旭丘の家コンサート

2024.11.01

旭ヶ丘の家コンサート

函館駅を降りたのは昼過ぎ。
腹ごしらえに駅前のラーメン屋で塩ラーメン。
タクシーを飛ばして旭ヶ丘の家に着いたのは2時過ぎだった。
再会の挨拶もそこそこに、コンサート会場のホールに通される。
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エレベーターを降りて目をやると50人ほどのご老人たちが。
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  ん?
  なんだこの熱気は!
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開始時間の2時半よりもかなり早くに集まり、待ちかねていたご様子。
慌ててギターのチューニングを済ませ、定刻よりかなり早くにコンサートスタート。
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特養での演奏は5年ぶり。
コロナの影響ですっかりご無沙汰していた。
馴染みの顔もちらほら見えるが、ほとんどは初めてお会いする方々。
5年前のコンサートには母もまだいた。(その半年後に帰天している)
時の流れの速さと残酷さを感じる。
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気を取り直し、挨拶がわりの「高原列車は行く」。
挨拶がわりのつもりだったのに、のっけからみなさん一緒に歌い出す。
みなさん歌詞を諳んじている。
これは予想外。
当初1時間のコンサートの最後にみんなで歌えればいいと思ってた。
急遽方針転換。
歌謡ショー形式から歌声音楽会形式に。
それに伴って選曲も入れ替える。
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港町十三番地〜東京キッド〜東京ブギウギ〜銀座カンカン娘。
4曲を短めのトークで一気につなげて歌う。
おなじみの歌をつなげて流れを途切れさせたくなかった。
驚いたことにみなさん歌詞を覚えていて、一緒に歌ってくれる。
それも大変な勢いで。(中には身振り手振りで踊るポーズをとる方も何人かいる)
僕は流れに任せるだけでよかった。
大変な盛り上がりようだったので、少し空気を落ち着かせようと思った。
赤とんぼ〜夕焼け小焼け〜あの町この町〜里の秋と唱歌をゆったりしっとりと歌う。
実は何人かの方がのっけからの盛り上がりについていけないご様子。
じっとこちらを凝視しながらも、表情を変えずにいた。
盛り上がりを煽りさらに沸騰することで、こういう方々に疎外感を持たれることを恐れた。
静かに唱歌を歌うことで場が落ち着き、そんな方も音楽会にはいりこんで来やすい土壌ができた様子。
表情が少し緩んできた。
函館(上磯)出身の三橋美智也の「リンゴ村から」〜五木ひろしの「ふるさと」。
やはり三橋美智也の歌はみなさん諳んじていらっしゃる。
ここからおしゃべり全開、舌好調。
古い函館の話をテーマに語りだすと、みなさんからもリアクションがどんどん出てくる。
昭和30年代の函館を参加者も僕も共に生きていた。
実際にあった通りや、店や、映画館の話などがぼんぼん飛び出す。
話が共有できるということは大きいことだと思う。
そこで函館港まつりで歌われる「いいんでないかい」になだれ込む。
馴染み深い歌に座ったまま踊る仕草の方も飛び出す。
勢いづいたまま終盤、「ダイアナ」へ。
興奮は絶好調に。
「テネシーワルツ」につなげ、再び場を落ち着かせ軟着陸を目指す。
最後にリクエストを頂戴する。
「津軽海峡冬景色」(上野発の夜行列車、特急はつかり5号のナレーション付き)。
エンディングは「上を向いて歩こう」。
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歌とおしゃべりに包まれたいい歌声音楽会になった。
胡散臭げにこちらを凝視していた人たちも、最後は表情も緩み一緒に口ずさんでくれた。
ほっとした。
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  また来てねぇ
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というばあちゃんたちの黄色い声(いや茶色い声か)がやたら嬉しかった。

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2018.04.25

旭ヶ丘の家コンサート その2

「旭ヶ丘コンサート」 2日目

今日は昨日と違い、いつもの広いロビーでコンサート。
ここは3本の廊下が合わさる奥行きのある場所。
ご老人たちの数も50人以上いらっしゃる。
昨日のように一緒に歌うのはなかなか難しい。
「Mrtin古池の歌謡ショー」というスタイルになる。
それでも、少しは口ずさんでもらおうと思い馴染みの深い歌を選曲する。
持ち時間は1時間。前回はリクエストやアンコールで1時間半近くになった。ご老人によっては疲れが出るだろう。

1時間ジャストに収まるように曲数やおしゃべりを工夫した。
昨日やった曲も含まれるが、位置づけやアレンジを少し変えた。じっくり聴いていただくことを主眼にした。

おしゃべりで気をつけたのは話の流れ。時間を限ったので道草トークは減らし、歌に直結し、自然に次の曲へとつなげるようにした。(省エネトーク?)

1.星の歌3題(星屑の街、見上げてごらん夜の星を、星のフラメンコ)
2.函館にゆかりある歌(津軽海峡冬景色=リクエスト→銀座カンカン娘、与作、夕焼けとんび)
3.春の歌(港の見える丘、19の春)
4.アラカルト(舟歌、可愛いベイビー、雨の中の二人)
5.エンディング(上を向いて歩こう)
6.アンコール(テネシーワルツ)

ここまででジャスト1時間。

ご老人たちの反応はそれぞれに違う。
最初から最後まで嬉々として口ずさんでる人あり。
目をつぶって聴いている人あり。
歌に合わせて小刻みに体をゆする人あり。
最初から最後まで眠ったように車椅子の背もたれに身をゆだねる人あり。
無表情にこちらを見つめる人あり。
終始床に目を落としている人あり。
皆の輪には加わらず、広いロビーの奥まったところの窓際の席でぼんやりする人あり。

様々だ。
でも概ねショーを楽しんでくださっているのを感じる。
それぞれの作法で。
老人の感情表現を感じ取るのは難しい。
何かを感じ、それに対応するまでにかかる時間は我々の世代と比べてもかなり遅い。
筋力が衰え感じるものがあってもそれを体で表現したり言葉に表すことができない人もいる。

でも必ずなにかのサインがある。
それは目の動きだったり、顔の筋肉の動きだったり、わずかなボディアクションだったりする。

僕はその小さなサインをできる限り見落とさないように、たえず動き回っている。
全体を俯瞰するとともに、一人ひとりの動きを見定めようと凝視する。
森を見て、樹を観る。そうしながら気を感じる。
そんなやり方で歌っている。
そしてかすかな反応に笑顔でお応えしている。

旭ヶ丘の家で歌うようになって10年近い。
最初の頃はよくわからなかった。どう対応してよいかわからず不安になった。不安があるから考えて、いろいろ手を尽くした。
最近感じるのは頭を使って考えることも必要だが、一番大事なのは「気を感じ取る」こと。
だんだんそういうことがわかるようになってきた。

気を感じてそれに笑顔で応える。そうやって思いを重ね合わせる。
その積み重ねがコンサートを成立させることにつながる。

歌とトークを介してとても大切なことを旭ヶ丘の家のご老人たちに教わっている。
そんな思いで今回も無事コンサートを終えることができた。

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函館・旭ヶ丘の家コンサート

函館・旭ヶ丘の家コンサート。

今回は2日間、歌った。
昨日は他の方々による定例の音楽ボランティアの最後に20分ほど。
会場は「ボンジュール」という喫茶ホール。
ここは母がまだ特養に移る前はここが会場だった。
20人ちょっとのご老人たちとこじんまりと歌った。
閉じられた空間。
お互いの息づかいが伝わる距離。
皆さんにも一緒に歌っていただくことを念頭に選曲した。
半数ほどの方はまだお元気な方々。一緒に歌っていただき、気持ちがグッと高揚するようにリードした。
「上を向いて歩こう」のエンディングは何度も何度も繰り返し、テンポも徐々に上げていく。最後は5倍速くらいの超高速。
歌いながら手拍子のスピードもぐんぐん上がる。限界くらいまで盛り上げ、一気にテンポダウン。
かなり楽しかったようだ。上気した顔、嬉々とした表情。
アンコールで歌う「テネシーワルツ」。一転して超スローテンポ。
皆さん日本語詞の部分は諳じている。
驚いたのはエンディングで「テ~ネ~シー~~ ワ~ルツ」と思い切り伸ばし、ためる。ブレークし音の途切れる「間」のタイミングであるおばあさんがいきなり「わぁー‼️」と奇声を発する。
気分が高揚した結果、ご自分の感情をそのように表現された。
ニコッと笑い応えるとおばあさんもニコッと返してくれた。

老人施設での演奏のおもしろさはこういうところ。
ご老人たちの反応は飾り気がなく、直接的。
ただ、そこまで持っていくのはなかなか難しい。
今回は短時間で垣根を越えることがうまくいったようだ。

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2015.06.04

「旭丘の家コンサート 2015 初夏」 

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特別養護老人ホーム(特養)のロビーで3回目のコンサート。

去年までの10年間は同じ老人ホーム「旭が丘の家」でも自立したご老人たちが暮らす「レジダント」で歌ってきた。

母の介護度がいよいよ高くなりレジダントから特養に移った昨年夏。

「旭が丘の家コンサート」の場所も特養のロビーに移動した。

場所が変わっただけではない。

人も変わった。

レジダントでは身体がしっかりしたご老人たちで、ご自分の意志でコンサートに参加してくださった。

特養の入居者の大半は車椅子暮らし。

自分の意志だけではいかんせん暮らしが成り立たない。

介護が必要となる。

くわえて認知症の方も多い。

同じ老人ホームでの演奏でも、やる側にとっては大きな環境変化だった。

初めて特養で演った時は戸惑いが大きかった。

たくさんの方が来てくださるが無表情の方も多い。

それは病気がなせるわざ。

楽しんでくれて、大喜びしてくださる方のそのすぐ隣に表情のない方がすわってる。

演じる側としてはどういう顔をして歌い、どんなトーンで語ればよいものか迷う。

むろん演奏が始まればいつも通りのことをいつも通りのようにやるだけ。

つまり聴いてくださる方々の反応に合わせて「変幻自在」に進めていく。オーディエンスの反応を読みながら進めていくのが僕のライブの生命線。

過去2回はいい反応をたくさんもらい、「大盛況」のいいステージにさせてもらった。

それでも迷いは残る。

反応のない人、表情の乏しい人の目が記憶に突きささる。

最後まで「読めない」人がいる。

このことは一種の敗北感に似た気分を残す。

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気がついたことがある。

表情がないことイコール拒絶ではかならずしもない。また無関心でもないということだ。

演奏にたいしてなにか感じるところはあっても、それを表すことができない。そんなことがどうやらありそうだ。

それは失われた体力や病気のためとも云えそうだ。

3回目の今回、それを確かめたいと思って臨んだ。

いつも以上にアンテナをはりめぐらした。ほんのわずかな反応も見逃すまいと思った。

無表情な方々の表情の裏にあるものを感じようと思った。

ロビーから20メートルほど離れたところで遠巻きにしながら座っている人たちの反応を見逃すまいと思った。
(10人ばかりのこの人たちは体がしっかりしていて、介護度が比較的低い人たちのようだ)

テーマは「函館につながりうる古き良き時代の歌」。

演目も歌いなれたものばかりにし、港町・故郷を感じさせるものを選んだ。

ご老人たちにとっては青春時代の歌ばかり。

「銀座カンカン娘」~「リンゴの木の下で」をオープニングして様子をうかがう。

悪くはない。

銀座をスタート。りんごの青森を経由して津軽海峡へ。終着は函館という設定。(こじつけ!)

「津軽海峡冬景色」(「はつかり5号」車内放送のナレーションバージョン)から「函館の女」。

この辺りから座が一気に暖まっていく。(「函館の女」で早くもシングアウト状態)

「港の見える丘」~「舟唄」~「涙の連絡船」とつなぐ。

さらに函館出身の北島三郎さんの「与作」。三橋美智也さんの「夕焼けとんび」。

歌詞をさりげなく先導するとほとんどの方が一緒に歌いだす。

「表情なき人たち」の表情は相変わらず動きがない。

でも、体が微妙に揺れている。

遠巻きにしていた人たちはいつのまにか体の向きがステージに向かって移動している。

ラストソング「見上げてごらん夜の星を」を静かに歌う。

静かな合唱になっていく。

アンコール1曲目は「上を向いて歩こう」。

じいちゃん、ばあちゃんのシングアウト。

2曲目は「テネシーワルツ」(江利ちえみバージョン)は一転してじっくり耳を傾けてくれる。

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コンサートを終え、みなさんそれぞれの部屋に戻っていく。

「夕焼けとんび」聴いてて、故郷の青森を思い出した

と津軽弁丸出しのおばあさん。

(戦争から)引き揚げてきた時、
初めて聴き覚えた歌は「テネシーワルツ」
なつかしくて、切なくて涙でてきたヮ

と別のおばあさん。

オレ、函館野外劇の黒子やってるんです
歌聴いてて、なんだか知らないけど泣けてきて
なんだか知らないけど力わいてきました
今年もやります「野外劇」!

おばあちゃんの付添で来ていた若者が目を真っ赤にしてそう言ってくれる。

青春時代を思い出す

なつかしく、大切な思い出をよみがえらせてもらった

何人もの人が車椅子でやってきて、そんな感想を述べてくださる。

ありがたく、うれしいことだ。

始まりは表情をあらわにしなかった方々も徐々に(微妙にだが)目がゆるんでいた。

でも最後まで無表情だった方がお二人いた。最後まで反応を読むことができなかった。

かたくなに歌を拒んでいるのだろうか。そこだけが気になる。

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特養のスタッフに言われた。

どうすればあんなに惹きつけられるんでしょう
どうすればあんなに伝わるんでしょうか
普段から入居者さんを見ているからよくわかるけど
まちがいなく全員が楽しんでましたよ
表情には出ないけど、それは出せないだけ
歌やおしゃべりは心の糸をくすぐってましたよ
私がやっても、とてもああはいかない
焼きもち、焼いちゃいますヨ

最後まで顔色ひとつ変えない方もいましたけどね

あの方々はどんな音楽会でも最後までもたないんですよ
途中で寝ちゃうの
今日は最後までしっかり起きてました
それどころか指でかすかに調子をとってましたよ

うれしい一言だった。

それにしてもさすがにプロの介護士。ご老人たちをつぶさに観察されている。

見るところが違う。

感心しきりの一幕だった。

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2012.09.15

【函館日記 2012夏】 老人ホーム・旭ヶ丘の家で歌う

母の暮らす旭ヶ丘の家。
ここで歌うのは何回目だろう。帰省のたびに歌ってきました。

いつも暖かく聴いてくれました。
子ども時代の僕を知る老人も少なくないわけで。
(僕の方といえばとんと覚えていないのですが…)

この夏も小一時間のコンサートをやりました。
そして今回もまたしっとりしたいい時間を過ごさせてもらいました。

顔ぶれが毎年少しずつ変わっていくのが、なんともやりきれない思いにかられました。
最初にここでコンサートやった時の顔ぶれが、今回はもうあまり残っていない。
新しい、知らない顔の方が多くなっています。

天に召されたか、特養に移り住んだか、ということです。

それを「天のさだめ」「人の世の摂理」と言ってしまうにはちょっとやりきれない。
母もいずれは同じ道を歩むことになります。

その時、僕はどんな思いで歌うのでしょうか。
それとももうここで歌うことはなくなるのでしょうか。

歌を聴いてくださったご老人たちの好評を博せば博するほど…、
また来てくれと言われれば、言われるほど…、
やるせない気分になった今年の「旭ヶ丘の家コンサート」でした。

先週、地元越谷の老人会で「寿コンサート」をやりました。
元気なご老人たちでした。
今回もまた楽しいコンサートをさせてもらいました。
歌いながら「旭ヶ丘の家コンサート」のことが頭の中をかすめていました。

     たとえ母が倒れたとて
     たとえ特養に移り、動くことがままならなくなったとて
     たとえいつの日か天に召される日がきたとて
     たとえ故郷荒れ果てて、昔の思い出消えたとて
     必ず会いに行こう
     父も眠る、あの旭ヶ丘の家で歌い続けたい

2004年5月、音楽友達と旭ヶ丘の家コンサートの記録

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