日記・コラム・つぶやき

2017.12.31

過行く2017年をふりかえる

今年も1年越谷を中心に歌ってきた。
レギュラーライブと位置づけてきたのは「朝市コンサート」(月2回)と「お好み焼きの三貴ライブ」(月1回)。
季節ごとに「おーるどたいむ de ライブ」を4回。
そして函館の特別養護老人ホーム・旭が丘の家で数回の「Martin古池の歌謡ショー」を数回。
みんなで歌う「歌声音楽会」もすっかり定着した。
毎月「おーるどたいむ」で同年代の人たちと、人生の先輩方と「デイサービス・さんすまいる」で隔月。
加えて長年やってきた「八ヶ岳・森の音楽会」、「Live in 清津峡」は大切な年中行事。
他にお声をかけていただき数回出演させていただいた音楽会もいくつかある。(プール平音楽会、アシベライブ、チャリティコンサート等々)
他にプライベートな出前ライブもいくつかやらせていただいた。
今年もコンスタントに毎月4~5回歌わせていただいた。
今の自分の生活パターンの中ではこれが精いっぱい。
「喫茶店JUNE 日曜昼下がりライブ」を復活させるだけの時間的、肉体的、精神的余裕は残念ながらなかった。
しかしながらコンスタントに歌い続けることは自分にとってはいい影響をもたらしてくれている。
「朝市コンサート」や「お好み焼きの三貴ライブ」は不特定多数のお客様と時間・空間を共有するスタイルなので、瞬間瞬間に対応し1曲ごとの勝負になる。
一つ一つを丁寧に演奏しなければならず、歌やギターの技術を維持・向上させることにつながった。
歌声音楽会で僕は主役ではなく「水先案内人」。
参加者の思いつかれる歌の数々は忘れていたものを思い出させていただくいいチャンスになっている。
それは「おーるどたいむ de ライブ」や「旭が丘の家・Martin古池の歌謡ショー」に反映されている。
おーるどたいむライブや歌謡ショーでは自分の思いを存分にやらせていただくことになる。
その時々の思いをテーマに歌やトークで形にしていく。
歌声音楽会で触発されたことは肉付けされ、テーマの中に位置づけられていく。
そして「森の音楽会」や「Live in 清津峡」、お声をかけていただけき出演したライブは20~30分ほどの短時間ステージでも起承転結(あるいは序破急)で小さなテーマにまとめ上げていくという勉強をさせてもらっている。
コンパクトに仕上げていくことができなければ1~2時間の長時間ステージで肉付けしていくことなどできるものではない。
贅肉だらけの冗長なライブほどつまらないものはない。
長時間ステージといっても小さなテーマの積み重ね。その結果大きなテーマに収束していくものだ。
この1年、いいリズムで各ライブを積み重ねていくことができた。
その結果として12月に年内最後のライブ「おーるどたいむ de ライブ」と「旭が丘の家・Martin古池の歌謡ショー」につなげることができた。
技術面でも新しい試みをしてきた。
「ピアニシモを生音でちゃんと届ける」とうことだ。
以前から「生音」ライブにこだわってやってきた。
これまではギターも声も大きな音を出すことに腐心してきた。
考え方を変えた。
最低音量の音をしっかり出せれば、充分に聴衆に届けられるのではないか。
それができれば100%のパワー使わなくても強い音を強い音として感じてもらえるのではないか。
最大音は隠し玉としてここぞという時に使えるのではないか。
そう考えたのだ。
僕が歌う場は決して大きくはない。
お客さんの数も20~30人。
しかも一人で弾き語りというスタイル。
そういう条件ならば可能ではないかと思った。
まず最低音をしっかり出せるように稽古した。
体の中に気をため込み圧縮する。圧縮された気を音として絞り出す。
それも体の中でその音を自然に反響させることを意識しながら。
以前トミ藤山さんに教えていただいた「呼吸法」が大いに役立っている。
また昔の相棒、吉田政美君の唱法を参考にさせてもらった。
同時にギターの音を抑える練習をした。
抑えた音でもスカスカにならず力のある音をきれいに出せるように腐心した。
右手はピックの持ち方、弦への当て方、手首の返しと支点の肘の関係をあれこれ試した。
左手は手の小さな僕でもより自由に動かせるようにするためにネックを握りこまずともちゃんと抑えられる位置を探した。
自然にそれらができるようになるにはまだまだ時間がかかりそうだが、少しずつ結果が出てきているように思う。
最後に暮らしと音楽の関係について。
今年は様々なことがあった。
高校の同級生たちと初めての「大人の修学旅行」をやり、そのことが自分が音楽を始めたころに引き戻してくれた。
定年を迎え、「現役」から引退した。まだ仕事は継続しているが、この先の自分の生き方を考えるチャンスを得た。
長男に二人目の子供ができ、新しい命に接することができた。
反面年老いていく母の姿を見つめる時、「生命」についていやおうなしに考えることとなった。
これまでどう生きてきたのか。今をどう生きているのか。そして明日からをどう生きるのか。
考えるともなく考えてきたこと。それらはライブのテーマや選曲に反映していった。
自分にとって音楽は日々の暮らしを写す鏡であることを強く意識した。
それは自分自身の問題であると同時に、多くの人と共有できることでもあるのではないか。
そんな思いがより強くなった1年だった。
これまで生きてきたこと、歌ってきたことが徐々にだが重なり合い意味を持ち出した。
そう感じられる1年だった。
忙しい、結構大変な1年だったが、納得いく1年になったように思う。
たぶん来年も同じようにしながら過ごしていくのだろうと思いながら2017年最後の夜を過ごしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.11.21

アウトプットとインプット

ここ数年アウトプットを意識的に減らしている。
自らを露出することより、1人で内に籠る方がより自然に感じているからだ。
 
以前はアウトプットしながら、同時にそれがインプットにつながっていると思えていた。
仕事をしながら年間で大小100本近くもライブをやっていた。ライブに次ぐライブを重ねることで得たものの大きさははかりしれない。「場数を踏む」というヤツだ。
 
しかしそのやり方は徐々になじまなくなってきた。ライブを重ねて得るものより、すりへることの方が多くなった。多分知らずのうちに自分を見失いがちになっていたんだと思う。
 
還暦を迎える頃からライブの数を減らし、レギュラーライブを中心に絞りこんできた。
 
その結果一つ一つのライブの質が上がってきたように思える。
数あるライブの中のひとつではなく、これしかないライブという風に意識が変わってきたんだろう。
 
一方でライブの数を減らし、その変わりにインプット=稽古にまわしているかといえば、必ずしもそういうことでもない。
 
むしろぼんやりしたり、ギターと(目標もなく)戯れている時間が多くなっている。
 
インプットしているわけではないので技術が大きく向上したとはいえない。
むしろぼんやりギタ―と戯れながら、これまでため込んできたものが発酵するのをを待っているような気がする。
 
いつかふたたび怒濤のようにライブをやる日が来るかもしれない。(来ないかもしれないが)
もしかしたらその日のために、発酵を待っているのかもしれない。
 
今はギターをぼんやり弾いているのがなにしろ楽しい。
今しばらくはそんなやり方に身を委ねようと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.07.30

1か月 現役引退後をふりかえる

7月に仕事で定年をむかえ現役を引退した。

定年といっても同じ職場で同じ仕事をあと2年間続けることになる。

いわゆる再雇用、嘱託というやつだ。

だからイメージとしては「現役引退」。

少々寂しい思いがあるのは事実である。

「いよいよそんな年齢になっちまったか」と。

.

現役と再雇用の大きな違いは労働時間と賃金。

賃金体系は「時給制」への移行。

労働時間は月間の可能な残業が厳しく制限されること。

(むろんその分「労働負荷」はある程度軽減されることになるが。質はそのままに量を軽減)

きわめて当たり前のことである。

当たり前のことではあるが実生活では結構大きな影響となる。

.

「仕事を終えた後の時間をどう使うか。」

これが大きな課題だった。

.

今の仕事に転職して6年。

それなりに自分のスタイルを築くことはできたとはいえ、余裕ができたわけではない。

毎日深残業を積み重ねながら切り抜けてきたというのが実態。

つまり無理に無理を重ねてやってきた。

加えて4月に一緒にやっていた大先輩が完全退職となった。

彼の持っていた仕事をまるごと引き継ぐことになった。

今年に入ってからその準備も加わりアップアップな状態が続いていた。

結果として心身ともに多くの負荷をため込み、疲れ切っていた。

.

「身体のケア」から始めよう。

現役引退後の第一歩はそこからスタートさせることにした。

首~肩~腰にかけての背面がバリバリに張っており、それが痛みになっている。

これまでは土曜日にしか整形外科へ行けなかった。

当面は終業後、「5時ピタ帰り」で毎日整形外科に直行しリハビリをすることとした。

加えて帰宅後には1時間程度散歩することにした。

今年に入りストレスを「食で解消」しており、かなり体重が増えてしまっていた。

健康診断の結果も惨憺たるものだった。

.

「身体のケア」を強く意識するようになり、この1か月の生活が大きく変わった。

終業時間内は以前にもまして労働密度が高くなったが、あえて「5時ピタ帰り」を意識する。そのことで生活にリズムが生まれた。

月曜日~金曜日にかけて、生活のオンとオフがはっきりしたということだろう。

毎日整形外科に通うことで土曜日の通院の必要がなくなった。

土曜日をまる一日を自由に使えるようになった。

早朝からかつてのホームスペース「埼玉県民健康福祉村」に再びいりびたることができるようになった。

朝早の長時間散歩をした後、火照った体をプールでしずめる。

水の中を漂いながら「発声練習」も再開することができた。

その後、木陰でギターとたわむれ帰宅。

午後帰宅して軽く昼寝をし、体を休める。

目覚めた後もまだ時間に余裕があるので好きに使える。

.

そんな暮らしをまる1か月続けた。

体調は改善し、体も軽くなった。

その結果心も少しずつ軽くなってきている。

今しばらくこの生活リズムを続けたい。

完全に軌道に乗り、体調がいい感じに戻ったら音楽活動重視にシフトしていくつもりだ。

この5年間、新しいことをする余裕がなかった。

長年の貯金を切り崩しながらライブを続けてきた。

たくさんの友人たちに対してもすっかり不義理をしてしまっている。

.

「現役引退」1か月経過。

置き去りにしたり、失ってしまったものを取り戻すために舵を切った。

その助走期間として、納得のいく日々だったように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.06.22

リフレッシュ休暇

昨日から1週間の「リフレッシュ休暇」をいただいている。

4月に今の会社に再就職してから5年が経った。
5年頑張れば「はい、ごくろうさん」ってことで5日間のリフレッシュ休暇が取得できる。

前の仕事とは全く畑違いの職種。
60歳近くになって新しいことを覚えるのは容易ではなかった。
いまだにわからぬことが多く、都度勉強しながら業務に対応する毎日だ。
それでも自分なりにスタイルがようやっとできてきたように思う。

.

5年は長く、短かった。
心身ともに日々消耗しきり、それでもなんとか再生産させながらやってきた。(自転車操業の毎日)

.

今月いっぱいで「定年」を迎えることになる。
63歳の誕生日のある四半期で定年となる決まりなのだ。
7月からは再雇用という形で同じ業務にあたる。
馴れてきた頃に「定年」というのも皮肉なものだ。

当然労働条件面で大きな違いが出てくる。
その最たるものが「残業ができなくなる」ということだ。
本来残業に頼らず業務はこなされるべきものだが、なかなかそうもいかないのが実際だ。
これからは残業時間の厳しい制約を受けることになる。
作業量は多少軽減されるとはいえ、定時間内でこなすのはなかなかしんどい。
労働密度は今以上に上がることがおおいに予想される。

仕事の仕方や段取りの組み方を見直す必要があるだろう。
でもそれ以上に気持ちの持ち方をリセットすることが大切だと思う。

たとえやることは同じでも今までの延長としてあたるべきではない。
「現役」ではなくなるが「退役」となるわけではなく、あらたなるモチベーションで臨みたい。(時間の制約という大きな難物がある分今以上のモチベーションが必要だろう)

.

気持ちのリセットをするために定年直前のリフレッシュ休暇は意味があるように思う。
この1週間の前半は体のケアと、延ばし延ばしになっていた家の用事にあてている。
(昨日は病院と役所と銀行をかけずりまわっていた)
後半はちょっとだが旅に出て心のケアをすることにしている。

「リフレッシュ休暇」すなわち「心身のリハビリ休暇」ということになる。
この1週間で少しずつ気持ちを切り替え、心持を塗りかえよと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017.06.18

老母のメンタルケアについて

去年の今頃函館に帰省の折に感じたことを別のところに書いていました。

忘備のために再掲載します。

.

.

.

オレにできるメンタルケアって。

午前中から夕方にかけて母と過ごす。
母はほとんどベッドで横になっている。
車椅子に乗せられてしゃんとしているのはほんの一時。
食事やオヤツやトイレの時くらい。

今日は院内の「ボンジュール」というホールでソフトクリームを食べ、一昨年まで過ごしていた老人ホーム「レジダント」の友人を訪ねた。
(母の住む特養とレジダントはボンジュールを挟んで長い廊下でつながっている)

最近の母にとってはそれは日常とは違う特別な行為。
子供達が陣中見舞いに行った時の特別な楽しみ。
いわばそれはお祭りのようなものだ。
数ヵ月にいちど陣中見舞いの時くらいそのお祭りの手助けをしようと思う。

反面で違う声も聞こえてくる。
お祭りの手助けも大事だけど、日常のありのままの母のそばにいることはもっと大事じゃないのか、ってね。

それはずいぶん前(母がまだわずかな介助でレジダントで「自立」できている頃)から感じるところだった。
特別なことをするわけではない。とりたてて話しかけることでもない。
その時々でポツリポツリと話を聞いてやる程度のことがとても大事なことのように思える。

母は一日の大半をベッドの中で夢とうつつの狭間を行き来している。
眠っているかと思うと突然昔話を始める。
話半ばで気がつくと半分眠りに落ちている。
起きているときの母は頭脳明晰。
人の話のテンポが早く聞きとりにくい。その分反応も遅い。
脳裏にあるものはしっかりとしたイメージを結んでいるのだが、それを言葉に置き換えるのにとてつもなく時間がかかる。

今回僕は意識的にほとんどの時間、部屋の片隅でギターを静かに弾き続けていた。
昔の映画音楽等をスローなテンポで引き続けた。
ジャニー・ギター、鉄道員、マルセリーノ、ドクトルジバゴ、太陽がいっぱい、エデンの東、ブーべの恋人・・・
思いつく限りを弾き続けた。
母が起きていようが眠っていようがおかまいなしに。

突如として食いついてくる。

   懐かしいね。
   お父さんが昔持ってたレコードにみんな入ってたね

そこから話が少しずつ膨らんでいく。
膨らんだなと思うと、また眠りに落ちている。
今日はそんなことをずっとくりかえしていた。

こちらから積極的に働きかけるよりは母の胸の中にあるものに寄りそうという感じだろうか。
特養の狭い部屋の中の空気に自分の存在を同化させていくとでもいうんだろうか。
ごく静かな「井戸端ライブ」をやっているような錯覚を覚えた。

昔、父が言っていた言葉が不意に浮かんだ。
(その頃の僕は10代の終わりから20代にかけて、血気盛りだった。歌で世の中を変えたい。そう思っていた頃だった)

   おい雅彦
   歌で世の中を変えるってことは、人を変えるということだ。
   それはもしかしたら、とんでもない思い上がりではないのか
   オレはむしろ人の思いの代弁者たりたい
   代弁者とは人と自分の心が同調しなければ共感は得られない。
   共感を得られなければ代弁者にすらなれない
   代弁者になれなくてどうして人の世を変えられるってんだ

数年にわたる父との議論の本質はここにあったような気がする。

おいた母のメンタルケアも僕の目指す「井戸端ライブ」も根幹に
共存、共感、共鳴といったことがなきゃならないんじゃないか。

そんなことを今思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.26

父と子

先日、初めて孫・奏吾と二人きりで1日を過ごした。

孫との接し方、僕はそれまでは一歩引いたところにいた。
いいじいちゃんを演じていたともいえる。

...

ところが二人きりだとそうもいかない。
真正面から向き合う必要があり、そうである以上は甘い顔ばかりもしていられない。
「過激」に遊びまわり、時に叱る。
かつて自分が子供たちに接していたやり方が顔をのぞかす。

.

子供たちが小学生まで、僕は親父の趣味嗜好を彼らに押しつけてきた。
サッカーしかり、山登りしかり、自転車しかり、そして音楽しかりだ。
過激に遊びまわった。
子供たちにしてみると楽しいひと時ばかりではなく、苦痛なこともあったろう。

同じ屋根の下で暮らしていたからこそできたことだ。

.

孫は「スープの冷めない距離」に住んではいるが、別のかまどで暮らしている。
彼に僕のやり方で接するのはなんとなく気が引ける。
それは自分の子供たちには責任を持つ立場だったが、孫には責任を持てない立場だからかもしれない。

これが孫に対して一歩ひいた場所から接してきたワケかもしれない。

.

.

僕の父もそうだった。
札幌と越谷、年に1回会えるかどうかというほど離れていたから余計そうだろう。
父は孫たちを可愛がってくれたが、やはり距離を置いていたのが僕にはわかった。
おそらく責任ある立場の親たる僕に対する配慮があったと思う。
子を諭すのは、そして子を叱るのは親の役目だから。
子を諭す僕を見つめながら、満足そうに笑っていた。

  30年前に俺がおまえにしてきたことを
  おまえが今時分の子供たちにしているのだよ

そう言いたげな顔だった。

.

.

1日孫と向き合った晩、息子一家と食事をした。
僕はじいちゃんの顔と同時によみがえったオヤジの顔をにじませていたと思う。
回転寿司屋で食事をしながら、少しワルサした奏吾。

間髪を入れずに

  それはダメだっ!

と言った息子と僕。

同時に同じ口調で叱った息子と僕だった。
何ともおかしかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.19

【感謝】 63回目の春を通過することができました

昨日、63回目の誕生日を迎えることができました。
思いもよらぬほどたくさんの方々からメッセージをいただきました。

忙しさにかまけて日頃不義理の極みを尽くしている自分にとりそれはありがたく、心あたたまるメッセージの数々でした。
心より御礼申し上げます。...
ありがとうございます。

「この日を迎えられる有難さ」を年々深く感じるようになっています。
特別なことがあった1年というわけではないけれど、
道草・寄り道を重ねながら歩いてきた日々をまた積み重ねることができたうれしさ。
明日からもまた歩いていける喜び。

たくさんの方々とのかかわりの中で、そういう日々はささえられているんだとあらためて感じています。

目的のある旅ではない、旅するための旅。
大切に生きれば充分に長い人生の旅路を
また一歩踏み出そうと思います。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

****************************

     あすなろの歌

   
   雪よ 岩よ 雲よ
   川よ 谷よ 樹木よ
   長い道程を君は 
   歩いてきたんだね
   おもいだしておくれよ
   さまよい歩いた日々を
   ザックに夢をつめて
   はるか山の彼方
   あすなろ あすなろ 心の旅人
   あすなろ あすなろ 心の故郷

   風よ 鳥よ 空よ
   水よ 露よ 朝日よ
   いつまでこの道を君は
   歩き続けるのか
   何を求めて行くのか
   何かがそこにあるのか
   旅するための旅を
   また始めるのだろう
   あすなろ あすなろ 心の旅人
   あすなろ あすなろ 心の故郷

             (Martin古池雅彦)
   

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017.01.14

高校生の頃

「高校生の頃」

この時代の出来事や感じたこと。
それらが今の自分を形作っている。
最近しみじみ、つくづく感じている。

若さにまかせ走りに走った頃。
背伸びに背伸びを重ねて生きていた頃。
サッカーや演劇や音楽、文学に傾倒していた頃。
70年安保闘争の残り火の中でイデオローグたちとの議論。
級友たちと徹夜で交わした人生論。
初めての恋と失恋。
etc.etc.

その後の人生の中で何度となく噛みしめ、何度となく否定してきた室蘭で過ごした数年間。

自分のそんな時代を否定することで大人になったような気がして・・・
でも結局またあの時代にたち戻っていた。

まるで牛が何度も何度も反芻するように、僕はあの時代を噛みしめながら生きてきた。

いつしかひとつひとつの出来事は跡形もないほどに噛み砕かれてしまった。
いっぱひとからげで「あの時代」として体内の底の底に沈殿している。
まるで宿便みたいなもんだ。
そして気のつかないところでいまだにくつくつ発酵を続けている。
そのガスはなんの前触れもなく忘れた頃にぽこっと沸いてくる。

ライブをしていると時に次々と記憶の表層に浮かび上がってくる。
きっかけはお客さんとのやり取りに触発されてのことだ。
いわば歌とおしゃべりを通してお客さんとの間で目に見えぬ化学変化を起こしているかのようだ。

室蘭で過ごしたあの時代が僕の原型となっている。
最近とみにそう感じている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.01.01

2016年 大晦日 お散歩点景

2016

すすきがしぶとく風にゆれている。
なんとはなしに寂しげな感じにゆれている。
風に抗するわけではない。
逆らわずゆれている。
でも己の根はしっかり大地にしがみついている。...
そのしたたかさに感じるものがある。

2016_2

2016年が夕陽と共に暮れてゆく。

ふと浮かんだ歌

夕陽赤く 地平のはて
今日もしずみ 時はゆく
はるか遠き 君住む街...
一人しのぶ 旅の日よ
心に秘めた恋 その名をよべば
むなしくかえるは こだまよ
君よ眠れ また逢う日を
夢見るような 星明かり

「夕陽は赤く」(加山雄三)

2016_3

夕暮れの富士山

陽が落ち、空の色がうつりかわってゆく。
茜色の空に富士がくっきりと浮かび上がった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.12.25

原風景 クリスマス

メリークリスマス!

毎年、この日が来るたびに僕は自分の原風景を思い出す。
幼い頃の記憶。
深夜、新雪を踏みしめながら向かう向かう教会への道のり。...
あたりは漆黒の闇、ほのかの電柱の明かりに降りしきる雪。
一面の雪が音という音を吸い込みどこまでも静寂。
新雪を踏みしめる音だけが響く。
あれは耳に聞こえるというより、体で音を感じていたんだろうな。

自分の原風景を書き留めた10年前のブログをまた今年も読み返した。
忘れちゃいけない、忘れられないイメージだ。

「原風景 クリスマス」
http://martinkoike.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/post_7e52.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

「唄の駅」 | 『街角ライヴ』 | あすなろ山の会 | おすすめ記事 | おーるどタイム | おーるどタイム de ライブ | さんすまいるコンサート | すみれコンサート | へたくそ親父のギター弾き語り | ウェブログ・ココログ関連 | オカリナ・アンサンブル かざぐるま | グルメ・クッキング | サッカー | スポーツ | デスペラード・ライブ | トミ藤山 | ニュース | ハックルベリー・カントリー・ライブ | ババ猫ミーちゃんの糖尿生活 | パソコン・インターネット | モスライブ | ライブ | ライブ at JUNE | ライブ・イン・ぶうけ | ライブ・コンサート暦 | 三貴ライブ | 僕を通り過ぎた歌たち | 函館帰省日記 2005秋 | 函館帰省日記 2006春 | 函館帰省日記 2007春 | 函館帰省日記 2008冬 | 函館帰省日記 2010 冬 | 函館日記2014 夏 | 函館日記 2011秋 | 函館日記 2012初冬 | 函館日記 2012夏 | 函館日記 2014夏 | 函館日記 2014年冬 | 函館日記 2015 夏 | 北海道 | 北海道 音楽旅日記 2009 | 印刷 | 室蘭 | 寿コンサート | 小さな旅 | 心に引っかかる言葉 | 文化・芸術 | 旅行・地域 | 日記・コラム・つぶやき | 旭丘の家コンサート | 映画・テレビ | 書籍・雑誌 | 朝市コンサート | 札幌日記 2005秋 | 札幌日記 2008 秋 | 森の音楽祭 | 清津峡 | 無国籍堂ライブ | 絵本コンサート | 自転車 | 見沼たんぼ | 音楽 | 音楽雑感 | 骨折り日記