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眠れぬ夜に古き本
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「燃えよ剣」を再読する
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【7日間ブックカバーチャレンジ 7】 「函館 昭和ノスタルジー」
藤田さんからバトンを承けた「ブックカバーチャレンジ」も最終日となりました。
最後にご紹介するのは僕の産まれ育った町・函館の写真集です。
昭和30年代~40年代を中心とした写真集。
子供のころによく目にした景色が満載です。
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実は最終日にどの本を選ぶかいろいろ迷いました。
人生の節目節目に大きな影響を受けた本はまだいろいろあります。
例えば尾崎士郎の「人生劇場」だったり、五木寛之の「青春の門」だったり、灰谷健次郎の「兎の眼」だったり。
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でも第1回目に函館出身の川内康範「昭和ロマネスク」で始めたので、最後も「昭和ノスタルジー」でしめるのがいいかなと思ったしだいです。
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この後バトンをどなたに渡そうかと迷いました。
でも多くの友人が他の方のつながりでチャレンジされています。
考えた末、弟の古池隆彦君に託そうかと思います。
彼は相当の読書家で(多分兄貴の僕よりも)いろいろ出てきそうな気がします。
もっともあくまでも任意なのでスルーしても全然OKとのことです。
ということで隆彦君、ご検討よろしくお願いいたします。
十字街の一角にあった我が家の本家、レンカ堂。
中央で腰掛けているのは祖父・古池義一。左奥で笑っているのは叔父・清。この頃父はまだ小学生くらいだと思われる。
レンカ堂は大正4年創業の老舗御祝儀用品専門店。函館に結納という儀式を根付かせる役割を果たしたという。
創業者の祖父・義一は明治37年愛知県知多半島から祖母と共に渡ってきた。愛知県の風習を持ち込んだものと思われる。
尚、御祝儀用品専門店を開くまでの10年は呉服関係にも手を出したらしいが詳しいことは分からない。
おおらかなり、函館。ヌード劇場「フランス座」の前を朗らかに歩く女学生。うしろにはわたあめ屋さん。
青函連絡船「摩周丸」と三等客室。船底の畳の船室では知らない者同士が酒を酌み交わしたり雑魚寝したり。4時間あまりの船旅の風景。
銅鑼が鳴り、五色のテープがたなびく。ダグボートに引かれ静かに桟橋をはなれる連絡船。函館ならではの風物詩だった。
【7日間ブックカバーチャレンジ 6】 「沈黙」
1973年(昭和48年)
僕は大学受験に失敗し、伊達カトリック教会の伝道館にこもり1年間の浪人生活をしていました。
そこは閉ざされた空間で「遊び」の誘惑もなく、受験勉強にはうってつけの場所となるはずでした。
しかしながら受験勉強に没頭などできるはずもなく、「ひねもすのたりのたりかな」なる毎日でした。
早朝、新聞配達のアルバイトから帰り、前夜のラジオ講座の録音を聴きながら受験勉強をしたのは最初の1~2ヶ月。
あとはただただ本を読んで過ごしていました。
(あ、ギターも弾いていたか)
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「沈黙」はそんな中の1冊でした。
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話は江戸時代末期。
島原の乱等でキリスト教が異教として激しい弾圧を受け、多くの殉教者がいたころです。同時に隠れ切支丹が潜伏していたころです。
ポルトガルの司祭ロドリゴが日本人信徒(すでに棄教していた)キチジローの案内で五島列島に潜入。
布教活動を隠密にはじめますが、やがて長崎奉行所に追われ逃亡します。
ロドリゴは「神の奇跡」を信じ、ひたすら祈ります。
ところが神はなにも言わず、奇跡も起こさず「沈黙」し続けます。
やがてキチジローの密告でロドリゴは捕らえられ激しい拷問を受けます。
自分に対する拷問だけではなく、すでに棄教をした信徒に対しても拷問が続きます。ロドリゴが棄教しないかぎり彼らへの拷問も続くというのです。
司祭として信仰を守り殉教の道を選ぶのか、棄教することによって苦しむ信徒たちを救うのか。
究極の選択を余儀なくされたロドリゴは「踏み絵」を踏むことを受け入れます。
「踏み絵」とはキリストの絵が刻まれた銅板です。それまで多くの人々に踏まれすっかりすり切れた「踏み絵」。
ロドリゴは踏み絵に足を置くさなかキリストの声を聞きます。
踏むがいい。お前のこの足の痛さを私が一番知っている。
踏むがいい。私はお前たちに踏まれるためにこの世に生まれ、
お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ
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若者が四六時中ひとりでいると、ろくなことを考えないものです。
「沈黙」を読みながらカトリック信者としての自分を見直さざるをえませんでした。
究極の選択を迫られた時俺はいったいどうするだろう。
殉教の道を選ぶだろうか。
はたまたロドリゴを売った弱虫・キチジローのごとく恐怖のあまり踏み絵を踏むのだろうか。
どう考えても自分は弱虫・キチジローと同じ種類の人間だろう。
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そも、自分にとってキリストは、そしてキリスト教はいったい何ものなのか。
この問いが自分を捕らえて放しませんでした。
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僕は幼児洗礼を受けさせられました。
つまり自分の意思でキリスト教を選んだわけではありません。
それは「あらかじめ背負ってしまっているもの」でした。
それまでは周囲の友人たちとの間に若干の違和感を持ちながらも、カトリックであることはあたりまえのこととして受け止めてきました。
でもそのことに疑いを持ち始めたのです。
ひとたび自分自身の存在に疑いを持つと坂道を転げ落ちる石の如しです。
自分を育んできた19年をすべて、何から何まで否定してかかりました。
「水平思考」というヤツです。
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遠藤周作は「沈黙」の後「死海のほとり」、「イエスの生涯」そして「侍」と書き続けます。
その中で遠藤周作にとってのキリストについて考察を深めていきます。
残念ながら僕にはそれほどの思考能力はなく、中途半端で曖昧な気持ちのまま「浪人時代」を終えます。
そして20歳の春、東京へと旅立ちます。
東京で結論の出ない中途半端な気持ちのまま、僕は「マルクス主義」=「唯物論」と出会います。
僕の20代は「唯物論的弁証法」に頼りながら、自分の来し方を検証することに費やされることになりました。
いわば「荒れた青春時代」でした。
「沈黙」はその出発点となった本でした。
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初版: 1966年(昭和41年)新潮社より初版。
著者: 遠藤周作
出版社:新潮社
印刷: 大日本印刷
【7日間ブックカバーチャレンジ 5】 「北の国から」
説明する必要もないほど有名な「北の国から」。
倉本聰さん作の壮大なTVドラマのシナリオ集です。
ドラマは1981年10月に半年間放映され、その後単発で特別編集のドラマが放映されました。
2002年の『遺言』で(一応)幕を閉じました。
倉本聰さんはその後の展開も構想を練っていたそうですが、諸般の事情から実現していません。
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僕が特に好きなのは「’87 初恋」。
主人公・黒板五郎(田中邦衛)の長男・純(吉岡秀隆)と同級生の大里れいの初恋を縦糸に、純の巣立ちへとつながっていく。
つまり五郎と純の親離れ、子離れが横糸になっています。
「親離れ・子離れ」は家族の歴史の中で、もしかしたら最もドラスティックなものかもしれません。
自立せんと親の庇護をはなれていく子。見方を変えると親を捨てその元を飛び立たんとする行為ともいえます。
まして北海道のへそ・富良野から海を越えて内地へと旅立つことは1981年当時は今よりはるかに勇気が必要なことだったと思われます。
純の心情は千々に揺れていたものと思われます。
一方で五郎もまた複雑な思いと葛藤に揺れていたと思われます。
半ば自分(そして純を育ててきた日々)を裏切り、東京に行かんとする純。
気持ちの上では受け入れがたい思いがあったはずです。
しかし胸に手を置くと自分もまた若いころに親を捨て、富良野を捨てて東京に出たワケで。。。
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ドラマの最後のシーン。
東京に向かう貨物トラック。おそらく苫小牧フェリーで仙台に出て、そこから陸路東京に向かうのでしょう。
五郎は運ちゃんに頼み、純を助手席に乗せてもらいます。
出面仕事でやっとこさえた金を旅費として運ちゃんに渡します。
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走る車内
ウォークマンをイヤホンで聞く純。
流れる尾崎豊「I Love You」
フラッシュバック れいちゃんとの記憶
窓の外は続く雪道
イヤホンが突然抜かれる。
純: 「ハ?」
運転手を見る。
純: 「すみません、きこえませんでした」
運転手、フロントグラスの前に置かれた封筒をあごで指す。
純: 「ハ?」
運転手:「しまっとけ」
純: 「・・・何ですか」
運転手:「金だ。いらんというのにおやじが置いてった。
しまっとけ」
純: 「あ、いやそれは」
運転手:「いいから、お前が記念にとっとけ」
純: 「いえ、アノ」
運転手:「抜いてみな。ピン札に泥がついている。
お前のおやじの手についてた泥だろう」
純: ・・・
運転手:「オラは受け取れん。お前の宝にしろ。
貴重なピン札だ。一生とっとけ」
純: ・・・
恐る恐る封筒を取り、中からソッと札を抜き出す。
二枚のピン札。
ま新しい泥がついている。
純の顔。
音楽・・・テーマ曲、静かに入る。B・G。
純の目からドッと涙が吹き出す。
音楽・・・
《追補》
1981年。
僕は北海道から出てきてからの数年間を熱病に冒されたかのように生きてきた。
放蕩の日々を総括、清算しつつ自分なりの生き方を手探りしていた。
札幌に住む父から何度かに分けてカセットテープが送られてきた。録音されていたのは「北の国から」。おそらくテレビを見ながらその音声を録音したものだろう。テープから流れる音を息をつめ見入っている気配が感じられる。時折鼻をすする音も混ざっている。
二十歳のころ僕は産まれ育った北海道を棄て、友を棄て、家族を棄て内地に出てきた。(厳密には結果として棄てることになったと言うべきか)
子が親を棄てたつもりでも、親は子を棄てない。
父がカセットを送り続けてくれたワケは知らない。
その頃僕は産まれたばかりの長男とどう付き合い、どう育てるか迷っていた。
女は懐妊した瞬間から母親になれるが、男は生まれ出てその顔を見てからやっと父親に育っていくものだ。
若き日の五郎が幼い純と蛍を連れ、富良野に戻る。そこですべてを己が手で切り開いていく。
五郎の生き方は僕にとって少なからず衝撃だった。
絵のない音だけの世界で僕は空想を膨らませていた。
シナリオを読むとその時空想した世界と実際の映像の世界がリンクして広がっていく。
父の送ってくれたテープは何度かの引っ越しをするうちに紛失してしまったのが悔やまれる。
【7日間ブックカバーチャレンジ 4】 「銀河鉄道999 全10巻」
主人公・星野鉄郎が機械の身体と永遠の命をただくれるという星・アンドロメダに行くため謎の美女・メーテルと共に旅をする物語。
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僕は鉄郎のキャラが大好きだった。
好奇心旺盛でいつもなぜかと問いをもち、なんにでも頭を突っ込んでしまう鉄郎。
心優しく、正義感あふれる性格が裏目に出て時に誤解を生み、トラブルにもなる。取っ組み合いのけんかにまでなってしまうこともある。
そんな鉄郎だが自分の身体で感じたことを信じ、己の血肉にしていく。
正義とはなにか。人の心の痛みとはなにか。
痛い目に遭いながら少しずつ成長していく鉄郎。
そんな鉄郎を影で支えながらも黙って見守り続けるメーテル。
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作者の松本零士の描くキャラクターは「男おいどん」の時から好きだった。
彼の描く世界観もまた好きだった。
昭和51年に月間ビッグゴールド(ビッグコミックの増刊)で始まり、翌昭和52年に週刊少年キングで連載された。
当時はまだ金欠病にあえいでいるころで、書店で夢中になって立ち読みをしていたのを覚えている。
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昭和55年。長男が産まれた。
迷わず哲郎と名づけた。星野鉄郎のような自分の身体で感じたことを信じて進むような男になってほしいと願った。
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平成21年に全10巻のコミックスとなり小学館から発行された。
あらためて読み返した。
僕はすでにいいおっさんになっていた。
でも若いころと同じように胸が熱くなった。
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著者: 松本零士
出版: 小学館
印刷: 図書印刷
【7日間ブックカバーチャレンジ 3】 「ころび 転ぶよ 音楽人生」
謙遜し、そしてちょっと照れながらトミ藤山さんはそう笑います。
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でもこの本を通読すればとても細腕繫盛記とは思えぬトミさんの人生が垣間見えてきます。
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「東海の美空ひばり」というキャッチフレーズで歌手デビューした一人の少女が様々な苦境にもまれながら米軍基地で歌い続け、やがてラスベガスでのショーで歌う切符を手に。
そしてあこがれのグランド・オール・オープリー出演とスタンディング・オベーション。
「カントリーの女王」の誕生です。
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僕が初めてトミ藤山さんの歌を聴いたのは2007年7月でした。
音楽友達に連れられて新橋の「ツービート」にライブを聴きに行ったのです。なんの予備知識も持たずに聴く僕の最初の印象は「ギターも歌もなんてうまいオバサンなんだろう。カッコいい!」
ライブが進むにつれ、猛烈な勢いで語り、客を笑いの渦に巻き込んでいくのにすっかり圧倒されました。
そしてひとたび歌い出すと瞬時のうちに歌の世界に引きずり込んでしまう。
最後の歌「テネシーワルツ」を聴いてるうちに、知らずに涙が流れ出ていました。
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僕の「追っかけ」が始まりました。
関東圏のライブというライブはほぼ欠かさず聴きに行きました。
時には軽井沢、時には札幌のフェスにまで。
トミさんのライブから何かを得ようとか盗もうとかそんな姑息なものはどこかに吹き飛んでいました。
ただただトミ藤山の世界にひたりたかったのです。
やがてトミさんに飲みに連れて行っていただいたり、ご自宅を訪ねさせていただいたりというようになります。
時にはライブのボーヤみたいなこともさせていただきました。
歌うための「呼吸法のイロハ」を教えていただいたりもしました。
トミさんとの出会いで自分自身の歌も大きく変わっていきました。
そして何よりも歌に向き合う姿勢や、歌うたいとしての矜持のようなものを学ばせていただきました。
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80歳を超えてなお現役で歌い続けるトミ藤山。
そのバックボーンがこの「ころび 転ぶよ 音楽人生」にはあふれているように思います。
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この本の前書きには、ジェームス三木さん、かまやつひろしさん、室町澄子さんらが寄稿しています。
その中で僕と同世代のなぎら健壱さんの言葉が心に残ります。
「トミさんの歌に対する真摯な姿勢があるからこそ、
これまで長い時間唄を歌ってこられたのではなかろうか。
つまり唄が好きで好きで堪らないという、
商売である前に
唄のファンであるという当たり前でありながら、
忘れがちな気持ちが彼女を支えてきた。
これはトミさんの歌う姿を見た人ならば、
一様に同じ答えを返してくるはずである」
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初版: 2004年1月10日
著者: トミ藤山
発行所:株式会社 文芸社
印刷: 平河工業社
【7日間ブックカバーチャレンジ 2】 「おうちピクニック」
印刷マンだったころ数多くの絵本印刷に携わっていました。
その中でも世界文化社の絵本には入稿から関わらせていただくことができました。
特に印象に残っている絵本のひとつがこの「おうちピクニック」。
童話作家・きむらゆういち先生、絵・とりごえまり先生のコンビによる絵本。
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ピクニックの日が雨降りになりくさっているうさぎ君。
でも仲間たちが手に手に食材を持ち寄って一人また一人集まります。
その具材を工夫しながらみんなで作るハンバーグ。
雨の音はまるで滝の音のよう。さながら池の周りのお花畑にいるよう。
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ただそれだけのお話なのだが、そこに子供たちへの隠されたメッセージがあるように思えます。
たとえ雨降りで外遊びができなくても気持ちの持ち方、工夫次第で楽しく過ごすことができるんだよ、と。
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きむらゆういち先生は1948年、戦後の混乱のころに産まれました。
それこそ何もない幼年時代を過ごした世代です。
何もない中で工夫していろんな遊びを見つけて過ごしていたんでしょうね。
近年あれこれ「モノ」を与えられて遊ぶことがあたりまえになっています。
おもちゃだったりゲームだったりYouTubeだったり。
そんな子供たち(とその親たち)に何もなくても楽しく過ごすことはできるんだよと、そっと語りかけているように思います。
そしてそこに友達がいればなお素敵。
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きむら先生が書いた詩に僕が曲をつけ、絵本コンサートをやった3作目です。
きむら先生が子供たちに読み聞かせをし、僕が歌う。
絵本作家、出版社、印刷会社がタッグを組む稀有な出来事でした。そういう意味でも忘れられない絵本です。
ちなみに初版のカバー袖に「おうちピクニック」の譜面を載せていただきました。
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初版: 2010年5月10日
作: きむらゆういち
絵: とりごえまり
出版社:世界文化社
印刷: 共同印刷
写真はカバー袖に掲載された「おうちピクニック」の譜面。
上野の博物館で開催された「絵本コンサート」の模様ときむらゆういち先生の読み聞かせの模様。
より以前の記事一覧
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