還暦+1同期会 「室蘭東高校 第8回生」 室蘭に集まる
涙が出るほどうれしかった。
多感なる青春期。同じ時代を同じ場所で過ごした友との再会。
それも母校から離れた札幌ではなく、舞台は青春時代と同じ室蘭。
時々顔を合わせる友も何人かいる。でもほとんどは久しぶり。
昔の面影を残しながらも、当時とはまた違った味が刻み込まれた表情。
それぞれに60年の人生を歩いてきた道のりが刻まれているような気がした。
いい時も、悪い時もあったに違いない。
みんなひとつひとつを飲み込みながら歩いてきた。
笑顔の影に見えかくれする深い表情。
僕にはそれが愛しく感じられる。
みんな60年間頑張って生きてきたんだなぁ
いよっ!ご同輩!
言葉なんかじゃ言い表すことのできぬそれぞれの人生。
笑顔の中で感じあうことができればそれでいいじゃないか。
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僕たちが高校生になったのは1970年。
70年安保が自動延長になった年だ。
学内には学生運動の影響を受けた活動家の先輩たちも多くいた。
1年生の時、卒業式はそんな先輩たちによって「占拠」「粉砕」された。
卒業式は「政治討論集会」に。教室に戻るようにうながす先生たち。
「粉砕」に驚きと違和感を覚えた。いったい何が起こっているのか、それを確かめたくてその場に残った者も多かった。(僕もその一人だった)
翌年の卒業式は厳重な警戒体制のもとに、きわめて短時間で終わった。占拠する時間すらなかった。
生徒会執行部も活動家が多く、どこかとげとげしい雰囲気があった。
我々の卒業式は平穏無事に行われた。
1973年。学生運動は収束に向かっていた。
個人主義、自由主義が芽生えてきていた。
両極の雰囲気が不思議な共存をする、そんな時代に僕たちは高校生活を送ってきた。
当時よく言われたのは「ぬるま湯」的な空気という言葉だった。
一般には否定的に使われる「ぬるま湯」状態。
でもこのぬるま湯はある意味で積極的な意思表示でもあった。
以前のとげとげしい雰囲気へのアンチテーゼだったようにも思う。
僕たちは自由に高校生活を謳歌した。
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同期会で「メロディ」を歌った。どうしてもこの歌が歌いたかったんだ。
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あんなにも好きだった 君がいたこの街に
今もまだ 大好きな あの歌は聞こえてるよ
いつもやさしくて 少しさみしくて
あのころは なにもなくて
それだって楽しくやったよ
メロディ 泣きながら
僕たちは幸せを 見つめてたよ
なつかしいこの店の すみっこに置いてある寄せ書きのはじのほう 君と書いたピースマーク
みんな集まって 泣いて歌ってたね
あのころは なにもなくて
それだって楽しくやったよ
メロディ いつのまに
大切なものなくした
君のこと忘れないよ
いつだって楽しくやったよ
メロディ 泣かないで
あの歌は 心から… 聞こえてるよ…(玉置浩二)
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