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2025.03.25

かりゆしフォークナイトの想い出

もう13年になる。
ふく助さんが企画していた沖縄料理・かりゆしさんでのフォークナイトというイベントに出演させていただいた。
ベテランフォークシンガー・じんぺいさんと僕の歩いてきたそれぞれのフォークソングの道筋。
それを歌とおしゃべりで紡ぐという企画だった。
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僕は還暦を2年後に控え、自分のスタイルややり方についてあれやこれやと迷いながら試行錯誤をくりかえしていた頃だった。
そんな中でこれまでの自分の道筋を一度整理し総括することのできたステージとなった。
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その意味で意義ある「かりゆしフォークナイト」となった。
あれから13年たち自分がやりたい道筋もはっきり見えてきた。
この先残された時間もあいかわらずの試行錯誤は続けるだろうけど、今のスタイルの延長上で歌うのではないかと思っている。
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「かりゆしフォークナイト」は13年たった今、僕の音楽活動の大切な一里塚でもあったように思える。
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★13年前に書いた文章を再掲載する。
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【「かりゆしフォークナイト~ボクの、ワタシのフォーク史」を終えて】
ふく助さんプロデュースによる「第3回目かりゆしフォークナイト」。 今回は『ボクの、ワタシのフォーク史』というお題で二人のアラカンオヤジがそれぞれのフォークの歴史を歌とトークで綴りました。 「アラカン」すなわち「アラウンド還暦」。 40年に渡りそれぞれのフィールド、それぞれの流儀で歌い続けてきた二人が、それぞれのフォーク史を跡づける試みです。 

 会場は金町の沖縄料理店「かりゆし」さん。 普段は沖縄芸能のライブをやっています。フォークライブは今回が3回目。 お店の常連さんは沖縄出身の方が多く、同世代の方もまた多い。 沖縄音楽で育つとともにフォークソングを聞きながら育った世代です。 そういう方々を中心に老若男女で会場はほぼ満席となりました。 

第1部はじんぺいさんのステージです。 じんぺいさんは1951年生まれの還暦を超えたシンガー。僕の3才先輩になります。 1000曲を超える自作曲を歌いながら独自の音楽活動をされています。 

学時代に高石ともや、岡林信康の影響を受けて歌い始めたそうです。 フォークソングのスタートは僕とまったく同じです。 思春期・青春期の3才の違いは大きなものがあります。 多感な時期が70年安保を挟んでいるワケで、それぞれの道筋にどう影響しているか。 とても興味深く聞かせてもらいました。 

じんぺいさんは高石ともやさんと長年親交ある小室等さんの歌に絞り、自作曲を絡ませてのステージ。 淡々と歌い、飄々と語りながらご自身の歩みが浮きぼりになっていく。 しみじみとした、胸にストンと落ちるいいステージでした。 

 

第2部はMartin古池のステージ。 

日本フォーク史を歌でたどりつつ、その影響をどう受けてきたかという視点で歌い進めました。 

風に吹かれて →昭和38年、アメリカでボブ・デュランがデビューし、PPMがこの歌でヒット。日本ではカレッジフォークとしてコピーして歌い始めた 。 

君といつまでも~ブルーシャトー →フォークソングをまだ知らぬ歌謡曲少年だった 

若者たち~バラが咲いた →職業作家がフォークソングのスタイルで曲を書き始める 

帰ってきたヨッパライ~イムジン河~悲しくてやりきれない →中学1年。フォーククルセダースの登場で「フォークソング」という言葉を知る →この頃は歌謡曲もGSもビートルズもフォークソングもなにもかもいっしょくたになって同居していた。

思い出の赤いヤッケ~受験生ブルース →中学2年の冬。函館労音で開かれた高石友也フォークリサイタルで脳天を割られるようなショックを受ける。会場が徐々に同化していく様に感動。「歌にはこんなに大きな力があるものなのか」 

まぼろしの翼~腰まで泥まみれ →70年安保闘争やベトナム反戦運動の高まりの中でプロテストフォークに傾斜。「歌で世の中は変えられるんじゃないか?」 

室蘭の空 →「ベトナムの空」を鉄の街・室蘭になぞらえた替え歌。安保闘争の敗北。プロテストフォークの衰退 

青春の詩 →絶対的位置づけだったフォークを相対化した拓郎。「フォークもまた青春の一断面さ」というこの歌に反発を覚えながらも深く考えざるをえなかった。高校3年の頃。 

心もよう~白い一日 →大学受験に失敗し、引きこもっていた1年。陽水の「氷の世界」にひきづりこまれる。 

神田川~22才の別れ →1973年。学生運動の火も弱まり表舞台に出てくるフォークソングは若者の心の憂鬱や切ない恋心を歌うものに変わっていく。(四畳半フォーク、抒情派フォーク)やがてユーミンの登場で「ニューミュージック」に大きく舵を切る。 →フォークに対する挫折感。「歌で世界は変えられない」。指針を失い何をどう歌っていいかわからぬままさまよっていた。手当り次第に様々な音楽を聞き手当り次第に歌っていた20代。 

少年 →高石ともやとナターシャセブンに再会。再びショックを受けた。そこに等身大の音楽を感じる。「もう私の歌では世界は変わらない。だけど誰も私の夢まで壊せない」 

オールマイティストリート蒲生~おばけ屋敷の歌 (ともに自作) →暮らしの中で歌いながら、等身大の音楽を続けたい。そんな思いで地元の町おこしに関わりながら歌い続けている。町おこしは人と人のつながり=「縁」の連鎖。縁を結ぶものは共感・共鳴。自分にとってのフォークとは「共感・共鳴」を探ることなのかもしれない。 

あすなろの歌(自作) →残念だけど、あすなろはヒノキにはなることはできない。でもヒノキのようになりたくて今を懸命に生きている。懸命にジタバタしている今こそが大切なのかも。 

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長くなっちゃいましたが(またかよ!)、こんなプログラムで歌わせてもらいました。(しゃべらせてもらったというべきかな) 

お客さんの反応がダイレクトで、リクエストもあったりで予定時間を大幅に超過!歌いたかった歌を何曲かカットしたのが残念ですが、意はおおむね表せたかなと思います。

長年それぞれのフィールドで歌ってきた二人のアラカンおやじの結論は・・・ 

「フォークって何だかわからない」 「人それぞれの生き方を投影したものがフォークなのかな」 「ま、なんでもいいんでしょうね(笑)」 

と、きわめてたよりないものでした。 たよりないものであるがゆえに、これからもブツブツつぶやきながら歌い続けるんだろうな。 

難しいと言えば難しい。 楽しいといえば楽しい。 そんな「かりゆしフォークナイト」でした。 

共演のじんぺいさんには大いに刺激をいただきました。感謝いたします。 プロデュースのふく助さんにはいつも刺激的な企画を立てていただき感謝です。 3時間に渡る長丁場を、時に黙々と聴き、時に共に歌い、時にチャチャをいれておつきあいくださったお客様に感謝です。 そしてお店を開放してくださった「かりゆし」のスタッフの皆様におおいに感謝です。 

これもまたひとつの「ご縁」ですよね。 これからもまた「かりゆし」さんでのフォークナイトが続いていきますように! 感謝と願いを込めて! 

 

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