音楽雑感

2019.03.07

ステージネーム「Martin古池」の背景

人生にはいくつかの節目があるように、音楽と共に歩いてきた道のりにも節目がある。

「Martin古池」というステージネームを名乗るようになったこともそのひとつ。

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20年ほど前にさかのぼる。

それまでのおよそ10年間、僕の主な演奏場所はライブハウス「ぶどうの木」(旧あがれば)だった。
ここで僕は数多くのソロライブをさせてもらい、様々な試みに挑戦させてもらった。
「ぶどうの木」というライブハウスとそこに来られるお客様に守られながら育てていただいた。

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諸事情から「ぶどうの木」はお店をたたむことになった。
僕はその後2年ほど、自力ライブと称して公共施設やスナックなどを借り切ってライブ活動を続けた。

そしていやというほど痛感したのが、自分はいかにお店やお客さんに守られてきたかということだ。
同時に自分のライブがどれほど独りよがりなものであったかということを思い知った。

このままじゃダメだ。
不特定多数の方々にもちゃんと聴いてもらえるような歌い手になりたい。

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そう思った僕は「守られた場所」でのライブはやめて街に出た。
駅、公園などで道行く人に歌いかける「街角ライブ」を始めた。
たしか48歳の頃だと思う。

いいおっさんが街角で歌うということは、僕にとっては一大決心だった。
周囲も当初は好奇の目で遠巻きにして眺めていた。

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そういう周囲の目や、なにより自分の弱気の虫と闘うために僕はステージネームをつけることにした。
それがMartin古池の始まりだった。

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Martinは無論ギターのメーカー名。
その頃Martinギターは僕の主力、代名詞的なギターだった。
それに自分の本名を重ね合わせた。

思いのままにはいかぬ街角ライブ。自分を鼓舞するためにこの名を使い続けた。

Matikadoraibu

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今でこそ不特定多数の方々を前にして歌うことが僕のライブスタイルに定着している。以前のように鼓舞することも少なくなった。(無いわけでは全然ないけど)
「Martin古池」というステージネームにこだわりもなくなった。
でも長年使い続けてきたから愛着はある。

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次の「おーるどたいむライブ 春の陣」には「ぶどうの木」のママさんが来てくれるそうだ。お会いするのは十数年ぶり。

僕がまだ「Martin古池」を名乗る前のライブスタイルと今につながるスタイルをうまく表現できるようなステージにしたいと思う。

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2018.12.13

歌声音楽会

今週末、2つの歌声音楽会がある。
ひとつはデイサービスさんすまいるで、人生の先輩方と一緒に歌ったり、しゃべったり。

もうひとつはおーるどたいむで「みんなで歌おう弾こうフォークソング」。
こちらはご同輩たちとの歌声音楽会。

どちらもいきあたりばったりの道草音楽会。
ひとつの歌がおしゃべりを引き出し、そのおしゃべりから次の歌につながっていく。スリリングで楽しいひとときだ。

どちらもさながら井戸端会議ならぬ井戸端音楽会だ。

実はこの2つの歌声音楽会に僕のこれからの音楽活動の可能性やビジョンを感じている。

長年やって来た自己表現、自己実現としてのライブだけでは一面的だと思うのだ。こういうライブは演奏者の側からの一方通行にならざるをえない。

歌声音楽会・井戸端音楽会はみんなで歌ったり、弾いたり、おしゃべりをしたりと相互通行になるところがいい。
車座になって酒酌み交わし、小皿たたいてチャンチキおけさってえのが理想だ。

年を重ね、リタイヤし、社会からはぐれていく人生の晩年。
もしかしたら本当の意味で素の状態での人との関わりが問われて来るのかもしれない。

そんな時井戸端音楽会は意味を持ってくるんじゃないか。
そんな気がしてしょうがない。

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【雑感】 老々ライブ

「私を通り抜けた歌たち」

長年こんなサブタイトルでたくさんの歌を歌ってきた。
子供の頃から現在に至るまでその数を数えればキリがない。

そんな中でこの先歌う機会が減る歌も少なくない。
戦後から昭和30年代前半の流行歌たちだ。
僕が子供の頃ラジオやまわりの大人たちが歌うのを聞き覚えた歌の数々。

当時は歌の寿命が長かったから、僕の産まれる前から歌われていたものも聞き覚えている。

これらの歌を今特別養護老人ホームやデイサービスなど老人施設などで歌っている。
デイサービスの場合僕より10年ほど先輩たちがメインだから歌の幅はぐっと拡がる。
でも特養の場合は80~90歳以上。親の世代が中心。悲しいけどやがては(近い将来)旅立っていく世代だ。

この世代がいなくなると戦後から昭和30年代の流行歌を歌う機会はぐっと減るだろう。
「銀座のカンカン娘」や「19の春」等々いい歌がいっぱいあるんだがな。

せめて親の世代がしぶとく生き抜いている間は大切に歌っていきたいものだ。

函館の特養、旭ヶ丘の家でやっている「Martin古池の歌謡ショー」も、たとえワンパターンでも続けていきたいものだ。

いずれは自分たちも行く道だ。その時に「老々ライブ」「老々音楽会」につながっていくと信じてね。

(将来老々音楽会でビートルズが歌えたら楽しいだろうな。)

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2018.10.02

音楽雑感

昨夜、Mくんに言われたことが頭の中でずっとリフレーンしている。

古池さんは自分に合う歌って分かってる?

逆に言うと合わない歌って分かってる?

答につまってしまった。

M君に言わせると、僕の歌の一番の特徴は「ウォーミー」なところだそうだ。聴いてる人をあったかい気持ちにさせるところとのこと。
多少シリアスな唄を歌っても 、あったかさがあり、聴く側とすれば逃げ場やちょっとした希望や安心感があるということらしい。

誉め言葉ではある。
これで終わらぬのがMくん。

だからさぁ、古池さんに「せつない歌」ってのはどうも合わない気がするんだ。

それは上手いとか下手とかってことでなくてさ、声質とか人間性とかから来るような気がするんだよな。

バカヤロー、オレにだってせつない気分の時はナンボでもあるっ。
そう思いながらもMくんの毒舌に耳を傾けていた。
一理あると思いつつも、いやいやちょっと待てよという気持ちもある。
肯定する材料もないが反論する材料もない。
心の中に深く沈めて発酵するのを待つしかないんだろう。

Mくんは共同印刷在職時代の同僚。一回り下だが昔から先輩を先輩とも思わず思ったままに毒舌を吐いてきた。
「お好み焼きの三貴ライブ」には約15年、ほとんど欠席することなく聴きに来てくれている。(出勤率97%‼️)
三貴ライブでの僕の試行錯誤や変遷を知り尽くしている。良きも悪しきもね。
彼の毒舌は傾聴に値する。(受け止めるか否かは別だけどね。一面の真理ではあると思う)

何十年もソロライブをやって来た。
そのほとんどがワンマンライブ。時として自分の立ち位置ややり方が見えなくなる。

僕にはありがたいことに、その時々に忌憚のない意見をしてくれる先輩や友人たちに恵まれた。
時には完膚なきまでに叩きのめされたこともある。

でも彼らに共通しているのは根っこに肯定があることだ。だからどんなに批評され、批判され、毒舌を吐かれてもそれは建設的な意見。
「批判のための批判」とは根本的に違うところだ。

残念ながら批判や毒舌に自分なりの答えを出すのには時間がべらぼうにかかる。
自分の中に落とし込み発酵するのを待つしかないからね。沈みっぱなしで終わってしまうこともあるだろうしね。

ただ、僕にとってはとてもありがたいことだ。

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蓄音機

「蓄音機」

以前何度かマック杉崎さんの蓄音機コンサートを聴いたことがある。
蝋管やSP盤に針を落とし、微かな振動を拾い、それを増幅、拡大して聞かせる装置だ。大きなラッパから出てくる音は実に生々しく艶っぽかった。まるですぐそこでジミー・ロジャースやカーター・ファミリーが演奏しているような錯覚を覚えた。
なにより驚いたのは音の増幅が電気的になされているのではないことだった。管やラッパのなかを進む振動が少しずつ物理的に増幅されていき大きな音になっていく。
電気的に拡大されたスピーカー音に慣れた耳には驚きを通り越し感動すら覚える。

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「ホーミー」

カルマンのライブで馬頭琴を弾きながら、「唸る」ようなホーミーを演ずる岡林さんの演奏に触れた。喉をギリギリまで絞り唸り声の振動を舌につたえる。その後振動は頭や鼻などで増幅され音になっていく。人のからだの中でまるで管楽器のように音が増幅されていく。
ホーミーは低い唸り声と同時に口笛のような倍音が同時に聞こえてくる。驚きを通り越し感動すら覚える。

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蓄音機とホーミー。
歌い手にとって大きなヒントが隠されているように思う。
共に音を物理的に増幅、拡大させることができる。
喉を通過した後の声の処理の仕方で歌は変わるし、変えることができるということだ。

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「腹から声を出す」とはよく言われる。圧縮された音を作るという点でそれは基本中の基本だと思う。
問題は加圧された音が喉を通過した後の処理だ。体内で各器官といかに共鳴させ、音を増幅させるか。
ホーミーは絞りこんだ喉の摩擦、振動を舌に移していく。
クラシック歌手は喉を全開にしてストレートに各器官に共鳴させている。
喉の開閉という点で正反対だが、その後の音の共鳴と増幅では同じだ。

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ふりかえって、自分の場合はどうなのか。
「身体」を楽器のように鳴らすということが長年の課題である。
呼吸の仕方、発声のやり方、喉の開け具合はもちろんだが、音を共鳴させ増幅していくという点ではまだまだ修練が足りない。いまだ試行錯誤の連続だ。

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このところ喧騒のお好み焼き屋さんでのライブを事情があり、生音でやっている。手応えはあるもののいまだ手探り。
一昨日のそれいゆフェスタでのコンサートも広い会場、たくさんのお客さん。音の通りという点で厳しい条件だった。ある程度思い通りできたという手応えはある。

しかしながら声を増幅させるやり方にまだ少々無理があるように感じている。
体内での音の回り方(共鳴~増幅のさせ方)のイメージをもっと意識化すること。さらにそれを無意識のうちにできるようにするにはまだまだ多くの時間を要しそうだ。

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2018.07.25

エンタのこと

週末に函館山山頂で中学の同期会が開かれる。
それに合わせてエンタの墓参りもするつもり。
中学生の頃、3歳年長のエンタに僕はギターを教わった。

37年の空白を経て、エンタの店・居酒屋ENTA巣で再会を果たした僕たちは、エンタの亡くなるまでの10年間置き去りにしてきたものを取り返すかのように語り合った。

ここに再掲載する文章には僕たちの会話の一端がよく出ている。
互いの音楽のルーツから始まり、若きエンタとぐしさんとの出会いについて。晩年ちょっとだけ復活した「楽や」でのライブ。

エンタのまいた種を僕の音楽活動の中で育ててやりたいと思う。
来年、もし可能ならぐしさんをお招きして「おーるどたいむライブ」をやりたいと思っている。
ENTA & GUSHIを倣ってMartin & GUSHIで「僕の星から」をやれればいいなと思う。

墓参りの前にエンタとのやりとりを思い出してやろう思っている。
墓前ではもちろん「僕の星から」を歌うつもりだ。

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おーるどタイム de ライブ
「私を通り抜けた歌たち」

子供の頃から歌が好きだった。
それが高じて人様の前で歌い始め、かれこれ45年。
決して上手な歌い手だとは思わない。
それでも紆余曲折を経ながら試行錯誤を繰り返し、ずっと歌ってきたことは決して意味の無いことではなかった。
(そう思いたい)

そしてたくさんのいろんな歌が僕を通り抜けていった。
大好きだけどとても歌いこなせない歌から、
自分なりに手を加えレパートリーになっている歌まで、
おそらく千はくだらないだろう。

いろんな時期も経験してきた。
歌謡曲少年だった子供の頃。
ビートルズやグループサウンズ、フォークソングに憧れた中学時代。
人様の前で歌い始めた高校時代。
プロテストフォークにこだわった20代。
フィールドフォークの影響で暮らしの中で歌い始めた30代。
「夜会」の影響もあり、テーマやストーリーにこだわった40代。
より多くの人、不特定多数の人に歌を聴いてもらおうと躍起になった50代。

これから新たに足を踏み入れようとしている60代。
僕は何を目指し、何を歌おうとしているのか。
それぞれの時期にこだわってきたもの、
今の自分にすべて流れ込んでいるようにも思う。
それがどういう形で結実していくのか。
それを探る第一歩を「おーるどタイム de ライブ」から始めてみたい。

今を歌うために、これまで僕を通り抜けていった歌たちを
今、歌ってみたい。
長い月日の中で出会った歌の数々を、わずか1時間につめこむのも無茶な話だが
本当に好きだった歌だけを集めて歌いたい。

→エンタ
う~ん、難しいけど...その中に持ち込まれた研ぎ澄まされた思いの隅々までが納得行く自分にとっての名曲を、大人ぶった冷静に分析なんかをせずに、それらを持ち出す自分をさらける...それが出来た時にこそ、在るべきライブが成立するんじゃないかなぁ~!
俺には、大好きな曲はいっぱい有るけど、(サビだけとか)自分(達?)の何かを本気で語り尽くしてるなぁって唄にはいまだに出くわしてなくて、オリジナル曲を作るのが最良の方法になった。

あれ?昨夜多少酔いつつも、またいっぱい書いたと思ったら、途中までで終わってるなぁ~。この事はまた書くよ。マーチンはマーチンの道を頑張って!

→Martin

えんちゃん。俺も一時は同じ思いで曲を書いたんだけどね。でもどうも作詞ってやつが苦手でね。結局何曲かで何かを語るってやり方になり・・・。
思いはいっぱいあるんだけど、それを3分間の中に閉じ込めることができず、饒舌になり、饒舌であるがゆえにかえって語りつくせずってぇ連鎖にはまってしまい…。難しいもんだよね。でも自分がやれることを最大限にやるしかないもんね。

→エンタ

俺は、本気で思いっきり「音楽の及ぼすとんでもないチカラ!」にヤラれたのが(ビートルズ出現前の時代に)アズナブールの唄だったんで、音楽の中心は「詩」なんだよね~。散文な歌詞が音(リズムやメロディ等)と相まって聞き手に効果的に響いてくる物凄さこそが存在価値なのが、いまだに揺らがないんだ。

大昔にやめちゃってた音楽(バンド)だけど、31年前に稲生座で、マスターにそそのかされて唄いだした頃に、偶然にも出くわしたグシ君という若者ギタリストに「見つけたぁ~!」って感じで惚れ込んでユニットを組んじゃって1年半くらい唄ってた時に、それまで方法が見つからず諦めて形にできなかったし近づけなかった自分の一番大事に思う世界を、彼との出会いで火が点いて、稚拙ながら(だからこそなんだけど)ほとんど思いっきりにやりきっちゃった気がする。

それからまたしばらくして誘われて数年前までドラム叩いてたよね~。楽やのライブは、ほとんどが現役時代より楽しかった。(トミさんと1曲だけ共演も出来たし)

音楽は楽しい事が多い。悩み続ける楽しさの果てを目指してちょうだいね~!イェイ!

→Martin

俺はビートルズが先でそのあとにアズナブールだった。エンちゃんがアズナブールの詩の世界に引きずり込まれたように、俺はアズナブールの身体中から発散する表現の世界に引きずり込まれた。歌詞はもちろん(訳詩でしかわから中たけど)、メロディー、声、発声、目の動き、指の動き、ポケットに手を突っ込んだいなせな感じ。そういうものすべてに完全にやられてしまった。
「悩み続ける楽しさの果て」って感じ、よくわかるなぁ。

→エンタ

マサ坊と音楽話しになると、FBに書くと長すぎるんでまどろっこしいなぁ~!
喋ると二人とも結構早口だから、アッと言う間にこの10倍の展開ができるな~!(笑)

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2018.06.20

【雑感】 ライブの準備について

デイサービス「さんすまいるコンサート」はガットギターを使うことが多い。
昭和の流行歌をメインに歌う。自分が歌うだけではなくご老人たちと一緒に歌う。
会場は奥行きがなく、鋭い音だとはねかえりが強い。
ご老人たちに気持ちよく歌っていただくためにここでのコンサートは優しい音色と余韻が広がる感じにしたいと思っている。
スチール弦の音はちょっときつい。
ガットギターがベストチョイスのような気がする。
函館の特養・旭が丘の家で演奏する時は、同じご老人相手、同じ昭和の流行歌がメイン。でも会場が広く奥行きがある。
このためガットギターでは音が吸収され輪郭がぼやける。
だから鉄弦ギターを持っていく。
演奏する場や、曲目、聴いてくださる方を思い浮かべながらギターを選ぶ。
けっこう楽しいもんだ。
最近ライブの準備がとても楽しく感じられるようになっている。
会場の音の流れ方をイメージしながらギターを選ぶ。
いろいろイメージをふくらませながら、選曲やアレンジを考える。
本番のライブでは必ずしもイメージ通りには行くわけではない。
でもそのギャップがまた楽しい。
選択したギターによって弾き方も歌い方も変わってくる。
大変といえば大変だけど、おもしろいといえばおもしろい。
最近ライブの準備はそんな感じでやっている。

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2018.06.05

1969年

【「1969年」 その1】

このところ自分の音楽の原点について思うともなく思っている。
原点をどうとらえるかってこともあるんだけどね。

子供の頃歌謡曲で育ったことが土台になっているとすればそれが原点ともいえる。
父が好きで頻繁に触れるチャンスのあったクラッシックやグレゴリアンも下地になっているともいえるし。
母にせがんで歌ってもらった童謡・唱歌の類だってそれ抜きには考えられない。

でも自らが求めて聴き、なおかつ演ずるようになった音楽をひとまず原点にするべきかな。

そう考えると「1969年」とそれに連なる数年間が僕の中でとてつもなく大きな意味を持ってくる。

この年僕は中学3年生だった。

世の中はきわめて流動的であり、混沌としていた。
高度経済成長の絶頂期で大人たちは「モーレツ」に働いていた。
人類が初めて月面に降り立ち、科学技術の進歩に大人も子供も胸を熱くした。

一方で日米安保条約の撤廃を求める学生運動がピークを迎えた。
その象徴が東大安田講堂に立てこもった学生たちと機動隊の「闘い」だった。
が…安保条約は自動延長となり安田講堂は「落城」した。
ジグザグデモを制圧する機動隊、壁に向かってホールドアップさせられている学生たちの手を映し出すニュース映像が今でも焼き付いている。

時を同じくして新宿西口広場で毎週開かれたフォークゲリラによる反戦フォーク集会。
広場を埋め尽くす若者たちの歌う様子が白黒のテレビに映し出される。
それは北国の小さな町にもつたわってきた。
やがて「広場」は「通路」と改称され、道路交通法違反とされ規制される。
警官に腕をつかまれながらもギターを弾き歌い続ける学生たち。
やがて警察隊に制圧され、収束していくフォーク集会。

熱と挫折に彩られた「1969年」。

田舎の中学生はわずかなニュース映像を便りに妄想をかきたてた。
「社会」について真剣に考え、行動を起こす大学生たちにあこがれた。
カッコいいと思った。
そして同時に「憐憫」を感じた。

「動」なるものと「静」なるものの同居する「1969年」

そんな頃函館の労音会館に高石友也や岡林信康らがやってきた。
フォークソング・フーテナニーってヤツを初めて体験した。
「思い出の赤いヤッケ」に胸を熱くし、身につまされながらも笑い転げた「受験生ブルース」(高校受験をひかえていた)、そして「勝利を我らに」や「友よ」の大合唱に胸が震えた。
フォークは生きている!

そう感じた。

そして自分もまたギターを弾き、歌い始めた。

憧れと妄想が原動力だった。

「1969年」

フォークソングとの出合いの年だった。

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2018.04.15

ライブとギターのお話

【ライブとギターの話】

何十年とライブ活動を続けてきた結果、いつの間にかギターの数が増えました。

どのギターもめぐりあいという縁に結ばれたものと思っています。
それぞれに顔があり個性がある。
だから常時2~3本を2ヶ月くらいのペースで順繰りにライブで活躍してもらってます。
このペースで約一年でひとまわり。

とはいえ何本かは常時弾いているギターも何本かあります。いわばレギュラー陣。
レギュラーは演奏する場所によって弾き分けています。

僕の演奏の場は多岐にわたっています。
市場やお好み焼き屋さんをはじめ、喫茶店や老人施設。そして年数回の屋外演奏。加えておーるどたいむのようなライブカフェ。

みな場の環境もお客さんもてんでんばらばら。
曲目の傾向も違います。同じ曲でも歌い方が変わってくる。
それぞれの場に応じてギターの選択も変わります。

例えばだだっ広い市場では音の輪郭のはっきりしたギブソン系のギター。
喧騒のお好み焼き屋さんでは、通常営業中ということもあり落ち着いた音色でかつ音量の大きなギター。(ここではアンプの力を大いに借りています。)

同じ通常営業中ライブでも静かな喫茶店では深い余韻をもつギター。例えばマーチンやノースウッド。

老人施設ではガットなど耳にやさしい音色のギター。

こんな風に弾き分けています。

贅沢な話ではあるけど、自分の中では必要かつ重要なことなんです。

静かな日曜昼下がりの喫茶店でギブソンのジャキジャキした音のストロークで店に流れるまったりした空気を一気に壊すわけにはいきません。ここでは場の空気に自分をなじませるところからスタートさせなきゃならない。空気と同化したところで少しずつお客様を巻き込んでいく。それがここでのスタイル。それには優しい音色で懐の深いギターが必要。

逆にだだっ広い市場の中でしっかり音を届けるには輪郭のはっきりしたギブソンが適しています。奏法もストロークやカーターファミリーピッキングが主体になります。強い伴奏に合わせて唱法も張りのあるものになります。(時にはキーをあげることもある)

このようにてんでんばらばらの環境に適したギターの選択は僕にとってはかなり重要なライブ準備です。言い方を変えれば僕のライブはギター選びからすでに始まってるのかもしれません。

場に合わせたギターを選ぶ
ギターの性格に合わせた選曲
同様にギターに合わせた奏法、唱法の選択
(もっともこれは現場でお客様との間合いを測りながらその場できめることが多いのですが)

長年、特に「不特定多数」の方に歌うことを主眼にしてきたこの15年試行錯誤をしてきた僕のライブの形がここ数年ようやっと形になってきました。演奏の場、経験、そしてギターなどの「道具」。すべての面で恵まれ充実してきました。(あとは技をもっと磨けやっ!)

縁あり僕のところにやってきた相棒たちと、これからも格闘しながら楽しくやっていければいいな。

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2018.04.12

大塚博堂という歌手

大塚博堂という歌手がいた。
男の身勝手とその代償としての後悔をなめるように歌う歌手だった。

初めて大塚博堂を聴いたのは1975年。北海道から東京に出てきた翌々年。
弟が手に入れたLPレコード「ダスティンホフマンになれなかったよ」だった。

当時僕は身勝手の限りを尽くしていた。その結果女にふられ、陰鬱な気分で過ごしていた。

大塚博堂の歌がやけにしみた。身につまされる思いだった。

以来、ライブで何度も何度も大塚博堂シリーズをやってきた。
アルバム「ダスティンホフマンになれなかったよ」に収録された歌をストーリー仕立てにし、歌と芝居とナレーションで演じてきた。

ここ何年かは大塚博堂を封印してきた。大きな理由はないが、60過ぎのおっさんが若き日の傷心をいつまでも引きずることもあるまいと思っていた。

おっさんになったからこそ、若き日の後悔と傷心を素直に歌えるような気がしてきた。

昔とは一味違ったとらえ方で歌えるんじゃないか。そんな気がしてきている。

5月19日(土)に今年2回目のおーるどたいむ de ライブを予定している。
1部を「大塚博堂を歌う」と題してやるのも面白いかなと思っている。
10年前とはちょっと違うタッチで。

ちなみに2部は歌声音楽会の要素を入れてやろうかと思っている。

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