北海道

2018.05.14

叔母の記憶

根室に向かっている。
叔母が亡くなった。
96歳の大往生。

写真の二人から生まれた最初の娘。
僕の母の1歳年長の大正12年生まれ。

「根室のおばちゃん」の記憶は数えるほどしかない。
僕が生まれた時すでに根室に嫁いでいた。
北海道の西の端・函館と東の端・根室は遠い。
叔母が里帰りをした時数回会ったくらいだ。

それでも叔母のエピソードは母から数多く聞かされていた。
きかない娘で男の子をぞろぞろ引き連れて遊んでいたらしい。
「ゴロベスやるもの、この指止ーまれ」と大声を張り上げていたとか。
(ゴロベスとは球を転がす野球だそうだ)
母はいつもその後ろに隠れるように付いてまわったらしい。

つきあいの薄い叔母だったが、達筆の年賀状を毎年送ってくれていた。その達筆はほとんど判読不能の行書体だった。郵便屋さんも苦労したことだろう。

叔母からの年賀状が途絶えて10年ほどになろうか。すでに体がいけなかったらしい。

先に亡くなった夫の後を引き継いで漁師の網元を張っていたとのことだ。荒くれ漁師たちを束ねるのはなかなかゆるくない(大変)ことだろう。しかしゴロベス娘にとっては天職だったかもしれない。
数少ない叔母の記憶だが、ドスのきいた張りのある声はよく覚えている。

2018年5月13日。
大正、昭和、平成。
三つの時代を生きた市井の豪傑。
5人の娘たちに見守られ、母の日の深夜この世を旅立った。
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2018.04.25

旭ヶ丘の家コンサート その2

「旭ヶ丘コンサート」 2日目

今日は昨日と違い、いつもの広いロビーでコンサート。
ここは3本の廊下が合わさる奥行きのある場所。
ご老人たちの数も50人以上いらっしゃる。
昨日のように一緒に歌うのはなかなか難しい。
「Mrtin古池の歌謡ショー」というスタイルになる。
それでも、少しは口ずさんでもらおうと思い馴染みの深い歌を選曲する。
持ち時間は1時間。前回はリクエストやアンコールで1時間半近くになった。ご老人によっては疲れが出るだろう。

1時間ジャストに収まるように曲数やおしゃべりを工夫した。
昨日やった曲も含まれるが、位置づけやアレンジを少し変えた。じっくり聴いていただくことを主眼にした。

おしゃべりで気をつけたのは話の流れ。時間を限ったので道草トークは減らし、歌に直結し、自然に次の曲へとつなげるようにした。(省エネトーク?)

1.星の歌3題(星屑の街、見上げてごらん夜の星を、星のフラメンコ)
2.函館にゆかりある歌(津軽海峡冬景色=リクエスト→銀座カンカン娘、与作、夕焼けとんび)
3.春の歌(港の見える丘、19の春)
4.アラカルト(舟歌、可愛いベイビー、雨の中の二人)
5.エンディング(上を向いて歩こう)
6.アンコール(テネシーワルツ)

ここまででジャスト1時間。

ご老人たちの反応はそれぞれに違う。
最初から最後まで嬉々として口ずさんでる人あり。
目をつぶって聴いている人あり。
歌に合わせて小刻みに体をゆする人あり。
最初から最後まで眠ったように車椅子の背もたれに身をゆだねる人あり。
無表情にこちらを見つめる人あり。
終始床に目を落としている人あり。
皆の輪には加わらず、広いロビーの奥まったところの窓際の席でぼんやりする人あり。

様々だ。
でも概ねショーを楽しんでくださっているのを感じる。
それぞれの作法で。
老人の感情表現を感じ取るのは難しい。
何かを感じ、それに対応するまでにかかる時間は我々の世代と比べてもかなり遅い。
筋力が衰え感じるものがあってもそれを体で表現したり言葉に表すことができない人もいる。

でも必ずなにかのサインがある。
それは目の動きだったり、顔の筋肉の動きだったり、わずかなボディアクションだったりする。

僕はその小さなサインをできる限り見落とさないように、たえず動き回っている。
全体を俯瞰するとともに、一人ひとりの動きを見定めようと凝視する。
森を見て、樹を観る。そうしながら気を感じる。
そんなやり方で歌っている。
そしてかすかな反応に笑顔でお応えしている。

旭ヶ丘の家で歌うようになって10年近い。
最初の頃はよくわからなかった。どう対応してよいかわからず不安になった。不安があるから考えて、いろいろ手を尽くした。
最近感じるのは頭を使って考えることも必要だが、一番大事なのは「気を感じ取る」こと。
だんだんそういうことがわかるようになってきた。

気を感じてそれに笑顔で応える。そうやって思いを重ね合わせる。
その積み重ねがコンサートを成立させることにつながる。

歌とトークを介してとても大切なことを旭ヶ丘の家のご老人たちに教わっている。
そんな思いで今回も無事コンサートを終えることができた。

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函館・旭ヶ丘の家コンサート

函館・旭ヶ丘の家コンサート。

今回は2日間、歌った。
昨日は他の方々による定例の音楽ボランティアの最後に20分ほど。
会場は「ボンジュール」という喫茶ホール。
ここは母がまだ特養に移る前はここが会場だった。
20人ちょっとのご老人たちとこじんまりと歌った。
閉じられた空間。
お互いの息づかいが伝わる距離。
皆さんにも一緒に歌っていただくことを念頭に選曲した。
半数ほどの方はまだお元気な方々。一緒に歌っていただき、気持ちがグッと高揚するようにリードした。
「上を向いて歩こう」のエンディングは何度も何度も繰り返し、テンポも徐々に上げていく。最後は5倍速くらいの超高速。
歌いながら手拍子のスピードもぐんぐん上がる。限界くらいまで盛り上げ、一気にテンポダウン。
かなり楽しかったようだ。上気した顔、嬉々とした表情。
アンコールで歌う「テネシーワルツ」。一転して超スローテンポ。
皆さん日本語詞の部分は諳じている。
驚いたのはエンディングで「テ~ネ~シー~~ ワ~ルツ」と思い切り伸ばし、ためる。ブレークし音の途切れる「間」のタイミングであるおばあさんがいきなり「わぁー‼️」と奇声を発する。
気分が高揚した結果、ご自分の感情をそのように表現された。
ニコッと笑い応えるとおばあさんもニコッと返してくれた。

老人施設での演奏のおもしろさはこういうところ。
ご老人たちの反応は飾り気がなく、直接的。
ただ、そこまで持っていくのはなかなか難しい。
今回は短時間で垣根を越えることがうまくいったようだ。

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2016.07.08

竹にたんざく 七夕祭り

今年もまた七夕がやってきた。

北海道には今も残る七夕の風習がある。

子供たちが手に手に提灯やカンテラに火をともして町内を練り歩く。

1軒1軒、戸口に立っては七夕の歌を歌いろうそくをもらい歩く。

たけにたんざく たなばたまつり

おおいにいわおう

ろうそく1本 ちょうだいな

くれなきゃかっちゃくぞ

函館近郊ではこの歌だが、札幌などではまた違った歌詞だそうだ。

夜遊びなどめったにできない子供たちにとって、七夕祭りは大いに楽しみだった。

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仕事を早く終え、いつもの元荒川沿いの散歩コースを歩く。

夕暮れ時から少しずつ夕闇が迫ってくる。

昼間のお天気がウソのように薄い雲に覆われる空。

今年は星が見れないかなぁ

あきらめつつ歩みを進める。

やがて不動橋を越え、人通りも灯りもほとんどない暗い道にさしかかる。

北の空が急に開けてきた。

星が瞬くのが見える。

うれしかった。

北の空に向かい、故郷に向かい思わず歌う。

たけぇにたんざく たなばたまつり

七夕の晩、子供の頃を思い出し、北海道を思い出しながら歩く。

僕にとっては毎年の大切な儀式。

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⇒過去の「たなばたさま」の記事

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2016.03.27

北海道新幹線

    上野初の夜行列車降りたときから
    青森駅は雪の中

北海道新幹線が先程開通した。
新青森~新函館が新幹線で結ばれた。

...

道民にとっては悲願だったかもしれない。
函館を故郷に持つ自分にとっても、帰郷の選択肢が増えたことになる。

北海道と内地をトンネルを介して繋ぐこと。
そこに新幹線を走らせる。
この思いには長い歴史がある。

発端は昭和29年の台風。
青函連絡船・洞爺丸が沈没し、多くの方が亡くなった事故だ。
(この台風で我が家の屋根が飛ばされた。生まれたばかりの僕は台風の目で一時の青空を見ながら笑っていたと聞く。。。)

昭和39年、青函トンネルを掘り始めた。
長い年月を費やした苦難の工事の末、トンネルが開通したのは昭和63年3月。

北海道が線路で内地と繋がった翌年昭和は終わった。
それからおよそ30年、やっと新幹線が通った。

ちょっとした感慨にひたりっている。
でも心の中に流れるメロディはなぜか「津軽海峡冬景色」

時間はあったが金のない若い日。
北海道と東京を僕は青函連絡船と鈍行(せいぜい急行)を乗り継いで行き来した。
20時間以上も汽車と船に揺られていた。
乗り継ぎ駅のホームで食べる駅そば、偶然乗り合わせた客と酌み交わす酒。
銅鑼の音。桟橋から静かに離れる船。
色とりどり揺れるテープの波。
やがてテープは切れる。なんとも言えぬもの悲しさ。

こんな風景が40年たった今も消えずにこびりついている。
今思うと貴重で有り難い体験だった。

昭和は遠くなりにけり。

明日函館に帰る。
飛行機でね。
長男夫婦と孫を連れて。

嗚呼…
昭和は遠くなりにけり

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2014.10.01

還暦同窓会 室蘭東高校・第8期生

札幌で室蘭東高校・第8期生の同窓会が行なわれました。

担任の福田先生たっての(?)指令です。

あんたがたが60歳の還暦なら
私は80歳だ
今会わずして今度いつ会うのさ
今でしょう!

と言ったかどうかはおいといて、
室蘭、札幌、登別あたりから級友たちが集まりました。

僕も津軽海峡を超えて埼玉は越谷から馳せ参じたのでした。

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ほとんどが十数年ぶりの再会。

特に僕の場合、40年前北海道を飛び出しすっかり内地に根を張ってしまいました。

同窓会でもなければ級友たちに会うことはほとんどありません。

懐かしくも、顔を合わせた瞬間高校生に戻れるってのは嬉しいもんです。

それぞれに年を重ねてきたものをにじませながらも、奥底には高校生だった頃を彷彿とさせています。

それがやけに嬉しくてね。

今回思ったこと。

我々がこうして集まることができるのは、福田先生のおかげだということでした。

研究熱心で80歳になる今も勉強や公演をバリバリとやってらっしゃる福田先生。

決して熱血先生ではなかったけれど、内に秘めた情熱は昔も今も変わりません。

僕たちは先生のこの情熱に魅せられ、惹きつけられ育ってきました。

卒業して久しい今も我々の中心でしっかり求心力を発揮しておられる。

だからこそ集まれるんでしょう。

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僕は特に先生にはお世話になりました。

汽車通学をしていた関係でサッカー部の練習がちょっと遅くなると次の汽車まで2時間は空く。(当時まだ室蘭本線を蒸気機関車が走っていた頃です)

そんな時学校のそばの先生の官舎に行き、奥さんの作るインスタントラーメンをご馳走になっていました。

その数たるや何十回ではきかなかったと思います。

ラーメンを食べながら郷土史研究家である先生の「特別講義」を聞き、青い人生論をぶち上げる。

時には淡い恋愛相談にも乗ってもらったりね。

多分なにこいたもんだかと思っていたんでしょうが、ニヤニヤしながら話に付き合ってくれたのでした。

影響受けました!

.

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ほとんどの級友たちは会えばすぐに分かったんですが・・・

一人だけどうしてもわからない娘(こ)がいた。

誰だっけかぁ・・・

どうしても思い浮かばなくてね。

思い切って聞いてみてびっくり。

けっこう親しかった娘(こ)でした。

当然責められました(^_^;)

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イヤイヤイヤ…まずまいった。

彼女とは40年ぶりの再会でした。

やはり40年という歳月は長かったということでしょうか。

いろいろ話しているうちに少しずつイメージがつながっていきます。

修学旅行で誰かに撮ってもらったツーショット写真があったのを思い出しました。

帰宅後、上の写真と並べてみて40年のうつろいを感じたしだいでした。

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馬頭琴を演奏している娘(こ)と短いながらも音楽話しに興じることができました。

そしてありがたく感じたのは、僕のこのブログ「街角の歌芸人」を時々読んでくれているということでした。

最近時間に余裕がなく、お手軽なフェイスブックに書く事が多く…

ブログはサボリ気味でした。

でも読んでくれてる方が(先生も含めて)少なからずいるわけで…。

反省!

頻繁ではなくとも、その時々の雑感をある程度まとまった形でブログに書きとめておくべきですね。

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2013.11.10

「青柳会」 なんまら楽しかった!

会場に集う老若男女、もとい!「老老男女」およそ30人。
会場にとびかう「はごだで弁」。
花の東京のどまんなか、有楽町に遠慮なしのはごだで弁!
ウソみたいにここだけリトル・はごだで。

東京近郊に住む函館市立青柳小学校の同窓会に初めて参加しました。
これまでこんな会があることすら知りませんでした。
戦中、戦後の卒業生たちが長年大切に続けてきた会。
青柳のバガーマン先輩に誘われての初参加。
戦後生まれは僕とバガーマンさんだけ。(最若手はボク)

この会でミニコンサートをせよとバガーマンさん。
初めて会うであろう先輩方を前にプログラムを練りに練りました。
けっこう緊張しながらの参加でした。

.

.

おんなじ円卓に座るおばさんの顔が気になってしょうがない。
向こうも同じようでチラチラこちらを眺める。
司会の方がボクを紹介する。

  今回初参加です。
  青柳41年卒業。
  街角の歌芸人、Martin古池さん!

件のおばさん、すかさず動く。

  古い池で古池って、
  レンカ堂さんの関係かい?
  もしかしてノブおじちゃんとこの……

  うん、まさ坊だよ。長男の。
  もしかして、ミズコちゃんかい?

40数年ぶり、イトコ再会!

いやややや!
こんなことってあるんですねぇ。
神奈川に住んでることは昔から知ってたけどまさかね。

ひとりひとり自己紹介を兼ねた近況報告。
何人かの方は住んでた家の場所からして、僕の同級生の親戚らしい。

20才ほども上の大先輩が集うとあって、少々緊張してたんだけど杞憂でした。
なごやかでアットホームで懐かしい雰囲気の中でリラックス!

尋常小学校からふくめて130年の歴史を持つ青柳小学校。
その中でも昭和9年の函館大火、そして戦中、戦後の歴史が大きな意味を持っていると感じさせてくれるみなさんのお話は勉強になりました。
知識として知ってはいたけれど、そこをかいくぐってきた方々の話はやはり現実味を感じさせてくれます。
.

会の終盤30分は「Martin古池ミニコンサート」。
昨夜まで選曲にあれこれ迷ってたんですけど・・・
用意した半分もやらずにほとんどおしゃべりのステージになりました。

のっけから青柳小学校と潮見中学校の校歌をやるとみなさん懐かしそうに口ずさんでくださる。
函館出身の高峰秀子さんのヒット曲、「銀座カンカン娘」にいたっては校歌より力のこもった合唱に。
流れ上同じく函館出身・北島三郎さんの「与作」。
函館山の麓にある青柳小学校から眺める函館の港をイメージしながら「港の見える丘」。
歌ごとにおしゃべりで盛り上がり、あっという間に時間切れ。
三橋美智也さんの「夕焼けとんび」まで行きたかったんだけど断念しました。
夕焼けとんびではエンディングの歌にならないんで、ここは「テネシー・ワルツ」を江利チエミさんを意識したバージョンで。

最後は来年また逢いましょうという思いを込めて「有楽町で逢いましょう」をひとくさり。

それにしてもみなさんお元気。一緒に歌うは、おしゃべりのキャッチボールはバンバンくるワ。
同窓のあったかさのおかげですね。

いい時間を過ごさせていただきました。

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2013.11.01

青柳会

「青柳会」 

東京近辺に住む、函館市立青柳小学校の卒業生の集まりが今月10日に有楽町の某ホテルで行われます。
ほとんどが70~80歳の大先輩で、毎年細々と続けてきたそうです。
ご高齢の方が多いこともあり40人ほどの参加者が年々減っているそうです。
...
そんな集まりがあるなんてちっとも知らなかった。

数年前ネットで知り合った「ばがぁまん」さんという青柳の先輩からお声がかかり、「青柳会」でミニコンサートをやることになりました。
コンサートといっても校歌などを中心にみんなで口ずさめるような歌で場を盛り上げようという企画。

青柳小学校は昭和9年の函館の大火で焼けた市内に安全な避難場所をということで作られた鉄筋コンクリート立ての学校。
昭和10年だか11年だかに竣工されました。
(たしか僕の父親が第1期卒業生だったと聞きます)

「青柳会」の参加者たちは10~20期生が中心でしょうか。
戦時中に学校に通い、戦後卒業した世代だと思います。
空襲対策でコンクリの壁にはすすが塗られ迷彩を施されたころの生徒達です。
(僕が通っていた昭30年代になってもその名残、すすの迷彩はそのまま残されていました)

戦後まもなく青柳小学校を卒業し、潮見中学校で多感な時期を過ごした先輩たち。彼らはどんな音楽と共に暮らしてきたんだろうか。
そんなことに思いを馳せています。
テレビなど登場する前の時代。
当時としてはモダンな街だった函館も蓄音機はそれほど普及してなかったと思います。
やはりラジオなんでしょうね。
ラジオから流れる浪曲や流行歌に胸を熱くしていたんではないかな。
(中にはグレン・ミラーやハンク・ウィリアムス好きのモダンな人もいたかもしれない)

やはり青柳小学校の(旧)校歌や潮見中学校歌ははずせない!
くわえて昭和20年代~30年代の流行歌がメインになるのかな。
函館出身のでこちゃん・高峰秀子歌う「銀座のカンカン娘」なんかいいかな。

みんなが集まる銀座・有楽町。
「せばまた来年!有楽町で逢いましょう」
そんな気持ちになれるコンサートにできればいいな。

そんな思いで胸がわくわくしています。


「トロンボーン吹きてっちゃんの独り言~函館応援ブログ」に青柳小学校の内部や竣工時の写真が載っていました。
http://plaza.rakuten.co.jp/totoro26/diary/201002050000/

青柳小学校(旧)校歌
http://martinkoike.cocolog-nifty.com/blog/2004/06/post_9.html

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2012.07.07

竹ぇにたんざく七夕まつり

今年もやってきた七夕さま。
残念ながら今宵も曇り空のようで、天の川は観られそうにない。


子供の頃、七夕の晩を心待ちにしていた。

浴衣に三尺を締め、手にもった提灯にろうそくを灯し、仲間たちとともに町内を1軒ずつ練り歩く。


    竹ぇにたんざく たなばたまつり
    おおいはいやよ  ろうそく1本ちょうだいな
    くれなきゃ かっちゃぐぞ


1軒ごとに歌いながらろうそくをもらって歩く。

北海道に伝わる風習だ。

夕暮れ時を待ちかねた子供たちが三々五々と集まる。
夕暮れの薄明かりが徐々に闇にぬり込められていく。
ご飯を炊く匂いがかすかに鼻孔をくすぐる。
夏を前にしたかわいた風がろうそくの炎をゆらす。
カランコロンと下駄の音が夜道にこだまする。

低学年のうちは市販の提灯を持つだけでもうれしかった。
学年が進むにつれ空き缶に取っ手をつけたカンテラの自作に凝りだす。
たなばたさまの1週間も前からひそかにカンテラを作りはじめる。
友だちとそのデキを競うのが楽しみだった。

時間にすると2時間程度なんだろうが、長くてあっという間の小さな旅だった。


50年も前の話だ。今とはずいぶん事情が変わっている。
街中ではなく函館山の麓、坂道の上に住んでいたこともある。
今のような明るい夜ではなく暗闇の世界だった。
電信柱の小さな灯りがポツンポツン灯る。
家々の窓からこぼれる灯りも薄暗かった。
(蛍光灯の灯る家はまだ少なかった)

闇の世界に身を置くことが許された数少ない行事、それがたなばたまつりだった。
夜の闇は畏れであり憧れでもあった。
一面の暗闇。
山の端にかかる星明り。
ほのかにうごめくろうそくの炎。

闇と灯りのおりなす怪しげな魔力。

いまだに忘れることができない。
キャンプをしながらたき火の炎を眺めながら思うことがある。


   たき火が好きなのは
   星空を眺めるの好きなのは
   散歩が好きになったのは
   たなばたさまのおかげかも


今宵は夕暮れ時から空を見上げながら歩こうかと思っている。
提灯の代わりにストックをもって。


「たなばた」の過去の記事

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2011.11.11

【函館日記 2011秋】 函館弁と自分

僕は普段は標準語でしゃべっている。(つもりだ)

内地で30年以上も暮らしてるんだからそうなるのもごく当たり前の話だ。

それでも帰省し函館の地を踏んだ瞬間にスイッチが切り替わりはごだで弁になる。

それはほとんど無意識のうちだ。

したってまわりがみんなはごだで弁なんだから。

ところが実際に幼馴染と会い、しゃべっていると自分の言葉に何となく不自然を感じることがあるのだ。(なんとなぐ、あずましぐないんだヮ)

どこかに標準語の臭いがあり、ネイティブなはごだで弁とは微妙に違った響きを感じる。

それは逆に内地で標準語で話しているつもりでも、どこかはごだで訛りが染みついているのと同じ。

函館で生まれ育ち、東京圏で生きているうちに函館弁と標準語が入り混じって今の自分の話し方になっている。

東京圏では函館訛りが溶け込んだ標準語を、函館(北海道)では標準語が溶け込んだ函館弁(北海道弁)をしゃべっているということだと思う。

函館弁のネイティブスピーカーに戻りたいという思いもある。
それにはUターンしてその地で暮らさないことには無理な話だろう。

反面でNHKアナウンサーのような標準語をしゃべりたいとは思わない。
(若いころはそう思ってたこともあるが)

どこかで自分のルーツを意識していたいという願いが歳を重ねるとともに強くなってきた。

それが一番端的に表されるのが言葉なのかもしれない。

函館に帰り、今回も多くの人と話すチャンスに恵まれた。

その断片の記録を【函館日記 2011秋】として認めた。

これまでも帰函の都度「函館日記」「札幌日記」として書いてきたが、今回は特に言葉を意識した。

ネイティブの函館人がしゃべっている言葉をできるだけ忠実に残そうと思った。

それは自分のルーツを確認することにつながると思ったからだ。

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