日記・コラム・つぶやき

2020.08.10

75年目のヒロシマ

今年も8時15分、鐘の音に合わせて黙祷をした。

ふと気がついた。
父は当時「回天」乗組員のひとりとして松山の基地にいたらしい。
父からその話を聞かされることはついぞなかった。しかし晩年母を伴って松山を訪問したとのことだ。(母談)
おそらく松山にいたのではないかと想像している。

そして松山基地は瀬戸内海を挟んで広島の対岸だ。

75年前のその日、父は海を挟んで原爆を見たのだろうか。
それともすでに他の基地に転属になっていたのだろうか。
両親とも逝ってしまった今、それを知ることはできない。
(8歳年長のイトコの記憶では「回天」ではなく特攻艇「震洋」の乗組員だったとのことだが、これも不確かな記憶だ。
いずれにしても松山基地に所属していたらしい。

今年の黙祷、これまでよりもヒロシマがより近いものに感じられた。

余談だが松山は「紫電改」基地だった。
小学生の頃読んでいたちばてつやの漫画「紫電改のタカタカ」では紫電改乗組員たちが特別任務として黒塗りのボートに乗り込み、敵艦に爆弾を仕掛けるシーンがあった。これは「震洋」を描いたものだったのだろうか。

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2020.07.12

【季節の歌】

 

昨日から「夏の歌」の準備を進めている。

季節感を軸にしたライブを長年組み立ててきた。
毎年梅雨時期には真夏~夏の終わりにかけての歌を準備し、おさらいするのが常。
「歌の衣替え」だ。

印刷・出版業界で長年すごしてきたせいか「一足お先の季節感」が体にしみこんでいる。(月刊誌などは8月号なら6月に準備が始まり、7月には印刷が終わっている)

「夏の歌」を準備していて空しさと悲しさがふとよぎった。

  準備をしたはいいが、、、
  今年はこいつらを歌ってやるチャンスがあるんだろうか

4月からライブ活動を自粛せざるをえない状況が続いている。

長年毎月6回~7回ほどの音楽会をやってきた。
それぞれの音楽会は独立したものだが、自分の中ではすべてを関連付けて取り組んできた。
ひとつのライブが次の別のライブに反映され、それがさらに次のライブに反映されていく。これがひとシーズン積み上げられて季節が移ろっていく。
それぞれのライブをつなげていくものは「季節の歌」。
「季節の歌」を軸にしながら、各ライブごとのテーマを絡めていくのが僕のスタイルだった。

少しずつ音楽会を始めつつあるとはいえ、7月は音楽会は3つのみ。レギュラーライブ再開は見通しすらたっていない。
音楽会同士の関連性がぶっつりと断裂してしまった感がどうしても拭えない。軸がポキンと折れちゃったって感じだ。

もしかしたら今年は「季節(夏)の歌」はほとんど歌われることなく歌蔵にしまい込まれることになるかもしれない。
それでも、、、たとえ虫干しで終わったとしても衣替えはやらねばならない。
歌は生き物だからね。

今の状況下、たとえ人様に聴いていただけるチャンスがなかったとしても準備を続けなければと思う。
歌蔵の中で歌を発酵させるには、必要なことだろうと思う。

それが自分にとっての「季節の歌」。

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2020.07.09

信州の名工 百瀬恭夫さんとお会いする



松本のディバイザー(HEADWAY)を訪問するため信州に車を走らせた。

Burny BJ-60というギターのメンテナンスをお願いしていた。
メンテナンスは3月には終わっていたのだがコロナの影響で引き渡しが昨日までのびのびになっていた。


BJ-60は1976年(昭和51年)に百瀬恭夫さんの手によって林楽器で作られたギターだ。
ギターを作るにあたって百瀬さんはGibson J-45を分解し、分析と研究を重ねたそうだ。
できあがったBJ-60は硬質で豊かな音量をもつギターとして評価が高かった。

翌1976年、百瀬さんはHEADWAYの立ち上げに加わり、以降マスタービルダーとして活躍されている。
76歳の現在も自らギターを作り続けるとともに、後進の指導をされているとのこと。

僕の手元にBJ-60がやって来てからもう何年になるだろう。

堅牢な作りで見事に鳴ってくれるこのギターが好きだ。

なにしろあこがれ・百瀬恭夫さんによる「最初の一歩」のギターだ。

大野楽器MACSとHEADWAY(ディバイザー)の営業担当T氏から信じられない提案を承けたのは今年の正月。
BJ-60の点検を百瀬さんご自身にしていただくとともに、HEADWAY飛鳥工場の見学、加えて百瀬さんと面談させていただけるという提案だ。
あこがれの百瀬恭夫さんにギターを看ていただけ、しかもご本人にお会いできる。
夢のような話に舞い上がった。

信州・松本のディバイザー HEADWAY飛鳥工場の中はいたるところに木材や機械、半製品であふれかえっていた。そしてたくさんの職人たちがうごめきあい、担当パーツの製作に精を出していた。
大昔の印刷工場(こうば)と同じ匂いが充満している。木の香り、溶剤の匂い。そして何より職人たちの熱気。
とても懐かしい気持ちになる。

百瀬さんとあいさつを交わす。
もの静かで柔和な感じの方だった。
でもその目、その手からは長年ギター製作ひとすじで生きてこられた「ザ・職人」のオーラが醸し出されている。
とても懐かしい感じがした。
僕の印刷の師匠も無口だが、うちに強い意志を秘めた「ザ・職人」だった。(僕自身は残念ながら職人崩れで終わってしまったような気がするが)

  BJ-60をいい状態で使い込んでいただき、
  ありがとうございます
  このギターは私が林楽器時代の最後に作った1本です
  
百瀬さんは笑みを浮かべながらそう言った。
翌1977年(昭和52年)、百瀬さんはHEADWAYの立ち上げに参加し、以降四十余年マスタービルダーを務めてこられた。
「百瀬イズム」とよばれるものが林楽器製Burny BJ-60から現在のHEADWAYにいたるまで貫かれている。
BJ-60はその「最初の一歩」なのだろう。

  作られて44年経ったBJ-60ですが、
  どこか不具合はあったでしょうか?

  フレットを打ち直してありますが、まったくいい状態が保たれてますね
  1弦と2弦がサドルの上で若干遊ぶ感じはありますね
  でもピン穴にちょっと切り込み入れれば改善すると思います
  古池さんのご意向を伺ってから切れ込みを入れようと思ってました

  ぜひともお願いいたします!

百瀬さんは手製のカッターを手にする。
それまでの柔和な笑顔が瞬時に鋭い眼光に変わる。
切れ込みを入れる箇所をしばしにらんだかと思うと、一気に刃を入れる。
1弦、2弦と刃を入れ、さらに3弦にまで及ぶ。バランスをとっているんだろう。
時間にして10分に充たない作業。

  これで良くなったと思います
  弾いてみてください

正直大きな変化を感じることはできなかったが、とても心地良い引き心地だった。
それほどに微妙な調整。
これまでライブ本番で力が入ると1~2弦に微妙なビビリを感じることがあった。
それが解消するということなのだろう。

工場(こうば)から展示室に場所を変えた。
広いスペース、高い天井。試奏するにはうってつけの場所だ。
BJ-60をいろんな奏法や強弱を変えて弾いてみる。
心地いいい。
硬質な豊かな音量で鳴ってくれる。
すっかり満足した。

営業T氏が数ある展示ギターの中から1本を紹介してくれた。

  これは百瀬がこれまで作った記念碑的なギターです
  非売品ですが試しに弾いてみてください

BJ-60とは性格の違う柔らかく深い音だった。
BJ-60がGibson J-45を研究して作られたものならば、このギターはもしかしたらMartinを分解して研究したという1本なのかもしれない。

百瀬さんが未完成でヘッドロゴも入っていないギターを2本持ってきた。

  これは10日前に作ったギターです
  これまでとは違った試みで作りました
  仕様はまったく同じ2本ですが、一部材質を変えてあります
  しばらく寝かして状態の変化を見ているところなんですが
  ちょっと弾いてみてください

どちらも心地のいい音色だ。
でも音の表情がそれぞれ違う。
2本をとっかえひっかえ何度もくりかえし試奏してみた。
僕はつど感じたことをブツブツつぶやきながら弾き続ける。
百瀬さんは多くは語らず、その音にじっと耳をかたむける。
小一時間もそんなことをくり返した。

  甲乙つけがたい音色ですね
  どちらもまずとても弾きやすい
  もし僕が使うとしたら、
  片方は音色が落ち着いているんで
  一人で音の余韻を楽しみながら弾くか、
  5~6人の少人数の方にゆったり聴いていただく感じです。
  もう1本は音の立ち上がりがとても早く、華やかな音色。
  10人~20人くらいの方々に聴いていただくという感じ
  それも生音で聴いていただくのがベストと感じます

そんな感想を伝える。

  私は自分ではギターを弾きません
  だから弾かれる方の感想がとても参考になります。
  ありがとうございます

どこまでも謙虚な百瀬さんだ。

工場見学も含めて2時間ほどをディバイザー HEADWAY飛鳥工場で過ごさせてもらった。
得がたいひとときだった。
僕にとって一生の宝になるだろう。
深い満足と幸せを感じながら帰路についた。




2020_07_07headway

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2020.06.21

我が家に長年続く「握手」の習慣。

 

67年前の6月。
両親が始めた「握手」は子供や孫たちに受け継がれ、今ひ孫に受け継がれようとしている。
(もっとも孫たちには握手よりギューというバグの方が自然のようだが。)

僕が嬉しいのは函館で生まれた我が家の習慣が津軽海峡を渡って、この関東の地でも綿々と続いていることだ。
自分のルーツを忘れぬためにこの習慣はずっと続けていきたい。

シェアした記事は3年前の今日、甥っ子の結婚式に家族が全員集まった時のこと。
「握手の習慣」は健在であったことを確かめることができた。
うれしがった。

 

 

【握手の距離】

いい結婚式だった。

兄弟妹がみな集まった。それぞれの連れ合いと共に。

披露宴が終わり、参列してくださった方々を見送る。
古池家ご一党に握手を交わして別れを告げる。

多くは語らぬがそれぞれの思いを込めて手を握り返す。

60年間続くオリジナル古池ファミリーの習慣だ。
父と母が始めたこの習慣は我々子供たちに引き継がれた。
そしてそれはさらにその子供たちに受け継がれている。
弟や妹はもとよりめったに会うことのない甥っ子、姪っ子と握手を交わし、その手の温もりを感じそんな感慨を覚えた。

父の子供たちとの接し方はいつも一定の距離をおいていた。(その分母はうっとおしいほどであったが)
子供と距離をおくことで、父は子供の自主性や立ち位置を尊重してくれた。

家庭を持った我々子供たちも気がつくと父と同じやり方で子供たちと接していた。
距離をおくが放置や放任とは違っている。ちゃんと見守り繋がっていた。

握手をする時、この適度な距離と繋がりを感じる。
それは手を振るのとは違う。
接するだけのハイタッチとも違う。
手を握りあい互いの温もりを感じ合うことが大事なのだと思う。
かといってハグでは近すぎる。

たんに相対的な距離感に過ぎないことかもしれない。
でも僕には「握手の距離」が心地よく、安心感を覚える距離なのだ。

久しぶりに握手を交わし、そのことを確かめることのできた甥っ子の結婚式だった。

(上越新幹線にて)

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【朝散歩寸景】

2020_06_15

以前から気になっていた畑のど真ん中にあるこんもりした樹林。
道らしい道がないので近づけないでいた。

今朝のポタリングで思い立ち周辺に分け入ってみた。
やはり道はない。
畑との際は大木と竹が絡み合い足を踏み入れることもできない。
まるで人を拒んでいるかのように思える。

ぐるりと一周まわってみてやっとみつけた樹木のトンネル。
幅2メートルに充たないが、トラクターの通った痕跡がある。

2020_06_15_20200621084501

トンネルに踏み入る。
50メートルほどのトンネルを抜けると突然明るく開ける。
そこは四方が樹木に囲まれたこじんまりとした畑だった。
まだなにも植えられてはいないようだ。

この畑に行くためには件の樹木のトンネルを抜けるしかなさそうだ。農作業に行くだけでもなかなか大変そうな畑だ。

周囲の樹林を間伐すれば良い林になりそうだし、農作業のための移動も楽だろうにと思ったりする。

でも、あれだけ荒れ放題のまま何十年も放置されたような林。手入れするのも困難だろうな。
畑の規模を見るとどうも自給自足に毛の生えたような菜園のようだ。
ご先祖様から引き継いだ小さな畑を細々と守りながら年を重ね、今では荒れた樹林自体がひとつの風景としてあたりまえになってしまっているのかしら。

そんな妄想をしている内に、体中がかゆくなってきた。
どうやらヤブ蚊に献血をしてしまったようだ。

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【朝散歩寸景】

2020_06_12

元荒川と中川の出合うところに「荒川橋 竣工記念碑」がひっそりたたずんでいる。
昭和5年5月に元荒川と中川の出合いに架けられたそうだ。
「荒川橋」は今はすでになく、すぐ横に「中島橋」が架けられている。

「川の出合い」にたたずむと不思議な気持ちになる。
ここで出合った川を遡るとどんな風景につながっていくんだろう。

それぞれに異なった源流を持つ川たち。
この場所でそれぞれの長旅の末、出合っている。

元荒川ははるか先熊谷で荒川から分かれている。
大昔は荒川の本流だったらしい。

中川は利根川を源流に持っている。
この場所から少し北上すると古利根川に枝分かれする。
大昔はこの古利根川が利根川の本流だったらしい。

江戸時代から度重なる治水工事が行われ今のような流れになっている。

若いころマウンテンバイクで元荒川沿いに熊谷の始点まで走ったことがある。
川沿いの家々の暮らしを想像したり、歴史的なことなんかを想像しながら走る旅はおもしろかった。

まだ始点まで詰めたことのない中川や古利根川を遡りたい。
そんな思いにさせてくれる「川の出合い」。

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【朝散歩寸景】

 

いつもの時間、いつものコース。
自転車で散歩。
どこまでも一直線に続く人けのない川沿いの土手道。
はるか彼方に豆粒のような人影がふたつ。

二人のばあちゃんが身体を寄せ合うように近づいてくる。
同じような背格好。同じような背中の丸さ。
同じようないでたち。色あせた白い帽子に白マスク。くたびれた白いブラウスにベ-ジュのズボン。
それぞれに杖をつきながら。右側のばあちゃんは右手に杖を、左側のばあちゃんは左手に杖をついている。
たがいにもたれ合うようにして支え合いながら、ぼそぼそおしゃべり。
まるでやじろべえのよう。

ご近所さんどうしなのか、それとも姉妹なのか。
妄想がふくらむ。

毎朝すれちがうばあちゃんたち。
ほほえましい思いにさせてくれる。

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【父の撮った(?)写真】

 

「コロナ休暇」を利用してこの3ヶ月身辺整理をしてきました。
自分がこれまで書きためた文章はもとより、両親から受け継いだかなりの量の手紙、文章、写真もありなかなかの大作業でした。(北海道弁で言えば「やんや、ゆるぐながったわぁ」)

今日最後の写真をPCに取り込み、おおよその年代別に仕分けが終了。これで「身辺整理」もひと段落。

父が所有していた多くの写真は「家族の歴史」を物語っています。
実は父が写真を撮っている姿は記憶にあまりありません。
でも彼が親しくしていた写真屋さんのことや、愛用していたオリンパスペン(ハーフサイズフィルムのヤツ)の記憶は鮮明に残っています。

僕の写真好きは父のオリンパスペンを失敬したところから始まり今にいたります。中学生の頃でした。
父の残した写真を眺め、父の作風をあらためてじっくりながめました。随所に自分との共通点があるように感じます。
カメラアングルや主題の配し方などはとても近い。

そんな中でとても気にいった写真がこれです。
修道女の祈りのシーンかと思います。
シルエットにすることで祈るシーンの清新さや空気感が伝わってくるようで。

余分なもの排して単純化することで伝わってくるものがあります。シルエットは単純化の手法として優れているように思います。
僕自身も「引き算指向」と称してシルエットを多用する傾向があります。
だからとてもこの写真が気になった次第です。

モノクロフィルムではないのでそれほど古い時代の写真ではないと思われます。(昭和20年代~30年代まではすべてモノクロ写真でした)
プリントの色調描写を見るとカラーネガではなくリバーサル(ポジ)フィルムのように思えます。

父がリバーサルフィルムを使っていた記憶はありません。
ドットスコープで印刷物(複製品)でもないことが確認できました。
もしかしたら他の方が撮影した作品を貰ったのかもしれません。
でも大切に保管されていた写真なので、少なくとも父の琴線に触れたものだったことは間違いありません。

何十年かを経て、僕もまた琴線に触れる写真と出合うことができました。

 

1924-24 1924-23

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「アセチレンの光」

 

さだまさしの歌に「ほおずき」というのがある。
好きな歌でもう何十年もこの季節になると歌ってきた。

子供の頃のお祭りや夜店の想い出、若き日に当時好きだった娘と「ほおずき市」に出かけた想い出につながる。

「消えない花火があるならほしい・・・」というフレーズはいろんなイメージをかき立ててくれる。

これまで何気なく歌ってきた部分がある。
「アセチレンの光」というフレーズだ。

  あの日君にせがまれて
  出かけた小さなお祭り
  綿菓子の味 アセチレンの光
  きみは赤いほおずきを買った

今の夜店でアセチレンを燃やすカーバイドランプはすっかり廃れてしまった。裸電球や最近ではLEDがあたりまえだ。
近代化や安全性の点からもそういう流れになるのは自然の理。昭和50年代にはアセチレンは使われなくなったそうだ。

お祭り自体もずいぶん変わってきている。
巨大化し、光量も格段にあがりやたらめったら明るい。
拡声器から流れる音量、屋台ごとに使う発電機の騒音。
それをかき消すほどの人出と喧噪。

僕の暮らす越谷では市をあげての一大イベント「阿波踊り」が夏のお祭りになって久しい。昔ながらの町ごとの「小さなお祭り」はすっかり後景に追いやられてしまった。

年を重ねるにつれ大イベントが体になじまなくなってきたためか、やたらに「小さなお祭り」が恋しくなっている。
郷愁をかき立てる「小さなお祭り」や夜店の想い出に一役かっているのがアセチレンの光。

薄暗い闇にアセチレンの光であやしげにぼんやり浮かび上がる景色。
アセチレンを燃やす鼻をつく匂い。
お小遣いでもらった10円玉5枚を握りしめ冷やかす夜店。
子供心に日常とは違う「大人」の世界を垣間見ていたような気もする。

明日の「おーるどたいむ de ライブ」で今年も歌おう。
「ほおずき」を。

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2020.05.31

「本日の整理写真」 『絵本コンサート おつきみどろぼう』(2010年9月)

コロナ休暇を利用して身辺整理をしている。

これまで過去の手紙や文章の整理を終了させ、今写真の整理に手をつけている。

201091

そんな中で10年前にやった『絵本コンサート』の写真や動画を整理した。

絵本コンサートは絵本作家、出版社(世界文化社)、印刷(共同印刷)が手を携えて開催してきた。

3年間で3冊、5回の絵本コンサートをやることができた。

僕は印刷を担当すると同時に、作家先生の歌詞に曲をつけて歌うという大役を仰せつかった。

この写真は世界文化社のカメラマンNさんに撮っていただいたものだ。

.

子供たちの中でやるコンサート。
多くのことを学ばせてもらった。

子供たちは敏感でかつ正直。
子供の好きな歌を並べ、表面をなでるような演奏には絶対にノッてこない。
最初は物珍しさで聴いてくれるけど、すぐに飽きてしまう。
大人だとそれでも付き合ってくれるかもしれないけどね。

.

こちらも本気でがっぷりよつに組みついていかなければすぐに見透かされてしまう。
たとえ子供相手でも、いや子供だからなおのこと真剣勝負。
子供たちとの世代間闘争のようなものだ。

人様に歌う姿勢は子供だろうが大人だろうが、じいさん・ばあさんだろうがなにひとつ変わることは無い。
いつでもどこでも直球勝負で真剣勝負。
それが「絵本コンサート」を通して学ばせてもらったことだ。

 

このブログ「街角の歌芸人」で絵本コンサートの模様を詳細に記録している。
時系列で子供とのやりとりを中心にしたためた。
この時学んだことは10年経った今も心に刻んでいる。

よろしければご一読を。
「楽しくも手ごわかったおつきみどろぼう・絵本コンサート」
http://martinkoike.cocolog-nifty.com/…/20…/09/post-61e1.html

 

動画①:「おつきみどろぼう」

  作詞・ねぎしれいこ 作曲・Martin古池

動画②:「おうちピクニック」

  作詞・きむらゆういち 作曲・Martin古池

動画③:「ハエ・ハエ・ハエ」

  作詞・作曲・自切俳人(北山修)

 

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