青空演奏を始めて3年目になる。
始めるきっかけはコロナの影響でライブやコンサート、音楽会などがのきなみ出来なくなったためだった。
ライブ勘を損ないたくなかったのと、声をしっかりと出し続けなくてはならなかった。
いわばやむにやまれぬ事情から始めた「青空演奏」だ。
毎週土曜日の昼下がりから夕方までの4時間ほどをみっしり歌ってきた。
多くの時間は自分と向き合いながら一人で歌う。
季節毎の歌の蔵出しや棚卸しをしたり、ライブや音楽会の準備や予行演習をやってきた。
コロナ前にやってきた「朝市コンサート」の役割を「青空演奏」にあてた。
そして時に聴いてくださる方が現れるやいなや、スイッチが瞬時に入りミニライブモードとなる。
加えて後半は共にこの場所で演奏してきた朋友・菅原さんとの合同演奏になだれ込んでいく。
特にこの1年、毎回いろんな方が参加してくれるようになった。
さながら「青空演奏隊」だ。
毎週そんなことを続けながら、これまで2シーズンの越冬演奏を乗り切ることができた。
先日より3シーズン目に突入している。
真夏の直射日光も厳しいが、やはり冬期は群を抜いて厳しい。
友人たちには「まるで修行僧みたい」などと言う人もある。
中には「意地になってる」とか「年寄りの冷や水」などと辛辣に言ってくれる人もいる。
でもその心は共に「無理をするな。年なんだから」ということだろう。
当然のことながら自分では修行僧などとは思っていない。
無理をしているとも思っていない。
年であることはまあ認めざるをえないけどね。
でも年齢を理由にやることを制限することには大いに抵抗感がある。
年を重ねる毎にやれることが少なくなってはいくんだろうけど、やれるうちはやり続けるべきだと思っている。
「続けること」自体に意味があると信じたいからだ。
多くの時間は一人で歌っている。オーディエンスはいない。
それでも本気モードで歌う。
自分自身と向き合いながら歌うことは必要で大切なことだと思うんだ。
もちろん技術向上的なこともある。
同時にひとつひとつの歌に対する理解や共感を覚えるためには本気モード歌わなきゃならないと思う。
身体にしみこませるためにはひたすら歌うしかない。
野球選手は何百本も素振りをくりかえすことでバッティングの勘どころを身体にしみこませていくという。
本気モードでくりかえし歌うということはそれに似ている気がする。
青空演奏はそういう「作業」をする上で格好の舞台。
たとえ寒い日々であっても「続ける」ことは途切れさせたくない。
かといって無理して寒さに「耐える」という発想は持ちたくない。
「耐える」ということは「無理をする」ことでもある。
「無理をする」ことは精神的にまったく良いことではない。
昔の人は「艱難汝を珠にする」などといっていた。
でも自ら求めて艱難に身を置きたいとは思わない。
むしろ寒風の中で普段通り演奏するにはどうすりゃいいのか。
そしてより快適にやるにはどうすれば良いのか。
「青空越冬隊」はそんな発想でやりたい。
その意味でも一緒に「青空越冬隊」を続けてきた仲間たちには感謝だ。
寒い中でも音を合せる楽しさを共有・享有できる友の存在はありがたい。
年内最後の「青空演奏」は30日、今週の土曜日。
1年を振り返りながら歌おうと思う。
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