おーるどタイム de ライブ 秋の陣 その2 日本フォークソングの夜明け
「秋の陣」の2部は日本フォークソングの黎明期について歌い、語った。
黎明期とは1965年前後、アメリカのフォーク・リバイバルの影響を受けて始まった。
まず東京の大学生に広がり、やがて関西に飛び火した。
様々なフォークシンガーを輩出し、
そして1970年に吉田拓郎がアルバム「青春の詩」を発表し新時代につながっていく。
僕は「黎明期」=「フォークの夜明け」をそんな風に捉えている。
「黎明期」に登場したフォークシンガー達を1時間ほどの枠の仲で跡づける。
それはほとんど不可能だ。
お客様に黎明期の流れや雰囲気をなんとなく感じとっていただければいい。
個々の歌は知らなくてもステージ全体として楽しんでいただければいい。
そんな内容にしたかった。
①パフ
アメリカのPPM(ピーター・ポール&マリー)の有名な歌。
アメリカのフォーク・リバイバルのひとつ。
東京の大学生を中心に演奏スタイルがコピーされた。
「日本フォークの夜明け」のきっかけになったフォーク・リバイバルの1曲を歌う。
②若者たち
ブロード・サイド・フォーが歌って大ヒットした。
テレビドラマ、映画の主題歌として広まった。
フォーク・リバイバルの影響を受けた演奏として欠かせない唄のひとつ。
③この広い野原いっぱい
森山良子のデビュー曲。(1967年)
高校時代にジョーン・バエズのレコードを聴きフォークソングを歌い始めた。
★ここまでは東京中心のカレッジ・フォーク(キャンパス・フォーク)。
アメリカのフォークソング・リバイバルの演奏スタイルの踏襲だった。
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お客様にも馴染みの深い唄ばかりで皆さん一緒に口ずさむ。
やがてフォークブームは関西に飛び火する。
関西にはフォーク・リバイバルの思想的側面が受け継がれる。
フォーク・リバイバルでは古いアメリカの伝承歌に回帰するばかりではなかった。
当時のアメリカ社会の問題(公民権問題、ベトナム戦争など)を取り上げ、政治を批判するプロテスト・フォークも重要視されていた。
④帰ってきたヨッパライ
⑤イムジン河~悲しくてやりきれない
ともにフォーク・クルセダーズ。
コミカルソング、社会問題、日常生活の実感を歌ったフォークルの活動はフォークソングのひとつの規範になったように思う。
⑥受験生ブルース
ボブ・デュランの「North Country Blues」を元に中川五郎が作詞をした。メロディをカントリータッチに替えた高石友也が歌ってブレイクした。
1965年頃、受験戦争が激化し始める世相。
それをコミカルに笑い飛ばした。
⑦拝啓大統領殿
高石友也・加藤和彦
フランスのボリス・ヴィアンがド・ゴール大統領の徴兵制を批判した歌が元歌。
1954年、フランスはベトナムとの戦争に敗北。その後の処理をアメリカに託した。
その15年後、1968年に高石友也がこの歌を歌った。
背景にはアメリカによるベトナム戦争の泥沼化があったように思う。
⑧生活の柄
高田渡
社会の底辺に生きる浮浪者へ共感を込めた切なくも暖かい視線を感じる。
⑨山谷ブルース
岡林信康
日雇い労働者のドヤ(宿)暮らしの哀感、絶望感、かすかな希望を歌う。
岡林はこの後「流れ者」「ガイコツの唄」「それで自由になったのかい」「チューリップのアップリケ」など社会の腑に落ちない現実を批判を込めて歌にした。
⑩友よ
岡林信康
反戦運動などと結びつき、政治集会や新宿西口ゲリラなどで広まっていった「友よ」。
岡林は反体制の象徴=フォークの神様と呼ばれるようになる。
岡林自身はこの歌を賛美歌のようなものと捉えていたようだ。
絶望的に暗い世の中だからこそ火をつけて希望を見いだしたいという願いの唄。
⑪遠い世界に
五つの赤い風船
作者の西岡たかしはこの唄を「フォークソングに対するプロテストソング」と位置づけて作ったと語っている。
フォーク=反戦歌・プロテストソングでなければいけないという風潮に対する抵抗だったとのこと。
「友よ」~「遠い世界に」~「これがボクらの道なのか」は皆さんよくご存じ。
全員でのシングアウトになった。
★関西フォークは多くの若者の心を捉えた。
その背景には「社会の流動化」ということがあったように思う。
日本は昭和39年の東京オリンピックに象徴される高度経済成長を成し遂げた。
でもその影には高度経済成長の恩恵から振り落とされた多くの人たちもいた。
持てる者と持たざる者の格差が一気に広がった時代でもあった。
加えてアメリカのベトナム戦争への加担と泥沼化。日本もその片棒を担いでいた。
日本国内でもベ平連等によるベトナム反戦運動が盛り上がっていた。
そして日米安保条約への反対運動(70年安保闘争)へ集約していった。
関西フォークが作られ、歌われ、受け入れられていった背景にはそんな社会情勢があった。
⑪イメージの詩
吉田拓郎
反戦・反体制の空気が色濃かったフォークに一石を投じたのが吉田拓郎だった。
「青春の詩」で彼女と喫茶店に入ってコーヒーを注文することも、スポーツに熱中し泥と汗にまみれることも、フォークソングにしびれちゃって反戦歌を歌うことも、みなすべて「ああ それが青春」とちょっとシニカルな眼で歌う。
それまでフォーク=プロテストソングと絶対化されてきた風潮を相対化したのが吉田拓郎だと思う。
今回僕はアルバム「青春の詩」のなかから「イメージの詩」を歌った。
「古い舟を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう」という拓郎のメッセージを強く意識しながら。
何十年ぶりかでハモニカフォルダをぶら下げ、およそ8分間の超大作に挑んだ。
★拓郎がフォークを相対化することによって、その後様々なタッチのフォークソングが歌われるようになる。
やがてそれはニューミュージックへとつながっていく。
(70年安保闘争の敗北によって社会の空気も大きく変わっていった)
実は今回「日本フォークの夜明け」をテーマに選ぶことで、僕自身が10代の頃強く影響を受けたフォークソングに対する総括をしようと思っていた。
親の庇護の元で頭でっかちに社会に向って牙をむいて歌っていたあんちゃんだった。
70歳になった今それをどう消化するのか。
そしてこの先どう昇華していくのか。
だから今回はやれなかった10曲や、選曲の最終候補に絞り込む過程で外れていったたくさんの古いフォークソングすべてを歌い込んだ。
多くの歌の背景にあるものや歌のメッセージをあらためて確かめ、跡づけた。
若い頃歌いつけた歌ばかりとはいえ、なかなかの準備作業となった。
今回歌わなかったたくさんの歌たちを後にぶら下げての今回のセットリストだ。
いわば重量級セットリスト。
①フォーク黎明期の流れをいかに伝えるか。
②内容は重量級ではあるが表現は軽量級に。
③その上でお客様が腑に落ち、楽しんでもらえるようなステージング。
これらのことに気を配ったが、はたして聴いてくださった方々にはどう映ったかな。
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