北海道

2016.07.08

竹にたんざく 七夕祭り

今年もまた七夕がやってきた。

北海道には今も残る七夕の風習がある。

子供たちが手に手に提灯やカンテラに火をともして町内を練り歩く。

1軒1軒、戸口に立っては七夕の歌を歌いろうそくをもらい歩く。

たけにたんざく たなばたまつり

おおいにいわおう

ろうそく1本 ちょうだいな

くれなきゃかっちゃくぞ

函館近郊ではこの歌だが、札幌などではまた違った歌詞だそうだ。

夜遊びなどめったにできない子供たちにとって、七夕祭りは大いに楽しみだった。

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仕事を早く終え、いつもの元荒川沿いの散歩コースを歩く。

夕暮れ時から少しずつ夕闇が迫ってくる。

昼間のお天気がウソのように薄い雲に覆われる空。

今年は星が見れないかなぁ

あきらめつつ歩みを進める。

やがて不動橋を越え、人通りも灯りもほとんどない暗い道にさしかかる。

北の空が急に開けてきた。

星が瞬くのが見える。

うれしかった。

北の空に向かい、故郷に向かい思わず歌う。

たけぇにたんざく たなばたまつり

七夕の晩、子供の頃を思い出し、北海道を思い出しながら歩く。

僕にとっては毎年の大切な儀式。

.

⇒過去の「たなばたさま」の記事

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2016.03.27

北海道新幹線

    上野初の夜行列車降りたときから
    青森駅は雪の中

北海道新幹線が先程開通した。
新青森~新函館が新幹線で結ばれた。

...

道民にとっては悲願だったかもしれない。
函館を故郷に持つ自分にとっても、帰郷の選択肢が増えたことになる。

北海道と内地をトンネルを介して繋ぐこと。
そこに新幹線を走らせる。
この思いには長い歴史がある。

発端は昭和29年の台風。
青函連絡船・洞爺丸が沈没し、多くの方が亡くなった事故だ。
(この台風で我が家の屋根が飛ばされた。生まれたばかりの僕は台風の目で一時の青空を見ながら笑っていたと聞く。。。)

昭和39年、青函トンネルを掘り始めた。
長い年月を費やした苦難の工事の末、トンネルが開通したのは昭和63年3月。

北海道が線路で内地と繋がった翌年昭和は終わった。
それからおよそ30年、やっと新幹線が通った。

ちょっとした感慨にひたりっている。
でも心の中に流れるメロディはなぜか「津軽海峡冬景色」

時間はあったが金のない若い日。
北海道と東京を僕は青函連絡船と鈍行(せいぜい急行)を乗り継いで行き来した。
20時間以上も汽車と船に揺られていた。
乗り継ぎ駅のホームで食べる駅そば、偶然乗り合わせた客と酌み交わす酒。
銅鑼の音。桟橋から静かに離れる船。
色とりどり揺れるテープの波。
やがてテープは切れる。なんとも言えぬもの悲しさ。

こんな風景が40年たった今も消えずにこびりついている。
今思うと貴重で有り難い体験だった。

昭和は遠くなりにけり。

明日函館に帰る。
飛行機でね。
長男夫婦と孫を連れて。

嗚呼…
昭和は遠くなりにけり

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2014.10.01

還暦同窓会 室蘭東高校・第8期生

札幌で室蘭東高校・第8期生の同窓会が行なわれました。

担任の福田先生たっての(?)指令です。

あんたがたが60歳の還暦なら
私は80歳だ
今会わずして今度いつ会うのさ
今でしょう!

と言ったかどうかはおいといて、
室蘭、札幌、登別あたりから級友たちが集まりました。

僕も津軽海峡を超えて埼玉は越谷から馳せ参じたのでした。

2014_0927_181104p9270025

ほとんどが十数年ぶりの再会。

特に僕の場合、40年前北海道を飛び出しすっかり内地に根を張ってしまいました。

同窓会でもなければ級友たちに会うことはほとんどありません。

懐かしくも、顔を合わせた瞬間高校生に戻れるってのは嬉しいもんです。

それぞれに年を重ねてきたものをにじませながらも、奥底には高校生だった頃を彷彿とさせています。

それがやけに嬉しくてね。

今回思ったこと。

我々がこうして集まることができるのは、福田先生のおかげだということでした。

研究熱心で80歳になる今も勉強や公演をバリバリとやってらっしゃる福田先生。

決して熱血先生ではなかったけれど、内に秘めた情熱は昔も今も変わりません。

僕たちは先生のこの情熱に魅せられ、惹きつけられ育ってきました。

卒業して久しい今も我々の中心でしっかり求心力を発揮しておられる。

だからこそ集まれるんでしょう。

2014_0927_201200p9270033

僕は特に先生にはお世話になりました。

汽車通学をしていた関係でサッカー部の練習がちょっと遅くなると次の汽車まで2時間は空く。(当時まだ室蘭本線を蒸気機関車が走っていた頃です)

そんな時学校のそばの先生の官舎に行き、奥さんの作るインスタントラーメンをご馳走になっていました。

その数たるや何十回ではきかなかったと思います。

ラーメンを食べながら郷土史研究家である先生の「特別講義」を聞き、青い人生論をぶち上げる。

時には淡い恋愛相談にも乗ってもらったりね。

多分なにこいたもんだかと思っていたんでしょうが、ニヤニヤしながら話に付き合ってくれたのでした。

影響受けました!

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ほとんどの級友たちは会えばすぐに分かったんですが・・・

一人だけどうしてもわからない娘(こ)がいた。

誰だっけかぁ・・・

どうしても思い浮かばなくてね。

思い切って聞いてみてびっくり。

けっこう親しかった娘(こ)でした。

当然責められました(^_^;)

2014_0927_194658p9270027

イヤイヤイヤ…まずまいった。

彼女とは40年ぶりの再会でした。

やはり40年という歳月は長かったということでしょうか。

いろいろ話しているうちに少しずつイメージがつながっていきます。

修学旅行で誰かに撮ってもらったツーショット写真があったのを思い出しました。

帰宅後、上の写真と並べてみて40年のうつろいを感じたしだいでした。

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馬頭琴を演奏している娘(こ)と短いながらも音楽話しに興じることができました。

そしてありがたく感じたのは、僕のこのブログ「街角の歌芸人」を時々読んでくれているということでした。

最近時間に余裕がなく、お手軽なフェイスブックに書く事が多く…

ブログはサボリ気味でした。

でも読んでくれてる方が(先生も含めて)少なからずいるわけで…。

反省!

頻繁ではなくとも、その時々の雑感をある程度まとまった形でブログに書きとめておくべきですね。

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2013.11.10

「青柳会」 なんまら楽しかった!

会場に集う老若男女、もとい!「老老男女」およそ30人。
会場にとびかう「はごだで弁」。
花の東京のどまんなか、有楽町に遠慮なしのはごだで弁!
ウソみたいにここだけリトル・はごだで。

東京近郊に住む函館市立青柳小学校の同窓会に初めて参加しました。
これまでこんな会があることすら知りませんでした。
戦中、戦後の卒業生たちが長年大切に続けてきた会。
青柳のバガーマン先輩に誘われての初参加。
戦後生まれは僕とバガーマンさんだけ。(最若手はボク)

この会でミニコンサートをせよとバガーマンさん。
初めて会うであろう先輩方を前にプログラムを練りに練りました。
けっこう緊張しながらの参加でした。

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おんなじ円卓に座るおばさんの顔が気になってしょうがない。
向こうも同じようでチラチラこちらを眺める。
司会の方がボクを紹介する。

  今回初参加です。
  青柳41年卒業。
  街角の歌芸人、Martin古池さん!

件のおばさん、すかさず動く。

  古い池で古池って、
  レンカ堂さんの関係かい?
  もしかしてノブおじちゃんとこの……

  うん、まさ坊だよ。長男の。
  もしかして、ミズコちゃんかい?

40数年ぶり、イトコ再会!

いやややや!
こんなことってあるんですねぇ。
神奈川に住んでることは昔から知ってたけどまさかね。

ひとりひとり自己紹介を兼ねた近況報告。
何人かの方は住んでた家の場所からして、僕の同級生の親戚らしい。

20才ほども上の大先輩が集うとあって、少々緊張してたんだけど杞憂でした。
なごやかでアットホームで懐かしい雰囲気の中でリラックス!

尋常小学校からふくめて130年の歴史を持つ青柳小学校。
その中でも昭和9年の函館大火、そして戦中、戦後の歴史が大きな意味を持っていると感じさせてくれるみなさんのお話は勉強になりました。
知識として知ってはいたけれど、そこをかいくぐってきた方々の話はやはり現実味を感じさせてくれます。
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会の終盤30分は「Martin古池ミニコンサート」。
昨夜まで選曲にあれこれ迷ってたんですけど・・・
用意した半分もやらずにほとんどおしゃべりのステージになりました。

のっけから青柳小学校と潮見中学校の校歌をやるとみなさん懐かしそうに口ずさんでくださる。
函館出身の高峰秀子さんのヒット曲、「銀座カンカン娘」にいたっては校歌より力のこもった合唱に。
流れ上同じく函館出身・北島三郎さんの「与作」。
函館山の麓にある青柳小学校から眺める函館の港をイメージしながら「港の見える丘」。
歌ごとにおしゃべりで盛り上がり、あっという間に時間切れ。
三橋美智也さんの「夕焼けとんび」まで行きたかったんだけど断念しました。
夕焼けとんびではエンディングの歌にならないんで、ここは「テネシー・ワルツ」を江利チエミさんを意識したバージョンで。

最後は来年また逢いましょうという思いを込めて「有楽町で逢いましょう」をひとくさり。

それにしてもみなさんお元気。一緒に歌うは、おしゃべりのキャッチボールはバンバンくるワ。
同窓のあったかさのおかげですね。

いい時間を過ごさせていただきました。

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2013.11.01

青柳会

「青柳会」 

東京近辺に住む、函館市立青柳小学校の卒業生の集まりが今月10日に有楽町の某ホテルで行われます。
ほとんどが70~80歳の大先輩で、毎年細々と続けてきたそうです。
ご高齢の方が多いこともあり40人ほどの参加者が年々減っているそうです。
...
そんな集まりがあるなんてちっとも知らなかった。

数年前ネットで知り合った「ばがぁまん」さんという青柳の先輩からお声がかかり、「青柳会」でミニコンサートをやることになりました。
コンサートといっても校歌などを中心にみんなで口ずさめるような歌で場を盛り上げようという企画。

青柳小学校は昭和9年の函館の大火で焼けた市内に安全な避難場所をということで作られた鉄筋コンクリート立ての学校。
昭和10年だか11年だかに竣工されました。
(たしか僕の父親が第1期卒業生だったと聞きます)

「青柳会」の参加者たちは10~20期生が中心でしょうか。
戦時中に学校に通い、戦後卒業した世代だと思います。
空襲対策でコンクリの壁にはすすが塗られ迷彩を施されたころの生徒達です。
(僕が通っていた昭30年代になってもその名残、すすの迷彩はそのまま残されていました)

戦後まもなく青柳小学校を卒業し、潮見中学校で多感な時期を過ごした先輩たち。彼らはどんな音楽と共に暮らしてきたんだろうか。
そんなことに思いを馳せています。
テレビなど登場する前の時代。
当時としてはモダンな街だった函館も蓄音機はそれほど普及してなかったと思います。
やはりラジオなんでしょうね。
ラジオから流れる浪曲や流行歌に胸を熱くしていたんではないかな。
(中にはグレン・ミラーやハンク・ウィリアムス好きのモダンな人もいたかもしれない)

やはり青柳小学校の(旧)校歌や潮見中学校歌ははずせない!
くわえて昭和20年代~30年代の流行歌がメインになるのかな。
函館出身のでこちゃん・高峰秀子歌う「銀座のカンカン娘」なんかいいかな。

みんなが集まる銀座・有楽町。
「せばまた来年!有楽町で逢いましょう」
そんな気持ちになれるコンサートにできればいいな。

そんな思いで胸がわくわくしています。


「トロンボーン吹きてっちゃんの独り言~函館応援ブログ」に青柳小学校の内部や竣工時の写真が載っていました。
http://plaza.rakuten.co.jp/totoro26/diary/201002050000/

青柳小学校(旧)校歌
http://martinkoike.cocolog-nifty.com/blog/2004/06/post_9.html

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2012.07.07

竹ぇにたんざく七夕まつり

今年もやってきた七夕さま。
残念ながら今宵も曇り空のようで、天の川は観られそうにない。


子供の頃、七夕の晩を心待ちにしていた。

浴衣に三尺を締め、手にもった提灯にろうそくを灯し、仲間たちとともに町内を1軒ずつ練り歩く。


    竹ぇにたんざく たなばたまつり
    おおいはいやよ  ろうそく1本ちょうだいな
    くれなきゃ かっちゃぐぞ


1軒ごとに歌いながらろうそくをもらって歩く。

北海道に伝わる風習だ。

夕暮れ時を待ちかねた子供たちが三々五々と集まる。
夕暮れの薄明かりが徐々に闇にぬり込められていく。
ご飯を炊く匂いがかすかに鼻孔をくすぐる。
夏を前にしたかわいた風がろうそくの炎をゆらす。
カランコロンと下駄の音が夜道にこだまする。

低学年のうちは市販の提灯を持つだけでもうれしかった。
学年が進むにつれ空き缶に取っ手をつけたカンテラの自作に凝りだす。
たなばたさまの1週間も前からひそかにカンテラを作りはじめる。
友だちとそのデキを競うのが楽しみだった。

時間にすると2時間程度なんだろうが、長くてあっという間の小さな旅だった。


50年も前の話だ。今とはずいぶん事情が変わっている。
街中ではなく函館山の麓、坂道の上に住んでいたこともある。
今のような明るい夜ではなく暗闇の世界だった。
電信柱の小さな灯りがポツンポツン灯る。
家々の窓からこぼれる灯りも薄暗かった。
(蛍光灯の灯る家はまだ少なかった)

闇の世界に身を置くことが許された数少ない行事、それがたなばたまつりだった。
夜の闇は畏れであり憧れでもあった。
一面の暗闇。
山の端にかかる星明り。
ほのかにうごめくろうそくの炎。

闇と灯りのおりなす怪しげな魔力。

いまだに忘れることができない。
キャンプをしながらたき火の炎を眺めながら思うことがある。


   たき火が好きなのは
   星空を眺めるの好きなのは
   散歩が好きになったのは
   たなばたさまのおかげかも


今宵は夕暮れ時から空を見上げながら歩こうかと思っている。
提灯の代わりにストックをもって。


「たなばた」の過去の記事

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2011.11.11

【函館日記 2011秋】 函館弁と自分

僕は普段は標準語でしゃべっている。(つもりだ)

内地で30年以上も暮らしてるんだからそうなるのもごく当たり前の話だ。

それでも帰省し函館の地を踏んだ瞬間にスイッチが切り替わりはごだで弁になる。

それはほとんど無意識のうちだ。

したってまわりがみんなはごだで弁なんだから。

ところが実際に幼馴染と会い、しゃべっていると自分の言葉に何となく不自然を感じることがあるのだ。(なんとなぐ、あずましぐないんだヮ)

どこかに標準語の臭いがあり、ネイティブなはごだで弁とは微妙に違った響きを感じる。

それは逆に内地で標準語で話しているつもりでも、どこかはごだで訛りが染みついているのと同じ。

函館で生まれ育ち、東京圏で生きているうちに函館弁と標準語が入り混じって今の自分の話し方になっている。

東京圏では函館訛りが溶け込んだ標準語を、函館(北海道)では標準語が溶け込んだ函館弁(北海道弁)をしゃべっているということだと思う。

函館弁のネイティブスピーカーに戻りたいという思いもある。
それにはUターンしてその地で暮らさないことには無理な話だろう。

反面でNHKアナウンサーのような標準語をしゃべりたいとは思わない。
(若いころはそう思ってたこともあるが)

どこかで自分のルーツを意識していたいという願いが歳を重ねるとともに強くなってきた。

それが一番端的に表されるのが言葉なのかもしれない。

函館に帰り、今回も多くの人と話すチャンスに恵まれた。

その断片の記録を【函館日記 2011秋】として認めた。

これまでも帰函の都度「函館日記」「札幌日記」として書いてきたが、今回は特に言葉を意識した。

ネイティブの函館人がしゃべっている言葉をできるだけ忠実に残そうと思った。

それは自分のルーツを確認することにつながると思ったからだ。

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【函館日記 2011秋】 青柳町の生家にたたずむ

Photo
裏庭から見る家はあの日のままに

生まれた家の門をあけて一歩中に踏み入れる。

言いようのない感慨を覚え、しばしその場にたたずんでいた。

生家に足を踏み入れたのは40年ぶりのことだ。

これまで帰函のたびに道路から家を眺めていたが、中に入ることはなかった。

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父の転勤のためこの家を後のしたのは16の春、中学を卒業した年だった。

長いこと知人夫妻に住んでもらっていた。

そのご夫妻も高齢となり自力で生活するのが難しくなり、家を出た。

60年の風雪に耐えている家だ。

いつ倒れてもおかしくない。もし万一何かあったらと思い、こちらも気が気でなかった。

今回の帰函の目的の一つは空き家となったこの家を今後どうするか探ることだった。

当初は売却して母の今後の生活資金に回そうと考えていた。

しかし当面それは見送ろうと思っている。

理由は二つある。

ひとつはただちに家を売却しなくても、母の生活が成り立つことが分かったこと。

もうひとつは、函館の状況では地価が極端に下がっているうえに、買い手がつきそうもないということだ。

売却するにしてもほとんどバラックと化した建屋を壊し、更地にしなければならぬ。

それにはそれ相当のお金がかかる。

当面はこのまま放置するしかないだろう。

冬が終わり雪が解けてからあらためて考えることにした。

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道路から眺める外観

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裏庭から眺める煙突。昔は石炭ストーブだった

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庭から見る居間

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祖父母の隠居所だった

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物置(石炭小屋)。悪さをするとここに閉じ込められた

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子供部屋。二重窓ではないので吹雪の日は雪が吹き込んだ

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玄関内戸はあのまんま。外戸は引き戸だった。
「しんばり棒」でじょっぴんかってた(鍵をする意味)

Photo_9
ソケットは同じ型のものを使い続けていたようだ
子供のころは裸電球だった

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家の中に足を踏み入れた。

こんなにちっぽけだったか
こんなにおんぼろになったか

最初の印象だ。

ほとんどはあの日のままになっている。

長年住んでくれたご夫妻は必要に応じて修理をくりかえしてくれた聞く。

でも原型はしっかり維持保存してくれていた。

隙間だらけのバラックとよんでもいいような家だ。

94歳のご高齢に真冬はさぞかし堪えたことだろう。

柱の1本1本に手を触れてみる。

想い出が次から次へとわいてくる。

庭に出てみる。

住み主を失った庭は草が伸び放題で、すっかり荒れている。

それでもオンコの木はあの日のままに赤い実をつけ、松の木の下にはまつぼっくりが転がっていた。

Photo_13

Photo_14

庭の片隅に腰をおろしギターを取り出す。

中学生だった僕がギターを始めた場所だ。

ぽろんぽろんとつま弾くうちに、当時の練習曲がどんどん思い出される。

思い出すままにかたっぱしから弾いていく。

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うるせえやぃ!

隠居所で碁に興じる義一じいちゃんの声が聞こえるような気がする。

まあまあ、いんでないがぃ

なだめる客人。頭が禿げ上がりおでこに大きなコブのある人だったな。

そんなやり取りを目を細めて眺めるトミばあちゃん。

知らん顔して弾き続けるボンズ(坊主)頭の自分。

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何時間そうやって弾いていただろう。

おじいちゃん
そろそろほめてくれよ
あの頃よっか、なんぼかはうまくなったべさ
オレも

.

気がつくと庭には冬の匂いを含んだ冷気が降りてきていた。

秋の陽は函館山に向かって傾いていた。

Photo_15
この場所で中学生の僕はギターを始めた

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【函館日記 2011秋】 あの時代を知る古池の最後の女たち

帰函するたびに必ず本家のおばのもとを訪ねる。

父方のおばである。

御年96歳のおばを僕は子供のころから慕ってきた。

やせた体をまるで柳のようにしなやかに風になびかせて生きてきたおばだ。

96
ハナちゃん 96歳

おばには口癖がある。

あの時代を知ってるのは、
あんたの母さんと私だけになってしまった
あの時代を知る最後の古池の女たちさ

だから私はイクちゃんが来るのが楽しみで楽しみで仕方ないのさ
昔話しても分かるのはあんたの母さんだけだからね

この口癖を枕詞に延々と「あの時代」を叔母は語りだす。

えんえんと何度も何度も。

.

「あの時代」

戦中、戦後の函館と古池の家のことだ。

祖父は明治の末愛知県から裸一貫で函館に入植し、行商をしながら呉服店を立ち上げた人だ。

商売にはもちろん人付き合いにも厳しく襟を正す人だったのは僕も子供ながらに感じていた。

家長である祖父が絶対的権威をもつ家に叔母は嫁いできた。

小学校の先生だった叔母がしきたりもなにも全く違う商家に嫁いできたわけだ、さまざまな苦労があったという。


私は商売のことなんかなんも分かんないのさ
なんも分かんない私が店に立つと父さん(僕のおじ)に恥かかすと思って
おじいちゃんは立派な人だったけど、厳しい人だったっしょ
父さんもおじいちゃんをそのまま受け継いでるしさ

おばぁちゃんに影からずいぶん助けられたんだヮ

あんたの母さんもおんなじなわけさ
これは私らでないばわかんない話だもね

.

僕の父は商家のしきたりに反発して家を出た人だった。

人はいかに生くべきか

というようなことをたえず自問しているような人だった。
(父のことを理想主義的万年文学青年と言った人も多い)

残念なことに万年文学青年は万年貧乏生活を余儀なくされていた。

反発して家を出たにもかかわらず、経済的には本家にずいぶん世話になっている。

そこに嫁いだ母は本家との間でずいぶん気を使ったという。

特に祖父母は晩年、「隠居所」を我が家の敷地に増築して移り住んでいる。

目に見えない気苦労をしてきたはずだ。

86
イクちゃん 86歳

.

そういう時代、そういう家だったから
今の時代とは違った苦労があったわけさ

したけど私もあんたの母さんも
ぜんぜん、そんなこと苦じゃないわけさ

おじいちゃんも、私の父さんも、あんたの父さんも
みんな気難しい人だったけどね
みんなえらい(立派な=自分を持ってる)人だったからね

そんな時代のこと話してもすっと分かってくれるのは
もうあんたの母さんだけになってしまった

だから私はイクちゃんが来るのが楽しみで楽しみで・・・

かくして話はふりだしに戻り、えんえんとくりかえされていく。

残念なことにイクちゃんは昨年転んだことがきっかけで
今は身動きに不自由な生活を余儀なくされている。

ハナちゃんのもとへ遊びにもなかなか行けない。

.

.

「あの時代を知る最後の古池の女たち」が

いつまでも元気で過ごしてくれることを心から祈る。

.

ハナちゃん   96歳

イクちゃん    86歳

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【函館日記 2011秋】 介護の世代 幼馴染たちと

今回も中学の同級生・工藤しんやが長年営む音楽バー「サウンドインS」に足を向けた。

道連れはやはり中学時代からなにかと行動を共にしてきたYちゃん。

五稜郭のおでん屋で腹ごしらえをしながらYちゃんは言う。

今回は懐かしい奴らにも声かけたんだわヮ
多分びっくりするヮ

いい時間になりサウンドインSに入るとカウンターには懐かしい顔ぶれがにこにこしながらこちらを見ている。

A子とM子だった。

中学を卒業して以来だから42年ぶりだ。

いやいややや
古池君、なんも変わってないね

おめらもぜんぜん変わんないな
すぐわかったさ

したけど街ですれ違っても多分気が付かないよね
その気でみてっから古池君だってわかっけど

そりゃ、おたがいさまだべさ

たわいない挨拶を交わす。

ふいに中学時代の一シーンを思い出す。

3年の秋だった。
中体連も終わり、受験勉強に気持ちを切り替えた寒い夕方。
末広町の電停でYちゃんと、A子と3人で電車を待っていた。
労音会館で行われる高石友也のリサイタルを見に行くためだ。
初めて見る高石友也にショックを受け、フォークソングに目覚めた日だった。

このステージで高石友也は「受験生ブルース」を歌った。
受験生の自分は「我が意を得たり」という気分になった。
「想い出の赤いヤッケ」を歌う高石友也。
一緒に口ずさむ観客、それはやがて大合唱に。
なんどもなんどもくりかえされるリフレーン。
それはやがて「友よ」に変わり、「We Shall Over Come」へ。
知らぬ間に涙があふれていた。

.

古池君、今でも歌ってんだってね?

A子の声に現実に引き戻される。

んだよ。
函館さ帰るたんびに、ここで歌ってくんだゎ
なまらうめぇよ
したっけ、俺ほどじゃないけどな

とマスター・しんや
(「函館物語」の作者、工藤しんやは優れたミュージシャンだ)

若き音楽友達・はたぼーと順番にミニステージをやる。(僕の帰函を聞きつけ、サウンドインSまで会いに来てくれていた)

その中で今回の帰函は弱った母のサポートが目的だというような内容を織り込んだ。

歌い終わってカウンターに戻るとM子がポツリともらす。

私んとこもおんなじなんだヮ
A子もそうだしさ
そんな年に私らもなったんだね

T子んとこもお舅さんがそうだってな


したから昼間はずっとうちで面倒みてんのさ
めったに外に出れないから
古池君帰ってきたから、いい口実できてさ
久しぶりに夜遊びさ

したっけ、しょうがないもんね
私らだって、いずれそうなるんだろうしさ

古池君もあれだよね
母さんの面倒みないばなんないから
これからしょっちゅうはごだで帰ってくるんだんべね
内地だとけっこうお金かかっしょ
ゆるぐないね

なんもさ
ツアーで安い宿みつけて帰ってくっから
いざとなりゃ、青柳町のウチが今空き家
寝袋置いとけば泊まれるべさ
冬だらちこっと厳しいけどな

.

幼馴染たちとの再会はうれしく、楽しかった。

楽しかったが切なかった。

みんなそれぞれに親の介護の世代に入っている。

介護の大変さはもちろんだ。

同時に自分を生み育てた親たちが衰えていく姿と対峙せざるをえない哀しさ、
やがて逝ってしまうことを念頭に毎日を生きることのやるせなさは、
やはりつらい。

したって・・・
しょうがないしょや

ケタケタ笑いながらそれを受け入れようとする北の国の女たちに、
沈みがちだった僕は救われる思いだった。

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