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2025.09.30

金田龍之介 十七回忌 追善朗読会@JUNE

【みんないい笑顔だね】
2025_09_20june
「金田龍之介 十七回忌 追善朗読会」を終えて出演者そろって記念撮影。
みんなの笑顔、最高だね。
やりきったっていう納得感と満足感。
大入りのお客様に喜んでいただけったっていう安堵感。
そんなのが満面の笑みにただよってるなぁ。
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俳優・金田龍之介さんの十七回忌。
ご子息の拓三さんが企画した朗読会は馴染みのティー・ルーム・ジュンさんを埋め尽くすお客様に見守られながら幕をおろすことができた。
龍之介さん、拓三さんとご縁のある役者さんや長年子供たちに読み聞かせをやられてきた方。
さらに龍之介さんのお孫さん。
そんな出演者たちの末席に加えていただいた。
演目は山本周五郎の「ちゃん」というお話。
「ちゃん」とは父親のこと。
拓三さんにしてみるとこれしかないという物語だと思う。
拓三さんの「ちゃん」、龍之介さんは生前「山本周五郎を読みなさい」。そう拓三さん言い聞かせていたそうだ。
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物語は世の流行(はやり)に取り残され、くすぶる火鉢職人重吉のお話。
江戸の町人文化花盛りの中で火鉢職人として生きてきた重吉。
装飾施された「五桐火鉢」は長年江戸市中で重用されてきた。
ところが世の中は手の込んだ火鉢より、簡易な作りで安価な火鉢を求めるように変わっていた。
重吉の仕事は減り、手にする賃金も減る。
己の技を必要とされず、生活も苦しくなっていく。
やりきれぬ思いを重吉は酒でまぎらす。(起)
「五桐火鉢」の弟分たちはすでに独立しそれぞれ店を構えている。
流行りにのって安価な火鉢を作り、暮らしも安定している。
彼らは兄貴分の重吉とその家族の暮らし向きを案じ、気を配ってくれる。
しかし重吉にとってそれはありがたくもあり、心苦しくもある。
職人としての誇りのためか、流行りに身をまかすことを良しとしないのだ。
で、結局酒に逃れる。わずかな賃金も呑んでしまうほどに。(承)
そんなある日馴染みの店「源平」で見かけた一人の男が気にかかった。
くたびれ、さえない風体の男は金がないらしく、初めて入る「源平」でつきだしだけを肴におどおど呑んでいる。
男のうらぶれた姿に重吉は自分と同じ匂いを感じ、声をかける。
男は喜助と名乗る。
やはり職人らしく、世の流れの中で仕事にあぶれ子供らに粥も食わせることもできぬ暮らしぶりだという。
酔った重吉は喜助を相手に職人としての心持ちや生き方を説く。でもそれが必要とされない世の中への鬱憤をぶつける。
すっかり気を許した重吉は喜助を家に連れ帰り、飲み直すことに。
飲みつぶれた重吉は朝方3才の末娘の「どよぼう!」という言葉に目を覚ます。(どよぼうとは泥棒のこと。3才の幼児はうまく発音できなかった)
女房のお直に聞くとすでに喜助の姿はないという。
明け方出て行く喜助が戸口に向って「おせわになりました」と小声でつぶやいているのを長男の良吉が見かけたという。
お直は何か盗まれたことよりも、かけた情けを仇で返されたことが口惜しい。(転)
眠れぬままに酒を飲み、飲んでも酔えぬまま重吉は考え続ける。そしてとうとう家を出ようと心に決めた。
夜中皆が寝静まった頃合いを見計らい、ほっかむりをして家を出ようとする。
雨戸を開けようとするところを女房のお直に見つかり、問いただされる重吉。
「おれがいちゃあみんなのためにならねえ。満足な稼ぎはせず、飲んだくれてばかりいた挙句に見も知らねえ男を連れ込んでありもしねえ中から物を盗まれた。おらぁこのうちの疫病神だ。おらあ、どうしてもここにはいられねえんだ」
そんなやりとりを奥の六畳間で聞いていた子供たち。
突然長男・良吉が言い出す。「ちゃん!そいつはいい考えだ!どうしてもいたくないなら、このうちを出よう。けれどもね、ちゃん。出てゆくんならひとりではやらねえ。オイラも一緒に行くぜ。」
すると次々と子供たちが良吉に同調する。「みんなで行くのよ!離れ離れになるくらいならみんなで野たれ死にする方がマシだわ」
「よし、相談は決まった。これで文句はねえだろう。ちゃん、よかったら仕度しようぜ」
良吉の言葉に顔を覆う女房・お直。
そんな子供たちを見ながらつぶやく重吉。
「お、おめえたちは、、、おめえたちはみんなバカだ、、、みんなバカだぜ。」
すかさず良吉は返す。「そうさ、みんな、ちゃんの子供だもの、不思議はねえや!」(結)
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僕は喜助の役を頂戴した。
起承転結で言えば「転」にあたる役回り。
出番は少なく、セリフも多くはない。
でも主人公・重吉とその一家の「泣かせる」顛末に繋げていく点で物語の大きな役割を担っている。
多くはないセリフの合間に時代の風潮、その中での市井の町人の暮らし向きを感じてもらえればいいなと思っていた。
「語らずして語る」というヤツだ。
そのために喜助のおかれた世の風潮、喜助自身の人物像に思いをめぐらせ妄想を膨らませて肉付けする。
僕が普段の音楽ライブの準備でやっているのと同じやり方で向き合うことにした。
山本周五郎は書いていないので想像の域を出ないのだが、物語は江戸時代後期のことではなかろうか。
田沼意次の重商主義政策で開花した町人文化だったが、
それを否定し田沼を追い落とした松平定信。定信は質素倹約・緊縮政治強引に推し進めた。その結果町人文化はすっかり萎縮してしまった。重吉や喜助はその緊縮政治のあおりをうけたのではないかと想像する。
そんな中でも重吉は老舗、「五桐火鉢」の子飼いだったため一応はそれなりの暮らしはたてられていたと思われる(その多くを呑み潰しているんだけどね)。
一方喜助はそのうらぶれた格好、自信なげにあたりに気を配りながらも呑む。その様子を見ると重吉よりもさらに苦しい暮らしぶりだったのではないか。おそらくどこかの大店(おおだな)に身を置いていたのではなく、自分で商売をやってはいるがすっかり行き詰まっていたのではないか。
何かの職人ではあろうが、技量に自信が持てるほどではなく、さほど高い誇りを持っていなかったのではないか。
だから重吉に声をかけられ酒をごちそうになっても、終始へりくだった態度で接している。
重吉の家で泥棒をしたとしても、それは悪意からではなく「貧すれば鈍する」の出来心だったのではないか。
だからこそ重吉の家の戸口に向って頭を下げたのではないか。
こんな喜助像を持って今回の朗読劇に関わらせていただいた。
本番前に一度だけ台本の読み合わせで集まった。
僕にはこの読み合わせがとてもありがたく、勉強になった。
それは皆さんが台本をしっかり読み込み、それぞれのアプローチをもって臨んでいるように感じられたからだ。
玄人の皆さんの表現力に比べ、ほとんど素人の僕は足もとにもおよばない。
それでも自分なりのアプローチで臨んでもいいと感じさせてもらえた。
とても励みになった。
本番では流れに身をまかせた。
自分の中では朗読劇と言うよりも音楽ライブやってる感覚で臨めた。
結果は?
写真に写る皆さんの笑顔がすべてを物語っているように思う。
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