「唄の駅」

2014.02.25

「唄の驛」臨時停車 @ キンのツボ

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久しぶりの「唄の驛」はやはり楽しく、とてもいい時間となりました。

音楽好きなおっさん、おばさんたちが集い一定のルールのもとに思い思いに語り歌う。(今回33歳の若者が参加し、平均年齢を少しだけ下げてくれました)

ゆったり、落ち着いた時間が流れていく。...

普段のライブと違い、思いのままに選曲し自由気ままに歌うことができます。
聴いてくれるのは気心の知れた友人たち。

ほっとできるひとときでした。
数年前、「唄の驛」のことを「大人の上質な時間」と書いたことがあります。
今日も変わらず上質な時間が流れていきました。
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ブログ「街角の歌芸人」 『唄の驛』 大人の上質な時間
http://martinkoike.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post.html

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ちなみ今回歌ったのは
第1順 ①雪  ②雪が降る
第2順 ①去年(こぞ)の雪  ②今日までそして明日から
もっと見る

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2012.02.10

【お知らせ】 高円寺で落語とフォークソング「高円寺フォーク村」のコラボ

名称:第2回高円寺演芸まつり協賛

    なでしこ落語会+サムライ落語会&高円寺フォーク村

日 時: 2月11日(土)
        13:00~15:00  第1部 (杉並江戸落語研究会会員)
             なでしこ落語会  荻灯亭 てふてふ / 高円寺亭 小鈴 / 高円寺亭 美槌ゐ
             サムライ落語会 … 荻灯亭 八 / 高円寺亭 朝輔 / 高円寺亭 両好

        15:00~15:30    Martin古池の「歌で綴る日本フォーク・ソング略史」

        15:30~17:30  第2部  高円寺フォーク村(唄の驛)
             hal-3とアベさん(三線) / 無限堂 / ホウボウ(デュオ) / ちょいワルもどき /
                NO CASH /
ゴリさん / まさみや(デュオ) / ぐらさん / 石井蒔 / Martin古池

       
会 場  :  庚申文化会館 2F 会議室 2+3
                           杉並区高円寺北3丁目34-1
                           JR中央線「高円寺駅」北口、 庚申通り商店街
                           電 話 :  03-5356-9081
                           サイト  :  http://www.koshin-bunka.com/

木戸銭 : 無料

その他 :  全館禁煙、駐車場なし

共 催 : 杉並江戸落語研究会、唄の驛
協 賛 : 第2回高円寺演芸まつり

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所属している音楽サークル「唄の驛」が臨時停車として、杉並江戸落語研究会とのコラボレーションという初めての試みをします。

場所はフォークソングにゆかりの深い中央線・高円寺。

なにやらおもしろそうな雰囲気になりそうです。

入場は無料。

お近くの方、お時間のおありの方はぜひともお運びくださいませ。

由緒ある江戸の落語とフォークソングの数々をお楽しみください。

なお特別企画として「Martin古池の歌で綴る日本フォーク略史」をさせていただきます。
(落語コーナーからフォークコーナーへ転換の場つなぎ企画ですが…)

30分ではとても語りつくせないフォークの歴史ですが、史実(?)と主観をおりまぜてやらせていただく予定です。

皆様のご来場をお待ち申し上げまする。

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2012.01.10

「ギター弾き語り 教えあい・学びあい」 (「唄の驛」レジメ)

参加している音楽サークル「唄の驛」で新しい取り組みを模索している。

「ギター弾き語り」をよりよくするためにメンバー同士で意見交換をしよう それを通して各自の「弾き語り」の質や説得力を高めよう

という試みだ。

本来「弾き語り」は個人的な表現方法で、個々人が暗中模索しながらそれぞれのやり方を築いていくものだ。
しかしそれぞれの考え方・やり方を公開し共有化することで、より幅が広く深い表現を可能にできるのではないか。

第1回目の水先案内人を依頼されたので、自分の考え方ややり方をレジメとしてまとめてみた。
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弾き語りという音楽手法があります。
ギターはもちろん、ピアノやウクレレ、バンジョー、オートハープなど他の楽器での弾き語りがあります。
(古くは琵琶やバイオリン、アコーディオンなんてのもあります)

この集まりで対象にするのはギターによる弾き語り。
いちばんポピュラーな楽器で、とっつきやすい。
しかも「唄の驛」ではほとんどの方がこのスタイルで歌われているからです。


ギター1本と歌声があれば弾き語りができちゃうところが何よりの魅力ですね。
でも容易に取り付ける弾き語りが実は結構奥が深く、なかなか成しがたいのものです。


【なぜ弾き語りをやるのか】

まず最初に考えておきたいことです。
何のために弾き語りをやるのか。

  1.人に聴いてもらいたいから
  2.歌で自己表現をしたいから
  3.共感・共鳴を得たいから
  4.「すごい!」と人をうならせたいから
  5.モテたいから

  6.自分自身の楽しみのため(自己充足)

どれも正解だと思います。
ほかにもいろんな動機や目的があると思います。
そのどれもみな正解。

上の例で行くと、6番だけがほかの理由と性格が違います。
1~5は弾き語りを他の人に聴いてもらうということが前提になっています。
ところが6番は必ずしもそうではない。

自分自身の満足感、納得感、充足感のために歌う。
つまり歌やギター演奏が自分自身に向いているのです。
そしてこれもまた立派な動機です。
(老い先が長くないおばあさんが「アルハンブラの想い出」を弾けるようになることに人生最後の目標を定めた。そして稽古に励んだというお話もあります。)


この集まりに来られた方はおそらくみんなが1~5に類する目的だろうと思います。
そのことをまず最初にしっかり意識することが大切だと思います。


  誰のために歌うのか?
  それは聴いてくれる人のため
  その結果が自分に満足感として反映される
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【弾き語りに決まった法則はない】

おそらく弾き語りをする人の数だけ、やり方や作法があると思います。
つまり自分の道は自分自身で切り拓き、築き上げていくものだと思います。

それは目の前に広がる大海原に帆を張り、風まかせで旅立つようなものです。
右へふらふら、左へふらふら、時には潮に流されたり、座礁の憂き目にあったり…。
そんなことをくりかえしながら自分だけの羅針盤と海図を作り上げていく。

正直、気の遠くなる道のりです。

でもそう言ってしまえば身も蓋もない。
そこでこの集まりが意味をもってくると思います。

ギターの弾き語りについて教えあい、かつ学びあうことが目的の集まりです。


  ひとりひとりの経験ややり方、作法を
  みんなで共有できないか
  それによって自分自身の海図と羅針盤を
  より確かなものにしていけないか


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Martin古池がその水先案内人を務めさせていただきます。
水先案内人は決して講師ではありません。いわばガイド役です。
なぜなら僕のやり方は僕のやり方にすぎず、そのまま他の人に適用できるわけではないからです。

ただ長年のライブ活動の中で自分なりのやり方(海図)を築き上げてきたのもまた事実です。
その意味で一つの考え方・やり方を提示できるのではないかと考えています。

たたき台として参考にされ、それぞれの羅針盤、海図作りの一助になれば幸いです。

【弾き語りの要素】

1.最も大切なのは「伝えたいことは何か」を明確に意識すること

歌それ自体に込められた思いや、自分が歌に託したいものは何か。
それがぼやけていると歌は説得力に欠けてしまいます。

歌の意味・意義を明確にするために僕がやっていることは次の通りです。

   ①歌詞をくりかえし朗読しその歌自体を感じ取る
   ②朗読の過程で自分なりの解釈を付加し、かためていく
   ③最初は棒読みでもくりかえし朗読することでリズムが出てきます。
   ④そうなったらそのリズムにメロディを乗せます。(鼻歌でいいのです)
     やがて歌詞とメロディが一体になってきます。
     鼻歌だから息継ぎ(ブレス)も会話をするようにごく自然にできると思います。
     (ごく自然であることが大事だと思います)
   ⑤鼻歌によりそうようにギターをかぶせていきます。
     (この段階ではストロークでもアルペジオでもOK)


2.歌をどう聴かせるか考える(アレンジ)

1.の過程はその歌を自分のモノにすることに主眼がありました。
だから意識は自分の内側に向いています。

次はその歌を人に聴いてもらうためにどうするかです。
ここで意識を外に向けます。

  ①どのように歌うかをあれこれイメージする
  ②歌を活かすためにはどのようなギターアレンジがベターかイメージする
  ③テンポ、イントロ、間奏、エンディングや曲間のブレイクなども同時にイメージする

ここで大切なのはイメージだと思います。
イメージを描き、それを形にする作業です。
(可能であればステージで歌っている自分とお客さんの様子もイメージする)

ラフなイメージができたらその段階で歌を細切れにして練習します。
細切れとはたとえば小節単位だったり、Aメロやサビの区切りだったり様々です。
(たった1音でもくりかえし歌うことがあります)


次に細切れにした断片をつなげて1つの歌に仕上げます。
仕上げたらあとは何度も歌いこむのみ。
(この段階でようやく「形」になります)

3.実際のステージで「形」にした歌をたたき鍛える

ここは意見の分かれるところです。
練習段階で完成していなければ人様の前で歌うべきではないという考えもあります。
もちろんそれも正論だと思います。
練習は多ければ多いほどいいのです。
演奏がよりこなれてくるし、技術的にも精度が高まってくるのは間違いないことですから。

でも僕の場合は「形」にしたら早々とライブ・ステージで演奏しちゃうことが多いです。
それは練習で何百回歌っても、絶対に生まれないものもあると思うからです。
本番ステージの緊張感、お客さんの視線、ライブ空間の醸し出す独特の空気。
それに対峙する自分の心の動き。
そういう「場」で歌ってこそ歌はたたかれ、鍛えられるような気がします。

「唄に命を吹き込む」とか「魂を込める」という言葉があります。
ライブ本番を経ることではじめて生まれてくることかなという気がします。


ライブ=生=生き物という視点で考えると、ステージを生きた空間にするために必要なことがあります。

それは弾き語る自分と聴いてくれるお客さんとの間になんらかのコミュニケーションを成立させるということです。
(気持ちの交感、言葉の交換、共に歌う交歓、etc...)

  ステージでの姿勢    : 弾き語る者として自ら襟を正す
  客席の状況の察知    : 目配り、気配り(アンテナ感度)
  状況に応じた対応    : 客席の反応に対するリアクション

そういったことも必要になってきます。
そういうことは実際の本番を積み重ねる中でしか鍛えることができません。

4.ライブ本番の結果から学ぶ (反省はしても後悔はするな)

これはとても大事なことだと思っています。
どんなに練習を積んで本番に臨んでも、ミスや失敗は必ずついて回ります。
生身の人間がやることですから。(だからこそ「ライブ」なんですが)

だからうまくいったことも、失敗したことも含めて「よし」として受け止めるようにしています。
そうすると後悔は残りません。
後悔が残ると次への課題が見えにくくなります。


でも反省は大いにするべきです。

  なぜうまくいったのか :たまたまか。ワケがあるのか。そのワケは何か。

  なぜ失敗したのか :人に飲まれたのか。自分を見失ったのか。
               単純に練習が足りなかったのか。

僕はそれを牛のように反芻します。
時には文章にして心の中を整理します。

反芻を通して出てきた「課題」を明確にして次の準備に入ります。

5.弾き語るための基本的なトレーニング

これも人によってやり方が分かれるところです。
それぞれの考え方・やり方に応じて違ってくるところです。
個性にかかわる部分なので一概にくくることはできないと思います。

でも基本となる項目はある程度明確かと思います。

歌について
  呼吸の仕方 (身体のトレーニング)
  発声の仕方 (身体のトレーニング)
  歌い回し   (解釈の具現化)

ギターについて
  ストローク
  フィンガーピッキング
  チューニング

小物について
  弦
  ピック
  爪
  ボトルネックとオープンチューニング
  ハーモニカやカズーなど


★最後までおつきあいくださいましてありがとうございます。

ここに書いたことはあくまでも水先案内のガイドラインとお考えください。
僕自身すべての歌でこれをやっているわけではありません。
また段階を踏まずに同時進行でやったり、逆からやったりもしています。

アマチュアミュージシャンは日常の暮らしや仕事との兼ね合いで限られた準備の中でライブなどに臨まざるをえません。
そんな状況の中で少しでも実りある弾き語り演奏ができるように、みんなの知恵や経験を出し合っていければいいなと思います。
そのためのたたき台として僕の経験をまとめました。
おおいにたたいてやってください。
そしてそれぞれの道を確かなものにしていってください。

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2011.12.19

友との再会 再開「唄の驛」に思う

定刻より少し遅れて会場の四谷ひろばの一室に入る。
演奏は始まったばかり。

懐かしい顔ぶれがくつろぎながらステージを観ている。
初めてお見かけする方も何人か混じっている。こちらはやや緊張した面持ち。

演奏の邪魔にならないように静かに腰を下ろす。
まわりの人たちと軽く会釈を交わす。
ゴリさんが顔をクシャクシャにして笑いかけてくれる。
マッキーさんがニコリと笑う。
みな目を細め、うれしそうな顔で返してくれる。


3月の震災以降「「唄の驛」」はながらくお休みしていた。
10ヵ月ぶりの再開だ。
時折行動を共にしてきた友も幾人かいる。
でもほとんどの方とは2月以来の再会。
(僕は2月の集まりは欠席したので1月以来ということになる)

懐かしさ、うれしさで胸がいっぱいになる。
わずか10ヵ月ほどなのだが、本当に長い期間だったように思える。

待ちわびていた。


ステージは無限堂さんに続いて蝉丸さんに。
なつかしのガロの名曲「地球はメリーゴーランド」


  まわる まわるよ
  地球はメリーゴーランド
  哀しみ 歓び
  すべて乗せてゆくよ


この歌詞がやけにしみる。


引き続いてoakboyaさんにバトンタッチ。
加藤和彦ときたやまおさむの「感謝」。
いろんな思いが胸に去来する。
やがて岡林の「友よ」に歌は変わる。

静かに歌うoakboyaさん。
みんながそれに寄り添うようにそっと歌をかぶせていく。

もうダメだった。
糸のように細い眼からしずくがあふれ出していた。

みなさんの歌を久しぶりにじっくり聴かせていただいた。
それぞれにこの10ヵ月の足取りを感じさせてもらった。


   みんなそれぞれに試行錯誤しながら
   それぞれの道を歩いてきたんだなぁ


演奏を聴きながらそんな感慨にふけっていた。


およそ1年ぶりの再会。
それぞれのローカル線を走ってきたメンバーがターミナル・ステーション「四谷ひろば」に集う。
一人ひとりのローカル線での足跡、痕跡を感じさせながら。

それぞれにステージや土俵がちがうもの同士。
当然めざすものも課題もみな違う。
でもたがいの今を受け入れ、認め合う。
そんなあったかい空気が流れていた。

さらにうれしかったのは急遽初参加してくれた芽亜利さん。
ライブや路上でがんばってる人だ。お会いするのは2回目だが彼女の歌は好きだ。
会場をポップな雰囲気で充たし、華を添えてくれた。


そして初めての落語。
高円寺亭 たら好さん。
杉並江戸落語研究会の顧問をされているたら好さんの小気味のよい話しっぷりは楽しかった。

唄や演奏だけではなく、演芸やいろんな大衆芸能をも含んだ集まりになっていくというのも「唄の驛」のひとつのあり方だなと思う。

今回僕は自分のネガティブな面をちょっと披露した。


   寒い夜
   根雪
   大空と大地の中で


この1年、いいことも楽しいこともたくさんあった。
でも同時に切ないこと、つらいこと、悔しいこともまたたくさんあった。
ポジティブな気持ちとネガティブな気持ちとが交互にやってきて、心の中でせめぎあっていた。
(それは現在進行形でもある)
そのどちらも受け入れるべき自分自身。

僕自身のローカル線をあれこれ揺れながら走ってきた。
その「負」の部分にもスポットを当てようと思った。


ノーマイクで歌った。
それは心に渦巻く「黒い」気持ちがマイク→アンプ→スピーカーを通すことで薄まってしまいそうな気がしたからだ。
歌もギター伴奏も音量をおもいきり抑えた。
そうするために曲のキーをいつもより1音半下げた。


   明日のことなど 分かるはずもない
   分からぬ明日だから 夢見るのかも
   夢が大きすぎて かないそうもない
   かなわぬ夢だから かなえてみたいのかも
   だまりこめば 心の底まで
   しばれるような 寒い夜

      「寒い夜」

ネガティブな気持ちになっている時、人は出口の見えない暗闇の中に放り込まれたような気分になる。
「しばれる」という言葉は北海道弁だ。
氷点下10度に近い、身も心も凍てつき「どうもこうもなんない」時に使う言葉だ。

「根雪」はなにもかも白一色でぬりこめてしまう。
足跡も車のわだちも、そして「どうもこうもなんない」心のひだをも。
そしていつか時がたてば忘れられる。なにもかも。
「時」っていつなんだ?
そうかそれは「明日の日」、雪解けの春か。。。


   凍えた両手に 息を吹きかけて
   しばれた体を あたためて
   歩きだそう 明日の日に
   ふりかえるには まだ若い
   いつの日か しあわせを
   自分の腕で つかむよう

      「大空と大地の中で」

たぶん誰しも心の中で「明」と「暗」がたえず葛藤しているんじゃないか。
「明」の中に「暗」はひそみ、逆に「暗」の中にも「明」は息づいている。
それが「希望」というものではないか。

そんな思いを(願いを?)10分間・3曲に凝縮したつもりだった。
はたして、どのように受け止められたかな?


以前、「唄の驛」は『大人の上質な遊び場』というようなことを書いたことがある。
およそ1年ぶりに再開した「唄の驛」はやはりステキな遊び場だった。

再開を企画、ご尽力されたふく助さん。心から感謝いたします。
参加されたみなさん、いい時間をありがとうございます。

次回もまたお会いできるのを楽しみにしています。

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2010.11.02

「唄の駅」 火種にふいごで火を送れ!

1週間前に終えた「JUNE Night Live」の余韻をたっぷり引きずったまま参加した。

けっしてカッコつけて言うわけではないが・・・
ライブを終えてからというもの頭の中が真っ白になっていた
心にぽかっと穴が開いたようで、音楽や先のことなどなにも考えられずに過ごしていた

いつもならあれを歌いたい、これを伝えたい、こんなことを試したいと自分なりに課題を持って参加する「歌の駅」

今回はそういう気持ちになれぬままの参加となった
それでいいと思っていた


  今回ばかりは疲れた羽を少々休ませてもらおう


そんな思いで参加させてもらった

お題が秋の歌だったので、昔から歌いなれたものだけをセレクト


    街風便り
    追伸
    一冊の本
    秋桜


いつもなら・・・
腰を入れ、思いを乗せて歌うところだ
15分ドラマのストーリーを組むところだ
そんなこと一切おかまいなしにただ淡々と歌わせてもらった

これがなんとも気持ちよくて・・・
最後は歌ってるっていう気持ちもない状態に
無意識で、脱力しきって歌っている感じだった


   ああ、ここちいいな
   たまにはこれもアリだな


仕事の関係で大遅刻、しかも仕事の続きがあるんで途中早退した
だからごく限られた人の歌しか聞かせてもらえなかった
でも皆と同じ時間・空間に身を置いているだけで疲れが癒えていく気がした

他の人の演奏に対し、みな思い思いに絡んでいく
僕もまたギターリフで絡んでいく

心の中でほのかにくすぶり続ける音楽の火種に風が吹き込まれていく
まるでふいごのように
そんな気がした

    やっぱり「大人の上質な時間」だ


そんな思いをあらためてかみしめた、今回の「歌の駅」だった

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2010.07.12

「唄の駅」 今回の音楽的(?)実験…鳴り物編 

今回もまた楽しい時間を過ごさせてもらった「唄の駅」でした

いつも思うのですが、
この集まりは大人の上質な時間であり、上質な遊び場だと思います

互いに認め合い、楽しい時間を過ごしつつも
切磋琢磨し、刺激を受けあいながらより楽しさを追求していく
そんな会ですね

「楽しさ」ってのは自分と向き合ったり、あれこれ思いをめぐらせたりしながらより深まっていくものだなと感じます


僕は今回もちょっとだけ実験的な試みをしてみました

テーマは七夕

遠く離れていて年に一度しか会えない男と女のせつなさ
せつないがゆえに深まるお互いへの思慕

そんなことを背景にして選曲しました


 ①竹に短冊七夕祭り~青葉城恋歌(2番のみ)
 ②I Hold You In My Heart(日本語詩を前面に出して)
 ③彗星


実験は「彗星」で試みました

ラテンベーシスト・高橋ゲタ夫さんが書いた
キューバのパーカッションが全編に流れるノリのいい歌です

これをギター1本で演奏するのはなかなか難しい
これまではボサノバチックな「なんちゃって」伴奏で歌ってきました

今回なんとかオリジナルの持つキューバンリズムっぽくやってみたかったんです

それには会場を巻き込むしかないわけで

そこで鳴り物をいくつか用意しました

①カウベル(コッヘルの底やヘリをスプーンでたたいて代用=鍋ベル)
②マラカス
③クラベス(拍子木)

カウベルを1拍ごとにカン・カン・カン・カン
マラカスで1拍の表と裏をシャカ・シャカ・シャカ・シャカ
クラベスでラテンの雰囲気をだす「2-3」のリズム
  ン・カッカ・・カッカッカ

パーカッションを急遽お願いして①⇒②⇒③とひとつずつリズムを重ねていきました
パーカッションがそろったところでギター⇒歌に


かくしてなんちゃってキューバンリズムの「彗星」が出来上がり

カウベル(ゴリさん)とマラカス(蒔さん)が基本のリズムとテンポをキープ
クラベス(るびんさん)が感性でラテン風な味付けをしてくれました
さらにふく助さんがドラムでティンパレスの雰囲気をかもし出してくれました


この実験の意図はいかにして会場全体で音楽を楽しむかという点にありました

演奏する人を聴く人たちがうまくサポートして一緒に楽しめるか


実はなかなか難しいことだと思います

聴く側の人たちが鳴り物やギターで絡んだ結果、音楽的に破綻したり演奏者がかえってやりにくいことにもなりかねないからです

でも音楽には共に楽しむと言う要素もまちがいなくあるわけで…

  あなた演る人、私は聴く人

という図式だけでは片手落ちかなって気がしていたんです

演奏する人が気持ちよくできるような絡み方ができれば
音楽はよりいっそう楽しいものになるんじゃないかな
そう思ったしだいです

(もちろん何でもかんでも絡んでいいというもんじゃないし、じっくり聴いてもらいたい歌もあることは承知の上ですが)


きっかけは前回の「歌の駅」でoakboyaさんが鳴り物をたくさん用意してバンジョー演奏をされたことです

ご本人も、そして絡んだ人たちも楽しそうに、嬉々として演奏していました

その様子を見てもう少し意識的な絡み方を試してみたかったしだいです


なんちゃってキューバンリズムの「彗星」

実に楽しく演らせていただきました

鳴り物でサポートしてくださった皆様
手拍子で参加してくださった皆様
あっけにとられて(?)聴いてくださった皆様

ありがとうございます

(このアイデアにアドバイスをしてくれた従兄弟のドラマー・ENTA巣さん、ありがとう)



毎回、いろいろ考えさせられ、試させてもらい、そして楽しい思いをさせてもらえる「歌の駅」

次が楽しみです

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2010.07.07

竹に短冊 七夕まつり

関東の七夕さんは今年も雨模様のようですね

織姫さんと彦星さんの悲し涙は催涙雨(さいるいう)
悲しい酒に酒涙雨(さいるいう)だそうです

いつか逢える日を信じて、ひたすら待ち続ける織姫・彦星
なんとも切ないですな


  星空見つめ あなたは遠く離れてもいても 逢いたい
  愛する人 逢えるその日まで 夢で抱きしめる

      (トミ藤山さん歌う「I Hold You In My Heart」より)





僕が子供の頃、七夕さんは一大イベントでした
子供たちは浴衣に三尺(帯)をしめ、手に手に提灯や手製のカンテラを持ち集まります

徒党を組んで町内を一軒一軒練り歩くのです



  竹に短冊 たなばた祭り
  おおいはいやよ
  ろうそく 一本 ちょーだいな
  くれなきゃ かっちゃくぞ



節をつけて軒先や玄関先でそう歌うと、中からおばさんが出てきてろうそくをくれる

ろうそくなんかもらってもしょうがないのに、競って集めたものです


これは北海道各地に江戸時代末期から伝わる七夕さんの風習です

旧暦の七夕さんは必ず上弦の月の日
上弦の月の小舟に乗ってご先祖様が帰ってくる
ご先祖様をお迎えするため、子供たちは提灯に灯をともして町々を練り歩く

ということらしいです


北海道には梅雨がありません

空はいつでも満天の星
織姫さんと彦星さんは毎年逢瀬を重ねることができます


いつの日か
天の川の下、星の広場に幼馴染が集い酒を酌み交わしたい
たがいの半生を肴に

そんなことを毎年七夕さんが来るたびに夢想しています
(会社に小学校の合唱部の後輩がいるので、二人でそっと「竹に短冊」って歌っていますが)




今週の日曜日
「唄の驛」の集まりがあります
今回はそんなことをテーマに歌えたらいいなって思っています





2004年7月7日のブログ記事「竹に短冊 七夕まつり」


2006年7月7日のブログ記事「七夕」

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2010.06.29

音楽実験の場としての「唄の駅」

今回の「唄の駅」に参加するにあたり、テーマを設けてみました


  20分のミニドラマ仕立てにする


テーマを決めて歌とおしゃべりでストーリーをつないでいくやり方です



40代の頃よくやっていたライブ方法です
きっちりシナリオを作り、45分の芝居仕立てのライブにしてました
45分あれば充分にステージを組むことが可能でした

(今思えば饒舌に過ぎたきらいもありますが…)




  20分の枠の中でテーマをどこまで表現できるか

今回の大きな課題でした

余分なものをそぎ落とし、どこまで表現できるか?



テーマは「二十歳の原点」でした

二十歳の春、僕は北海道から東京に移り住みました
駒場は三畳一間の学生下宿でスタートした東京暮らし
いろんな意味で自分の転機になりました

そのターニングポイントのあれこれを、「唄の駅」に集う仲間たちに聞いてもらいたかったのです
(同じような青春を過ごされた方も多いと思われたので)



起承転結の歌を決めることから始めました

「結」はすでに決まっていました

「唄の駅」、今回の全体テーマ「沖縄に絡む唄」でした
これにつながる『さとうきび畑』が「起」です

問題は当時の暮らしの中からどうやって『さとうきび畑』につなげていくかでした




その年の夏
僕はギターをかかえ広島~長崎~佐世保を旅してました

旅の終着点・佐世保の海を眺めながら…

エンタープライズ寄港のことを思い
ベトナム戦争を思い(まだ終結していませんでした)
沖縄を思いました(まだ本土に「返還」されていませんでした)


貧乏学生の自分は旅の費用を工面のため、バイトに精を出しました
旅費には足りるはずがありません
バイトで稼いだ金のあらかたは日々食べるために消えていったのですから

故郷の親に教科書・教材費といつわって捻出させたに違いありません
(親不孝にもその辺の記憶はすっかり抜け落ちています)

夢をさがして都会に来たが思い通りに行かぬ毎日、つい弱気になり故郷を思う
そんな唄を選曲しました



貧乏な若者の日常を描いた唄は数多くあります
当時のムードをうまく表現した名曲「さみしい気持ちで」を選びました


ここまで決まったのは次の通り

  起  ・・・・・
  承 『さみしい気持ちで』(加川良)
  転 『故郷』(松山千春)
  結 『さとうきび畑』(森山良子)


ところが「起」の唄がどうしても浮かんでこない



そんなある日、家で『チューインガムひとつ』を歌っていました

お店屋さんでチューインガムを取ってしまった女の子がつらい胸のうちを吐露するという唄です


突然息子がドアを開け

  とうちゃん、頼むからその歌は歌わないでくれ!



そうでした

息子もまた小学生の頃「びっくりマンチョコ」をくすね、見つかってしまった経験があったのです

幼い息子に若い父親の僕はどう叱り、どう諭していいのか分かりませんでした

ただただ二人であてもなく線路沿いに歩き続けたのです

一言も話すことなく


僕は沈黙の行進を続けながら思い出していました

自分にもよろずやさんから豆パンをくすねた経験があることを

それは僕の「二十歳の原点」の時でした

大人になった息子が今でもつらく感じているように
ぼくもまたその出来事を忘れられずにいました


そしてこの時つながったのです
「起承転結」が


「起」の唄を『チューインガムひとつ』に決めました



小さな万引き事件が沖縄の戦争の唄に結実する

なんとも強引な話です

でもこの飛躍を20分の小さなドラマに仕立ててみたかった

4つの唄をつなぐトークも必要最低限に抑えるべくあれこれイメージを積み重ねました



実際の本番演奏では時間の関係で15分の枠内に収めることになりました

残念ながら「転」の『故郷』を削らざるをえませんでした

その分「承」の『悲しい気持ちで』を即興でふくらませ、足りない部分をトークで補う形になりました


反省点はトークの饒舌さが前面に出てしまったことです
結果的に制限時間の15分をオーバーしてしまいました
(ごめんなさい!)


「語らずとも語る」という境地にはなかなかいけないもんです



でもこのテーマに取組んできたことには満足しています

20分の枠を最大限に活かすために一生懸命考えた経験は、必ずどこかで活きてくるように思います




「唄の駅」のメンバーの皆さんがそれぞれに自分の課題やテーマを追いかけながら臨んでこられます

その成果を感じさせていただくことは、楽しくうれしいものです

僕にとってこれが今回のテーマと取組みでした



次回の「唄の駅」は7月11日(日)
あと2週間しかありません

今回のようなミニドラマステージは組めないと思います
でも、また何かテーマを見つけて挑戦したいと思います

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2010.05.25

『歌の駅』 大人の上質な時間

以前も同じようなタイトルでレポートを書いたような気がします

あれから何度かこの歌の会に参加しましたが、この言葉がいつも浮かんでくるのです


  「大人の上質な時間」


嬉々として音楽に戯れるメンバーの笑顔

なにものにも変えがたいものです

音楽が人と人の心の垣根を簡単に突破してしまう
奇跡としか言いようがありません

いや、それこそが音楽の持つ力なんだと感じずにはいられません


「歌の駅」に参加するたびに僕はその思いを深めています






今回は新しく参加した方や、久しぶりの方もみえました

十数名のメンバーが各自15~20分のミニステージを展開
およそ4時間に渡って演奏をくりひろげました

演奏する側も聴く側も真剣そのものの面持ち
でも時折笑いの渦が巻き起こる

ぴりっとした空気でありながらもどこかゆとりをもって流れていくこの時間が好きです


この時間に浸りながら、なぜか3年前の5月、清津峡でやった「へた親」第1回オフ会のことを思い出していました


  たった5人しかいなかったけど、
  あの時もこんな時間が流れていたなぁ


そんな感慨にふけっていました





今回の僕のテーマは「5月の出来事」

  ①ちょっとだけ恋人
  (そのままで そのままで 五月の風のようなあなた)

  ②おうちピクニック
  (5月の最初のライブは「上野の森絵本コンサート」でした)

  ③旅・・・ワンカップ大関の歌
  (清津峡で歌う定番ソングのひとつ。5月の清津でも歌いました)

  ④Lonly Together  (すめちゃんと)
  (トミ藤山さんの浅草コンサートの余韻に浸った5月)

  ⑤旅の途中
  (今でもまだ旅の途中さ 花咲く街をもとめて・・・
   ヨーデルを歌いながらグッときていました)





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今回初めての試みとして、夜の部=呑み歌会をやりました

いつもは安酒屋でおだをあげていましたが、せっかくの音楽好きの集まり
呑みながら歌いたいねというふく助さんの企画でした

近くのスーパーで買出しをして1000円会費の呑み歌会

僕は第1回目のホスト役をおおせつかりました

僕が今年の目標にしている「井戸端ライブ」のヒントが見つかるかもしれないというふく助さんの提案でした

はたしてどんなことになるのものか
皆目見当もつかぬまま乾杯

引き続き、事故で亡くなった僕の若き音楽仲間・Volteあつしのために献杯!
(ありがたかった、うれしかった。みなさんありがとう)



かくして幕を切って落とした「呑み歌会」

すごかった!

皮切りに「あの素晴らしい愛をもう一度」と「翼をください」全員で歌います

最初は探るように歌っていたのが、徐々に気分が乗り気持ちも合わさります
ハーモニーも自然について空気が震えるような分厚いコーラスに

40年前のフォーク・フーテナニーのシングアウトを思い出します

この後は思い思いに誰かが歌いだすと、全員がそれに絡みだす

途中合流した多摩フォーク・ビレッジのあくびとうちゃんや「歌う植木屋」・カール鴇田さんも一緒に大音楽呑み会になりました


ホスト役としてはこんな助かることはありません
黙っていても音楽で勝手に盛り上がっていってくれるんですから


やはり皆さん音楽が好きで、自ら演奏される方ばかり
スイッチが入ればとどまることを知らない

僕が気を配ったのはタイムリミットの8時半にどうやって軟着陸させるかってことだけでした

歌に夢中になっている人に対して、「ぼちぼちやめようぜ」っていうことほど無粋なことはありませんものね

で、煽るだけあおってガーッと終わることにしました

「また逢う日まで」~「心の旅」~「青春の影」~「心の旅」のリフレーンをノンストップでつなげて、ついでにテンポも上げていきました

全員の大合唱、大合奏が延々と15分、8時半ジャストで歌いきりました
(みなさん適度に酔いも回り、息が切れたところでちょうど時間となりましたぁ)


本当に楽しいひと時になりました



すべて片付け終えて、ガランとした室内


  最後にアカペラで歌いましょうよ
  
  「今日の日はさようなら」を


とふく助さん


それまでの賑わいとは対照的に静かに静かに歌い始めました
やがてそれは2部合唱に、そして3部合唱に

コーラスの厚みも徐々に増してきます

全員の輪が少しずつ縮まり始め、やがて誰からということもなく肩を組み始める

最後は全員肩を組み小さな輪ができあがり、その輪の中で歌が続く

感動的なエンディングでした

うまいとかヘタとか、自己実現とか独自性とか
普段どうしてもそんなことにとらわれがちなのがミュージシャン

そんなものはどこかに吹き飛んで、ただただみんなで歌うことの楽しさに身をまかすことができました


  そうだよな
  これが音楽の原点のひとつだよな


あらためてそう感じさせてもらいました


同時に五十ヅラしたオヤジたちなのに、まるで中学生のように「友情」を感じあえる幸せ
(あ、失礼! うら若きレディもお一人いらっしゃいました)

そう思ったのは僕だけでしょうか

実は互いのことをよく知らない者同士です
それでも、人生のあれこれをそれぞれに乗りこえてきた者同士(あるいは進行形かもしれない)に感じる共感


  いよっ!
  ご同輩!!
  いろいろあろうけれど、おたがいしっかりやりましょうぜ!
  次に会うときもまた、楽しくやりましょうぜ!


そんな「大人の友情」があってもいいんじゃないかな



「唄の駅」

やはり「大人の上質な時間」だなぁ


そう感じるのは僕だけじゃないですよね(笑)

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2010.04.21

【56歳の夢物語】 井戸端ライブ

「井戸端会議」って言葉があります

江戸時代、長屋の女たちが共同井戸に集まり、世間話や噂話にうち興じたことから生まれた言葉だそうです

長屋にひとつしかない井戸
その周りには自然と人が集まります
順番を待ちながら、女たちは四方山話に花を咲かせる
子供たちも井戸のまわりを駆け巡っているかもしれない

そんな光景が浮かんできます

  井戸端会議のようなライブができないものか

普通ライブは「プレイヤーがリスナーに音楽を提供する」ものです
プレイヤーの演奏にリスナーは感動し、泣いたり、笑ったり、熱狂したり…
プレイヤー主導で進められるのが普通のライブのありようです

僕のライブもそういう形を踏襲しています

  もっと違った形の音楽会があってもいいんじゃないか?
  プレイヤーとリスナーがもっと絡み合い、
  互いのやり取りの中で作られていく音楽会ができないものか
  

以前からそんな思いを暖めてきました

一昨年、地元の小さな喫茶店「ぶうけ」で「カウンターライブ」という試みをしたことがあります

ステージはカウンターの中
お客さんと顔をつきあわせ、同じ目線で演奏する
そんな試みでした

カウンターのお客さんとおしゃべりをしながら展開するライブ

お客さんと僕のおしゃべり、お客さん同士のおしゃべり
めまぐるしく変わっていく話の内容
それに応じて選曲したり、
話の流れをコントロールしたり

そんなスタイルでやってみました

モデルは竹ノ塚・正寿司さんのご主人
カウンター越しにお客さんとやり取りしながら寿司を握る
その姿がとてもカッコいいのです

  井戸端会議みたいなライブだね

その時お客さんに言われた言葉がずっと引っかかっていました

このカウンターライブをおよそ1年間続けました
「井戸端ライブ」のひとつの原型として深く刻み込まれました

今は「すみれコンサート」の中で試験的にやっています

でもなかなかイメージのようにはいかないのが実情

  音楽会は音楽鑑賞の場
  ちゃんと聴かなきゃならない

というお行儀の良い聴き方が年配の方には根付いているのかも知れません
(日本の音楽教育の弊害とまでは申しますまい)

アクティブなやり取りの中から作り上げていく
歌とおしゃべりが混在一体となったライブ

こういうイメージのライブはなかなか難しいというのが実感です

先日金町の「かりゆし」という沖縄料理の店に行きました
「柏の葉公園deライブ!」終了後、ふく助さん、るびんさんと足を運んだのです

初めていく沖縄料理の店、初めて口にする沖縄料理、初めて飲む泡盛の古酒
北海道人の僕にはとても新鮮で驚きと感動の連続でした

呑むほどに酔うほどに三糸や歌が飛び出す
我々もギターでそれに絡む

やがてお客さんを巻き込み、ミニ音楽会になっていきます

残念ながら踊りも、とはいきませんでしたが、
沖縄人気質の一端をのぞかせてもらった思いです

店内には何組かのお客さんがおしゃべりに花を咲かせ
カウンターでは超常連「ちゃん」と呼ばれるおじいが吼える
その傍らでは柔軟体操をどたばたやってる小学生たち(沖縄舞踊の練習?)

店内はチャンプルー(ごたまぜ)状態

そんな中でお客さんとおしゃべりをしつつ、リクエストに応える

ひとつの歌が次の歌につながっていく
一緒に口ずさんだり、歓喜の表情をあらわにするお客さん
それを見て次の歌が触発されていく…

チャンプルー的混沌(?)にあって音楽がもまたその要素のひとつになっている
(チャンプルーとはいろんなものがごたまぜになっていても、ひとつのものに同化している状態のことだそうです)

  ああ、いい雰囲気だなぁ
  お客さんがアクティブなんだなぁ
  こういう中でなら「井戸端ライブ」もできそうだな

そんな思いを残しながら「かりゆし」を後にしました

  

ライブのひとつの形として「井戸端ライブ」を追求してみようかなと思っています

八ヶ岳の「森の音楽会」や「清津峡ミニライブ」はすでにそういう形
レギュラーライブの中では「すみれコンサート」が近い
もっと意識的にそれを追求してみようか

56歳を迎えてそんなことを考えておりました

決めた!

【今年の目標】

 「井戸端ライブ」(チャンプルーライブ)を意識的に追求する

これでいきます!

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