音楽雑感

2018.10.02

音楽雑感

昨夜、Mくんに言われたことが頭の中でずっとリフレーンしている。

古池さんは自分に合う歌って分かってる?

逆に言うと合わない歌って分かってる?

答につまってしまった。

M君に言わせると、僕の歌の一番の特徴は「ウォーミー」なところだそうだ。聴いてる人をあったかい気持ちにさせるところとのこと。
多少シリアスな唄を歌っても 、あったかさがあり、聴く側とすれば逃げ場やちょっとした希望や安心感があるということらしい。

誉め言葉ではある。
これで終わらぬのがMくん。

だからさぁ、古池さんに「せつない歌」ってのはどうも合わない気がするんだ。

それは上手いとか下手とかってことでなくてさ、声質とか人間性とかから来るような気がするんだよな。

バカヤロー、オレにだってせつない気分の時はナンボでもあるっ。
そう思いながらもMくんの毒舌に耳を傾けていた。
一理あると思いつつも、いやいやちょっと待てよという気持ちもある。
肯定する材料もないが反論する材料もない。
心の中に深く沈めて発酵するのを待つしかないんだろう。

Mくんは共同印刷在職時代の同僚。一回り下だが昔から先輩を先輩とも思わず思ったままに毒舌を吐いてきた。
「お好み焼きの三貴ライブ」には約15年、ほとんど欠席することなく聴きに来てくれている。(出勤率97%‼️)
三貴ライブでの僕の試行錯誤や変遷を知り尽くしている。良きも悪しきもね。
彼の毒舌は傾聴に値する。(受け止めるか否かは別だけどね。一面の真理ではあると思う)

何十年もソロライブをやって来た。
そのほとんどがワンマンライブ。時として自分の立ち位置ややり方が見えなくなる。

僕にはありがたいことに、その時々に忌憚のない意見をしてくれる先輩や友人たちに恵まれた。
時には完膚なきまでに叩きのめされたこともある。

でも彼らに共通しているのは根っこに肯定があることだ。だからどんなに批評され、批判され、毒舌を吐かれてもそれは建設的な意見。
「批判のための批判」とは根本的に違うところだ。

残念ながら批判や毒舌に自分なりの答えを出すのには時間がべらぼうにかかる。
自分の中に落とし込み発酵するのを待つしかないからね。沈みっぱなしで終わってしまうこともあるだろうしね。

ただ、僕にとってはとてもありがたいことだ。

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蓄音機

「蓄音機」

以前何度かマック杉崎さんの蓄音機コンサートを聴いたことがある。
蝋管やSP盤に針を落とし、微かな振動を拾い、それを増幅、拡大して聞かせる装置だ。大きなラッパから出てくる音は実に生々しく艶っぽかった。まるですぐそこでジミー・ロジャースやカーター・ファミリーが演奏しているような錯覚を覚えた。
なにより驚いたのは音の増幅が電気的になされているのではないことだった。管やラッパのなかを進む振動が少しずつ物理的に増幅されていき大きな音になっていく。
電気的に拡大されたスピーカー音に慣れた耳には驚きを通り越し感動すら覚える。

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「ホーミー」

カルマンのライブで馬頭琴を弾きながら、「唸る」ようなホーミーを演ずる岡林さんの演奏に触れた。喉をギリギリまで絞り唸り声の振動を舌につたえる。その後振動は頭や鼻などで増幅され音になっていく。人のからだの中でまるで管楽器のように音が増幅されていく。
ホーミーは低い唸り声と同時に口笛のような倍音が同時に聞こえてくる。驚きを通り越し感動すら覚える。

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蓄音機とホーミー。
歌い手にとって大きなヒントが隠されているように思う。
共に音を物理的に増幅、拡大させることができる。
喉を通過した後の声の処理の仕方で歌は変わるし、変えることができるということだ。

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「腹から声を出す」とはよく言われる。圧縮された音を作るという点でそれは基本中の基本だと思う。
問題は加圧された音が喉を通過した後の処理だ。体内で各器官といかに共鳴させ、音を増幅させるか。
ホーミーは絞りこんだ喉の摩擦、振動を舌に移していく。
クラシック歌手は喉を全開にしてストレートに各器官に共鳴させている。
喉の開閉という点で正反対だが、その後の音の共鳴と増幅では同じだ。

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ふりかえって、自分の場合はどうなのか。
「身体」を楽器のように鳴らすということが長年の課題である。
呼吸の仕方、発声のやり方、喉の開け具合はもちろんだが、音を共鳴させ増幅していくという点ではまだまだ修練が足りない。いまだ試行錯誤の連続だ。

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このところ喧騒のお好み焼き屋さんでのライブを事情があり、生音でやっている。手応えはあるもののいまだ手探り。
一昨日のそれいゆフェスタでのコンサートも広い会場、たくさんのお客さん。音の通りという点で厳しい条件だった。ある程度思い通りできたという手応えはある。

しかしながら声を増幅させるやり方にまだ少々無理があるように感じている。
体内での音の回り方(共鳴~増幅のさせ方)のイメージをもっと意識化すること。さらにそれを無意識のうちにできるようにするにはまだまだ多くの時間を要しそうだ。

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2018.07.25

エンタのこと

週末に函館山山頂で中学の同期会が開かれる。
それに合わせてエンタの墓参りもするつもり。
中学生の頃、3歳年長のエンタに僕はギターを教わった。

37年の空白を経て、エンタの店・居酒屋ENTA巣で再会を果たした僕たちは、エンタの亡くなるまでの10年間置き去りにしてきたものを取り返すかのように語り合った。

ここに再掲載する文章には僕たちの会話の一端がよく出ている。
互いの音楽のルーツから始まり、若きエンタとぐしさんとの出会いについて。晩年ちょっとだけ復活した「楽や」でのライブ。

エンタのまいた種を僕の音楽活動の中で育ててやりたいと思う。
来年、もし可能ならぐしさんをお招きして「おーるどたいむライブ」をやりたいと思っている。
ENTA & GUSHIを倣ってMartin & GUSHIで「僕の星から」をやれればいいなと思う。

墓参りの前にエンタとのやりとりを思い出してやろう思っている。
墓前ではもちろん「僕の星から」を歌うつもりだ。

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おーるどタイム de ライブ
「私を通り抜けた歌たち」

子供の頃から歌が好きだった。
それが高じて人様の前で歌い始め、かれこれ45年。
決して上手な歌い手だとは思わない。
それでも紆余曲折を経ながら試行錯誤を繰り返し、ずっと歌ってきたことは決して意味の無いことではなかった。
(そう思いたい)

そしてたくさんのいろんな歌が僕を通り抜けていった。
大好きだけどとても歌いこなせない歌から、
自分なりに手を加えレパートリーになっている歌まで、
おそらく千はくだらないだろう。

いろんな時期も経験してきた。
歌謡曲少年だった子供の頃。
ビートルズやグループサウンズ、フォークソングに憧れた中学時代。
人様の前で歌い始めた高校時代。
プロテストフォークにこだわった20代。
フィールドフォークの影響で暮らしの中で歌い始めた30代。
「夜会」の影響もあり、テーマやストーリーにこだわった40代。
より多くの人、不特定多数の人に歌を聴いてもらおうと躍起になった50代。

これから新たに足を踏み入れようとしている60代。
僕は何を目指し、何を歌おうとしているのか。
それぞれの時期にこだわってきたもの、
今の自分にすべて流れ込んでいるようにも思う。
それがどういう形で結実していくのか。
それを探る第一歩を「おーるどタイム de ライブ」から始めてみたい。

今を歌うために、これまで僕を通り抜けていった歌たちを
今、歌ってみたい。
長い月日の中で出会った歌の数々を、わずか1時間につめこむのも無茶な話だが
本当に好きだった歌だけを集めて歌いたい。

→エンタ
う~ん、難しいけど...その中に持ち込まれた研ぎ澄まされた思いの隅々までが納得行く自分にとっての名曲を、大人ぶった冷静に分析なんかをせずに、それらを持ち出す自分をさらける...それが出来た時にこそ、在るべきライブが成立するんじゃないかなぁ~!
俺には、大好きな曲はいっぱい有るけど、(サビだけとか)自分(達?)の何かを本気で語り尽くしてるなぁって唄にはいまだに出くわしてなくて、オリジナル曲を作るのが最良の方法になった。

あれ?昨夜多少酔いつつも、またいっぱい書いたと思ったら、途中までで終わってるなぁ~。この事はまた書くよ。マーチンはマーチンの道を頑張って!

→Martin

えんちゃん。俺も一時は同じ思いで曲を書いたんだけどね。でもどうも作詞ってやつが苦手でね。結局何曲かで何かを語るってやり方になり・・・。
思いはいっぱいあるんだけど、それを3分間の中に閉じ込めることができず、饒舌になり、饒舌であるがゆえにかえって語りつくせずってぇ連鎖にはまってしまい…。難しいもんだよね。でも自分がやれることを最大限にやるしかないもんね。

→エンタ

俺は、本気で思いっきり「音楽の及ぼすとんでもないチカラ!」にヤラれたのが(ビートルズ出現前の時代に)アズナブールの唄だったんで、音楽の中心は「詩」なんだよね~。散文な歌詞が音(リズムやメロディ等)と相まって聞き手に効果的に響いてくる物凄さこそが存在価値なのが、いまだに揺らがないんだ。

大昔にやめちゃってた音楽(バンド)だけど、31年前に稲生座で、マスターにそそのかされて唄いだした頃に、偶然にも出くわしたグシ君という若者ギタリストに「見つけたぁ~!」って感じで惚れ込んでユニットを組んじゃって1年半くらい唄ってた時に、それまで方法が見つからず諦めて形にできなかったし近づけなかった自分の一番大事に思う世界を、彼との出会いで火が点いて、稚拙ながら(だからこそなんだけど)ほとんど思いっきりにやりきっちゃった気がする。

それからまたしばらくして誘われて数年前までドラム叩いてたよね~。楽やのライブは、ほとんどが現役時代より楽しかった。(トミさんと1曲だけ共演も出来たし)

音楽は楽しい事が多い。悩み続ける楽しさの果てを目指してちょうだいね~!イェイ!

→Martin

俺はビートルズが先でそのあとにアズナブールだった。エンちゃんがアズナブールの詩の世界に引きずり込まれたように、俺はアズナブールの身体中から発散する表現の世界に引きずり込まれた。歌詞はもちろん(訳詩でしかわから中たけど)、メロディー、声、発声、目の動き、指の動き、ポケットに手を突っ込んだいなせな感じ。そういうものすべてに完全にやられてしまった。
「悩み続ける楽しさの果て」って感じ、よくわかるなぁ。

→エンタ

マサ坊と音楽話しになると、FBに書くと長すぎるんでまどろっこしいなぁ~!
喋ると二人とも結構早口だから、アッと言う間にこの10倍の展開ができるな~!(笑)

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2018.06.20

【雑感】 ライブの準備について

デイサービス「さんすまいるコンサート」はガットギターを使うことが多い。
昭和の流行歌をメインに歌う。自分が歌うだけではなくご老人たちと一緒に歌う。
会場は奥行きがなく、鋭い音だとはねかえりが強い。
ご老人たちに気持ちよく歌っていただくためにここでのコンサートは優しい音色と余韻が広がる感じにしたいと思っている。
スチール弦の音はちょっときつい。
ガットギターがベストチョイスのような気がする。
函館の特養・旭が丘の家で演奏する時は、同じご老人相手、同じ昭和の流行歌がメイン。でも会場が広く奥行きがある。
このためガットギターでは音が吸収され輪郭がぼやける。
だから鉄弦ギターを持っていく。
演奏する場や、曲目、聴いてくださる方を思い浮かべながらギターを選ぶ。
けっこう楽しいもんだ。
最近ライブの準備がとても楽しく感じられるようになっている。
会場の音の流れ方をイメージしながらギターを選ぶ。
いろいろイメージをふくらませながら、選曲やアレンジを考える。
本番のライブでは必ずしもイメージ通りには行くわけではない。
でもそのギャップがまた楽しい。
選択したギターによって弾き方も歌い方も変わってくる。
大変といえば大変だけど、おもしろいといえばおもしろい。
最近ライブの準備はそんな感じでやっている。

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2018.06.05

1969年

【「1969年」 その1】

このところ自分の音楽の原点について思うともなく思っている。
原点をどうとらえるかってこともあるんだけどね。

子供の頃歌謡曲で育ったことが土台になっているとすればそれが原点ともいえる。
父が好きで頻繁に触れるチャンスのあったクラッシックやグレゴリアンも下地になっているともいえるし。
母にせがんで歌ってもらった童謡・唱歌の類だってそれ抜きには考えられない。

でも自らが求めて聴き、なおかつ演ずるようになった音楽をひとまず原点にするべきかな。

そう考えると「1969年」とそれに連なる数年間が僕の中でとてつもなく大きな意味を持ってくる。

この年僕は中学3年生だった。

世の中はきわめて流動的であり、混沌としていた。
高度経済成長の絶頂期で大人たちは「モーレツ」に働いていた。
人類が初めて月面に降り立ち、科学技術の進歩に大人も子供も胸を熱くした。

一方で日米安保条約の撤廃を求める学生運動がピークを迎えた。
その象徴が東大安田講堂に立てこもった学生たちと機動隊の「闘い」だった。
が…安保条約は自動延長となり安田講堂は「落城」した。
ジグザグデモを制圧する機動隊、壁に向かってホールドアップさせられている学生たちの手を映し出すニュース映像が今でも焼き付いている。

時を同じくして新宿西口広場で毎週開かれたフォークゲリラによる反戦フォーク集会。
広場を埋め尽くす若者たちの歌う様子が白黒のテレビに映し出される。
それは北国の小さな町にもつたわってきた。
やがて「広場」は「通路」と改称され、道路交通法違反とされ規制される。
警官に腕をつかまれながらもギターを弾き歌い続ける学生たち。
やがて警察隊に制圧され、収束していくフォーク集会。

熱と挫折に彩られた「1969年」。

田舎の中学生はわずかなニュース映像を便りに妄想をかきたてた。
「社会」について真剣に考え、行動を起こす大学生たちにあこがれた。
カッコいいと思った。
そして同時に「憐憫」を感じた。

「動」なるものと「静」なるものの同居する「1969年」

そんな頃函館の労音会館に高石友也や岡林信康らがやってきた。
フォークソング・フーテナニーってヤツを初めて体験した。
「思い出の赤いヤッケ」に胸を熱くし、身につまされながらも笑い転げた「受験生ブルース」(高校受験をひかえていた)、そして「勝利を我らに」や「友よ」の大合唱に胸が震えた。
フォークは生きている!

そう感じた。

そして自分もまたギターを弾き、歌い始めた。

憧れと妄想が原動力だった。

「1969年」

フォークソングとの出合いの年だった。

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2018.04.15

ライブとギターのお話

【ライブとギターの話】

何十年とライブ活動を続けてきた結果、いつの間にかギターの数が増えました。

どのギターもめぐりあいという縁に結ばれたものと思っています。
それぞれに顔があり個性がある。
だから常時2~3本を2ヶ月くらいのペースで順繰りにライブで活躍してもらってます。
このペースで約一年でひとまわり。

とはいえ何本かは常時弾いているギターも何本かあります。いわばレギュラー陣。
レギュラーは演奏する場所によって弾き分けています。

僕の演奏の場は多岐にわたっています。
市場やお好み焼き屋さんをはじめ、喫茶店や老人施設。そして年数回の屋外演奏。加えておーるどたいむのようなライブカフェ。

みな場の環境もお客さんもてんでんばらばら。
曲目の傾向も違います。同じ曲でも歌い方が変わってくる。
それぞれの場に応じてギターの選択も変わります。

例えばだだっ広い市場では音の輪郭のはっきりしたギブソン系のギター。
喧騒のお好み焼き屋さんでは、通常営業中ということもあり落ち着いた音色でかつ音量の大きなギター。(ここではアンプの力を大いに借りています。)

同じ通常営業中ライブでも静かな喫茶店では深い余韻をもつギター。例えばマーチンやノースウッド。

老人施設ではガットなど耳にやさしい音色のギター。

こんな風に弾き分けています。

贅沢な話ではあるけど、自分の中では必要かつ重要なことなんです。

静かな日曜昼下がりの喫茶店でギブソンのジャキジャキした音のストロークで店に流れるまったりした空気を一気に壊すわけにはいきません。ここでは場の空気に自分をなじませるところからスタートさせなきゃならない。空気と同化したところで少しずつお客様を巻き込んでいく。それがここでのスタイル。それには優しい音色で懐の深いギターが必要。

逆にだだっ広い市場の中でしっかり音を届けるには輪郭のはっきりしたギブソンが適しています。奏法もストロークやカーターファミリーピッキングが主体になります。強い伴奏に合わせて唱法も張りのあるものになります。(時にはキーをあげることもある)

このようにてんでんばらばらの環境に適したギターの選択は僕にとってはかなり重要なライブ準備です。言い方を変えれば僕のライブはギター選びからすでに始まってるのかもしれません。

場に合わせたギターを選ぶ
ギターの性格に合わせた選曲
同様にギターに合わせた奏法、唱法の選択
(もっともこれは現場でお客様との間合いを測りながらその場できめることが多いのですが)

長年、特に「不特定多数」の方に歌うことを主眼にしてきたこの15年試行錯誤をしてきた僕のライブの形がここ数年ようやっと形になってきました。演奏の場、経験、そしてギターなどの「道具」。すべての面で恵まれ充実してきました。(あとは技をもっと磨けやっ!)

縁あり僕のところにやってきた相棒たちと、これからも格闘しながら楽しくやっていければいいな。

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2018.04.12

大塚博堂という歌手

大塚博堂という歌手がいた。
男の身勝手とその代償としての後悔をなめるように歌う歌手だった。

初めて大塚博堂を聴いたのは1975年。北海道から東京に出てきた翌々年。
弟が手に入れたLPレコード「ダスティンホフマンになれなかったよ」だった。

当時僕は身勝手の限りを尽くしていた。その結果女にふられ、陰鬱な気分で過ごしていた。

大塚博堂の歌がやけにしみた。身につまされる思いだった。

以来、ライブで何度も何度も大塚博堂シリーズをやってきた。
アルバム「ダスティンホフマンになれなかったよ」に収録された歌をストーリー仕立てにし、歌と芝居とナレーションで演じてきた。

ここ何年かは大塚博堂を封印してきた。大きな理由はないが、60過ぎのおっさんが若き日の傷心をいつまでも引きずることもあるまいと思っていた。

おっさんになったからこそ、若き日の後悔と傷心を素直に歌えるような気がしてきた。

昔とは一味違ったとらえ方で歌えるんじゃないか。そんな気がしてきている。

5月19日(土)に今年2回目のおーるどたいむ de ライブを予定している。
1部を「大塚博堂を歌う」と題してやるのも面白いかなと思っている。
10年前とはちょっと違うタッチで。

ちなみに2部は歌声音楽会の要素を入れてやろうかと思っている。

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440と442

「440と442」

ギターなどのチューニングの話だ。
一般にレギュラーチューニングとされているのは440。

でもちょっとこのピッチに懐疑的になっている。
ギターそれも生音のアコースティックギターに限った話だ。
ラインはもちろんのこと、マイクも使わぬギターそれ自体の音が一番美しく快適に感じられる音。
それはレギュラーチューニング=440よりちょっとだけピッチの上がった音のように感じる。
それをあえて数値で表せば442ということになる。

こちらの方が低音のこもり感がなく中音も存在感を増して感じられる。その割に高音は耳に障らない。
さらにピッチを上げると高音は耳障りに感じられるのかもしれない。
442程度が低音~高音までバランスよくなり、しかも全体にしまって来るように思うのだ。

むろんレギュラーチューニングの大切さはわかっているつもりだ。
アンサンブルでは音程の基準を明確にしなければ気持ちの悪い音になる。
絶対音階を持つ人にしてみれば442を気持ち悪いと感じることだろう。
知り合いで絶対音階を持つ人もほとんど思いあたらない。(あ、内藤まれかちゃんは絶対音階の持ち主だった)

僕の演奏スタイルは幸いにもひとりで奏でる弾き語り。
そんなこともありライブでは時々442でやることがある。(喫茶店JUNEさんでやる時はほとんどこのピッチ)

がんばって弾かなくてもしまりのいい明るい音が深い余韻と共に聞こえてくる。歌いやすいことこの上ない。
メリハリと余韻に包まれるのを感じながら歌うのは心地よい。

僕と442の出合いは古い。
20年ほど前参加していたオカリナアンサンブル かざぐるま時代にさかのぼる。

メンバーが使うオカリナが一番いい音に響くのは442だった。
息の吐き方で音程の変わるオカリナは演奏者が一番息の安定するところでそろえていく必要があった。

最初はレギュラーチューニングの僕のギターとオカリナ隊のピッチが合わず苦労した。
10年の間に「正しくチューニングされた」ギターにオカリナを合わせてもらうのではなく、安定してオカリナがふけるピッチにギターのピッチを合わせるようになった。
それが結果的に442だった。

僕の中でこの頃からレギュラーチューニング信仰が崩れていった。

そういえばカーターファミリーも1音下がりのチューニングで演奏していたりする。ひなびたいい感じの音が現代人の僕にはノスタルジックに感じられる。

ギター本来の音で鳴ってもらうためにはピッキングの技術等を高めることは当然だ。
それだけではなくギター個体の特性をつかんで、それに合った弦の選択やピッチを探すことも大事なような気がする。

ここに書いたことは好みの問題ではある。
生音弾き語りスタイルだからこそ好みのやり方を試せることは(孤独な反面)ありがたいことだと思う。

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2018.03.21

【音楽雑感】 淡々と歌うことのむずかしさ

淡々と歌うことの難しさ。
一人でただ歌うだけならいくらでも歌える。
でもお客さんを前にして淡々と歌うとなれば話は別だ。
淡々とした中にもたしかな存在感を残せなきゃならない。

理想はその場にあって「空気」のような存在たること。
あたりまえのように存在し、かつその場に欠くべからずといった歌い手であること。

強い個性や自己主張はしないけれど、聞く人に心地のよさがしみこんでいたというのがいい。

それは冬の寒さの中のほのかな暖かみだったり、夏の暑さの中の涼やかな風だったり。

十数年、市場やお好み焼き屋さんなどで歌ってきて感じる理想の姿。
市場もお好み焼き屋さんも喫茶店も通常営業の中で不特定の方々に歌っている。
ライブを聴きに来たわけではない方々と時間と空間を分かち合うためには「空気」のような歌い手であることが一番の近道のような気がする。

感情も歌もギターもすべてぎりぎりまで抑える。
でも抑制された中に圧縮された密度の高いものが隠されている。それが情感としてにじみだしてくる。
それが淡々と歌うということのような気がする。

高校生のころ室蘭市民センターで観た宇野重吉と北林谷栄の芝居がそうだった。すべてにおいて抑制された表現だったがなにか深く残るものがあった。
あの静かな感動は40年以上の時を経て、今よみがえってくる。

そんな歌い手になりたい。

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2018.02.12

やぎたこ 「We Shall Over Come」

「We Shall Over Come」

初めてこの歌を聞いたのは函館労音で開かれた「高石友也リサイタル」だった。
1969年。70年安保を控えたきな臭い年だった。
中学3年生、受験生だった僕は「安保」の何たるかもわからずに、雰囲気だけは社会変革に共鳴する早熟な小僧だった。

...

昨日に引き続き寒風の中をストックを携え、長い時間歩いた。
お供はやはり昨日と同じやぎだこの「We Shall Over Come」。
2枚組のこのアルバムを聴きながら、いろんな思いがわいては消えていった。そして深く考えた。

このアルバムの歴史的な意味は大きい。
日本のフォークソングの一つの源流を若きやぎたこがトレースしたこと。それを支えたのが源流の担い手だった「長老」の皆様。

彼らの織り成すフォークソングの世界は、フォーク第二世代の若き日の僕にはあこがれであり、お手本でもあった。
50年のあゆみ、それは音楽シーンの表舞台からは離れたところでひそかに、ゆっくりとはぐくまれてきたのだと思う。
やぎたこがその歩みをアルバムの共同制作を通して受け継ぐ営み。
僕はそこに大きな歴史的価値を感じる。
このアルバムとその作成過程に大いに共感・共鳴を覚える。

一方でひとつひとつの歌をじっくり聴きながら、僕はある種の違和感をも感じていた。
それはもし自分がこの歌を歌うとするならばどうやるのだろうかという問いかけからくるのだと思う。共感を覚えるものに対してむしろ距離を置くという、性癖というか習慣が僕には昔からある。たぶんひとつひとつの歌を咀嚼し、自分の中に落とし込み、なじませていくにはまだ時間がかかりそうだ。
違和感を感じさせてもらえるということはそこに引っかかるものがあるということだ。(良い意味で引っかかるということだ)

そんな思いを抱えながら聴き進め、アルバムは終盤にさしかかる。
そして流れてきた「We Shall Over Come」。
のどにためて歌うやなぎさんのアカペラソロで始まる1番。(やなぎさんの声、歌い方にアーロ・ガスリーをいつも感じる)
2番は透明でストレートな歌声の貴子さんにつながれていく。
そしてギターが入りオートハープが入り全員の歌声。まさに60年代のフォークフーテナニーを思い起こさせる。
そしてフェイドアウトで終わる。
そしてやなぎさんの「旅という生活 生活という旅」
まさにNGDBの「Will The Circle Be Unbroken」(永遠の絆)~「青春の光と影」をほうふつとさせるエンディング。

「We Shall Over Come」を聴きながらここでもまた考え込んでしまった。
かつてこの歌は「勝利を我らに」という邦題で歌われた。
70年安保を前にしていたあの頃、明確な闘争課題が当時の若者にはあった。安保闘争に限らず、ベトナム反戦運動、被差別部落問題etc.etc.と盛りだくさんだった。

「We Shall Over Come」はそんな中で歌われた。「勝利を我らに」というタイトルも違和感なく定着した。
しかし安保闘争の敗北、学生運動の衰退と過激化という流れの中で「何に対する勝利なのか」という疑問が僕の中に生まれた。
この歌を封印した。

アメリカの公民権運動やキング牧師のことは当時はよくわからなかった。ピート・シーガーがどういう状況下でこの歌を歌っていたのかもまたよく知らなかった。(北海道の田舎町・室蘭でそういう情報を得ることは至難の業だった)
つたない英語力では「We Shall Over Come」を「勝利を我らに」とは訳せなかった。そこにも違和感を覚えた。

のちに知ったことだがキング牧師は有名な演説の中で直接的な闘争課題について語ってはいない。むしろ人間として「あるべき姿」を目指したものだった。それが直接的闘争課題に拘泥する人たちからは非難を浴びた。
「We Shall Over Come」を今思う時、勝ち負けではない人類の理想を求めたキング牧師のことが思い出される。

あの時代から50年が過ぎた。今やぎたこがどんな思いでこの歌を選んだのか。
今度お会いした時にそんな話ができればうれしいのだが。

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