配信ライブ
コロナの時代に入り「配信ライブ」をやる方がずいぶんと増えた。
当初はコロナのため対面でのライブができなくなり、それに代わるものとして手探りでやられていたようだ。
それが最近では音楽の発信手段のひとつとしてごく当たり前に行われるようになっているようだ。
.
僕自身は配信ライブをこれまでずっと避けてきた。
僕のライブスタイルは対面(faca to face)が生命線だからだ。
その場に居合わせた人達の息づかいや表情を感じながら、こちらの息を届ける。
そこで生まれるおしゃべりなどを通して築き上げていく相互通行のライブがめざしている姿。(井戸端ライブと呼んでいる)
.
カメラを通してそのむこうにいる見えない人達に歌いかけるというのはどうにも調子が出ない。
函館の特別養護老人ホーム「旭が丘の家」でやってきた「Martin古池の歌謡ショー」ができなくなった。
そのかわりに動画に収録した歌謡ショーもどきをYouTubeにあげて旭が丘の家のご老人たちに観ていただいたことがある。
カメラに向かってご老人たちの表情を思い浮かべながら歌うのだが、思うようにいかない。
なんとなく空回りしているような気がしてならないのだ。
現地のスタッフの方からは「好評だった」とのお言葉を頂戴したが、どうにも実感がわかない。
そんなこともあり配信ライブはずっと避けてきた。
(やり方もよく分からないしね)
.
.
民家ライブハウスのオーナー重廣誠さんから配信ライブのお話を頂戴した。
全国に展開する保険会社系列のグループホーム向けの配信ライブで毎月1回、リアルタイムで定期的に配信するというものだった。
.
勝手が分からぬまま第1回目の配信に臨んだのは4月だった。
自分のスタイルとはまったく違っていた。
歌いかける相手はカメラの向こう。
音声収録のためのマイクに向かって歌う。
ギターの音もラインから。
モニタースーピーカーから流れる音は普段の演奏とはまったく違ったもの。
特にラインで取ったギター音は違和感が大きく、ピッキングのタッチをどうして良いか分からなかった。
生音ライブを信条とする僕にとっては何もかも普段とは違った環境。
大いに戸惑い、ペースがつかめぬままあれよあれよという間に配信は終了。
.
昨日第2回目の配信にあたってギターの音はラインではなくマイクで集音した。
少しでもいつもの自然なギター音にしたかった。
それだけでずいぶん落ち着くことができた。
プロジェクターから映し出されるご老人たちの表情を読み取ることは難しかったが、手を打ち、足踏みをする様子はつぶさに見て取れるゆとりが生まれた。
つぎつぎ届くホームからのリクエストにも余裕を持ってお応えできた。
前回よりは自分のペースで進めることができたように思う。
.
そうなってくると配信ライブもおもしろくなってくる。
普段のスタイルとはまったく違うだけに、それをもっと楽しみたいという気になっている。
.
そしてあらためて思う。
オーナー誠さんやスタッフの皆さんの支えがなければ配信ライブは成立しないということを。
1時間の配信のために音の収録班、撮影班の方々が何時間もかけて準備をしてくれる。
誠さんは僕の演奏にベースで瞬時に合わせてくれる。
僕は気分の盛り上がりによってテンポを変えたりブレイクを挟んだり、その場の判断で譜面とは違うことをやってしまう。
そんな歌に遅滞なく合わせてくれる。さすが百戦錬磨のプロベーシスト。(たぶん僕がやりたいと思うことを瞬時に察知してくれてるんだろう)
.
こういう方々に支えられながら次回はより自然な流れの進行にしていきたい。
と、気持ちは早くも第3回目に向かっている。
最近のコメント