何をやりたいかではなく、何を映してあげられるか GLAY TAKURO
人々がGLAYを通して見ているのは、彼ら自身だということが分かった。
だったら合わせ鏡としてピカピカでありたいと思った。
GLAYの目標は“何をやりたいか”ではなく、
“何を映してあげられるか”だと思うようになった
フリーぺーパー「R25」のロングインタビューの相手はGLAYのTAKURO
函館出身のGLAYは同郷のよしみということもあり、気になるバンドでした
TAKUROのこのコメントを呼んでちょっとうれしくなっちゃったわけで…
俺たちは、俺たちのやりたい音楽をやる
聴きたい人が聴いてくれればそれでいい
こんなバンドの行き方もありだとは思う
マイルス・デイビスみたいに、生涯それで突っ走った偉大なるミュージシャンもいる
人々はそんなマイルスを追いかけ続けた
どうだ!
俺を見てくれ!
みたいな強烈な自己主張を前面に出すやり方ってのもありだとは思う
若者が作る歌はえてしてそういうもんだ
それは若者の特権というか、若さゆえ…
意味あることではあるんだけど…
あまりにそれが強いと聴いてる方はいずれ鼻についてくるワケであって…
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