函館日記

2025.05.12

旭が丘の家 Martin古池の歌謡ショー

函館の特別養護老人ホーム「旭が丘の家」で恒例のコンサートをやった。
母が生前長年にわたってお世話になってきた施設だ。
母の陣中見舞で函館に帰るたびにコンサートをやってきた。
年2~3回、10年以上も続けている。
6年前に母が亡くなった。ほどなくしてコロナ騒動がまき起こった。
その後数年間は中断を余儀なくされてきた。
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両親の墓参りを兼ねて旭が丘の家を訪れるタイミングで、去年から再開させることができた。
老人施設(特に特養)では5年ほどの月日で様相が大きく変化する。
コロナ前に元気だった方々の姿は今ではもうほとんど見受けられない。
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以前は入居者の多くは大正生まれの方が多かった。
歌うスタンスは両親世代に向けて子供世代からのメッセージという形だった。
プログラムも大正生まれの方が青春時代を過した戦前戦後の歌を中心に組んでいた。
それらの歌は僕自身も子供の頃に聞き覚えた歌ばかりだ。
ラジオ放送だったり、親や近所のおじさん、おばさんたちが口ずさんでいた歌謡曲だ。
そんなコンサートの様子を見て、当時の施設担当者が「Martin古池の歌謡ショー」と名付けてくれた。(その方はすでに退職されたが、その名を受け継いでいきたいと思っている)
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わずか数年の間に大正生まれの親世代はほとんど(全員かも)旅立たれている。
今入居者の多くは昭和の初め頃に生まれた方々だ。
プログラムもそれに合わせて微妙に変化してきている。
戦前の歌が少なくなり、昭和30年代はじめの歌謡曲中心にシフトしてきている。
演ずる側としては親世代へのメッセージというよりは「人生の先達」への共感というふうに変わってきている。
「共感」というのは入居者の年齢層が少しずつ若返っていると同時に、自分もまたそこに一歩また一歩と近づいているというところから生まれているようだ。
「いつか行く道」、それもそんには遠くない時期にね。
結果としてプログラムの自由度が高くなっている。
「何をどう歌うか」ではなく「いかにひとときを共にできるか」の方に重きを置くようにもなっている。
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「旭が丘の家コンサート=Martin古池の歌謡ショー」はこの先もできる限り続けていこうと思っている。
(さいわい両親は旭が丘の家の共同墓地に眠っている。墓参りとMartin古池の歌謡ショーをワンセットでやれる)
次回は7月に所用のため函館に帰る。今年2回目の歌謡ショーをやることになっている。

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2024.04.19

函館・旭ヶ丘の家コンサート

5年ぶりの函館旭ヶ丘の家で歌謡ショー。
最後に歌ったのは特養に入居していた母の亡くなる数ヶ月前だった。
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その後コロナがやってきた。
旭ヶ丘の家は厳戒態勢に入り、外部との接触を断ってきた。
当然のことながら「Martin古池の歌謡ショー」も長らく中断してきた。
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コロナが5類に移行したこともあり、こじんまりと歌謡ショーを再開することになった。
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老人施設では月日の流れが早い。
なじみの顔はほとんどいなくなり、入居者の顔ぶれはすっかり変わっていた。
長年かけて積み上げてきた歌謡ショーの「実績」は通用しない。
1から作り直し、出直しコンサートだ。
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会場となった喫茶室ボンジュールに集まった20人弱のご老人たち。
皆さん80代後半〜90代前半とお見受けした。
どなたも函館に生まれ育った方々。
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戦争直後に青春時代を過ごされている。
「東京ブギウギ」や「東京キッド」、「銀座のカンカン娘」、「港が見える丘」など当時のヒット曲を重ねながら反応をうかがう。
最初は皆さん神妙な面持ちで聴いていたけど、徐々に表情がゆるんでくる。
手拍子が出てきたり、一緒に口ずさむ方も増えてくる。
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充分に場が温まってきたのでさらに距離をつめようと思い函館ソング「いいんでないかい」。
客席に分け入りガッツリ歌う。
会場は音頭の手拍子であふれる。
リフレンの「とってもいいんでないかい」を何度もくりかえす、
場はすっかり一体化。
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函館出身の三橋美智也、北島三郎シリーズになだれこむ。
皆さんの満面の笑みに誘われて僕もまた舌好調。
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興奮を冷ますようにスローテンポでじっくり歌いこむ「テネシーワルツ」。
最後は全員で「上を向いて歩こう」。
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あっという間の1時間半。
楽しく満たされたひとときになった。
新たな関係を築くができたので、今後はこれをベースに積み上げていけそうだ。

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2019.10.05

今金

今金。

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今回の帰函の旅の最終コーナー。
函館から車で八雲から左に折れ、瀬棚方面に走らせると2~3時間のところにある町。

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7月のラッキーフェスで江別のテリーさんに紹介していただいた今金の阿知波さんを訪ねた。

阿知波さんは同じ昭和29年生まれ。(彼は早生まれなので学年では1年先輩)ラッキーフェスですっかり意気投合し、今回ぜひとも訪ねたかった。
今金のお寺の住職さんで、長年地道に音楽活動を続けてこられた方だ。
音楽のスタート地点は十代のころ洗礼を受けたプロテストフォークというところも僕と同じ。
おそらく今金を拠点に北海道に根を下ろして歌われてきたのだろう。

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3時間ほどしか滞在することができなかった。
でも互いのこれまでの道のりを語り合う。
ギターを弾きながらの会話はとても濃密な時間だった。

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いつか一緒にライブをやれればいいなと思いながら、お寺を辞した。
後ろ髪を引かれながら。

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コンサート つなぎの演奏

中学の同級生S君の依頼で函館山山頂のホールで行われた麗珠さんのコンサートで演奏した。

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90分コンサートで途中和服からドレスに衣装を替える流れ。
衣替えの時間をつないでほしいとのこと。
時間にすると15分程度。曲数にして3曲。

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麗珠さんは台湾出身の歌手で、「テレサテンの再来」をキャッチフレーズにする歌手。
荒木とよひささんの弟子で演歌、歌謡曲を情感たっぷりに歌う方だった。
当日お会いするまでどんな歌手なのか解らなかったので、つなぎ3曲のセットを幾通りか用意しておいた。

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お客様は160人収容のホールに半分ほどの入り。(昼間の土砂降りのため30人ほどキャンセルがあったとのこと)
年齢層は60代~70代が多く、フォークソングや昭和歌謡でいけるとふんだ。
麗珠さんの伴奏はフルオーケストラのカラオケ。

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「秋の花歌と女心 3題」を歌うことにした。

恋に恋する少女の揺れる心を歌う「追伸」。
少女から女になった「曼珠沙華」
嫁ぐ前の娘の母への思いを歌う「秋桜」。

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ホールの大きさ、客数、カラオケ伴奏の大音量との落差を考慮してギターはラインにつないだ。

麗珠さんは歌い上げるタイプの歌い手さんなので、僕は逆に声を絞り込んだ語り弾きスタイルにした。
それに合わせてギターはフィンガーピッキング。

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PA(音響)さんが僕の意図を察してくれ、ほどよいバランスを作ってくれたのがありがたい。

一番気を使ったのは演奏ではなく「つなぎ」の受け渡しだった。

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1部を歌い終えた麗珠さんがステージ上で僕を紹介。それを受けて僕は登場。
ここで軽いコントをやり場をあたためるという段取り。
ところがこのコントはぶっつけ本番、出たとこ勝負。
決まっているのは東京で歌う函館出身の僕が、初めて函館に来た麗珠さんを激励にやって来たという設定のみ。

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実はこういう状況嫌いではない。
嫌いではないどころか燃える。
ステージに立った瞬間、バチっとスイッチが入ってしまう。
麗珠さんもノリがよく、たどたどしい日本語で絡んでくる。(このたどたどしさがお客さんの微笑みを誘う)
暴走寸前で終えられてほっとした。

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充分に暖まった客席に気持ちよく歌わせてもらった。
口ずさんでくれる方もたくさんいて、ありがたいことこの上なし。

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無事に麗珠さんにバトンを渡すことができ「つなぎ役」はお役後免。

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それにしてもこのホール、函館の夜景をバックにステージが作られている。ガラス越しの生夜景だ。
とってもいい雰囲気のまさにザ・函館といったホール。

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いつかここで独演会をやってみたいものだ。

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【函館日記 2019年秋】イカ刺し定食

久しぶりにイカをご飯にぶっかけて食べる。

細く切ったイカに生姜と大根おろしをのせて、醤油をかけてぐちゃぐちゃまぜてご飯にガバッとぶっかける。
ガツガツと食う。
いやんや、なんぼでも食べらさる。

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イカはこうして食べるのが一番旨い。
イカは細く切らないとダメだ。醤油がよく馴染むからご飯に甘みを感じる。

子供の頃は北海道の米は旨くなかった。(それをあたりまえに食べてたのだが。)
イカをぶっかけると旨くないご飯がとびきりの味になった。
何杯でも食べらさった。

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北海道の米は旨くなった。
イカはかなり値が上がり高級品の仲間入りをした。(今年も不漁だったそうだ)

ガバッ
グチャッ
グァバッ‼️

「お下品」な食べ方だが、最高のぜいたくだ。

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お店は朝市のどんぶり横丁にある「茶夢」。
古くからあるお店だそうだ。
昨夜一緒に飲んだ同級生に教えてもらった。
65年函館に住み続けている生粋の函館っ子の言うことに間違いはなかった。

んめがったぁ~‼️

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追記
サービスで小皿が十種類もついてくる。
これがまた味わい深かった。

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2019.09.13

定点撮影 世代を超えて Part.2 (3世代編)

Photo_20190913112501 60年ほど前、父は僕たち兄弟の写真を撮ってくれた。

毎週日曜日の朝カトリック元町教会へ通うのが我が家の習慣だった。

教会に至る道すがら日銀の官舎を抜け、公民館の脇の石垣の小路での撮影だ。

この小路を抜けると護国神社の広く長い坂道に出る。

小路から大通りに出る時のちょっとした恐れとわくわく感の交差する場所。

父の(そして僕の)好みそうな道だ。

父のカメラは当時出回ったオリンパスペンだったと思う。ハーフサイズのカメラだ。
(このカメラは後年僕が譲り受け、長年使い続けた)

 

 

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30年の時が流れ、僕は父親になった。

子供たちを連れて初めて札幌の実家に帰った。

その際函館に立ち寄り、子供のころ過ごした場所を歩いた。

自分の歩いた道を我が子らにも体感させたかった。

そこには函館青柳町の生家から元町教会への道も含まれていた。

公民館の石垣を歩き、父の撮った弟との写真の場所でシャッターを切った。

オリンパスのOM-30というカメラだった。

このカメラはオリンパスペンが退役後初めて買った一眼レフカメラだった。
(このカメラは後に沢登りをしている時、岩に落とし破損した)

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さらに30年の時が流れた。

子供たちも独立しそれぞれに家庭をもうけた。

今回父と母の納骨のため長男一家を伴って函館に帰った。

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「あの場所で写真を撮らなきゃな」

長男はそう切り出した。

子供だった僕がやがて父親になったように、長男もまた子供から父親に成長していた。

長男もまた子供たちに自分の歩いた道を体感させたいという思いがあったのだろうと思う。

カメラはオリンパス・ペンライト。

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60年の間に3世代の定点撮影をすることができた。

これらの写真は僕にとって大切な宝であり、子供たちそして孫たちへのメッセージでもある。

君たちの故郷は埼玉県越谷の蒲生だ。

でも君たちの中には北海道の、函館の「DNA」が刻み込まれていることを忘れないでほしい。

それは同時に明治時代、愛知県知多半島から入植したご先祖様から脈々と引き継がれてきた「DNA」だということを。

 

 

 

過去の記事「定点撮影 世代を超えて」

 

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