お好み焼きの三貴ライブの想い出
よくぞ、この中でライブをやってこれたなぁ。
コロナ以降、現在はやっていない「三貴ライブ」。
16年間の長きに渡り毎月第三金曜日続けてきた。
食事の人、飲む人へ向けたサプライズ・ライブという位置づけだった。
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立ちこめる鉄板の煙、ほぼ満席の人いきれ、そして酔っ払いのボルテージの高い騒音。
密度の高い(まさに三密状態)の店内だった。
そんな中で2~3時間も歌う。
歌う側としては「完全アウェイ」状態で厳しい条件だった。
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え?
お好み焼き屋さんで音楽ライブ?!
ありえねっしょ!
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そんな空気が充満する中で歌い始める。
最初はお客さんと共存することをめざす。
食事の邪魔にならぬよう、かといって演奏が埋もれないよう。
お客様のどんな小さな反応も見逃さないようアンテナの感度を可能な限り研ぎ澄ます。
「場の空気」と同化し始めたら、より積極的に歌いかける。
うまく同化できることもあれば、最後までダメなこともあった。
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16年の間に客層も変わっていく。
ライブを始めた最初の数年間はほぼ同年代の方が多かった。
会社帰りのサラリーマンが多かった。
フォークソングや歌謡曲のリクエストが多く、選曲に困らなかった。
7~8年もすると彼らは定年退職したか、姿は見えなくなった。
かわりに30代とおぼしき人が増えていった。
僕にしてみると息子・娘の世代だ。
彼らには僕の歌う歌が伝わっていく。おそらく自分の両親が聴いていた歌が彼らの中にもインプットされていたんだろう。
最後の数年は年齢層が一気に下がった。
20代の若者たちの割合が増えていった。
若いサラリーマンもいれば、大学生もいる。
彼らの好む歌は僕の中にはほとんどなくなった。
ライブはさらに難しくなった。
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おじさんが君らの年頃にはこういう歌が流行ってたんだよ
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そんな立場から、開き直って歌っていた。
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時々はうれしい再会などもあった。
ある小学校が廃校になった。
その最後の卒業式に記念にコンサートを依頼された。
僕はその学校の校歌を覚え子供たちと一緒に歌った。
店の隅の方にかたまっていた数人の若者たちが、ちらちらこちらを見ながらなにやら話している。
意を決したように僕に話しかけてきた。
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○○小学校の卒業生です。
10年くらい前に卒業式で歌ってくれたおじさんですか?
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あの時の子供たちがいい若者に育っていた。
よくぞ覚えていてくれたもんだ。
うれしかった。
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そんな再会や出逢いがいくつもあった「お好み焼きの三貴ライブ」だった。
うれしいことや楽しいことが盛りだくさんのライブだった。
でもそれ以上に厳しさ、苦しさと闘ったライブでもあった。
今、もう一度通常営業中のお好み焼き屋さんでライブをやれと言われるとちょっと二の足をふんでしまうかも。
でもここでの16年間、学んだことはほんとうに大きかった。
それは今では僕の血肉となって生きているように思う。
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大入り超満員年の瀬の「お好み焼きの三貴ライブ」。
にぎやかで、なごやか。
各卓ごとに盛り上がりつつも、歌への反応も素晴らしかった。
前半はアンプを通して1時間半。リクエストも何曲かいただき、いい調子。
後半は団体客が帰り落ち着いたムード。
完全アンプラグドでじっくり歌う。
お客の減った2部の方が実はおもしろい。
お客が多いとサービス精神のスイッチが入る。お客さんに合わせた選曲が中心になる。
逆に客足が減ると自分の歌いたいヤツをじっくりやれる。
これがいい。
残ったお客さんには馴染みの薄い歌もじっくりやれば直撃できる。
濃ぉい反応が伝わってくる。
今回、久しぶりに楽器屋MACSのSさんが来てくれた。
僕の音楽嗜好や音の好みを知りつくすSさん。
加えて常連KP印刷の後輩M君。
彼は僕のライブ志向や性癖を知りつくす「Martin古池評論家」。
休憩中二人の手強い相手に挟まれて音楽談義。
すっかり丸裸にされてしまった。
でもこれはこれで楽しいものだ。
かくして今年最後の「お好み焼きの三貴ライブ」を気持ちよく終えることができた。
店がはね、ガランとした店内でスタッフたちとお好み焼きをつつく。
静寂の中につわものどもの夢のあとを感じる。
ああ、今年も無事務めあげることができた。
関わってくれたすべての人に感謝!

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