
車椅子に乗せられてしゃんとしているのはほんの一時。
食事やオヤツやトイレの時くらい。

今日は院内の「ボンジュール」というホールでソフトクリームを食べ、一昨年まで過ごしていた老人ホーム「レジダント」の友人を訪ねた。
(母の住む特養とレジダントはボンジュールを挟んで長い廊下でつながっている)

最近の母にとってはそれは日常とは違う特別な行為。
子供達が陣中見舞いに行った時の特別な楽しみ。
いわばそれはお祭りのようなものだ。
数ヵ月にいちど陣中見舞いの時くらいそのお祭りの手助けをしようと思う。

反面で違う声も聞こえてくる。
お祭りの手助けも大事だけど、日常のありのままの母のそばにいることはもっと大事じゃないのか、ってね。

それはずいぶん前(母がまだわずかな介助でレジダントで「自立」できている頃)から感じるところだった。
特別なことをするわけではない。とりたてて話しかけることでもない。
その時々でポツリポツリと話を聞いてやる程度のことがとても大事なことのように思える。

母は一日の大半をベッドの中で夢とうつつの狭間を行き来している。
眠っているかと思うと突然昔話を始める。
話半ばで気がつくと半分眠りに落ちている。
起きているときの母は頭脳明晰。
人の話のテンポが早く聞きとりにくい。その分反応も遅い。
脳裏にあるものはしっかりとしたイメージを結んでいるのだが、それを言葉に置き換えるのにとてつもなく時間がかかる。

今回僕は意識的にほとんどの時間、部屋の片隅でギターを静かに弾き続けていた。
昔の映画音楽等をスローなテンポで引き続けた。
ジャニー・ギター、鉄道員、マルセリーノ、ドクトルジバゴ、太陽がいっぱい、エデンの東、ブーべの恋人・・・
思いつく限りを弾き続けた。
母が起きていようが眠っていようがおかまいなしに。

突如として食いついてくる。

   懐かしいね。
   お父さんが昔持ってたレコードにみんな入ってたね

そこから話が少しずつ膨らんでいく。
膨らんだなと思うと、また眠りに落ちている。
今日はそんなことをずっとくりかえしていた。

こちらから積極的に働きかけるよりは母の胸の中にあるものに寄りそうという感じだろうか。
特養の狭い部屋の中の空気に自分の存在を同化させていくとでもいうんだろうか。
ごく静かな「井戸端ライブ」をやっているような錯覚を覚えた。

昔、父が言っていた言葉が不意に浮かんだ。
(その頃の僕は10代の終わりから20代にかけて、血気盛りだった。歌で世の中を変えたい。そう思っていた頃だった)

   おい雅彦
   歌で世の中を変えるってことは、人を変えるということだ。
   それはもしかしたら、とんでもない思い上がりではないのか
   オレはむしろ人の思いの代弁者たりたい
   代弁者とは人と自分の心が同調しなければ共感は得られない。
   共感を得られなければ代弁者にすらなれない
   代弁者になれなくてどうして人の世を変えられるってんだ

数年にわたる父との議論の本質はここにあったような気がする。

おいた母のメンタルケアも僕の目指す「井戸端ライブ」も根幹に
共存、共感、共鳴といったことがなきゃならないんじゃないか。

そんなことを今思っている。

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2017.04.26

父と子

先日、初めて孫・奏吾と二人きりで1日を過ごした。

孫との接し方、僕はそれまでは一歩引いたところにいた。
いいじいちゃんを演じていたともいえる。

...

ところが二人きりだとそうもいかない。
真正面から向き合う必要があり、そうである以上は甘い顔ばかりもしていられない。
「過激」に遊びまわり、時に叱る。
かつて自分が子供たちに接していたやり方が顔をのぞかす。

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子供たちが小学生まで、僕は親父の趣味嗜好を彼らに押しつけてきた。
サッカーしかり、山登りしかり、自転車しかり、そして音楽しかりだ。
過激に遊びまわった。
子供たちにしてみると楽しいひと時ばかりではなく、苦痛なこともあったろう。

同じ屋根の下で暮らしていたからこそできたことだ。

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孫は「スープの冷めない距離」に住んではいるが、別のかまどで暮らしている。
彼に僕のやり方で接するのはなんとなく気が引ける。
それは自分の子供たちには責任を持つ立場だったが、孫には責任を持てない立場だからかもしれない。

これが孫に対して一歩ひいた場所から接してきたワケかもしれない。

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僕の父もそうだった。
札幌と越谷、年に1回会えるかどうかというほど離れていたから余計そうだろう。
父は孫たちを可愛がってくれたが、やはり距離を置いていたのが僕にはわかった。
おそらく責任ある立場の親たる僕に対する配慮があったと思う。
子を諭すのは、そして子を叱るのは親の役目だから。
子を諭す僕を見つめながら、満足そうに笑っていた。

  30年前に俺がおまえにしてきたことを
  おまえが今時分の子供たちにしているのだよ

そう言いたげな顔だった。

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1日孫と向き合った晩、息子一家と食事をした。
僕はじいちゃんの顔と同時によみがえったオヤジの顔をにじませていたと思う。
回転寿司屋で食事をしながら、少しワルサした奏吾。

間髪を入れずに

  それはダメだっ!

と言った息子と僕。

同時に同じ口調で叱った息子と僕だった。
何ともおかしかった。

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2017.04.19

【感謝】 63回目の春を通過することができました

昨日、63回目の誕生日を迎えることができました。
思いもよらぬほどたくさんの方々からメッセージをいただきました。

忙しさにかまけて日頃不義理の極みを尽くしている自分にとりそれはありがたく、心あたたまるメッセージの数々でした。
心より御礼申し上げます。...
ありがとうございます。

「この日を迎えられる有難さ」を年々深く感じるようになっています。
特別なことがあった1年というわけではないけれど、
道草・寄り道を重ねながら歩いてきた日々をまた積み重ねることができたうれしさ。
明日からもまた歩いていける喜び。

たくさんの方々とのかかわりの中で、そういう日々はささえられているんだとあらためて感じています。

目的のある旅ではない、旅するための旅。
大切に生きれば充分に長い人生の旅路を
また一歩踏み出そうと思います。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

****************************

     あすなろの歌

   
   雪よ 岩よ 雲よ
   川よ 谷よ 樹木よ
   長い道程を君は 
   歩いてきたんだね
   おもいだしておくれよ
   さまよい歩いた日々を
   ザックに夢をつめて
   はるか山の彼方
   あすなろ あすなろ 心の旅人
   あすなろ あすなろ 心の故郷

   風よ 鳥よ 空よ
   水よ 露よ 朝日よ
   いつまでこの道を君は
   歩き続けるのか
   何を求めて行くのか
   何かがそこにあるのか
   旅するための旅を
   また始めるのだろう
   あすなろ あすなろ 心の旅人
   あすなろ あすなろ 心の故郷

             (Martin古池雅彦)
   

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2017.01.14

高校生の頃

「高校生の頃」

この時代の出来事や感じたこと。
それらが今の自分を形作っている。
最近しみじみ、つくづく感じている。

若さにまかせ走りに走った頃。
背伸びに背伸びを重ねて生きていた頃。
サッカーや演劇や音楽、文学に傾倒していた頃。
70年安保闘争の残り火の中でイデオローグたちとの議論。
級友たちと徹夜で交わした人生論。
初めての恋と失恋。
etc.etc.

その後の人生の中で何度となく噛みしめ、何度となく否定してきた室蘭で過ごした数年間。

自分のそんな時代を否定することで大人になったような気がして・・・
でも結局またあの時代にたち戻っていた。

まるで牛が何度も何度も反芻するように、僕はあの時代を噛みしめながら生きてきた。

いつしかひとつひとつの出来事は跡形もないほどに噛み砕かれてしまった。
いっぱひとからげで「あの時代」として体内の底の底に沈殿している。
まるで宿便みたいなもんだ。
そして気のつかないところでいまだにくつくつ発酵を続けている。
そのガスはなんの前触れもなく忘れた頃にぽこっと沸いてくる。

ライブをしていると時に次々と記憶の表層に浮かび上がってくる。
きっかけはお客さんとのやり取りに触発されてのことだ。
いわば歌とおしゃべりを通してお客さんとの間で目に見えぬ化学変化を起こしているかのようだ。

室蘭で過ごしたあの時代が僕の原型となっている。
最近とみにそう感じている。

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2017.01.01

2016年 大晦日 お散歩点景

2016

すすきがしぶとく風にゆれている。
なんとはなしに寂しげな感じにゆれている。
風に抗するわけではない。
逆らわずゆれている。
でも己の根はしっかり大地にしがみついている。...
そのしたたかさに感じるものがある。

2016_2

2016年が夕陽と共に暮れてゆく。

ふと浮かんだ歌

夕陽赤く 地平のはて
今日もしずみ 時はゆく
はるか遠き 君住む街...
一人しのぶ 旅の日よ
心に秘めた恋 その名をよべば
むなしくかえるは こだまよ
君よ眠れ また逢う日を
夢見るような 星明かり

「夕陽は赤く」(加山雄三)

2016_3

夕暮れの富士山

陽が落ち、空の色がうつりかわってゆく。
茜色の空に富士がくっきりと浮かび上がった。

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2016.12.25

原風景 クリスマス

メリークリスマス!

毎年、この日が来るたびに僕は自分の原風景を思い出す。
幼い頃の記憶。
深夜、新雪を踏みしめながら向かう向かう教会への道のり。...
あたりは漆黒の闇、ほのかの電柱の明かりに降りしきる雪。
一面の雪が音という音を吸い込みどこまでも静寂。
新雪を踏みしめる音だけが響く。
あれは耳に聞こえるというより、体で音を感じていたんだろうな。

自分の原風景を書き留めた10年前のブログをまた今年も読み返した。
忘れちゃいけない、忘れられないイメージだ。

「原風景 クリスマス」
http://martinkoike.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/post_7e52.html

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2016.11.12

芸人ってのは八百屋のリンゴ

「おまえな、芸人ってのは八百屋のリンゴと一緒だよ。
箱から出して店先に並べても、誰も買っちゃくんないよ。
ちゃぁんとみがいて並べなきゃ。」
「まぁず、蚊の鳴くような声をなんとかしろ。
屋上いって声だしてこい」
「客を見てどんどん変えてけなきゃ芸とは言わん」

芸人•石井均が新人•伊東四朗青年に送った叱咤激励。

「キャバレーは道場。お金をもらえる道場。
客は女給を口説きに来るんですから、ジャマなんですよ。芸人は。
そこでやるんだから道場ですよ。
そこでつかめたら大成功。つかめなかったら敗北ですよ」

伊東四朗•談

****************************************************************

お好み焼き屋さんや市場で歌う時、必ずしもうまくいくとは限らない。
むしろ敗北を感じることの方がはるかに多い。
そんな時思い出すこのエピソード。
敗北を積み重ねながら10年以上も歌い続けてきたお好み焼きの三貴や越谷市場。
僕にとって道場であり、戦場でもある。
この先も同じように敗北を重ねていくことだろう。
ここでの一喜一憂が自分の肥やしになっていくことを信じたい。

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2016.09.14

【再掲載】 函館~札幌 自転車で駆け抜けた日

北海道時代の友人と話した。

40歳の4月、父の3回忌と自分の40歳の誕生日のある4月。

何かをしないではいられなかった。

思いついたのは自転車で函館から室蘭経由で札幌まで走ることだった。

生まれ育った函館を出発し、青春時代を過ごした室蘭を経由し実家のある札幌まで走るという試みだった。

当時僕はJB'zという自転車チームの一員として長距離ロードレースを走っていたことから生まれた発想だった。

「人生の折り返し地点」が40歳だとするならば、何かをするのは今しかない。

今やっておかなきゃ、この先はないかもしれない。

そんな思いだった。

その時の記録を文章にし、小冊子を作った。

後にこのブログに再掲載をした。

久しぶりに読み返してみて、ちょっと感じるところがあったので、あらためてリンクを貼り直した。

⇒「函館~札幌 自転車で駆け抜けた日」

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2016.08.28

わが心の青柳町

 

★住む人もなく荒れ果てた生家

「わらぶきの屋根https://www.youtube.com/watch?v=-x7EjTa_OAM&index=39&list=PL50CkNDX0G8qTlh9oyFX1aJ-6OG4bc73E

 

 

Fb_img_1470705040567

今日から土地は自分のものになるんですね

無邪気な顔でそう確認する若き買主。

買う側にも、売る側にもそれぞれに思いがある。

28歳の美容師はこれから結婚し新しい家庭を築くという。その場所として函館の青柳町を選んだ。

彼のこの一言が僕の中の思いに火をつけた。一言語らずにはいられなかった。

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63年前、28歳だった父はあの土地を手に入れた。翌年結婚し、我が家の歴史が青柳町で始まった。

翌年僕が生まれ、さらに弟と妹がこの地で生まれる。

家族5人の暮らしは裕福とまでは言えなかったし、かならずしも順風満帆なことばかりでもなかった。少なからず様々な紆余曲折は踏んできたように思う。

それでもこの地で暮らした16年は、今につながる我が家の生き方の礎となった。

青柳町で過ごした16年。その後は室蘭に転出し、やがて札幌に生活の場を移す。

子供たちは成長し家を出て、それぞれの新しい家庭を築いた。

やがて父が亡くなる。

2人で始まった「オリジナル古池ファミリー」の歴史が母一人になって久しい。

今回、戸籍を見る機会があった。筆頭世帯主は母の名となっており、ほかにはもう誰も残っていない。

その母も人生の最後の時を静かに生きている。

多くを語りはしないがあの家で暮らした様々な思いが去来しているに違いない。

父と始めた暮らしの思い出
子供たちに手を焼いた思い出
舅・姑と暮らし、見送った思い出
一時は自分の母親や妹も同居していた

そうした思い出の地が人様の手に渡ることの寂しさ。

反面住む人のいない土地の管理や処分は気がかりだったはずだ。老いた自分にはいかんともしがたい歯がゆさがあったに違いない。そんな思いから解放された安堵感。

ひとつの家族の営みと歴史が刻まれた土地。

60余年の時を経て別の新しい家族の営みをはぐくんでいくことの不思議さ。

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話が聞けていかったです。

オレなりに自分の家族の歴史を青柳町で作ってきます

若者は笑顔でそう答えてくれた。

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2016年8月。

オリジナル古池ファミリーのよりどころであった(そしてお荷物でもあった)青柳町の家は人様の手に渡った。

あの場所で喫茶店をやるという父の夢。それをいつか引き継ぐという僕のほのかな夢もついえた。

したっけ
しょうがないべさ

そう思いながら駅への道をゆっくり歩く。

真夏の強い陽射しが目に痛かった。

真夏とはいえ北国。

一陣の風に秋の気配がすでにただよう。

赤とんぼがぼんやりゆれていた。

P8074104_2

【追記】

2006年初めて青柳町の家を売る話が出た時の文章

2011年秋。40年ぶりに生家に足を踏み入れた時の文章

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