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2025.12.18

キンカン塗って~また塗って~

昨日のお話。

7弦ギターコンサートの予約をしに「のんの」に出向く。
てんこママの作るレモネードが好きで、注文するとあてに金柑の甘露煮を出してくれた。
これもママさんの手作り。
適度な甘さと柑橘の酸味や苦みがほどよく美味しかった。

もしかしたら、金柑を口にするのは初めてかもしれない。(知らずに口にしたことはあるかもしれないが)

生まれ育った北海道では金柑は作られていない。(今はどうかわからないが)
金柑を食べるという習慣もなかったと思う。

ふと思い出したのは、真冬に手足の指先がよくしもやけになっていたことだった。
母親によく言われた。

  あんた、掻くんでないよ
  金柑塗っときなさい

当時の道民には金柑というとかゆみ止めだったんだ。
そういえば祖母が何かを焼酎に漬け込んでいるのを何度か見たことがある。

そんな記憶がよみがえり、てんこママに「北海道では金柑は焼酎に漬け込んでかゆみ止めにしていたんだよと伝えた。

帰宅後、なんか違うよなと思い記憶の糸をあらためてたぐってみた。
金柑が採れない北海道で金柑を焼酎に漬け込むなんてことあるはずがないよね。
子供の頃「キンカン塗って~また塗って~」というコマーシャルソングを口ずさんでたぐらいだから、しもやけに塗っていたのは医薬品として売られていた「キンカン」という商品だろうな。

てんこママにはいい加減なことを言ってしまった。
後で訂正しなきゃな。

でもおばあちゃんが焼酎に漬け込んでたものはなんだったんだろう?
またまた記憶の糸をたぐっていった。

  そうだ!あれはトチの実だ。
トチの実はその辺にゴロゴロ転がっている。
容易に焼酎漬けを作ることができる。
「とち水」(焼酎漬けをそう呼んでいた記憶がある)はどんな時に塗ってたんだろう。記憶が定かじゃない。
調べてみた。
トチ水の効用は打撲・筋肉痛・肩こり・関節痛などの痛みに塗る湿布代わりや、虫刺され・疲労回復・冷え性改善だそうだ。
そうか頻繁にケガをしていた僕は、湿布がわりにトチ水を塗られていたんだろうな。

おばあちゃんはいろんなものを手作りしていた。
真っ黒に変色した専用のアルミやかんでハブ茶を煮出していた。
こちらは目の健康維持(疲れ目、充血)、便秘改善、高血圧予防、コレステロール値低下、肝機能サポート、疲労回復に効能があるらしい。
味や香りもなかなか良くて子供の頃は僕も愛飲していた。

今思うと昔の人たちは身近なものを使って民間薬にしていたんだなとあらためて感心している。

内地に移り住み半世紀となり、しもやけになることも今ではもうない。
「キンカン」のお世話になることもなくなった。

それでもあの懐かしい「キンカン塗って~また塗って~」のフレーズを忘れることはないだろうな。
子供の頃のおぼろな記憶とともにね。

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インターバル・ウォーキング

昨日から毎日の散歩にインターバル・ウォーキングを取り入れている。
3分間追い込むくらいの速歩きをし、次の3分間は普通の早さでゆったり歩く。
これを1セットにして5セットくりかえす。
時間にするとちょうど30分。
結構疲れるが、終わった後は爽快。
やっとインターバルができる体の状態に回復した。
今はそれがうれしい。
今年の正月、「スクッと立ち、スクッと歩く」ことを1年の計とした。
大地に直立した形で立ち、その状態を維持しながら前へ歩く。
言葉を換えれば足の裏から腰、頭へと一直線であることを科した。
当然これでは速くは進めない。
ゆっくりでも大地を踏みしめて一歩ずつ進むことが大事だと思った。(しばらく体調を崩していて「一歩ずつゆっくり」せざるをえなかった)
そしてこれは散歩だけではなく、普段の暮らしや音楽生活もまた同様と思っていた。
今年は背伸びすることなく、できることをひとつずつゆっくりと進めていこうと思っていた。
およそ1年が経過した。
順調に「スクッと立ち、スクッと」歩けるようになった矢先、殺人的な夏の暑さにすっかりやられた。熱中症だ。
10月半ばまで倦怠感のため歩くのもかったるかった。
「スクッと」どころか、足を引きずるようにしか歩けなかった。
自転車も同様でスピードも距離もさっぱり回復しなかった。
それでもできる範囲でできることを続けられたのが良かったんだろう。
徐々に体調回復の兆しが見え始めた。
相変わらずのカタツムリのような歩みだが、少しずつ距離を伸ばすことができるようになった。
ゆっくり長く歩き距離を踏む、L.S.D.(Long Slow Distance)に徹した。
距離も少しずつ伸びてきたことだし、ここらで一発身体にカツを入れよう。
そう思いインターバル・ウォーキングをしてみた。
数年ぶりのインターバルだったが、速く進もうと気持ちが先行しフォームはだいぶ崩れていたと思う。
ここは原点に立ち返り、スクッと立った状態からの速歩を試みようと思っている。
とはいえ、今はふたたびインターバル・ウォーキングに挑戦できるようになったことがなによりうれしい。

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つくろうカフェ・コンサート

「冬将軍到来」って言葉がぴったりの12月の「つくろうカフェコンサート」。
身を切るような寒風、飛ばされそうな強風。
参加される方いらっしゃるかなって思ってましたが、杞憂でした。
いつもの常連さんが何人も背中を丸めながら会場のMDライブラリーに入ってこられる。
有り難いやら、うれしいやら。
ストーブを囲みながらこじんまりと演奏します。
今回の宿題テーマは「由紀さおり特集」。
宿題をくださった方がそのことを忘れていたという、ならではの認知症カフェでのコンサート。
演目は次の通り。
 ①夜明のスキャット
 ②手紙
 ③恋文
 ④挽歌
 ⑤生きがい
1曲ごとに「この唄はああでもない、こうでもない」とおしゃべりに花が咲きます。
そしておしゃべりの中から飛び出すあの唄、この唄。
あっという間に1時間が過ぎ去ります。
次回のコンサートに向けて頂戴した宿題は「笑ったり転んだり」。
そうNHK朝ドラ「ばけばけ」のテーマソングです。
僕もお気に入りの1曲で鼻歌で口ずさんではいますが、ちゃんと歌ったことはまだありません。
1ヶ月かけて体にしみこませなきゃね。
他にも沢田研二の特集もしてほしいとのご要望。
あ、そうだ。来年のクリスマスに向けてB'zの「いつかのメリークリスマス」のリクエストが。(まったく気の早いこった)
毎回盛りだくさんのご要望と、盛りだくさんのコンサートです。
でもこじんまりとした集まりだからこそ生まれる自由な時間、自由な空間。
このコンサートがすっかり気に入ってます。

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驚いた!101歳と100歳の参加者が

いつもの「さんすまいるコンサート」。
初めての方がいらしてなんと101歳!だそうだ。
かくしゃくとしたおばあさんがニコニコと座ってらっしゃる。
  大正13年のお生まれですか?
そう聞くと大正14年と答えられた。
  僕の父は13年で、母は15年なんですよ
そしたら隣に座っていた別のおばあさんが
  あら、私も大正15年だわよ
いやぁ、驚いた。
この方もお元気でとても100歳には見えない。
おふたりに合わせてコンサートの選曲もちょっと変更した。
このところ85歳くらいをターゲットにした選曲だったが、アラ100がおふたりもいるんだものね。
昭和20年代~30年代あたりにシフトした。
おかげでこのところずっと歌うチャンスのなかった昭和の古い唄も歌うことができた。
なんだか自分の母親に歌ってるような錯覚を覚える今日のさんすまいるコンサート。
帰りがけに
  おにいちゃん、唄がとってもお上手ね
  なつかしくてうれしかったわよ
と、思わぬお褒めにあずかった。
70歳をとうに超えた自分だが、ここではいまだに「洟垂れおにいちゃん」なんです。

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『一粒の麦』より

   [砂上の楼閣]
  孜々として
  築き上げ来し楼閣も
  一夜の風に倒れ行く
  唯、手を拱きて唖然たり
  我が血と汗の結晶の
  噫脆かりき今は亡く
  然れども
  風徒に吹かざりき
  砂上に立てし楼閣は
  倒るべきこそ運命なれ
  固き大地に根を据ヘて
  新しき塔を築きゆかん
  風徒に吹かざりき
      昭和21年8月4日 コイケヤーノフ・ノブオンスキー
父は若い頃から万年文学青年・情緒過多症を自認していた。
膨大な数の文章をコイケヤーノフ・ノブオンスキーの名で書き残している。
父の死後、母と子供たちでそれらの文章を整理し『一粒の麦』
という遺稿集を作った。
B5版120ページの並製本にはとうていすべてを収めることができず苦労した。
そこで自分のフィルターを通し父から引き継がれているもの、また引き継ぎたいと思う文章を選んだ。
上記の詩歌は終戦後、復員し函館の街を歩き回っていた頃に認めたもの。
『一粒の麦』の巻頭を飾った。
父の文章としては最も古いもののひとつであり、その後の人生の出発点になったように思えた。
昭和20年の「敗戦」が父に与えた衝撃は心身共に甚大なものだった。
一夜にして信じ込んできた価値観が一変するもの、それが「敗戦」だった。
孜々(しし)として築き上げてきた大日本帝国は玉音放送を以ってすべて崩れ落ちる砂上の楼閣だった。
一命を取り留めて復員した父は崩れ落ちることのない「新しき塔」を探し、作り上げることが自分の生きる意味ではないかと考えたものと思われる。
この1年後、肺結核で数年にわたる療養所暮らしをし死と向き合うことになる。(当時肺病は「死の病」と呼ばれていたそうだ)
戦争で特別攻撃隊員として「死」に向き合い、数年後肺病持ちとしてふたたび「死」と向き合わざるを得なかった。
「新しき塔」への希求は特別な思いがあったに違いない。
僕にはそのように思えてしょうがない。
幸か不幸か父のごとき苛烈な人生経験を僕は持ってはいない。
しかし父の紡ぎ出した文章から垣間見られる彼の生き方をあらためて跡づけたいと思っている。
そうすることで父・古池信夫を自分の中に消化し、自分自身の血肉にしたいと思っている。
写真は昭和23年、肺結核のため七飯療養所にいた頃の父
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ラジオ深夜便

深夜、悪夢にうなされて目覚める。
悪夢?
6年も前に退職した保険会社の夢だ。
退職の段階で解決まで至らなかった事案がいくつかあった。
後任者に引き継いでもらったが、その中には「難事案」も含まれていた。
今になって夢の中で難事案の対応に追われている夢だった。
脂汗で目が覚める。
いったん布団から抜け出し、一服つける。
気持ちの整理をつけようと思う。
でもふたたび布団にくるまっても目は冴え渡り、寝付くことがまったくできない。
眠るのがおっかない感じすらする。
夢の続きを見るんじゃないかと。
諦めた。
ラジオのスイッチをひねる。(今時ひねるとはいわないか)
NHKの「ラジオ深夜便」だ。
眠れぬ夜は「ラジオ深夜便」に限る。
アンカーは工藤三郎さん。
低く、ゆったりと落ち着いた声がラジオから流れ出る。
「にっぽんの歌こころの歌」コーナーで川中美幸を特集している。
工藤アンカーは1曲ごとにていねいに歌の背景などを伝えてくれる。
耳にやさしい語り口が気持ちいい。
「豊後水道」の解説が耳をひく。
四国(瀬戸内海)と九州の大分をむすぶ水道(海の道)を船で行き来しているそうだ。
大分の代表的な花、ヤブ椿には忍耐、生命力の象徴と言われてきたそうだ。
  今は(火事で)大変なことでしょう
  でもヤブ椿のように今を耐えて、しっかり立ち直る日を
  ここからお祈りいたします
  私もまた大分で生まれ育ちました
淡々と、どこまでも淡々と語る工藤アンカー。
この語り口がとても懐かしく感じられる。
そうだ2006年までアンカーを務めていた室町澄子さんのやさしい語り口と相通ずるものがある。
室町澄子さんとコンビで「エンジョイ・カントリー」をやっていたトミ藤山さん。(深夜便姉妹と呼んでいた)
けたたましいマシンガン・トークのトミさんに澄子さんはやんわりブレーキをかける。
  トミさん
  リスナーの方を寝かさず起こさずが大切なんですよ
工藤さんの語り口はまさに「リスナーを寝かさず起こさず」だ。
工藤さんは僕の1歳年長、昭和28年生まれ。
若い頃には民放の深夜放送の洗礼を受けただろう世代。
民放の深夜放送のハイテンションとは一線を画す深夜便での語り口。
でも若き日の工藤三郎さんもスポーツ実況はテンションが高かった。
長野冬期オリンピックのジャンプの実況はいまだに忘れない。
  立て! 立て! 立て! 立ったぁ!!!
前回オリンピックでは失速し、金メダルを逃した原田雅彦選手の「因縁のジャンプ」だ。
あの絶叫は今でも忘れない。
工藤アナウンサー(当時)45歳の実況。
あれから四半世紀を経て年を重ねた工藤アンカーの穏やかな語り口が耳に心地よく、心にすーっと入ってくる。
僕もまた同じだけ年を重ね、若き日に好んだパーソナリティのハイテンションは耳に障るようになった。
そんなことを思うともなく思ううちに、静かに眠りに引き込まれていった。
幸いなことに僕は寝付きが良いほうだ。
夜中に目を覚ましてもすぐにまた眠りに落ちることができる。
それでも昨夜のように眠れぬ夜も時にはある。
そんな時はこれからも「ラジオ深夜便」のお世話になるんだろうな。
「寝かさず、起こさず」のラジオ深夜便ではあるが、僕にとっては心地よい眠りに誘う入眠剤だ。
1998年の長野オリンピックジャンプの動画を見つけた。
長い動画だが38分40秒に実況のシーンを観られる。
【原田雅彦】立て 立て 立った! ヒーローの誕生

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2025.12.01

2025年12月 ライブ・音楽会予定

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12月05日(金)  さんすまいるコンサート
時 間  13:30~14:30
場 所  デイサービス・さんすまいる
地元、越谷は蒲生のデイサービス・さんすまいるで長年やっている歌声音楽会。
じいちゃん、ばあちゃんたちと世間話に花が咲き、気がついたら歌っていた。
歌とおしゃべりがシームレスにつながっている音楽会です。
見学をご希望の方はご連絡をお願いいたします。(martinkoike@gmail.com)
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12月06日(土)  越谷ボランティアフェス 出演
時 間  12:00~12:20
場 所  越谷中央市民会館前 劇場
★Live cafeおーるどタイムに集う仲間たちがやっているボランティア演奏隊。
ハンマーダルシマー、アイリッシュハープ等の珍しい楽器によるミニステージです。
僕はギター伴奏と歌で参加。
★もしかしたら終了後に越谷中央市民会館前の芝生広場で青空越冬演奏をやるかもしれません。
(その日の流れによるので今のところ未定です)
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12月12日(  つくろうカフェコンサート

時 間  13:30~15:30
場 所  MDライブラリー in 羽生
水先案内人 Martin古池

★羽生市の認知症カフェでの定例コンサート。
地元の方々と共に歌とおしゃべりのひとときを過ごします。
最近は絵本読み聞かせの方や、津軽三味線の方も参加しています。

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12月14日(日  井戸端音楽会@楽龍時

時 間  13:00~15:00
場 所  民家ライブハウス 楽龍時
水先案内人 Martin古池

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12月17日(水  歌声喫茶 @ JUNE

時 間  16:30~18:30
場 所  喫茶店JUNE(tea room ジュン)
料 金  ¥1000 (1ドリンク付き)
水先案内人 Martin古池

★昭和の香り漂う喫茶店で昭和を思いおこす歌の数々を参加者みんなで歌います。
歌とおしゃべりあふれる黄昏時をご一緒しませんか。

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12月21日(日  フォークの歌声音楽会@おーるどたいむ
時 間  14:00~17:00
場 所  場 所  Live cafe おーるどタイム
      https://oldtimemk.exblog.jp/
出 演  Martin古池
参加費  ご注文をお願いいたします。
★フォークソングを中心になんでもありの歌声音楽会。
聴くも良し、歌うも良し、弾くも良し。思い思いのスタイルで参加OKです。
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12月11日(木) ギター・ワークショップ@JUNE
12月26日(金)
   仮予定です。変更ある場合は後日ご連絡いたします。
時 間  16:00~18:30
場 所  喫茶店JUNE(tea room ジュン)
料 金  ¥1000 +オーダー
水先案内人 Martin古池
★26日は仮予定です。変更があった場合あらためてお知らせいたします。
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12月毎週土曜昼下がり  青空演奏

時 間  昼下がり(13時半頃スタート)
場 所  越谷中央市民会館裏の元荒川沿い芝生広場の片隅

 

★6日は「越谷ボランティアフェス」出演のためお休みです。
(終了後ゲリラ的にやるかもしれないけれど今のところ未定です)

★20日は音楽研修のためお休みです。

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健在なり! わが青春の石井荘

このところかつて住んでいたところをめぐる小さな旅をやっている。
今回は僕が青春時代を過ごした「石井荘」近辺を歩いた。
かなり以前に当時石井荘で寝食を共にした唐澤君と石井荘をさがしに来たことがある。
でも残念ながら探し当てることができなかった。
それほど景色が変わってしまっていたんだ。
当時石井荘の周辺は畑や梅林が多かったんだけど、住宅が密集していた。
くねくねと曲がる細い路地が交錯する中で石井荘を見つけることはできなかった。
もう取り壊されてしまったんだろうなと思っていた。
今回遠い記憶と勘を頼りに密集する住宅街をさまよっていた。
せめて跡地だけでも探し当てたいと思っていた。
不意にカンカンカンと何かを叩く音が聞こえてきた。
音のする方へ足を向けると、懐かしの石井荘の鉄階段が目に飛び込んできた。
  まだ、あったんだ!
鉄階段は何度か塗り直したんだろうが、間違いなく昔のままだった。
階段を上り下りする音が不意によみがえる。
道路に面した水場の窓もあの日のまま。
そうだった。
僕は2階にある水場から1階の道路までホースでつないで水浴びをしていた。
銭湯代を浮かすため苦肉の策だった。
道路は石鹸の泡だらけになったがとがめる人もなかった。(石井荘の怪人というニックネームは頂戴したが)
石井荘は2階建ての木造アパートだった。2階がアパートで、1階は大工さんの作業場だった。
朝早くから鳴り響くチェンソーの音が目覚ましがわりだった。
6部屋あるアパートには高校時代の同級生・唐澤君、僕の弟、大学の同期生、そして岩手から上京した予備校生やデパートで売り子をしていた美人さんが入居していた。
唐澤君は高校時代一緒になんちゃってジャズ・バンドをやった音楽仲間。
これに弟が加わり、共同生活が始まった。
やがて大学の同期生や予備校生、さらに美人さんも加わりちょっとしたコミュニティになった。(コミューン石井荘と呼んでいた)。
石井荘にはそれぞれの友人たちが頻繁に出入りした。
酒を酌み交わし、酔っ払ってそのまま寝泊まりするなんてことはざらだった。(4畳半に10人近くが雑魚寝することもしばしば)
騒ぎが過ぎると大家のおばちゃんが飛んできた。
  ちょっと!あんたたち!!
  なにやってんのさ!!
でもその目は笑っていた(ような気がする)
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鉄階段の下から2階を見上げながらしばしたたずんでいた。
そんな古い記憶を掘り起こしながら。
石井荘は今も1階は大工さんの作業場。
2階にも誰か住んでいるような気配がある。
今の住人たちがどんな暮らしをしているんだろうなんて妄想を膨らませながら石井荘を後にした。
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ここで過ごした数年間が僕の(僕たちの)青春の大きな1ページだった。

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おーるどたいむ de ライブ 秋の陣 その2 Martin古池

1部の宍戸一賀さんの熱すぎるステージを受けての2部。
宍戸ステージの余韻がたっぷり残っていってお客様は声も出ず。
不思議な沈黙の中で2部をスタートさせましたた。(やりづらいったらありゃしない)
宍戸さんのステージが「動」ならば、こちらは「静」のステージでライブ全体のバランスをとることにしました。(予想されていたことでありますが)
さて今回のお題は「深夜放送で広まった歌の数々」。
お客様のほとんどが思春期・青春時代に深夜放送を聴いていた世代。深夜放送には甘酸っぱい思い出のある方も多いのでは。
そう考え、おなじみの歌だけをチョイス。
 ・ビター・スィート・サンバ(オールナイトニッポンのテーマ)
 ・セイ!ヤング!~夜明が来る前に(文化放送)
 ・水虫の唄(ザ・ズーとルビー:カメ&コウ)
 ・忘れたいのに(モコ・ビーバー・オリーブ)
 ・別れのサンバ(長谷川きよし)
 ・帰ってきたヨッパライ(ザ・フォーク・クルセダーズ)
 ・夜明のスキャット(由紀さおり)
 ・神田川(かぐや姫):椋野マスターのフィドルと
 ・「いちご白書」をもう一度(バンバン)
 ・スモーキン・ブギ(ダウンタウン・ブギウギ・バンド)
 ・ファイト(中島みゆき)
 ・今日までそして明日から(吉田拓郎):ピロちゃんがボーカル
唄うだけじゃぁ能がない。
深夜放送の歴史や当時の世相、若者だった自分のあれこれを随所に(1曲ごとに?)織り込みながら進めます。
あいかわらずの脱線に次ぐ脱線、寄り道だらけのステージ。
でもこれがおもしろい。
おしゃべり(ライブ・トーク)をしているうちについつい脱線、道草、寄り道をしてしまう。
もしかしたらこれがライブをより立体的にする隠し味になるのかもしれません。
今回のライブで心がけたのは深夜放送についての「語り部」になることでした。
1960年代後半から1970年代にかけて当時の若者たちの文化の発信源になった深夜放送。
それを歴史の中に位置づけてふりかえり総括したい。
そんな思いから事前の準備を入念に行いました。
歌の練習もさることながら、それ以上に歴史や世相についても細かく調べ上げて。
さらに深夜放送にまつわる当時の自分自身のできごとを思いだしながら、まとめ書き留める作業を重ねます。
ライブは歴史の授業ではない。
準備したもののほんの一部しか使われることはありません。
そのほんの一部を歌にからませながら膨らませていく。
語るために調べ上げる。そして伝えるためにすべては語らない。
これが「語り部」なんだろうと思います。
宍戸さんのステージは「動」。
自分自身の歴史を歌で表現するものでした。
その立脚点は「己」だったと思います。
だからこそあの熱量で歌いきることができる。
一方僕は一歩退いたところを立脚点に定め、「己」を極力消すようにしました。
語り部=「静」のステージです。
ライブ全体として見れば「動」と「静」がいい感じでバランスが取れ、良いライブになったんじゃないかなと思っています。
はたしてお客様はどう受け止めてくれたかな。
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おーるどたいむ de ライブ 秋の陣 その1 宍戸一賀

今回の「秋の陣」は宍戸一賀さんをお迎えしてのライブだった。
宍戸さんとはもう10年以上のおつきあい。
頻繁に顔を合わせているわけではない。
でもなぜか気になる存在。
彼のライブ活動の位置づけややり方が僕とかなり重なるためだろうか。
ここ数年の宍戸さんは居酒屋などで「300曲の中からあなたのリクエストにお応えします」という活動を中心にやっている。
「武者修行」の一環でお客様に寄り添う姿勢のステージだ。
何度か観させてもらったが、演奏スタイルは相変わらずホット。
でもお客様と親密な信頼関係を築きながら進めているのがとてもいいなと思っていた。
数あるオリジナル曲を封印してまでお客様に寄り添う姿勢は好ましく、親近感を覚えた。
「秋の陣」では本来のスタイルで自由にやってほしいと思っていた。
そんな意を汲んでくれたか、宍戸さんのステージはオリジナル曲を中心に「宍戸ワールド」全開だった。
身体全体から発する圧倒的な声量と音圧。
歌を支えるいさぎよいギターもまた圧倒的な音圧だった。
その激しさ、その熱さにお客様も最初は圧倒されていたようだ。
でも歌と歌をつなぐ真摯なトークもあいまり、宍戸ワールドに引き込まれていく。
あらためて感じた。
宍戸一賀のステージは「情熱」、「熱さ」が代名詞のようになっている。
でもそれは宍戸さんの真摯な生き方に裏打ちされてのことなんだろうな。
およそ1時間、宍戸一賀のホットなステージを堪能させてもらった。
(彼のステージを観ているとき、僕のスマートウォッチの心拍数は常時140を越えていた。平時は低い僕の心拍数が140まで跳ね上がることは稀だ。興奮してたんだろうな)
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