『一粒の麦』より
[砂上の楼閣]
孜々として
築き上げ来し楼閣も
一夜の風に倒れ行く
唯、手を拱きて唖然たり
我が血と汗の結晶の
噫脆かりき今は亡く
然れども
風徒に吹かざりき
砂上に立てし楼閣は
倒るべきこそ運命なれ
固き大地に根を据ヘて
新しき塔を築きゆかん
風徒に吹かざりき
昭和21年8月4日 コイケヤーノフ・ノブオンスキー
父は若い頃から万年文学青年・情緒過多症を自認していた。
膨大な数の文章をコイケヤーノフ・ノブオンスキーの名で書き残している。
父の死後、母と子供たちでそれらの文章を整理し『一粒の麦』
という遺稿集を作った。
B5版120ページの並製本にはとうていすべてを収めることができず苦労した。
そこで自分のフィルターを通し父から引き継がれているもの、また引き継ぎたいと思う文章を選んだ。
上記の詩歌は終戦後、復員し函館の街を歩き回っていた頃に認めたもの。
『一粒の麦』の巻頭を飾った。
父の文章としては最も古いもののひとつであり、その後の人生の出発点になったように思えた。
昭和20年の「敗戦」が父に与えた衝撃は心身共に甚大なものだった。
一夜にして信じ込んできた価値観が一変するもの、それが「敗戦」だった。
孜々(しし)として築き上げてきた大日本帝国は玉音放送を以ってすべて崩れ落ちる砂上の楼閣だった。
一命を取り留めて復員した父は崩れ落ちることのない「新しき塔」を探し、作り上げることが自分の生きる意味ではないかと考えたものと思われる。
この1年後、肺結核で数年にわたる療養所暮らしをし死と向き合うことになる。(当時肺病は「死の病」と呼ばれていたそうだ)
戦争で特別攻撃隊員として「死」に向き合い、数年後肺病持ちとしてふたたび「死」と向き合わざるを得なかった。
「新しき塔」への希求は特別な思いがあったに違いない。
僕にはそのように思えてしょうがない。
幸か不幸か父のごとき苛烈な人生経験を僕は持ってはいない。
しかし父の紡ぎ出した文章から垣間見られる彼の生き方をあらためて跡づけたいと思っている。
そうすることで父・古池信夫を自分の中に消化し、自分自身の血肉にしたいと思っている。
写真は昭和23年、肺結核のため七飯療養所にいた頃の父
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