映画・テレビ
2024.07.01
2020.10.08
映画「風立ちぬ」
1976年(昭和51年)、山口百恵と三浦友和主演の映画「風立ちぬ」を観ました。
この映画が上映されたころ、気にはなりつつも見逃していました。(貧乏暮らしのどん底で映画を観るより米を買うというありさまだったので)
およそ40年ぶりにやっと見ることができました。
話は昭和17年。太平洋戦争の戦時下で結核のため富士見の療養所で治療を受ける節子(山口百恵)と大学生・達郎(三浦友和)の純愛物語。
当時結核は死の病と言われ、回復・治癒は困難と言われていたそうです。互いに惹かれ合いながら周囲の危惧や反対を押し切り婚約した二人。
達郎は大学を休学し療養所で節子に付き添います。
ところが大学生の徴兵免除が廃止され、達郎は学徒出陣、徴兵検査、出征を余儀なくされます。
出征の日、節子の病状は悪化し喀血による窒息で亡くなりました。
節子の死を知らぬまま出征した達郎が帰還した時、すでに節子の姿はなく。。。遠くを見つめながら歩く達郎の姿が印象に残ります。
「風立ちぬ」は堀辰雄が自らの実体験に基づいて、昭和11年に書いた小説です。まだ太平洋戦争以前の話で映画とは設定がずいぶん異なります。
原作は死に抗いながらも向き合っていく節子と、療養所で節子に向き合う達郎の抑制された愛情が描かれているように記憶しています。(もうずいぶん昔に読んだので詳細は忘れていますが)。清冽で透明感ある小説だったように思います。
映画はドラマチックな展開でなければ商業的にうまくないということで時代設定を変えて太平洋戦争、学徒出陣を組み込んだのでしょうか。
一見すると戦争によって引き裂かれた男と女を描いたようにも見えますが、実は「死」と向き合う者たちの純愛が本当のテーマかなと思います。その意味では原作のテーマを再現している。
山口百恵は節子のはかなさ、抑制された激しさをよく表現している。(山口百恵の隠れファンというひいき目抜きでね)
****************************
本棚をひっかきまわし「風立ちぬ」の古い文庫本を探しました。大昔、父から譲り受けた文庫です。
僕の父は若いころ「風立ちぬ」を愛読したそうです。
父は学徒出陣で出征し、戦後やはり結核にかかりました。長いこと七重の療養所に入院していたそうです。
戦争~結核と自分の命、生死と向き合わざるを得なかった青春時代だったと思います。
加えて3歳上の姉を結核で亡くしています。
「風立ちぬ」を愛読したというのも今となるとうなづけます。
日に焼け、古ぼけた文庫本をあらためて読み返したいなと思います。(あまりに小さい書体、活版印刷のインキのにじんだ文字には難儀しそうですが)
写真は七重の療養所の頃のものと思われます。
(おいおい、結核患者のくせに煙草吸ってていいのかい)
2020.01.31
【満男の涙】
「満男の涙」
小さい頃から気の弱い、さえない男だった満男。
気の弱さは、人を傷つけまいと空気を深読みする性(サガ)なのかもしれない。
その結果、散々悩んで身をひいてしまう。
そんな満男に突然現れて去って行く寅さんは自分に人生を語ってくれた「おじさん」だった。
それはうっとしくもあり、ありがたくもあり。
もしかしたら寅さんは満男に自分の姿を見たのかもしれない。
おせっかいや、小言や、激励は自分の弱さを重ね合わせていたせいかもしれない。
時は流れた。
くるまやのとなり・タコ社長の小さな印刷工場(コウバ)はマンションに変わってしまった。この印刷工場では古い活版印刷機を回していた。(当世活版印刷自体がすっかり姿を消してしまった)
大人になり作家になった満男。
高校時代の恋人「いずみ」との再会を軸に進むストーリー。
今でも寅さんとの思い出を暖めているリリイ。
記憶の底から湧き上がるマドンナ達のおもかげ。
それぞれに思い出される寅さんの四角い顔。
姿を消して久しい寅さん。
どこかの旅の空であいもかわらずフーテンをしているものなのか。
はたまた旅路の果てに・・・。
それは誰も分からない。
「ただいま」
このひと言のために、旅に出た寅さん。
満男は「おじさん」のことを文章にしたためはじめる。
突如、万感の思いが押し寄せる。
筆が止まる。
目から涙がにじみはじめる。
満男は寅さんの話を過去形では書くことはないだろう。
今まだ自分の中に生き続ける「おじさん」に言うために。
「お帰り 寅さん」
2020.01.14
「風と共に去りぬ」
「風と共に去りぬ」
南北戦争の時代、南部の名家の没落と這い上がりの様子を背景に男と女の愛憎が描かれている。
.
高校生のころ父に連れられて室蘭の映画館へ観に行った。
たしか途中で休憩が入るほどの3時間半の超大作。
高校生の僕はアメリカの歴史などちんぷんかんぷん。
ただスケールの大きさに驚いた。
そして途中で寝落ちてしまった。
.
記憶に残ったのはビビアン・リーの目を見張る(怖いほどの)美しさ。
クラーク・ゲイブルの男くさいスケベ顔。
そして火事のシーンの炎や燃える夕陽の赤だった。
.
いつかはちゃんと見直そうとずっと思っていた。
45年を経て止まっていた時計をやっと回すことができた。
.
多少はアメリカの歴史も分かっている。
南北戦争や奴隷制度、宗教的倫理観もね。
高校生のころには到底わからなかったことが多少なりとも理解できるようになった。
南北戦争に翻弄される男と女に感情移入しながら見入っていた。
.
1939年の作品ということだから総天然色映画のはしりのころだろうか。
撮影の仕方が光と影を意識するモノクロ的な感じが強い。
そこに鮮やかな色。
やはり色の印象の強烈な映画だった。
2017.01.14
レッドサン
「レッドサン」
映画館で観たのは45年ほど大昔。
高校2年生の時だった。
その時はブロンソンの渋さと、三船のカッコ良さにしびれた。
利害の違う二人。
生き方の違う二人が対立をはらみながら協力しあう。
やがて互いを認めあい、生じる友情めいた感情。
しびれた。
あらためて見直し当時は分からなかったものが見えてくる。
忠義のために生きる武士もいずれその生き場所を失っていく。
己の力のみを頼りに生きるガンマンもいずれ・・・
滅びゆくものへの哀隣の情と美学。
「レッドサン」の底流にはそんなものが流れているような気がする。
高校生の僕はうまく言い表せなかったが、「滅びゆくものへの美学」に感じるものがあったんだと思う。
今あらためてそう思う。
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2012.01.20
【メモ】 NHKドラマ 「とんび」
録画しておいたドラマを観る。
前後編合わせて4時間。
見がいのあるドラマだった。
幼い頃父親に捨てられた男が家庭を持ち、子をなす。
昭和36年のことだ。
時は高度経済成長が始まり、所得倍増計画が喧伝された頃。
広島の港町が舞台。
父の姿を知らぬ男はとまいどいながらも、全身全霊で家族を愛し守る。
ところがその子が3歳の時事故で母親を死なせてしまう。
ここから父子の物語が始まる。
母のない家庭の中で様々な問題に直面しながら、子供は成長していく。
そこには父親との葛藤があり、周囲の人たちの救いがある。
やがて東京に出て行く息子。
万感の思いで見送る父。
10年後、花嫁を連れて帰ってきた息子。
相手は再婚の子持ち。
父に一緒に東京で暮らすように説得する息子。
ワシは東京へは行かん。
ワシがこの町におらんと、おまえらが逃げてくる場所がなかろうが。
人間はケツまくって逃げる場所がないといかんのよ。
つらいことがあったら思い出せ。
最後の最後に帰れる場所があれば、元気も出るじゃろ。
錦を飾らんでもいい。
立派な人間にならんでもいい。
帰れる場所、ここがおまえらの故郷じゃ。
【主題歌】 箒川を渡って
太陽は昇り オレは出番を待ってる
くだらない悪口を言いながら
箒川を渡って 知らない街へ行くんだ
心をあの場所に残したまま
箒川を渡って もう一度夢を見にいくよ
オレによく似た顔を思いながら
この手の話に弱い。
「北の国から」で故郷を後に東京へ出て行く純。見送る五郎。
あのシーンとかぶる。
そして自分が故郷を出てきた時のシーンと重なる。
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.01.18
1秒で人は変われる 映画 「107+1 天国はつくるもの」
お笑い芸人だった軌保博光氏が監督を務めたドキュメンタリー映画を観てきた
軌保博光氏のことはまったく知らなかった
彼がなぜ「てんつくマン」と名乗っているかも当然知らない
映画を観るまで、まったく何もわからない状態だった
すべては やるか やらないか
あきらめるか あきらめないか
このキャッチになにかひっかるものがあったのみだった
・
・
映画はてんつくマンこと軌保氏が数人の若者たちと何かを変えようとして沖縄に渡るところから始まる
楽園・沖縄はけっして美しいだけの島ではなかった
街中に捨てられたゴミ
山中に不法投棄された粗大ゴミの山
てんつくマンたち若者はこれらの現実に直面する
自ら行動にうつすことで住民にもゴミ拾いに参加するよう呼びかけ始める
「ゴミレンジャー」のコスチュームに身をつつみ、まず子供たちに訴える
子供たちが変われば、母親も変わると考えてのことだ
さらには役所とかけあい、山中に捨てられた大量の粗大ゴミを片付けようとする
しかし、なかなかことは思うように進まない
不法投棄されたゴミの山を回収しても、それを処理する能力が追いつかない
役所としては「ありがた迷惑」な話なのだ
しかし、彼らの熱意がやがて住民や役所にも伝わりひとつの流れになっていく
・
・
てんつくマンたちは同時進行で別の行動も起こしていた
貧困にあえぐアフガニスタンのキャンプ村に暮らす子供たちに手編みのマフラーを送ろうという計画だ
ごく普通の女の子が責任者になり、「虹のマフラー」づくりを呼びかける
最初はまったく相手にされなかった
しかし、粘り強く呼びかけを続けていく中で少しずつマフラーを編む人が増えていく
1メートルほどの虹色のマフラーをつなげ、やがて何百メートルもの長さになる
まさに日本とアフガンとの虹の架け橋だ
てんつくマンはこのマフラーをアフガニスタンのキャンプ村に届けた
しかし、生活苦にあえぐ彼らに善意は届かない
手作りマフラーにこめられた「思い」よりも、「モノ」を求める彼らはマフラーを奪い合うことになる
てんつくマンの必死の説明、必死の説得で自体は収集し、最後はマフラーとともに「思い」も届けられ…
・
・
てんつくマンと若者たちはこういう経験を通して、
自らの身体を使い行動に移すことが少しずつ何かを変えていくことにつながると確信していく
それにはまず自分を変えなければならない
そう思った彼らは沖縄から鹿児島まで500キロを
手漕ぎの舟で渡る計画を立てる
もちろんまったくの素人
あるのは気持ちと若い肉体だけ
教えを請い、協力を求められた沖縄のその道のプロたちは首をかしげた
しかし海について学び、身体を鍛え、壊れかけた船を修復し、さらにはボートのレースで好成績を残した若者たちの熱意に少しずつその気になっていく
周囲の本気の協力やサポートを得、この計画は現実のものになった
20人ほどの若者たちはひたすらこぎ続ける
島から島へ漕ぎ渡り、何日もかけて海を渡っていく
当然さまざまなトラブルとも直面する
最大のトラブルは「海を甘く見た」ことによる人為的ミス
それは自分たちの甘さでもあった
そんな状態ではこれ以上の協力はできないと言い放つその道のプロ
厳しい現実に自問自答する若者たち
そしてやがて意を固める
自分を変えるしかない
1秒あれば自分を変えられる
気持ちもあらたにふたたび鹿児島をめざす舟
ひたすらこぎ続ける若者たち
やがて遠くにゴールの鹿児島の浜辺が見えてくる
・
・
てんつくマンと若者たちの挑戦は今も続いている
一人ひとりの若者たちが、沖縄で小さな挑戦をはじめ、やがてそれはアフガニスタンや他の地域にも広がっている
彼らの自分を変えようとする思いはやがて周囲を巻き込み
小さな挑戦はすこしずつその輪を広げ、今では世界規模にまでなっているようだ
・
・
2時間半に及ぶ長い映画だった
てんつくマンと若者たちの数年間の活動の断面を切り取ったドキュメンタリー
僕は彼らの活動が実を結びつつあることよりも、「夢」を追いかけてあきらめない彼らの姿勢にこそ価値があると感じていた
たぶん、ドキュメンタリーには表れない挫折や失敗はたくさんあったと思う
心が折れ「夢」をあきらめかけたこともあったと思う
それでもそのたびにふたたび挑戦し続けているのだと思う
「夢」をあきらめない人間になりたい
人間は1秒で変われる
良くも悪くも
この1秒を大切にすることが「夢」をあきらめない極意のような気がする
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2009.01.15
観にいきませんか? 映画「107+1~天国はつくるもの」
①開場 9:30 上映 10:00
②開場 13:30 上映 14:00
入場料 当日 1200円 前売り 1000円
てんつくマン(軌保博光あらため)監督のドキュメンタリー映画です
芸人からスタートした監督が描いた
「天国をつくろうとしたド素人たちの真実の物語」
正直言って映画の内容はまったく分かりません
でも既成のレールに乗らずに、生きるという「心意気」の匂いを感じています
「すべてはやるか やらないか あきらめるか あきらめないか」
このキャッチにそそられます
ちょっとしたつながりからこの映画に誘われました
せっかくですから、皆さんもご一緒しませんか?
おもしろいかどうか
感じるものがあるかどうか
それは見てみなければ分かりません
でも、僕の直感は
これは見たほうがいいぜ
そう、自分にささやいています
もし、ご一緒される方がいらっしゃいましたら
コメントをお願いいたします
今なら前売りチケットが手配できます
⇒てんつくマン
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2008.08.10
解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI
NHKで放映したこの番組を観て、激しく心が揺れている
長崎に落とされた原爆の「効果」を記録する任務をおびたカメラマン
原爆の現実をまのあたりにして、彼は軍規を破ってプライベートで子供たちの写真を撮影した
その数、三十枚
そのうちの一枚があまりに衝撃的だった
首の折れ曲がった幼い弟を背負い、唇を噛み締めて焼き場の順番を待つ少年
唇には血がにじんでいた
カメラマンの名はジョー・オダネル
昨年85歳で白血病(!)のため亡くなったそうだ
軍人であると同時に、一人の人間として原爆の過ちを実感し、さいなまれてきたオダネルさん
それでも、アメリカの国民感情=ナショナリズムの前に何十年もの間、写真を封印し沈黙を守ってきた
20年前にその封印を解いて世に原爆投下の過ちを解いてきたオダネルさんの半生もまた感嘆に値する
でも、心が激しくゆすぶられたのはそのこと以上に、この1枚の写真だ
今から34年前の今日
二十歳の僕は広島を経由して、長崎の地に立っていた
浦上天主堂の前に立ちここから500メートルのところに投下された原爆のことを思っていた
二十歳の若い正義感はアメリカの罪を思うと同時に、日本の中国大陸でやってきたことの罪を思っていた
幼い弟のなきがらを背負った少年がその後生き延びりことができたのかどうかは分からない
1枚の写真が、戦争によって多くの命を奪ってきたにとどまらず、生まれてくるはずだった命すら闇に葬ってきたってことを思わずにはいられない
僕の父は人間魚雷「回天」の訓練兵だったという
海の特攻隊員だ
当時の戦局からして訓練兵であったとしても出撃命令は容赦なく下ったはずだ
もしも、もしも
8月15日に戦争が終わっていなければ、僕は今ここにいなかったかもしれない
父はジョー・オダネルとほとんど同年だ
日中戦争のさなか青島(チンタオ)で父の兄は戦死した
(彼のことを僕たちは兵隊おじちゃんと呼んでいる)
もし、頭に銃撃を受けなければ函館に残してきた恋人との間に子供が生まれていたかもしれない
僕にイトコがまだいたかもしれない
(この恋人は兵隊おじちゃんに操を立てたのか、生涯独身で生き抜いた。僕の手元にはおじの戦死後、僕の父と彼女との間で交わされたたくさんの手紙が残っている)
同じように、生まれてくるはずの命がどれだけ日の陽を見ることができなかったことか
今書いてることがすべて「タラレバ」だってことは充分承知している
それでもなお、あの1枚の写真が目の中に焼きついて離れない
そしてまた、無意味な「タラレバ」をくりかえさずにはいられない
| 固定リンク | 0
| コメント (2)
| トラックバック (0)
2007.04.27
ロッキー・ザ・ファイナル その2
はい!
みなさん、おまたせしました
ロッキー・ザ・ファイナル
コンピュータゲームで現役世界チャンピオンと、
還暦を前にした元チャンプ、ロッキーが対戦して
ロッキーが勝ってしまうところまでお話しましたよね
それがまあ、みなさん
これが、全米中で大反響を呼びましたね
往年のチャンピオン、ロッキーはアメリカ国民に愛されていたんですね
ところが、現役チャンピオンは強すぎて挑戦者も寄り付かない
あまりの強さに、国民にはかえって反感をかってるんです
そりゃそうですよね
秒殺が売りのチャンピオンですから、あっという間に試合を終わらせてしまいます
観客からすると、面白くないってワケです
| 固定リンク | 0
| コメント (0)
| トラックバック (0)
より以前の記事一覧
- ロッキー!!ザ・ファイル 2007.04.27
- はまってます「華麗なる一族」 2007.03.08
- 終わっちゃった… ドクター・コトー診療所 2006.12.22
- 遥かなる約束 「ひまわり」と「A Long And Winding Road」 2006.11.29
- 氷点 40年前の父との会話を思い出す 2006.11.27
- リアカーマンのでっかい地球!大冒険 2006.11.24
- 「Dr.コトー診療所』 2006.11.10
- フォークの達人 友部正人 2006.11.08
- NHK・BS 嬬恋コンサート 拓郎って…カッコいいなぁ… 2006.10.30
- 「出口のない海」 人間魚雷 回天の青春模様 2006.09.24
- 寅さん逝って はや10年… 2006.08.07
- 「フォークの達人」 西岡たかし 2006.07.13
- 「フォークの達人」 高石ともや 2006.06.03
- ウディ・ガスリー 「わが心のふるさと」 2006.05.22
- NHK 「奇跡の山 富士山」 2006.04.11
- 嗚呼… 40年後のG.S 2006.03.22
- 「ターミナル」 待っているだけの人生…? 2006.02.23
- 大航海 レキオス 2006.01.17
- 日本一寒い刑務所 旭川刑務所の年越し 2006.01.13
- 忠犬ハチ公 & グータラ犬ポン太 2006.01.11
- 無声映画 「メトロポリス」 そしてクイーン 2005.12.30
- 女の一代記 越路吹雪 2005.11.26
- 女一代記 瀬戸内寂聴 2005.11.25
- 優しい時間 最終話 2005.03.25
- 「半落ち」 司法は人の心まで裁けるのだろうか? 2005.03.24
- 「明日」 平原綾香 ; しっとり… 2005.03.23
- 「優しい時間」 せつないですねぇ… 2005.03.18
- 『北の零年』 見てきました 2005.01.23
- 『赤い月』 2005.01.21
その他のカテゴリー
OHANA 音楽サロン 我が青春の歌物語 「唄の駅」 『街角ライヴ』 あすなろ山の会 おすすめ記事 おーるどタイム おーるどタイム de ライブ さんすまいるコンサート すみれコンサート へたくそ親父のギター弾き語り ウェブログ・ココログ関連 オカリナ・アンサンブル かざぐるま グルメ・クッキング サッカー スポーツ デスペラード・ライブ トミ藤山 ニュース ハックルベリー・カントリー・ライブ ババ猫ミーちゃんの糖尿生活 パソコン・インターネット モスライブ ライブ ライブ at JUNE ライブ・イン・ぶうけ ライブ・コンサート暦 三貴ライブ 僕を通り過ぎた歌たち 函館 函館帰省日記 2005秋 函館帰省日記 2006春 函館帰省日記 2007春 函館帰省日記 2008冬 函館帰省日記 2010 冬 函館日記 函館日記2014 夏 函館日記 2011秋 函館日記 2012初冬 函館日記 2012夏 函館日記 2014夏 函館日記 2014年冬 函館日記 2015 夏 北海道 北海道 音楽旅日記 2009 印刷 室蘭 寿コンサート 小さな旅 心に引っかかる言葉 文化・芸術 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 旭丘の家コンサート 映画・テレビ 書籍・雑誌 朝市コンサート 札幌日記 2005秋 札幌日記 2008 秋 森の音楽祭 楽龍時 民家ライブハウス・楽龍時 清津峡 無国籍堂ライブ 絵本コンサート 自転車 見沼たんぼ 音楽 音楽雑感 骨折り日記
最近のコメント