音楽雑感

2020.11.28

傷だらけの古いギター

🎵僕の古いギター
  傷だらけの僕のギター🎶

30年近くもあちこち連れだってきた。

八ヶ岳の森の中の音楽会。
土俵岳の山頂コンサート。
谷底の清津峡キャンプ場の丑三つ時ライブ。
北海道ギター旅。
etc.etc.....

劣悪な環境にも耐えてきた。
カンカンに乾燥した真冬の市場。
猛烈な湿気の真夏の市場。
もうもうたる煙と油混じりのお好み焼き屋さん。

10年前にとうとう耐えきれなくなり壊れた。
ブリッジがメリッと剥がれた。
もうダメかと諦めかけた。
馴染みの楽器屋さんの一言で思いとどまった。

なんとかなると思いますよ

何ヵ月もかけての大手術。

ボディに研磨をかけてブリッジはついた。
ブレーシングも含めて全面的な見直しと調整。

再び生き返った。
ただもとのきらびやかな音は甦らなかった。

その後何年かかけてパーツを少しずつ変えた。
ブリッジやナットを象牙にしたり、サスティーンを改善するオートチャンバーという器具をブリッジの下に装着した。

今は好みの音で気持ち良く鳴ってくれている。
が、大手術の後遺症かロッドの調整ができなくなった。
ネックが反り、ロッド調整で無理に締め上げると破損しかねないそうだ。

ライブや音楽会での出番は減った。
もっぱら家で自分のためだけに弾いている。

愛着あるマーチントリプルOだ。

Martinooo

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【場末のフォークシンガー】

5年前、仕事帰りに立ち寄ったラーメン屋で感じたことを投稿していました。

当時の僕は転職後、やっと自分なりの仕事の仕方が見え始めた頃でした。
日々「新規案件」や「アフターフォロー」に追い立てられ、尻に火がついたような状態でした。
二足のわらじで長年続けてきた音楽活動も文字通り必死にやっていました。

「場末のフォークシンガー」という言葉は歌うたいとして自分はかくありたいというイメージです。
生活の場に根ざし、市井の人たちと想いを共有する歌い手でありたい。そんな願いから来るイメージでした。

ところが追い込まれる日々の中でそんなイメージも忘却の彼方となっていたのです。
古いラーメン屋で薄れていたイメージがふと蘇った瞬間でした。

コロナ下で自分の歌うたいとしての立ち位置を見直す昨今です。
原点にある「場末のフォークシンガー」のイメージを再確認することも悪くはないかな。
そう思い再録しました。

***************************

2015年11月27日

今週もなんとか切り抜けた。
寒空に背を丸めてとぼとぼ。
ふらっと足を踏み入れる古ぼけた中華屋。

ラーメンの湯気と煙草の煙。
あったかい空気と満員のお客のしゃべり声。
濃密。

お客はけっこう年配のおっさんだらけ。
料理人もおっさんなら、接客も白髪パンチパーマのおっさん。
紅一点の皿洗いもオバサン。

そこかしこでオダをあげるおっさんたち。
多分定年過ぎて、第一線を退いた70にちょっと手のかかるおっさんたち。

「仕事の仕方」談義に唾を飛ばしてる。
でもどこか実態のない論議がちょっと哀しい。

一線を退いても、戦ってきた日々をどこかにまだ引きずっているのかも。
社会や家庭や仲間内の中にあって自分の存在を確かめたいのかも。

あと何年かすると、自分もまた仲間入りするだろうお年頃。
どこか哀しく、どこか親しみを覚えるのは自分もそこに近づいているから?

みんな何十年もこの店にかよいオダをあげてきたんだろうな。

壁には巨人軍の松原選手と駒田選手に寄贈された硝子。年月を感じる。
長い年月かけっぱなしの札が油で茶に薄汚れている。
ラーメン 350円也

餃子とかた焼きそばをつつきながら疲れが少しずつ薄れていくのを感じる。

ふと思う。
オレが一番歌いたいのはこんなおっさんたちになんだよな。

場末の片隅でひっそりと、おっさんたちやオバサンたちに囲まれて。
何とはなしに人生を語りあいながら歌い、時を同じくする。

そんな歌うたいにオレはなりたいんだと思う。

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2020.11.11

船頭可愛いや

 

古関裕而シリーズ、戦前編はやはりこの歌。
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     船頭可愛いや
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 夢も濡れましょ 潮風夜風
 船頭可愛や え~船頭可愛や
 波まくら
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 千里はなりょと 思いはひとつ
 同じ夜空の え~同じ夜空の
 月を見る
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 独りなりゃこそ 枕もぬれる
 せめて見せたや え~せめて見せたや
 わが夢を
.
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「エール」を観るまでこの歌は知らなかった。
やさしく淡々と歌う藤丸さんの声に惹かれた。
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この歌は昭和10年、日中戦争の始まる2年前に書かれている。
ヒットに恵まれず悶々としていた古関裕而を作詞家・高橋掬太郎 がさそい取材旅行を行った中でできた歌のひとつだそうだ。
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当初歌詞の背景や状況がまったくわからなかった。
古関が自伝の中でこの歌は「大海の豪快な漁師を思う歌」と語っているのがヒントになった。
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作詞の高橋掬太郎 は北海道の根室で漁師の家に生まれた。
当時根室は函館とともに遠洋漁業の基地として栄えていた。
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もしかしたら遠洋漁業の漁船に乗り込んでいる漁師のことを思う女の歌ではないか。
そう考えると1番から3番までスーッとつながる。
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漁師の息子だった高橋掬太郎 にはごく自然に浮かんでくる情景だったのではないだろうか。
掬太郎 は根室新聞社で10年務めた後、大正11年に函館日日新聞に入社した。(この時に「酒は涙か溜息か」を書き大ヒットとなった)
根室にしろ函館にしろ遠洋漁業の町だ。
幼いころから脂の乗り切る30代後半までを漁師町の空気の中で生きてきた鞠太郎の心情をおもんばかる。
「船頭可愛いや」がぐっと近寄ってきた気がする。
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実は僕の母方のじいさんは掬太郎が根室にいたころ、同じ根室で遠洋漁業の仕事にたずさわっていた。
その後函館に移り住んだ。
掬太郎が函館に移ったころと時期が同じころだ。
この歌が遠い昔の縁遠い歌とは思えなくなった。
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函館の宝来町に高橋掬太郎があるそうだ。
今度帰省したら行ってみようかと思う。


https://youtu.be/BBYg-WBmpcQ
原曲音丸さんの歌も時代を感じさせていいが、
ここは函館(上磯)出身の三橋美智也さんで。

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2020.10.25

【元町(MOTOMCHI)】

     元町(MOTOMCHI

  長い坂をくだりながら 見おろす港
  白い船が光ってる 潮風の中
  長い坂をのぼりながら 見上げる山
  杜の緑空に映える 流れゆく雲
   ふたり歩いた坂道 夢をえがいた日々
   遠い思い出の彼方 いつかは帰る街
  長い坂を横切りながら 目をやる教会
  鐘の音が響いている いにしえの街
   ふたり歩いた坂道 夢をえがいた日々
   遠い思い出の彼方 いつかは帰るふるさと


    作曲:小松崎健 作詞:Martin古池

 

健さんのラジオ番組「アイアムダルシマン」で初めて聴いて触発されました。
なにしろメロディが美しい。
聴きながら函館の元町の景色が浮かび上がってきました。

FMいるかが開局した頃の番組「じろじろ大学」の歌として健さんが書き下ろした曲だそうです。
FMいるかは地方FM局の先駆けとなった函館のFM局です。
1992年の開局なのでかれこれ30年近く経つ放送局。

9月に「運河の紅かもめ」のライブでリクエストをして演奏してもらいました。
不思議なことに聴きながら歌詞の断片が浮かび上がり、数日後には仕上がりました。

函館の元町、大三坂あたりから眺める函館港や函館山、そしてカトリック元町教会の昔の景色をそのまま書き連ねました。
(まだ桟橋があり青函連絡船が往来していた子供の頃です)
生家のあった青柳町から元町教会の敷地にある白百合幼稚園まで弟と通った道であり、小学生になってからは幼なじみたちと遊びまわった町、それが元町でした。

健さんに尋ねると実はすでに「元町ファンタジー」という歌詞があり、ありまじろうさんの奥様が歌っているとのことでした。
(ありまさんご自身も歌っていらっしゃるとのこと)

作曲の健さんにローカル(ご当地)ソングとして歌う許可を得、先日の「おーるどたいむ de ライブ 秋の陣」で初めて歌いました。
ハンマーダルシマーとニャンダルのバッキングつきです。
(函館ご当地ソングのレパートリーは「函館物語」に続いてこれで2つ目)

一昨日の健さんのライブでも、健さんのハンマーダルシマー、田中真理さんのハープ伴奏で歌わせてもらいました。(なんて贅沢な!)
しかもなんとありまじろうさんがいらしていてキンチョーでした。
(ありまさんからは「元町ファンタジーならぬ、元町エレジー」としゃれた表現をいただいてしまいました)

まだ歌いまわしがこなれていないけれど、大切に歌っていければいいなと思っています。

今年の1月に「鐘の音」についてこんなことを書いていました。

2020_10_23

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2020.10.01

おつきみどろぼう

 

明日10月1日は今年の中秋の名月。
十五夜さんだ。

十五夜あたりになると毎年「絵本コンサート」を思い出す。
僕は印刷会社に勤務し数多くの印刷に関わらせてもらっていた。
その中でも忘れられないのが世界文化社の絵本印刷。
できあがった絵本をもとに絵本作家の先生の言葉にメロディを乗せて「絵本コンサート」をさせてもらっていた。
絵本作家、出版社、印刷会社のコラボレーションだ。さらに書店や幼稚園などの協力を得ることも不可欠だった。(寅さんに出てくる「とらや」のモデルになったお団子屋さんにも協力いただいた)
出版社の販促活動の一環とはいえ、出版・印刷業界としては希有な試みだった。

同時に歌い手としても得るものが多かった。
絵本コンサートの「お客さま」は子供たち。
子供たちのむき出しの反応にドギマギしたり、失敗したり。それに真っ正面から挑んで得ることのできた教訓だ。

    《当時の記録より》

  たくさんのことをいや本質的なことを
  子供たちから学ばせてもらった

  子供たちは決して「達」ではない
  ひとりひとりの子供なんだ

  当たり前の話なんだが、わかっていたはずなんだが
  本当にはわかっていなかったのかもしれない

  そして、それは大人相手のライブでも同じこと
  「お客さん」でくくってしまっちゃいけない
  ひとりひとりの集まりが「お客さん」だってことを
  肝に銘じた

  大人は自制心も備わっているし、
  全体的にものごとをつかめる「ゆとり」も備わっている
  でも子供たちはまず自分から始まるものだ

  つまらなければ情け容赦なくそっぽを向く
  ステージの進め方の問題点がモロ表面化し暴露される

   「子供相手のライブは難しい」

  多くの人がそう言う
  僕もまたそう思う

  人間社会の縮図が萌芽とはいえ、
  むき出しの状態でそこにあるからだ
  きれいごとが通用しない、情け容赦のない世界
  そう言えそうだ

  相手が子供だからこそ、全心全霊を傾け
  真正面から自分をぶつけなければならない

  「子供たち」にそのことを再認識させてもらった

10年ほど前の話だ。
印刷会社はすでに退職している。
子供たちを相手に歌うことはほとんど無くなった。

でもこの教訓、決して忘れてはなるまい。

 「全身全霊を傾け、真正面から自分をぶつける」

十五夜がやってくるたびに気持ちを新たにするここ数年だ。

 

 

帝釈天「おつきみどろぼう絵本コンサート」(2009年9月14日)
中秋の名月(2010年9月22日)
楽しくも手ごわかった「お月見泥棒コンサート」(2010年9月20日)
昨夜は十五夜 おつきみどろぼう(2011年9月13日)

 

 

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2020.09.09

歌の衣替え コロナの秋

 

ひと雨ごとに秋は深まる。
このところ毎日のように夕方頃雨が降ってくる。
昼間の刺すような陽ざしや、息苦しい湿気はいまだ夏そのもの。
それでも早朝自転車を走らせると、まちがいなく秋の気配を感じる。
吹き抜ける風の匂い、肌をなでるやさしさ。
セミの大合唱にまじる秋の虫の声。

  ああ、今年も秋がやってきてる
  そうだっ!
  歌の衣替えをしよう

2日かけて歌の棚卸しを進めて気がつく。
今年は夏の終わりから秋にかけての微妙な時期を歌う機会がない。

僕は季節感をライブの縦軸にして組んできた。
季節のうつろいにその時々のあれこれを絡めていく。これがいわば横軸。
縦軸と横軸が交差する中で生まれる空気感。
これが長年やってきた僕のライブスタイルだ。

今年の9月、演奏機会は月末までお預け状態。
9月末はすでにもう秋のまっただ中。
夏から秋へかけての季節の微妙なうつろいを歌う機会がない。
季節の移り変わりは心のうつろいにつながる。
ライブとしてはこの微妙なうつろいにこそ面白みがあるんだが...。(まさに「今」この時期に歌いたい歌だ)

棚卸して何十曲も「秋の歌」を準備した。
衣替え作業完了!
でもこのうち半数以上は日の目を見ることなく再び歌蔵にしまい込まれることになりそうだ。

コロナの影響でこの春からライブは中止や自粛が続いている。
これまでは毎週コンスタントに演奏機会があった。
週単位で夏、夏の終わり~秋の始め、そして秋へと歌を移ろってゆく。
それに応じて僕の心もうつろい、歌は鍛えられてゆく。
やがて季節は冬に向かい・・・
こうして1年がすぎてゆく。

こんなスタイルがコロナの影響ですっかり崩れてしまった。
残念だ。

でも悪いことばかりでもない。
ライブなどの演奏機会が減った分、ひとつひとつの音楽会に向けて充分な準備ができるようになった。
それぞれの歌の背景をじっくり調べたり、イメージをふくらませたり。
なによりありがたいのは長年歌いたいと思いつつ手がつけられなかった歌がたくさんある。それらに目を向ける余裕が生まれてきたことだ。
「私を通りすぎた歌たちシリーズ」をふくらませていくことができるようになったことはうれしいことだ。

「ライブ屋」にとって本番に勝るトレーニングはない。
とはいいながらそれが思うようにできない今、できることに最大の注力をかたむけようと思う。
今年日の目を見ることがなかったとしても、来シーズンには活きてくることを信じてね。

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2020.02.14

【からたち日記】

 

明日の「喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会」用の唄本に追補作業をしている。
昭和の流行歌の数は膨大であり、とても一気には作り上げることはできない。
毎回、少しずつ追加している。

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「からたち日記」という唄。
正直言っていままであまりピンとはこなかった。
島倉千代子さんの発声方法や歌いまわしが僕の好みとはかなり隔たりがあるためかもしれない。

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今回、初めて正面から向き合ってみた。
そしたらなんとこれがいいんだな。
まず西沢爽さんの歌詞がいい。
初恋にやぶれた乙女心の切なさがふわりと伝わってくる。

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昭和33年。
戦後の混乱がようやっと落ち着いて、「日本の明るい未来」に向かって歩みをはじめた頃の物語。
二人の間に何があったのか、ついつい妄想が膨らんでいく。
そして台詞がなんとも言えぬ風情を感じる。

  このまま別れてしまっても いいの?
  でも あの人は 
  さみしそうに目をふせて
  それから 思いきるように
  霧の中へ消えてゆきました
  さよなら  初恋
  からたちの花が散る夜でした

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遠藤実さんの旋律がまたなんとも言えずいい。
基本3拍子だが途中2拍子に変わり再び3拍子に。
多分歌詞に合わせて旋律を作ったせいなのかもしれない。
でもこの変拍子が乙女心の揺れをも表している。
そんな気がする。

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この歌詞にはこの旋律でなくてはいけないんだろうな。

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昭和のこの時代の唄はおもしろい。
古い日本と新しい日本の狭間で、微妙な感じを表してる唄がたくさんある。
興味深い唄の宝庫だね。

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からたち日記

https://www.uta-net.com/movie/13861/

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2020.01.16

【雑感】鐘の音

子供のころから鐘の音は耳になじんでいた。
日曜日ごとに通っていた函館のカトリック元町教会の鐘の音。
おとなりのガンガン寺として有名なハリストス正教会の鐘の音。
そして元町教会やガンガン寺に隣接する東本願寺の鐘楼の音。
これらの鐘の音は元町の坂の上の一角に隣接し、共存していた。
我が家は元町の隣町、青柳町の坂の上にあった。
徒歩で10分足らずだろうか。

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キリスト教のチャペルの鐘の音は高い音がきれいに響いてくる。
心洗われる音だ。いわば「再生の音」。

お寺の鐘楼の鐘は低く、深い余韻が心の中にしみいるように響いてくる。
こちらは「鎮静の音」だ。

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若いころは耳になじんだ教会の鐘の音が好きだった。
年をかさねるに従い、お寺の鐘の音に深く惹かれるようになってきた。
鐘を突く打音の後、何度も何度もさざ波のように揺らぐ余韻に身を任せると得も言われぬ心持になる。

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鐘の音のくりかえされる揺らぎの中で心の迷いや乱れ(仏教でいう煩悩?)もまた揺らぐ。
揺らぎながら心の奥深くに沈み込んでいく(沈潜)。
沈潜しながらそれまで脳裏にあった「煩悩」が沈静されていく。
「解脱」や「悟り」といったものにはほど遠いかもしれないが、鐘の音に魂が共鳴していくような感がある。

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ギターを弾いていてふと思った。
自分の好きな音はボディ鳴りの深い余韻を感じさせるものだ。
弦をはじいた後、ボディの中で共鳴しあいながら音は出ていく。
その音は室内にゆっくりゆっくり広がっていく。
その広がりを感じるのが好きだ。

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若いころは早いパッセージやストロークが好きだった。
弦鳴りのきらびやかさや力強さが好きだった。

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音の余韻を残す前に、いや余韻を打ち消すように次のピッキングで弦を鳴らす。
そういう音や弾き方がここ数年とても息苦しくなっている。

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余韻を感じさせられるようなギターや弦を選び、
弦と指(ピック)の破裂音・摩擦音の少ない弾き方をし、
可能な限り音数を減らしたアレンジを好むようになった。

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むろんステージの中ではリズム感を意識したストローク奏法もやっている。
でも全体としては音の余韻を感じさせるようなステージが主流となっている。

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ここまで書いてふと思った。
小松崎健さんのハンマーダルシマーの音が好きな理由だ。
健さんはハンマーで弦をたたいているという感じがしない。
打弦によって生まれる音よりも、余韻をより強く感じさせられる。
健さんのすごいところはアップテンポの曲でも打撃音もさることながら余韻の方がより印象に残るところだ。

そうか。
健さんのハンマーダルシマーはお寺の鐘の音か!

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ちなみに健さんの奥様、操さんのフィドル曲に「鐘」という名曲がある。
函館の元町界隈の鐘の音をモチーフに作られたそうだ。

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2019.10.23

「昭和歌謡」について

 

このところ「昭和歌謡」を歌う機会が続いています。
9月の末、函館の特養「旭が丘の家」で開催されたそれいゆフェスタでの「Martin古池 歌謡ショー」。
翌週、喫茶店JUNEでの「第1回 たそがれ歌声音楽会」。
そして先週、定例の「さんすまいる歌声音楽会」。
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一口に「昭和歌謡」といってもなにせ昭和は長い。
足かけ64年の歴史の中で日本の歴史は大きく揺れ動いています。
いくつかの戦争の渦中をくぐり抜け、完膚なきまでたたきのめされ、そこからはいあがる。
急ぎすぎた復活劇はやがて頓挫。
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歌謡曲は歴史の流れとそれに翻弄されながら生きてきた人々の思いを反映しながら生まれ、歌い継がれてきました。
まさに「歌は世につれ、世は歌につれ」です。
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歌謡曲の歴史については思うところ多々ありますが、それはいずれの機会に譲ることにします。
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オレはこの先いつまで「昭和の歌謡曲」を歌うことができるのかな
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昭和の歌謡曲(流行歌)を歌うたびに最近ちょっと寂しさが残ります。
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僕が歌謡曲を歌うのはここ10年ほどの間にご老人=人生の先達たちと歌う機会が増えてきたからです。
特に函館の「旭が丘の家」での歌謡ショーは大きかった。
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母がお世話になっていた施設で、陣中見舞いに帰省するたびに歌ってきました。
当初は子の世代から親の世代へのエールというつもりでした。
大正から昭和の始めに生まれた方々は戦中戦後に青春時代を送りました。
そんな時代に胸熱くして歌っただろう唄を選んでいたんです。おもに戦後の流行歌でした。
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何度かやるうちに背伸びをしている自分に気がつきました。
「赤いりんごにくちびるよせて~」とか「若く明るい歌声が~」と歌っても実感が伴わないのです。
戦争がやっと終わって明るい世の中への期待感。
戦後生まれの自分には本当のところがわからない。
ボランティアや「慰問」として歌うことに無理や限界を感じたのです。
なにしろ自分の中にはない歌を歌うわけですからね。
どことなく頭でっかちな歌唱になっていたようです。
(「ボランティア」とか「慰問」という言葉自体にもどこか鼻持ちならないニュアンスを感じていました)
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考え方をあらためました。
子供として親と共に聞いてきた歌をやろう。
自分も好きで、親の世代もごくあたりまえに聞いていた唄を歌おう。
そういう唄を通して同じ時代を共有したい。
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昭和30年代~40年代の流行歌が中心となっていきました。
子供の頃歌謡曲少年だった僕はラジオ(後にテレビ)から流れていた歌、親や近所のおじさんたちの鼻歌が身体の中にしみこんでいました。
昔の唄は息が長いから僕の生まれる前の昭和20年代の唄もあたりまえのように流れていました。
僕もなんとはなしに口ずさんでいました。(「銀座のカンカン娘」は名曲だ!)
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「Martin古池の歌謡ショー」はご老人たちも僕も共に楽しめるものになっていきました。
(「Martin古池の歌謡ショー」と名付けてくれたのは旭が丘の家の当時の担当の方でした)
.
その後ご縁があり、地元・越谷のデイサービス・さんすまいるでも歌うようになりました。
こちらはご老人といっても特養に比べると若く、お元気な方々ばかりです。(僕よりも10~15歳くらい先輩方)
選曲は少し時代が進み、昭和40年代の唄が主流です。(グループサウンズもいけちゃう)
何度かやるうちに聴くだけではなくご自身も歌いたい様子を感じはじめました。
そこでみんなで一緒に歌う「歌声音楽会」にしました。
これが良かった。音楽会に魂が入りました。
こじんまりとした音楽会ですが、唄を通しておしゃべりの花が咲きます。
おしゃべりを通して唄の裏に流れる時代背景や、それぞれの方の若き日の思い出がポロリと出てきます。
.
ご老人たちと歌うということが僕にとっては欠かせないものになっています。
歌謡ショーや歌声音楽会を通してさらに古い時代の歌謡曲を知ることもできるようになりました。
知識としてしか知らなかった戦中戦後の空気も生々しく感じられるようになりました。
10年前に背伸びをしていると思い歌えなくなった歌も、ごく自然に歌えるようになりました。(「長崎の鐘」や「青い山脈」等々)
戦中戦後の生き証人の方々と歌えることは幸せなことです。
.
.
今年の3月に大正生まれの母が亡くなりました。
「旭が丘の家」の入居者の方々も顔ぶれが少しずつ変わっています。
ご存命の方々も少しずつ、あるいは急激に老いが進んでいます。
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デイサービスの先達たちもやはり老いが進んでいる。
デイサービスに来られなくなり、特養などに移られた方もいると聞きます。
戦中戦後の歌謡曲をいつまで歌い続けることができるんだろうか。
共に楽しんでくれるご老人たちはいつまで達者でいられるのだろうか。
ちょっと寂しくなります。
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そしてはっと気がつきます。
歌っている自分自身もまた「高齢者」=老人の仲間入りをしていることを。
(じょうだんじゃねぇ! と思いつつもね)

 

 

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2019.03.07

ステージネーム「Martin古池」の背景

人生にはいくつかの節目があるように、音楽と共に歩いてきた道のりにも節目がある。

「Martin古池」というステージネームを名乗るようになったこともそのひとつ。

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20年ほど前にさかのぼる。

それまでのおよそ10年間、僕の主な演奏場所はライブハウス「ぶどうの木」(旧あがれば)だった。
ここで僕は数多くのソロライブをさせてもらい、様々な試みに挑戦させてもらった。
「ぶどうの木」というライブハウスとそこに来られるお客様に守られながら育てていただいた。

98117

.

諸事情から「ぶどうの木」はお店をたたむことになった。
僕はその後2年ほど、自力ライブと称して公共施設やスナックなどを借り切ってライブ活動を続けた。

そしていやというほど痛感したのが、自分はいかにお店やお客さんに守られてきたかということだ。
同時に自分のライブがどれほど独りよがりなものであったかということを思い知った。

このままじゃダメだ。
不特定多数の方々にもちゃんと聴いてもらえるような歌い手になりたい。

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そう思った僕は「守られた場所」でのライブはやめて街に出た。
駅、公園などで道行く人に歌いかける「街角ライブ」を始めた。
たしか48歳の頃だと思う。

いいおっさんが街角で歌うということは、僕にとっては一大決心だった。
周囲も当初は好奇の目で遠巻きにして眺めていた。

2011

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そういう周囲の目や、なにより自分の弱気の虫と闘うために僕はステージネームをつけることにした。
それがMartin古池の始まりだった。

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Martinは無論ギターのメーカー名。
その頃Martinギターは僕の主力、代名詞的なギターだった。
それに自分の本名を重ね合わせた。

思いのままにはいかぬ街角ライブ。自分を鼓舞するためにこの名を使い続けた。

Matikadoraibu

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今でこそ不特定多数の方々を前にして歌うことが僕のライブスタイルに定着している。以前のように鼓舞することも少なくなった。(無いわけでは全然ないけど)
「Martin古池」というステージネームにこだわりもなくなった。
でも長年使い続けてきたから愛着はある。

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次の「おーるどたいむライブ 春の陣」には「ぶどうの木」のママさんが来てくれるそうだ。お会いするのは十数年ぶり。

僕がまだ「Martin古池」を名乗る前のライブスタイルと今につながるスタイルをうまく表現できるようなステージにしたいと思う。

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