洞爺丸台風のこと、そして映画「海峡」のこと
昭和29年9月26日。
函館を巨大な台風が襲った。
この台風で函館湾沖で洞爺丸をはじめとして5隻もの青函連絡船が沈没、大破した。
これにより1400人もの人たちが海の底に消えた。
最も被害の大きかった洞爺丸の名から「洞爺丸台風」と呼ばれた。
日本海難史上最悪のものとされた。
この時僕は生後5ヶ月だった。
暴風雨によって高台にあった我が家の屋根は吹き飛ばされたそうだ。
僕はベビーベッドの上で雨にさらされていたものと思われる。
(多分両親が何らかの手当てをして守ってくれていたんだと思う)
後に父に聞いた話では、夕方5時頃、台風の目に入り飛ばされた屋根越しに青空が見えていたそうだ。(文字通りの青空天井)
僕は青空を見ながらキャッキャと手を振りながら笑っていたそうだ。
洞爺丸台風の記憶は僕には全くない。
後に小学校に上がった。
当時の校長はオシザワ・シゲタカ先生。
オシザワ先生は洞爺丸に乗っていたことを朝礼の時に話されていたのをうっすら覚えている。
洞爺丸が沈没したのは深夜10時45分ごろ。
暴風雨と辺り一面の闇でまったく方向感覚が分からなかったそうだ。
沈没直前に洞爺丸から海に飛び込み当たりをつけて泳いだ。
運良く泳いだ方角は七重浜方面。
荒れ狂う波に呑まれることもなく、運良く浜にたどり着き一命を取り留めることができた。
そんな話をしながらオシザワ校長先生は抜き手のような、横泳ぎのようなジェスチャーをされていたのを子供心に覚えている。
(もしかしたら先生は海軍出身だったのかもしれない)
洞爺丸台風から丸70年が過ぎた。
昨夜、高倉健さんの映画「海峡」を観た。
青函トンネルを準備を含めて30年に渡り掘り続けた男達の物語。
何度も観た映画だが、いつも襟を正して観ている。
青函トンネルは洞爺丸台風が直接のきっかけだったそうだ。
今新幹線で青函トンネルを走ると25分で通り抜けてしまう。
味も素っ気も風情のかけらもない時間だ。
でも車内放送では必ずこんなアナウンスが流れる。
ただいまここより青函トンネルに入ります
ただいま青函トンネルをでて北海道に入りました
たんなる事務的なアナウンスではある。
でもその裏には想像を絶する30年にもおよぶ男達の闘い、そしてそれを支える家族達の歴史が刻まれている。
函館に帰る時、僕はこのアナウンスに合せて黙祷をささげている。
「トンネルさん」たちだけにではなく、洞爺丸台風の犠牲者にもささげる祈りのようなものも含まれている。
最近そんな風に思うようになってきた。
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