旭ヶ丘の家コンサート
函館駅を降りたのは昼過ぎ。
腹ごしらえに駅前のラーメン屋で塩ラーメン。
タクシーを飛ばして旭ヶ丘の家に着いたのは2時過ぎだった。
再会の挨拶もそこそこに、コンサート会場のホールに通される。
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エレベーターを降りて目をやると50人ほどのご老人たちが。
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ん?
なんだこの熱気は!
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開始時間の2時半よりもかなり早くに集まり、待ちかねていたご様子。
慌ててギターのチューニングを済ませ、定刻よりかなり早くにコンサートスタート。
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特養での演奏は5年ぶり。
コロナの影響ですっかりご無沙汰していた。
馴染みの顔もちらほら見えるが、ほとんどは初めてお会いする方々。
5年前のコンサートには母もまだいた。(その半年後に帰天している)
時の流れの速さと残酷さを感じる。
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気を取り直し、挨拶がわりの「高原列車は行く」。
挨拶がわりのつもりだったのに、のっけからみなさん一緒に歌い出す。
みなさん歌詞を諳んじている。
これは予想外。
当初1時間のコンサートの最後にみんなで歌えればいいと思ってた。
急遽方針転換。
歌謡ショー形式から歌声音楽会形式に。
それに伴って選曲も入れ替える。
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港町十三番地〜東京キッド〜東京ブギウギ〜銀座カンカン娘。
4曲を短めのトークで一気につなげて歌う。
おなじみの歌をつなげて流れを途切れさせたくなかった。
驚いたことにみなさん歌詞を覚えていて、一緒に歌ってくれる。
それも大変な勢いで。(中には身振り手振りで踊るポーズをとる方も何人かいる)
僕は流れに任せるだけでよかった。
大変な盛り上がりようだったので、少し空気を落ち着かせようと思った。
赤とんぼ〜夕焼け小焼け〜あの町この町〜里の秋と唱歌をゆったりしっとりと歌う。
実は何人かの方がのっけからの盛り上がりについていけないご様子。
じっとこちらを凝視しながらも、表情を変えずにいた。
盛り上がりを煽りさらに沸騰することで、こういう方々に疎外感を持たれることを恐れた。
静かに唱歌を歌うことで場が落ち着き、そんな方も音楽会にはいりこんで来やすい土壌ができた様子。
表情が少し緩んできた。
函館(上磯)出身の三橋美智也の「リンゴ村から」〜五木ひろしの「ふるさと」。
やはり三橋美智也の歌はみなさん諳んじていらっしゃる。
ここからおしゃべり全開、舌好調。
古い函館の話をテーマに語りだすと、みなさんからもリアクションがどんどん出てくる。
昭和30年代の函館を参加者も僕も共に生きていた。
実際にあった通りや、店や、映画館の話などがぼんぼん飛び出す。
話が共有できるということは大きいことだと思う。
そこで函館港まつりで歌われる「いいんでないかい」になだれ込む。
馴染み深い歌に座ったまま踊る仕草の方も飛び出す。
勢いづいたまま終盤、「ダイアナ」へ。
興奮は絶好調に。
「テネシーワルツ」につなげ、再び場を落ち着かせ軟着陸を目指す。
最後にリクエストを頂戴する。
「津軽海峡冬景色」(上野発の夜行列車、特急はつかり5号のナレーション付き)。
エンディングは「上を向いて歩こう」。
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歌とおしゃべりに包まれたいい歌声音楽会になった。
胡散臭げにこちらを凝視していた人たちも、最後は表情も緩み一緒に口ずさんでくれた。
ほっとした。
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また来てねぇ
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というばあちゃんたちの黄色い声(いや茶色い声か)がやたら嬉しかった。
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