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2024.12.28

今年の音楽活動は滞りなく終了できました

本日の青空演奏も無事に終了し、年内の音楽関係の予定はすべて終了できました。
長いようで短い1年。
大きく体調を崩すこともなくなんとか走り抜けることができたのが何より。(多少の不調はあったけどね)
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年齢を重ねるにつれ思うようになりました。
音楽を楽しく充足感をもって続けるには体調管理をちゃんとしなきゃダメだね。
この1年を振り返っても不調の時はやはりそれなりの原因がありました。
事前準備の必要な音楽会やライブの頻度がつまっている時は、知らずのうちに疲れがたまっていました。
日頃のトレーニングがおろそかになっている時もやはり絶好調というわけにはいきませんでした。
日頃のトレーニングといっても写真散歩程度ですが。
それでも継続的に続けている時は調子がいいもんです。
(今年は夏の暑さにすっかりやられさぼり気味だった)
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とはいえ今年1年穴を開けることなく歌い続けることができて良かったな。
今すっかり気が抜けぐったりしてます。
今日はしっかり休んで、明日から3日間はおせち料理づくりに没頭する予定です。
この1年、絡んでくださった方々、気にかけてくださった方々。
ありがとうございます。
来年もまたよろしくお願いいたします。
(暮れのあいさつにはまだちょっと早いか)

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3年前の青空演奏の歌い納めの記録

今日は今年の音楽活動の歌い納めだった。
最後は「青空演奏」。
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3年前(2021年)に始めた青空演奏。
その年の総決算の文章を今年の青空演奏最終日にあたって読み返してみた。
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【2021年のしめくくり】
風もなく穏やかに歌い始めた年内最後の「青空ナマ歌ライブ」。
とはいえ師走の寒空。
今日も芝生広場は人出がほとんどなく、閑散としていました。
予定していたクリスマスソングはやめて、この1年出会った歌の数々の総決算をすることにしました。
今年はたくさんの歌と出会うことができました。
それも、これまで自分で歌うとは思いもしなかったような歌ばかり。
「歌声音楽会」や「青空ナマ歌ライブ」でのお客様のリクエストにお応えしてきたその結果です。
勉強させていただいた1年でした。
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前半はいわば年末の棚卸しと総決算。
これら歌たちが来年につながっていくことを願いながらひとつひとつ丁寧に歌います。
もし来年それらを歌う機会があれば、自分なりの解釈を加え、自分なりのアレンジ、歌いまわしに落とし込んでいきたいものです。(今年は歌を覚え、ちゃんと歌えることが主眼だったのでそこまで追い込むことはできませんでした)
そうこうするうちにベースを抱えてふく助さん登場。
その時歌っていた「永六輔&中村八大選集」にベースで絡んでいただきます。
急なむちゃぶりでしたが、「黄昏のビギン」「夢で逢いましょう」「遠くへ行きたい」そして「帰ろかな」などにベースがからみます。
ギターだけでは得られない音の輪郭がここちいい!
やがて、広場の反対側で歌っていた菅原さんが合流。
HEDWAYギター2本とベースによるトリオ演奏です。
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こちらに杖を突きながら歩み寄ってくる人影が。
時々散歩がてらに聴いてくださり、声をかけてくださる方でした。
  先週、女房がリクエストをしたそうで
なんと「ずっと一緒さ」(山下達郎)をリクエストしてくださったご婦人のご亭主でした。
すぐ横に腰を下ろされ、おしゃべりをしながらも3人の演奏に耳を傾けてくださいます。
ご夫婦とも京都ご出身の元呉服屋さんだそうです。
京都の地名や織物がふんだんに登場する「女ひとり」を歌います。
たいそう喜んでいただけたご様子で、1番歌うごとに地名や織物の解説を入れてくださいます。
ならではの「女ひとり」となりました。
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本日の最終コーナーはナターシャセブンの歌で〆ました。
「旅」(ワンカップ大関の歌)、お酒の歌(お酒の銘柄がたくさん登場する歌です)。
クリスマスなので「十字架に帰ろう」。
そして定番の「私を待つ人がいる」「陽気にいこう」等々。
最後は京都を歌った「街」。
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2021年は「コロナの時代」でした。
歌うたいとして突き付けられたこと、考えさせられたこと、そして苦しさを感じたこと。多々ありました
でも失くしたものもあれば、得たものもありました。
「コロナの時代」であるがゆえに「青空ナマ歌ライブ」を始めることにもなったわけで。
捨てる神ありゃ拾う神あり?
悲喜こもごもの2021年を、友と気持ちを合わせて歌うことができる幸せ。
終わりよければすべてよし。
善きことにも悪しきことにもすべてに感謝しつつ、今年の演奏を終了させていただきます

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朝市コンサートの想い出

越谷市場で毎月2回、16年間続けてきた「朝市コンサート」。
「市場の風物詩になる」ことを目標に歌ってきた。
コロナ以降安全のため中断している。
中断とはいえ、おそらくこの先再開することはないだろう。
その「朝市コンサート」で知り合ったある爺さんとの思い出をつづった文章が出てきた。
僕にとっては「朝市コンサート」の象徴のような出会い。
忘れぬように再掲載することにした。
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【再会】
      2022年12月作成
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自転車散歩中、公園のトイレに立ち寄った。
用をたしてトイレから出るとじいさんが順番を待っていた。
  お待たせしました
と、挨拶を交わし目が合う。
  おおっ!
互いに声を出す。
  お久しぶりでした! (僕)
  最近見かけないね (じいさん)
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越谷市場でやっていた「朝市コンサート」で顔見知りになったじいさん。
16年もの間、ほぼ毎回顔を合わせていた。
  コロナになってからというもの
  市場開放デイが中断していて
  コンサートもできなくなったんですよ (僕)
  ここ数年、
  市場は火が消えたようになっとるよ (じいさん)
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実はこのじいさん、忘れられない人だった。
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「朝市コンサート」を始めた頃、じいさんはチャーミングな奥さんを伴って買い物に来ていた。
5~6年もの間、睦まじく通っていた。
まさにおしどり夫婦だった。
奥さんは離れたところでいつも足をとめて聴いてくれていた。そして小さく手をたたき、軽く会釈をして二人は去って行った。
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ある日突然、奥さんは車椅子の人になった。
じいさんは車椅子を押しながらそれまでと変わらず買い物をしていた。
奥さんは離れたところに車椅子を停めてもらいしばし歌を聴いてくれた。そして以前と同じように小さな拍手と会釈を残して帰って行った。
そんなことが何年か続いた。
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おしどり夫婦の姿が突然見えなくなったのは「朝市コンサート」が10年目を迎えた頃だろうか。
なんとなく気にはなっていたが、いつのまにかおしどり夫婦のことを忘れていた。
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それから2年ほど経ち、じいさんが一人で市場に姿を現した。
目はどことなくうつろだった。
歌っている僕のすぐ目の前を通っても心ここにあらずという体で通り過ぎていった。
僕も前のようにじいさんに会釈をするのがためらわれていた。
そんなことが1年近く続いたろうか。
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ある日、若い夫婦(と思われる)を伴ってじいさんが現れた。
たぶん息子さんがお嫁さんを迎えたんだろう。じいさんを連れて買い物に来始めたのだと思う。
じいさんの目には光りが戻っているように感じた。
以降3人連れの買い物ツアーが続く。
息子さんも、お嫁ちゃんも僕の歌には好意的でいつもしっかり聴き、惜しみない拍手を送ってくれた。
若いだけ合って反応がストレートだ。
チャーミングなばあさんが控えめの拍手と会釈だったのとは対照的だった。
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やがてこの買い物ツアーに赤ん坊が加わった。
赤ん坊は音に合わせて首を振っていた。
そして赤ん坊は成長し歩くようになる。
歩きながら歌に合わせて身体をゆするまで育った。
孫を見るじいさんの目はやさしかった。
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そんな頃、巷にコロナの嵐が吹き荒れた。
越谷市場の市場開放デイは密を避けるため中断することとなった。
それに伴って「朝市コンサート」もまた中断せざるを得なかった。
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あれから3年の月日が流れた。
じいさんの顔に刻まれたシワは以前よりも深くなった。
声もしわがれていた。
すっかり老いていた。
それでも笑顔はあの日のままだった。
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「朝市コンサート」はおそらくこの先再開されることはないだろう。
それでも16年もの間続けることができたことは僕にとっては大きな財産だと思う。
ひとつの家族の歴史を(ほんのわずかとはいえ)かいま見させてもらうことができた。
じいさんに想いを馳せさせてもらえた。
2週間ごとにくりかえされる小さなめぐりあいの数々。
そのありがたさが今になってなおさらに感じられる。
僕にとってこのじいさんは「朝市コンサート」の象徴だったように思えてならない。

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SOMPOケア配信ライブ Martin古池の歌謡ショー@楽龍時

今回はいつもと趣を変え、囲炉裏端からの配信。
この構想はかなり以前から誠オーナーと温めてきたもの。
昭和の歌謡流行歌を中心に歌う僕の歌謡ショーにぴったりじゃないかとの誠さんの発案。
ようやっと念願がかなった囲炉裏端配信ライブとあいなった。
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囲炉裏端ということを考慮して急遽冬の演歌調の歌に選曲を変えて臨んだ。
①なんとなくなんとなく(オープニング)
②舟唄
③北酒場
④雪国
⑤津軽海峡冬景色
⑥函館の女
⑦酔歌
⑧与作
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ここからエンディングに向けて洋楽カバーコーナー
⑨雪が降る
⑩サン・トワ・マミー
⑪愛の賛歌
⑫終着駅
⑬上を向いて歩こう
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適度におしゃべりをはさみながら、60分ジャストで歌いきることができた。
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以前は配信ライブはオーディエンスの顔が見えず、反応がつかみにくいため難しさを感じていた。
最近はようやっと慣れてきた。
見えにくい反応に四苦八苦するのではなく、自分で思いのままにステージをコントロールした方が良いと思うようになっている。
意識はカメラの向こうのじいちゃん・ばあちゃんにダイレクトに歌いかけることを強く意識している。
慣れないうちはカメラに気をとられて気持ちにブレーキがかかっていたようだ。(それが配信ライブを難しいものにしていたようだ)
星さんご一家や、タンク☆ポップのお二人も観戦に来てくださった。
スタッフのナオちゃんはじめ皆さんからノリのいい応援パワーを頂戴することもでき、思いっきりステージを進行することができた。

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お好み焼きの三貴ライブの想い出

よくぞ、この中でライブをやってこれたなぁ。
コロナ以降、現在はやっていない「三貴ライブ」。
16年間の長きに渡り毎月第三金曜日続けてきた。
食事の人、飲む人へ向けたサプライズ・ライブという位置づけだった。
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立ちこめる鉄板の煙、ほぼ満席の人いきれ、そして酔っ払いのボルテージの高い騒音。
密度の高い(まさに三密状態)の店内だった。
そんな中で2~3時間も歌う。
歌う側としては「完全アウェイ」状態で厳しい条件だった。
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  え?
  お好み焼き屋さんで音楽ライブ?!
  ありえねっしょ!
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そんな空気が充満する中で歌い始める。
最初はお客さんと共存することをめざす。
食事の邪魔にならぬよう、かといって演奏が埋もれないよう。
お客様のどんな小さな反応も見逃さないようアンテナの感度を可能な限り研ぎ澄ます。
「場の空気」と同化し始めたら、より積極的に歌いかける。
うまく同化できることもあれば、最後までダメなこともあった。
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16年の間に客層も変わっていく。
ライブを始めた最初の数年間はほぼ同年代の方が多かった。
会社帰りのサラリーマンが多かった。
フォークソングや歌謡曲のリクエストが多く、選曲に困らなかった。
7~8年もすると彼らは定年退職したか、姿は見えなくなった。
かわりに30代とおぼしき人が増えていった。
僕にしてみると息子・娘の世代だ。
彼らには僕の歌う歌が伝わっていく。おそらく自分の両親が聴いていた歌が彼らの中にもインプットされていたんだろう。
最後の数年は年齢層が一気に下がった。
20代の若者たちの割合が増えていった。
若いサラリーマンもいれば、大学生もいる。
彼らの好む歌は僕の中にはほとんどなくなった。
ライブはさらに難しくなった。
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  おじさんが君らの年頃にはこういう歌が流行ってたんだよ
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そんな立場から、開き直って歌っていた。
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時々はうれしい再会などもあった。
ある小学校が廃校になった。
その最後の卒業式に記念にコンサートを依頼された。
僕はその学校の校歌を覚え子供たちと一緒に歌った。
店の隅の方にかたまっていた数人の若者たちが、ちらちらこちらを見ながらなにやら話している。
意を決したように僕に話しかけてきた。
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  ○○小学校の卒業生です。
  10年くらい前に卒業式で歌ってくれたおじさんですか?
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あの時の子供たちがいい若者に育っていた。
よくぞ覚えていてくれたもんだ。
うれしかった。
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そんな再会や出逢いがいくつもあった「お好み焼きの三貴ライブ」だった。
うれしいことや楽しいことが盛りだくさんのライブだった。
でもそれ以上に厳しさ、苦しさと闘ったライブでもあった。
今、もう一度通常営業中のお好み焼き屋さんでライブをやれと言われるとちょっと二の足をふんでしまうかも。
でもここでの16年間、学んだことはほんとうに大きかった。
それは今では僕の血肉となって生きているように思う。
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以下2016年12月17日 

大入り超満員年の瀬の「お好み焼きの三貴ライブ」。
にぎやかで、なごやか。
各卓ごとに盛り上がりつつも、歌への反応も素晴らしかった。
前半はアンプを通して1時間半。リクエストも何曲かいただき、いい調子。
後半は団体客が帰り落ち着いたムード。
完全アンプラグドでじっくり歌う。
お客の減った2部の方が実はおもしろい。
お客が多いとサービス精神のスイッチが入る。お客さんに合わせた選曲が中心になる。
逆に客足が減ると自分の歌いたいヤツをじっくりやれる。
これがいい。
残ったお客さんには馴染みの薄い歌もじっくりやれば直撃できる。
濃ぉい反応が伝わってくる。
今回、久しぶりに楽器屋MACSのSさんが来てくれた。
僕の音楽嗜好や音の好みを知りつくすSさん。
加えて常連KP印刷の後輩M君。
彼は僕のライブ志向や性癖を知りつくす「Martin古池評論家」。
休憩中二人の手強い相手に挟まれて音楽談義。
すっかり丸裸にされてしまった。
でもこれはこれで楽しいものだ。
かくして今年最後の「お好み焼きの三貴ライブ」を気持ちよく終えることができた。
店がはね、ガランとした店内でスタッフたちとお好み焼きをつつく。
静寂の中につわものどもの夢のあとを感じる。
ああ、今年も無事務めあげることができた。
関わってくれたすべての人に感謝!
写真の説明はありません。

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ゆるり フォークの歌声音楽会

年内最後の「フォークの歌声音楽会@おーるどタイム」。
前回は常連さんのお休みが多く、超こじんまりだった。
今回は常連さんも帰ってこられ、お久しぶりの方々もみえ、うって変わっての超満員。
超満員といっても10人ほどのこぢんまり音楽会。
でも歌声音楽会にはこの程度の規模がいちばんあんばいがいい。
水先案内人も含めて参加者全員の息づかいが伝わり合うような小さな小さな音楽会っていうのが一番いい。(お店的には少しでもたくさんのお客さんがいた方が良いのだろうけどね)
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ひさしぶりにふく助さんもベースを背負ってやってきてくれた。
河辺さんのキーボードもひかえめながら爽やかな音を響かせてくれた。
チノネさんもギターとパーカッションの両刀遣いで引き締めてくれた。
いろんな楽器の伴奏にのっかって皆さん気持ちよさげに歌い、そしてへらず口をたたく。
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この1年ほどでフォークの歌声音楽会はますます成熟してきたなって感じる。
以前は水先案内人としての僕の役割は大きかった。
歌に伴奏に進行にと八面六臂で支えてきた。(自分で言うか!)
でも今は少しずつ前面に出ることを控え、流れにまかせるようになっている。
水先案内人が頑張らなくても、参加者同士で自然に進行、選曲と良い流れになっている。
水先案内人の役割はおしゃべりの交通整理と、最初にキー・テンポを決めるくらいだ。
こぢんまり音楽会の良いところだ。
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その流れで全3部のうち2部の仕切りをふく助さんにお願いした。
ふく助さんはこの1年、歌声喫茶の活動に傾注されている。
彼の目標は将来地元で「ふく助歌声喫茶」をやることだと以前うかがっていた。
そんなこともあっての「仕切り」のお願いだった。
ふく助色のにじみ出る、いつもとは違った感じの進行になりおもしろかった。
(僕は外野からチャチャ入れに徹した)
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全体としては2ヶ月ぶりに来られた大浦御大が大活躍。
2ヶ月分のフラストレーションを爆発させるかのようにリクエストの嵐。
そして今日が21年目の命日だった坂庭しょうごさんの歌コーナー。
「花嫁」のクライマックス・バージョンとしょうごさんのスローなソロバージョン。
「海原」(スコットランド民謡「Water is Wide」)。
「初恋」(アイルランド民謡「Sally Gardens」)。
玲子ママのハンマーダルシマー、河辺さんのキーボードにも助けられてしっとり歌うことができた。
この歌を楽しみにしていてくれていたタケダさんや山田さんにもじっくりと聴いていただけた。
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難しかったのは全体の音量バランスだった。
生音のギターと歌声。
そしてアンプを通して発音しているベースとキーボード。
生音と電気楽器のトータルな音量バランス。
電気楽器同士の音量バランス。
音楽会がスタートしてからしばらくは判断がつきかねた。
ちょっと違和感を覚えた。
河辺さんはいつもなら縦横無尽に良いタイミングでキーボードのおかずを入れてくれるのに、今日はやけにひかえめだったことだ。
しばらくして分かったのはご自身の弾く音が聞こえないことが判明。
アンプがベースとキーボード両方をつないでいた結果聞き取りづらかったようだ。
アンプから一番遠い場所にいた僕の耳には判断がつけられなかった。
キーボードの音量を上げてもらうことで聞こえづらさは改善はされたようだ。
今後の課題は複数の電気楽器が混在する場合は、複数のアンプを使用し、演者が自分の音が聞こえるようにするくらいしかないかな。(返しのモニターアンプがあるのが一番良いんだろうけどね)
生楽器にしろ、電気楽器にしろ生歌を活かすためにバランスをとるということが大原則。
あ、これは水先案内人のお仕事だわい。
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そういう問題点をかかえながらも全体として楽しいフォークの歌声音楽会となった。
参加された皆さん、椋野マスター、玲子ママ。
1年間ありがとうございました。
来年もまたよろしくお願いいたします。
尚、新年1回目の音楽会は1月5日(日)14:00~17:00。
お正月中の音楽会となります。

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認知症予防 つくろうカフェ音楽会

羽生のMDライブラリーで行われた音楽会は今回が3回目。
寒い一日でストーブを焚いた。
せっかくだから火(ストーブ)を囲んで輪になって歌うことにした。
高校生の頃教室のストーブを囲んでギターを弾き、みんなで歌ったことを思いだす。
これまでも半円(楕円)のようなセッティングしたが、今回初めてまん丸の輪を作ることができた。
参加者全員が火にあたりながら会話を交わしながらの等距離の音楽会。
僕が理想としている井戸端音楽会(お茶の間音楽会)のスタイルだ。
この音楽会の話しを聞きつけ足を運んでくださった方も何人かいらした。
会を重ねるにつれ参加人数も増え、今回は総勢15名ほどに。
(スタッフを含めると20名弱)
地道に声かけを続けているスタッフさんたちの努力のたまものだろう。
うれしかったのは歌の輪とは別に手仕事をしながら聴いてくださっていた方々からも高評価を得ることができたこと。
輪を作るとその中は和気あいあいでアットホームになる。
でも反面輪の外にいる人たちは疎外感を覚えてしまうこともあり得る。
それを避けるために、輪の外に向っても視線を投げかけ言葉をかけるようにした。
「認知症予防 つくろうカフェ」はこれまでも毎月第二金曜日に続けてきたそうだ。
様々な手作業や学習会などを通じて人と人の和をさぐってきたそうだ。
僕の音楽会はそういう活動の一環で特別企画として催された。
それが半年前だ。
おかげさまで好評を博し、先月・今月と開催された。
  毎月やってぇ!
という参加者の皆さんからありがたーいお言葉を。
スタッフもついその気に?
  Martinさんさえご都合がよろしければぜひ毎月
どうやら越谷から2時間近くかけて羽生までやってくるのは大変では?
そう遠慮していた様子。(なにせ主催者は次男の細君なんでね)
結局僕は毎月でもOK。
ただし別の音楽会と予定が重なる可能性もある。
その場合は事前に連絡をして音楽会はやれない。
そんな具合に折り合いがついた。
新しいレギュラー音楽会が誕生した。
楽しみがひとつ増えた。
7人、勉強している人、テーブルの画像のようです

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