イトコの古池エンタ幸介(ゆきよし)が昨日2月23日、11時半ごろ旅立った。
1年半に及ぶ闘病生活。
入退院をくりかえし、癌と告知された後も絶えず前を向いて歩こうとしていた。
それは闘いにつぐ闘いだった。
病との闘いであり、自分との闘いだったように思う。
闘いの果てに矢尽き刀折れ、旅立っていった。
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亡くなる前日、僕はエンタを見舞っていた。
このところの様子を見ると「その日」は近い、そんな予感があった。
僕にできることはいつものようにベッドのそばにいることだけだった。
多くを語ることもない、いつものようにふるまう、ただそれだけだった。
エンタはエンタでいつも僕に気を使わせまいと気丈にふるまっていた。
けっして楽なことではなかったと思う。
その日はいつもと違って時折苦しそうな顔をのぞかせながらも柔和な顔つきだった。
小一時間時を過ごし、別れしな握手を交わした。
60年のつきあいの中で最初で最後の握手は思いのほか力強かった。
何度も力をこめてぽつりと一言つぶやいた。
函館山の麓で僕たちは兄弟のように育った。
本家の末っ子だったエンタは僕を弟のように感じていたようだ。
分家の長男だった僕はエンタを兄貴のように感じていた。
きかん坊のエンタの後をくっついて歩いた記憶がある。
(その後ろを僕の弟もくっついて歩いていた)
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高校生になったエンタはビートルズの影響でドラムを始めた。
函館西高校の文化祭でドラムを叩くエンタに黄色い声が飛び交っていた
カッコよかった。あこがれた。
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中学生だった僕はポツポツギターを弾くようになっていた。
そんな僕にエンタはコードを覚えて歌えと言った。
(たぶん単なる思いつきか気まぐれだろうが)
いくつかの基本コードを習い、PPMをお手本に僕は歌い始めた。
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やがてエンタは東京に、僕は室蘭に移り住み音信は途絶えた。
時折風の便りにいまだ音楽をやっているという噂が聞こえてくるくらいだった。
35年ほど時が流れた。
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ネット検索に「ENTA巣」が引っかかった。
直感的に「えんちゃんだ!」そう思った。
ほどなくENTA巣を訪ねてみた。
引き戸を開け顔をのぞかせた。
ご無沙汰のあいさつも抜きでエンタはいきなり切り込んできた。
おめ、これ知ってるか?
ブエナ・ビスタ。
なまらいいぞ!
35年の時を一瞬のうちに飛び越えてしまった。
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それからおよそ10年。
僕たちの音楽談義はとどまるところを知らなかった。
頻繁に会うわけではないが、いつも核心について語り合った。
当時僕は自分の音楽の方向性を模索して紆余曲折をくり返していた。
ライブハウスなどで歌うことに居心地の悪さを感じ、歌う場を暮しに近いところを選んで試行錯誤をしていた。
そのことで音楽を介した友との軋轢もおきたりしていた。
そんな僕に遠慮のない意見をエンタは浴びせかけてきた。
しかしその底には深い理解と肯定があった。
批判的意見であっても、僕はあたたかさを感じていた。
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最初で最後の握手
「がんばれよ」の一言
精一杯の笑顔
オマエはオマエの思った通りにやってけ
迷うな
それがまさ坊にとっての唯一の音楽の道なんだ
エンタの最後のメッセージだと僕は受け止めている。
エンタはこの時自分の最後の一歩をすでに悟っていたんじゃないか。
そう思えてならない。
翌朝、いつものように看護師を笑わせ元気にふるまっていたというエンタ。
ほんのわずかなスキをねらって眠るように息を引きとったそうだ。
最後の最後までカッコよく生き、カッコよく死んでいった。
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2月27日(金) 10:00~11:00
平安祭典 高円寺
JR高円寺駅 北口 徒歩3分
北口を線路沿いに右折、JIROKICHIの前を直進
★音楽キチガイ・コイケエンタにふさわしく音楽葬とする予定
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