函館

2021.08.09

Martin古池の歌謡ショー 夏の陣 for 旭が丘の家 動画収録

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函館の特養・旭が丘の家で長年やってきた「Martin古池の歌謡ショー」が途絶えて早3年になる。
入居していた母が亡くなりばたばたするうちに1年がたち、コロナ騒動が始まった。
施設はコロナ対策で現在にいたるまで外部との接触を制限している。
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昨年末、入居者の皆さんへのクリスマスプレゼントと動画収録した。旭が丘の家では大型ディスプレイに写し出し、入居者の皆さんに楽しんでいただいたとのことだった。
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半年ぶりに「夏の陣」をおーるどタイムで収録した。
今回はテーマを二つもうけることにした。
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ひとつは「夏の歌」アラカルト。
昭和30~40年代にヒットしたおなじみの歌謡曲を数曲。
それに加えて唱歌をふたつ(「浜辺の歌」、「椰子の実」)
この夏の歌シリーズは玲子さんと宮川さんにハンマーダルシマーでご協力いただいた。
新発見があった。
「恋の季節」のイントロパートやハーモニーパートを宮川さんにハンマーダルシマーでつけてもらった。これがイイ!
童謡・唱歌はもちろんだが、昭和の流行歌ともハンマーダルシマーの親和性が高い。
今後コラボレーションの機会が増えそうだ。
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もうひとつのテーマは「三橋美智也 選集」。
昭和30年代前半は「三橋に始まり三橋に終わる」と言われた時代。
特養の入居者の皆さんにとっては青春時代や子育て時代の流行歌だ。
僕にとっては幼少期のころ。ラジオから流れる三橋美智也を聞くともなく聞いていた。
加えて三橋美智也は函館とは馴染みが深い。隣街の上磯町(現・北斗市)出身で函館にも暮らしていたそうだ。
歌謡ショー後半は文字通り「三橋に始まり三橋に終わる」をトレースした。
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ご老人たちの表情が見えず、リアクションのない中での演奏はやはり難しかった。
それでも前回のクリスマスプレゼント収録よりは肩の力が入らずにやれたような気がする。
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先ほど旭が丘の家の担当・ルカさんに電話をした。
函館市内でもコロナの感染者が増え気味だそうだ。
施設内でご老人たちに直接歌えるのはまだまだ先になるようだ。
それまでは動画収録版の「Martin古池の歌謡ショー」を時折お届けするしかないな。
今度会える日まで皆さん元気でいて欲しい。そう祈るばかりだ。

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動画:「Martin古池の歌謡ショー 夏の陣 2021」For 旭が丘の家
https://youtu.be/SxIfC4dOyJE

 

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2021.07.07

今宵はたなばたさん

今年もあいにくの曇り空。
織り姫さんと彦星さんは雲の向こうで逢瀬を楽しんでるんだろうね。
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函館に古くから伝わる風習
「ろうそくもらい」
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七夕の夕暮れ時、子供たちは浴衣に三尺をしめ、
手に手にちょうちんや手製のカンテラを提げて練り歩く。
徐々に暗くなりあたりは闇の世界に変わっていく。
ろうそくの明かりがぼんやりと浮かび上がる。
子供たちは一軒ごとに玄関先で代々歌い継がれてきた歌を口にする
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  たけぇにたんざく
  たなばたまつり
  おおいはいやよ(大いに祝おう)
  ろうそく一本ちょうだいな
  くれなきゃかっちゃぐぞ!
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家の中からオバサンが出てきてろうそくを配ってくれる。
子供の一団は次の家の玄関先に立ち、同じことをくりかえす。
認められた数少ない「夜遊び」に、子供たちはわくわくドキドキする。
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「たなばたさん」の妖しげなこの体験、
いくつになっても消えることなく心に残っている。
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最近は事情が大分変わり、ろうそくではなくお菓子が配られるようになった。
保護者同伴があたりまえになり子供たちだけの「妖しげな体験」という感じではない。
60年前の子供としては少々淋しいのが正直な気持ち。
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でも、たなばたさんのこの風習が今でも大切に残されていることはうれしい。
そしてこの先もずっと残していって欲しいと願うばかりだ。
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2004年に投稿した函館の七夕さんの思い出

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2021.02.02

北国の人情


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【北国の人情】
もう7年も前の話。
雪の函館の市電の中で目にした光景が忘れられない。
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市場に向かう電車の中で。
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外は大雪。
乗り込んできたじいさん。
頭から肩から雪がつもって真っ白。
軽くほろって三人がけの椅子の真ん中に座る。
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隣に座ってた婆さんがすかさず、肩に残ってた雪をほろってやる。
それを見た右となりの女子高生が婆さんを真似て反対の肩をほろってやる。
おずおずと。
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悪いねと礼をいうじいさん。
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むろん三人は知らないもの同士。
この町にはこういう人情がまだまだ残っている。
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婆さんの長靴には滑り止めに縄が巻かれていた。
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【いとこの故・エンタとのやりとり】
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この投稿を巡ってエンタとのやりとりを残します。
この1年後の2月23日。
古池エンタ幸介は星になりました。
もうすでに体調もおもわしくなく、帰りたくとも函館には帰れない状態でした。それを思うと胸が痛みます。
文字通り「僕の星まで」行ってしまったエンタに捧げます。
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コイケ エンタ
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いつ頃からだろう?
函館へ帰って何日か過ごして、余韻を持ったまま東京へ戻り自宅へ帰る途中、
山手線に乗り換える時等にホームや電車内で「物凄い違和感!」を持つようになったのは。
「うわっ!人間が全然違う!」「なんだこのピリピリした居心地の悪さは?」なんてね。
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でも自分の居場所はここなんだよな~。ここで頑張るしか無いんだよね~と自宅の在る高円寺へ。(この街は少しだけヌルい!)
東京でも多少の人情みたいなものと出くわした過去の記憶は有るし、今もそれは皆無じゃないけど、
北海道のそれと比べてみると、やっぱり当たり前と濃さが違う。
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なんであんなにも人と人の間の垣根が無いんだろう?(← 善し悪しは付きまとうけど)都会に居ると、時代が流れたのか?
はたまた自分が変わったのか?
と廻ります。
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古池 雅彦
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エンちゃん。その感じ、わかるなぁ。
もちろん函館の人にだってへなまずるいのや、どうもこうもなんないのがいるはずだけどね。
全般に受ける印象はなんともいえぬあったかさだよね。
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若い頃、それが重たくて逃げるように東京に来たってのもあるんだけど、今となるとやっぱりイイね。イェーイ!
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コイケ エンタ
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今では「たまに帰るだけのヨソ者」になっちゃって、自分にとてはふる里でも、実際は旅行者(やって来て帰っていく人)みたいな、(自分の普段・日常には)無いものねだりな視点になっちゃうからね~。
そこでずっと暮らして居る人は、こじれちゃってると凄いのも解ったうえでの話しだよね。
...まぁ、それはともかく。親不孝息子としては、今はメチャクチャに帰りたい気分!
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古池 雅彦
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「ヨソモンのブルース」って歌、昔つくりました。
故郷であって暮らしの場ではない。おいらここではヨソモンさ。みたいな歌。
親不孝息子って点では人後に落ちない僕です。
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故郷を半分捨てるような気持ちで飛び出して…。
過去とのつながりを意識的に断ち切った時代もありました。
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だからこそなおさら今、函館が大切で…。

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2020.12.23

旭が丘の家 無観客ビデオライブの上映会


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先日収録した函館の特養「旭が丘の家」に向けた『Martin古池の歌謡ショー』。
さっそく上映会をしてくださったとのご連絡がありました。

入居されている方々とはもう1年以上お会いしていません。
コロナ対策で「旭が丘の家」もシャバとの接触は厳しく制限中なので、今度お会いし歌えるのがいつになるかもわからぬ状況です。

そんな中で長年やってきた「歌謡ショー」をYouTubeで配信するという試み。
皆様喜んでくださったとのご連絡があり、ほっとしています。
いいクリスマスプレゼントになったかな。

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以下、旭が丘の家のスタッフさんからのメールです。

  こんにちは。
  早速ながら、月曜にコンサートの模様を上映いたしました。
  皆さん映像に合わせて歌詞を口ずさみ、
  1曲毎に拍手喝采の大喜びでした。
  語りもコチラに呼びかけるようにしてくださっていたので
  入居者もうんうんと頷きながら、
  しっかりとコミュニケーションしていました。
  またヨロシクお願いいたします。
  出来れば、リアルタイムでで開催したいですね。

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2020.10.12

洗濯ばば

函館シリーズ第4弾

 

「洗濯ばば」と呼ばれるばあさんが函館の西部地区を根城にしていました。
西部地区というのは元町、青柳町、谷地頭町、住吉町、宝来町、末広町といった函館山の麓の町々です。
今ではすっかり観光地となっていますが、昭和30年代~40年代は住宅地であり、商業の町であり、漁師町でした。

頭を剃り上げ、糸のような細い眼をしたばあさんをこれらの町々の公園やお寺、神社の境内でよく見かけました。
手にはバケツを持ち蝙蝠傘を杖代わり。背中にはいろいろ荷物をたすき掛け。
公園などの水飲み場でよく洗濯をしているところから「洗濯ばば」と呼ばれていたようです。

今でいうホームレス。
でも決して「ほいと」(乞食)ではありませんでした。
聞いた話では家々の洗濯や子守をして、代わりにいろいろ生活の資を得ていたようです。(生活の資といってもほとんどが食べ物やせいぜいだら銭(小銭)だったと思いますが)。
誇りが高き浮浪者で、決して物乞いはしなかったと聞きます。

普段は凛とした顔立ちをしていましたが、我々子供たちがちょっかいを出しからかうと細い眼をつりあげて怒ります。その顔はおっかなかった。

今思うと瀬戸内寂聴さんのような顔立ちだったような。。。
当時の大人たちが「洗濯ばば」のことをどう思っていたかは知りませんが、子供たちの間ではある種畏れのようなものを感じていた気がします。

大人になり、たまに「洗濯ばば」の生き方についてぼんやり思うことがあります。

浮浪者=波間に浮かび漂い生きる者。
決して群れることなく、己の思うがままに生きていた。
そこに確たる意思があったのか、はたまた風に吹かれて生きていただけなのか。
孤独だったかもしれない。されど失う何ものもない自由人。
社会からはみ出したところに居場所を見つけて生きていた。そんな「洗濯ばば」の暮らし。

何ともいえぬ潔さを感じます。

にしても、函館の寒く長い冬。
「洗濯ばば」どうやって過ごしていたのだろう。
いまだに謎です。

函館のご同輩、もしご存じでしたらお教えください。
「洗濯ばば」を記憶の中に埋もれさせてしまうのがなんとも惜しくてね。

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「いが、いがぁ~」

函館シリーズ 第3弾

子供のころ、漁師のじいさんが天秤棒にタライをぶら下げ、イカを売り歩いていました。
朝上がったイカはイキが良く、安かったので夏場にはよく食卓に上がっていました。
イカを千切りにしてショウガをどっさりのせ、醤油をどっぷりかける。そいつをグチャグチャにかき混ぜて暖かいご飯に乗っけてガバッと食らう。
最高のごちそうでした。というかごちそうとも思わずごく当たり前に食べていました。今思うとなんとも贅沢な。


イカ売りじいさんのかけ声は「いが、いがぁ」。イカがなまって「イガ」と言うのが「はごだで弁」。
じいさんの潮焼けしたガラガラ声は遠くからもよく聞こえてきて、おふくろによく買いに行かされました。
そばやうどんがいっぱい40円くらいの時代、50円も出せば家族分のイカ4~5杯は買えたんでなかったかな。

他にも煮豆屋のおじさんが天秤棒担いで「まぁめぇ~」と売りに来ていました。
僕と弟は豆売りじいさんのうしろにくっついて歩き、じいさんが「まぁめぇ~」というと間髪入れずに「おばけぇ~」と囃したててました。(もちろんじいさんには「こらぁ!」と怒られましたが、おかまいなしだったようです)

イカ売りじいさんも豆売りじいさんも今はなく、「いが、いがぁ~」「まぁめぇ~」の呼び出しは軽トラの拡声器に受け継がれているようです。

忘れ得ぬ風物詩です。

 

イカ売りの風景①

イカ売りの風景②(バリバリはごだで弁が聞けます)

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カトリック元町教会の鐘声

函館・元町シリーズ第2弾

函館の風物詩となっている教会の鐘の音。
カトリック元町教会では毎日3回(朝、昼、夕)打ち鳴らされています。

日曜日の朝にはこれに隣接するハリストス正教会(ガンガン寺)の鐘が加わります。やはり隣接する東本願寺の鐘の音も深く哀しく魅力的。

元町界隈は普段はひっそりと静謐であるのですが、教会やお寺の鐘の音が鳴り出すとなんともにぎやかな町に変貌。
僕が好きなのは鐘声(しょうせい)が終わった後の静寂の時です。この刹那の静かさはなんとも言えません。

カトリック教会がこの地に立てられたのは江戸時代の末期、開国5年後の1859年。
何度か焼失し今の聖堂は大正13年に建てられたそうです。

中学生の頃、鐘つきのお手伝いをしていたことがあります。
鐘楼から垂れ下がった太い縄にぶら下がり、弾みをつけて引っ張るわけですが、これがなかなか手ごわい。「アンジェラスの鐘」の旋律にするには熟練が必要なんでしょうね。
(今はタイマー付きの機械仕掛けだとか・・・)

久しぶりに元町の鐘声の中に身を置いてみたいものです。

カトリック元町教会の鐘の音

ロシア正教会(ガンガン寺)の鐘の音

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秋 函館 元町

ネットを見ていたら函館市元町の画像を見つけた。

函館は今頃いい季節だろうな。
ナナカマドやおんこの実がきれいな頃合いだろうな。
グスベリーは今も生えているんだろうか。

子供の頃ここいらは僕の遊び場だった。

毎日曜日通ったカトリック元町教会。
楽廊で歌う聖歌隊は僕にとって最初の音楽体験だった。
声楽家・山岸淑子さんの大きな口を飽きることなく眺めていたっけな。

友とつるみいたずらや悪さをして歩いたのもここいらだ。
時には隣の舟見中学との「決闘」騒ぎもあったっけ。
あの時の悪友たちは今頃どうしてるかなぁ。

東京に転校していった初恋の娘が住んでいたのもこの辺だった。
彼女に偶然出逢わないかと願いながら徘徊したのもここらの坂道だった。

少年時代の思い出がべったりしみついた街。

元町。

元町の景色

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2020.08.10

【函館氷(五稜郭氷)】

チコちゃんが教えてくれた。

中川嘉平衞によって日本で初めて氷の塊が商品化されたのは明治2年だそうだ。
それまで高価な高価なボストン産の氷を半年かけて輸入していたらしい。
国内でなんとか生産できないかと各地をまわった中川が最後に行き着いた場所が函館。それも五稜郭のお堀だったという。
五稜郭のお堀の水は近くを流れる亀田川から水を引いていた。
清廉な水、函館の寒気、蒸気船による海路輸送。
氷製造と輸送に函館が最適だったという。

函館の農民には冬場の農閑期の貴重な収入となり、
雪降って一緒に「ジェンコ降ってきた」と喜んだそうだ。
(ジェンコ=ゼンコ=銭こ)

それにしても明治2年といえば、5月に「箱館戦争」のあった年だ。榎本武揚率いる「蝦夷共和国」が五稜郭を拠点に薩長新政府軍と壮絶な闘いをくりひろげ、破れた年だ。
同じ年の冬には「函館氷」が作られ始めたワケだ。

初めて知った氷の話。
チコちゃんが教えてくれた。

余談だが函館ではかき氷のことを「氷水(こおりみず)」とよんでいた。
僕が内地に出てきた初めての夏、広島から長崎、そして佐世保を旅した。
道産子が経験する初めての猛暑。刺すような陽ざしにたまらず広島の喫茶店に飛び込んだ。
「氷水ちょうだい!」と注文した(つもりだった)
ウェイトレスのお姉ちゃんはちょっと怪訝そうな顔。
グラスに山盛りの氷、水をなみなみ注いでテーブルに置いた。
「ご注文は?」
その時初めて知った。内地では「氷水(こおりみず)」のことを「かき氷」とよぶんだということを。

函館では(北海道では)今でも「こおりみず」とよんでいるんだろうか。
ご同輩の皆様。どなたかお教え願います。

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