故郷へ帰りたい Take Me Home Country Roads
そのシーンが今も焼きついているためだろう。
それにあわせてのことだ。今やらなきゃこの先二度とやることは無いだろうという思いもあった。
それをなぞったんじゃ日本語詞にする意味がない。
ずいぶん苦労されたことだろう。そして望郷の念もまた強かったのではなかろうか。
その時目にした景色や音や匂いが残っている。
🎵僕の古いギター
傷だらけの僕のギター🎶
30年近くもあちこち連れだってきた。
八ヶ岳の森の中の音楽会。
土俵岳の山頂コンサート。
谷底の清津峡キャンプ場の丑三つ時ライブ。
北海道ギター旅。
etc.etc.....
劣悪な環境にも耐えてきた。
カンカンに乾燥した真冬の市場。
猛烈な湿気の真夏の市場。
もうもうたる煙と油混じりのお好み焼き屋さん。
10年前にとうとう耐えきれなくなり壊れた。
ブリッジがメリッと剥がれた。
もうダメかと諦めかけた。
馴染みの楽器屋さんの一言で思いとどまった。
なんとかなると思いますよ
何ヵ月もかけての大手術。
ボディに研磨をかけてブリッジはついた。
ブレーシングも含めて全面的な見直しと調整。
再び生き返った。
ただもとのきらびやかな音は甦らなかった。
その後何年かかけてパーツを少しずつ変えた。
ブリッジやナットを象牙にしたり、サスティーンを改善するオートチャンバーという器具をブリッジの下に装着した。
今は好みの音で気持ち良く鳴ってくれている。
が、大手術の後遺症かロッドの調整ができなくなった。
ネックが反り、ロッド調整で無理に締め上げると破損しかねないそうだ。
ライブや音楽会での出番は減った。
もっぱら家で自分のためだけに弾いている。
愛着あるマーチントリプルOだ。
5年前、仕事帰りに立ち寄ったラーメン屋で感じたことを投稿していました。
当時の僕は転職後、やっと自分なりの仕事の仕方が見え始めた頃でした。
日々「新規案件」や「アフターフォロー」に追い立てられ、尻に火がついたような状態でした。
二足のわらじで長年続けてきた音楽活動も文字通り必死にやっていました。
「場末のフォークシンガー」という言葉は歌うたいとして自分はかくありたいというイメージです。
生活の場に根ざし、市井の人たちと想いを共有する歌い手でありたい。そんな願いから来るイメージでした。
ところが追い込まれる日々の中でそんなイメージも忘却の彼方となっていたのです。
古いラーメン屋で薄れていたイメージがふと蘇った瞬間でした。
コロナ下で自分の歌うたいとしての立ち位置を見直す昨今です。
原点にある「場末のフォークシンガー」のイメージを再確認することも悪くはないかな。
そう思い再録しました。
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2015年11月27日
今週もなんとか切り抜けた。
寒空に背を丸めてとぼとぼ。
ふらっと足を踏み入れる古ぼけた中華屋。
ラーメンの湯気と煙草の煙。
あったかい空気と満員のお客のしゃべり声。
濃密。
お客はけっこう年配のおっさんだらけ。
料理人もおっさんなら、接客も白髪パンチパーマのおっさん。
紅一点の皿洗いもオバサン。
そこかしこでオダをあげるおっさんたち。
多分定年過ぎて、第一線を退いた70にちょっと手のかかるおっさんたち。
「仕事の仕方」談義に唾を飛ばしてる。
でもどこか実態のない論議がちょっと哀しい。
一線を退いても、戦ってきた日々をどこかにまだ引きずっているのかも。
社会や家庭や仲間内の中にあって自分の存在を確かめたいのかも。
あと何年かすると、自分もまた仲間入りするだろうお年頃。
どこか哀しく、どこか親しみを覚えるのは自分もそこに近づいているから?
みんな何十年もこの店にかよいオダをあげてきたんだろうな。
壁には巨人軍の松原選手と駒田選手に寄贈された硝子。年月を感じる。
長い年月かけっぱなしの札が油で茶に薄汚れている。
ラーメン 350円也❗
餃子とかた焼きそばをつつきながら疲れが少しずつ薄れていくのを感じる。
ふと思う。
オレが一番歌いたいのはこんなおっさんたちになんだよな。
場末の片隅でひっそりと、おっさんたちやオバサンたちに囲まれて。
何とはなしに人生を語りあいながら歌い、時を同じくする。
そんな歌うたいにオレはなりたいんだと思う。
元町(MOTOMCHI
長い坂をくだりながら 見おろす港
白い船が光ってる 潮風の中
長い坂をのぼりながら 見上げる山
杜の緑空に映える 流れゆく雲
ふたり歩いた坂道 夢をえがいた日々
遠い思い出の彼方 いつかは帰る街
長い坂を横切りながら 目をやる教会
鐘の音が響いている いにしえの街
ふたり歩いた坂道 夢をえがいた日々
遠い思い出の彼方 いつかは帰るふるさと
作曲:小松崎健 作詞:Martin古池
健さんのラジオ番組「アイアムダルシマン」で初めて聴いて触発されました。
なにしろメロディが美しい。
聴きながら函館の元町の景色が浮かび上がってきました。
FMいるかが開局した頃の番組「じろじろ大学」の歌として健さんが書き下ろした曲だそうです。
FMいるかは地方FM局の先駆けとなった函館のFM局です。
1992年の開局なのでかれこれ30年近く経つ放送局。
9月に「運河の紅かもめ」のライブでリクエストをして演奏してもらいました。
不思議なことに聴きながら歌詞の断片が浮かび上がり、数日後には仕上がりました。
函館の元町、大三坂あたりから眺める函館港や函館山、そしてカトリック元町教会の昔の景色をそのまま書き連ねました。
(まだ桟橋があり青函連絡船が往来していた子供の頃です)
生家のあった青柳町から元町教会の敷地にある白百合幼稚園まで弟と通った道であり、小学生になってからは幼なじみたちと遊びまわった町、それが元町でした。
健さんに尋ねると実はすでに「元町ファンタジー」という歌詞があり、ありまじろうさんの奥様が歌っているとのことでした。
(ありまさんご自身も歌っていらっしゃるとのこと)
作曲の健さんにローカル(ご当地)ソングとして歌う許可を得、先日の「おーるどたいむ de ライブ 秋の陣」で初めて歌いました。
ハンマーダルシマーとニャンダルのバッキングつきです。
(函館ご当地ソングのレパートリーは「函館物語」に続いてこれで2つ目)
一昨日の健さんのライブでも、健さんのハンマーダルシマー、田中真理さんのハープ伴奏で歌わせてもらいました。(なんて贅沢な!)
しかもなんとありまじろうさんがいらしていてキンチョーでした。
(ありまさんからは「元町ファンタジーならぬ、元町エレジー」としゃれた表現をいただいてしまいました)
まだ歌いまわしがこなれていないけれど、大切に歌っていければいいなと思っています。
明日10月1日は今年の中秋の名月。
十五夜さんだ。
十五夜あたりになると毎年「絵本コンサート」を思い出す。
僕は印刷会社に勤務し数多くの印刷に関わらせてもらっていた。
その中でも忘れられないのが世界文化社の絵本印刷。
できあがった絵本をもとに絵本作家の先生の言葉にメロディを乗せて「絵本コンサート」をさせてもらっていた。
絵本作家、出版社、印刷会社のコラボレーションだ。さらに書店や幼稚園などの協力を得ることも不可欠だった。(寅さんに出てくる「とらや」のモデルになったお団子屋さんにも協力いただいた)
出版社の販促活動の一環とはいえ、出版・印刷業界としては希有な試みだった。
同時に歌い手としても得るものが多かった。
絵本コンサートの「お客さま」は子供たち。
子供たちのむき出しの反応にドギマギしたり、失敗したり。それに真っ正面から挑んで得ることのできた教訓だ。
《当時の記録より》
たくさんのことをいや本質的なことを
子供たちから学ばせてもらった
子供たちは決して「達」ではない
ひとりひとりの子供なんだ
当たり前の話なんだが、わかっていたはずなんだが
本当にはわかっていなかったのかもしれない
そして、それは大人相手のライブでも同じこと
「お客さん」でくくってしまっちゃいけない
ひとりひとりの集まりが「お客さん」だってことを
肝に銘じた
大人は自制心も備わっているし、
全体的にものごとをつかめる「ゆとり」も備わっている
でも子供たちはまず自分から始まるものだ
つまらなければ情け容赦なくそっぽを向く
ステージの進め方の問題点がモロ表面化し暴露される
「子供相手のライブは難しい」
多くの人がそう言う
僕もまたそう思う
人間社会の縮図が萌芽とはいえ、
むき出しの状態でそこにあるからだ
きれいごとが通用しない、情け容赦のない世界
そう言えそうだ
相手が子供だからこそ、全心全霊を傾け
真正面から自分をぶつけなければならない
「子供たち」にそのことを再認識させてもらった
10年ほど前の話だ。
印刷会社はすでに退職している。
子供たちを相手に歌うことはほとんど無くなった。
でもこの教訓、決して忘れてはなるまい。
「全身全霊を傾け、真正面から自分をぶつける」
十五夜がやってくるたびに気持ちを新たにするここ数年だ。
ひと雨ごとに秋は深まる。
このところ毎日のように夕方頃雨が降ってくる。
昼間の刺すような陽ざしや、息苦しい湿気はいまだ夏そのもの。
それでも早朝自転車を走らせると、まちがいなく秋の気配を感じる。
吹き抜ける風の匂い、肌をなでるやさしさ。
セミの大合唱にまじる秋の虫の声。
ああ、今年も秋がやってきてる
そうだっ!
歌の衣替えをしよう
2日かけて歌の棚卸しを進めて気がつく。
今年は夏の終わりから秋にかけての微妙な時期を歌う機会がない。
僕は季節感をライブの縦軸にして組んできた。
季節のうつろいにその時々のあれこれを絡めていく。これがいわば横軸。
縦軸と横軸が交差する中で生まれる空気感。
これが長年やってきた僕のライブスタイルだ。
今年の9月、演奏機会は月末までお預け状態。
9月末はすでにもう秋のまっただ中。
夏から秋へかけての季節の微妙なうつろいを歌う機会がない。
季節の移り変わりは心のうつろいにつながる。
ライブとしてはこの微妙なうつろいにこそ面白みがあるんだが...。(まさに「今」この時期に歌いたい歌だ)
棚卸して何十曲も「秋の歌」を準備した。
衣替え作業完了!
でもこのうち半数以上は日の目を見ることなく再び歌蔵にしまい込まれることになりそうだ。
コロナの影響でこの春からライブは中止や自粛が続いている。
これまでは毎週コンスタントに演奏機会があった。
週単位で夏、夏の終わり~秋の始め、そして秋へと歌を移ろってゆく。
それに応じて僕の心もうつろい、歌は鍛えられてゆく。
やがて季節は冬に向かい・・・
こうして1年がすぎてゆく。
こんなスタイルがコロナの影響ですっかり崩れてしまった。
残念だ。
でも悪いことばかりでもない。
ライブなどの演奏機会が減った分、ひとつひとつの音楽会に向けて充分な準備ができるようになった。
それぞれの歌の背景をじっくり調べたり、イメージをふくらませたり。
なによりありがたいのは長年歌いたいと思いつつ手がつけられなかった歌がたくさんある。それらに目を向ける余裕が生まれてきたことだ。
「私を通りすぎた歌たちシリーズ」をふくらませていくことができるようになったことはうれしいことだ。
「ライブ屋」にとって本番に勝るトレーニングはない。
とはいいながらそれが思うようにできない今、できることに最大の注力をかたむけようと思う。
今年日の目を見ることがなかったとしても、来シーズンには活きてくることを信じてね。
明日の「喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会」用の唄本に追補作業をしている。
昭和の流行歌の数は膨大であり、とても一気には作り上げることはできない。
毎回、少しずつ追加している。
.
「からたち日記」という唄。
正直言っていままであまりピンとはこなかった。
島倉千代子さんの発声方法や歌いまわしが僕の好みとはかなり隔たりがあるためかもしれない。
.
今回、初めて正面から向き合ってみた。
そしたらなんとこれがいいんだな。
まず西沢爽さんの歌詞がいい。
初恋にやぶれた乙女心の切なさがふわりと伝わってくる。
.
昭和33年。
戦後の混乱がようやっと落ち着いて、「日本の明るい未来」に向かって歩みをはじめた頃の物語。
二人の間に何があったのか、ついつい妄想が膨らんでいく。
そして台詞がなんとも言えぬ風情を感じる。
このまま別れてしまっても いいの?
でも あの人は
さみしそうに目をふせて
それから 思いきるように
霧の中へ消えてゆきました
さよなら 初恋
からたちの花が散る夜でした
.
遠藤実さんの旋律がまたなんとも言えずいい。
基本3拍子だが途中2拍子に変わり再び3拍子に。
多分歌詞に合わせて旋律を作ったせいなのかもしれない。
でもこの変拍子が乙女心の揺れをも表している。
そんな気がする。
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この歌詞にはこの旋律でなくてはいけないんだろうな。
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昭和のこの時代の唄はおもしろい。
古い日本と新しい日本の狭間で、微妙な感じを表してる唄がたくさんある。
興味深い唄の宝庫だね。
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子供のころから鐘の音は耳になじんでいた。
日曜日ごとに通っていた函館のカトリック元町教会の鐘の音。
おとなりのガンガン寺として有名なハリストス正教会の鐘の音。
そして元町教会やガンガン寺に隣接する東本願寺の鐘楼の音。
これらの鐘の音は元町の坂の上の一角に隣接し、共存していた。
我が家は元町の隣町、青柳町の坂の上にあった。
徒歩で10分足らずだろうか。
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キリスト教のチャペルの鐘の音は高い音がきれいに響いてくる。
心洗われる音だ。いわば「再生の音」。
お寺の鐘楼の鐘は低く、深い余韻が心の中にしみいるように響いてくる。
こちらは「鎮静の音」だ。
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若いころは耳になじんだ教会の鐘の音が好きだった。
年をかさねるに従い、お寺の鐘の音に深く惹かれるようになってきた。
鐘を突く打音の後、何度も何度もさざ波のように揺らぐ余韻に身を任せると得も言われぬ心持になる。
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鐘の音のくりかえされる揺らぎの中で心の迷いや乱れ(仏教でいう煩悩?)もまた揺らぐ。
揺らぎながら心の奥深くに沈み込んでいく(沈潜)。
沈潜しながらそれまで脳裏にあった「煩悩」が沈静されていく。
「解脱」や「悟り」といったものにはほど遠いかもしれないが、鐘の音に魂が共鳴していくような感がある。
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ギターを弾いていてふと思った。
自分の好きな音はボディ鳴りの深い余韻を感じさせるものだ。
弦をはじいた後、ボディの中で共鳴しあいながら音は出ていく。
その音は室内にゆっくりゆっくり広がっていく。
その広がりを感じるのが好きだ。
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若いころは早いパッセージやストロークが好きだった。
弦鳴りのきらびやかさや力強さが好きだった。
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音の余韻を残す前に、いや余韻を打ち消すように次のピッキングで弦を鳴らす。
そういう音や弾き方がここ数年とても息苦しくなっている。
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余韻を感じさせられるようなギターや弦を選び、
弦と指(ピック)の破裂音・摩擦音の少ない弾き方をし、
可能な限り音数を減らしたアレンジを好むようになった。
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むろんステージの中ではリズム感を意識したストローク奏法もやっている。
でも全体としては音の余韻を感じさせるようなステージが主流となっている。
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ここまで書いてふと思った。
小松崎健さんのハンマーダルシマーの音が好きな理由だ。
健さんはハンマーで弦をたたいているという感じがしない。
打弦によって生まれる音よりも、余韻をより強く感じさせられる。
健さんのすごいところはアップテンポの曲でも打撃音もさることながら余韻の方がより印象に残るところだ。
そうか。
健さんのハンマーダルシマーはお寺の鐘の音か!
.
ちなみに健さんの奥様、操さんのフィドル曲に「鐘」という名曲がある。
函館の元町界隈の鐘の音をモチーフに作られたそうだ。
9月の末、函館の特養「旭が丘の家」で開催されたそれいゆフェスタでの「Martin古池 歌謡ショー」。翌週、喫茶店JUNEでの「第1回 たそがれ歌声音楽会」。そして先週、定例の「さんすまいる歌声音楽会」。
オレはこの先いつまで「昭和の歌謡曲」を歌うことができるのかな
戦中戦後の歌謡曲をいつまで歌い続けることができるんだろうか。共に楽しんでくれるご老人たちはいつまで達者でいられるのだろうか。
OHANA 音楽サロン 我が青春の歌物語 「唄の駅」 『街角ライヴ』 あすなろ山の会 おすすめ記事 おーるどタイム おーるどタイム de ライブ さんすまいるコンサート すみれコンサート へたくそ親父のギター弾き語り ウェブログ・ココログ関連 オカリナ・アンサンブル かざぐるま グルメ・クッキング サッカー スポーツ デスペラード・ライブ トミ藤山 ニュース ハックルベリー・カントリー・ライブ ババ猫ミーちゃんの糖尿生活 パソコン・インターネット モスライブ ライブ ライブ at JUNE ライブ・イン・ぶうけ ライブ・コンサート暦 三貴ライブ 僕を通り過ぎた歌たち 函館 函館帰省日記 2005秋 函館帰省日記 2006春 函館帰省日記 2007春 函館帰省日記 2008冬 函館帰省日記 2010 冬 函館日記 函館日記2014 夏 函館日記 2011秋 函館日記 2012初冬 函館日記 2012夏 函館日記 2014夏 函館日記 2014年冬 函館日記 2015 夏 北海道 北海道 音楽旅日記 2009 印刷 室蘭 寿コンサート 小さな旅 心に引っかかる言葉 文化・芸術 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 旭丘の家コンサート 映画・テレビ 書籍・雑誌 朝市コンサート 札幌日記 2005秋 札幌日記 2008 秋 森の音楽祭 楽龍時 民家ライブハウス・楽龍時 清津峡 無国籍堂ライブ 絵本コンサート 自転車 見沼たんぼ 音楽 音楽雑感 骨折り日記
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