20年目の第18回 Live in 清津峡
20年間、よくぞ続けてくることができた。
そんな感慨がこみ上げてくる第18回 Live in 清津峡だった。
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20年の間に2回中止せざるを得なかった。
一度は台風と大雨による土砂崩れだった。
キャンプ場に続く山道が壊滅した。
道が土砂に飲み込まれて無くなってしまったんだ。
1年がかりで管理人のアキラッチは修復作業と新たな道を作った。
誰もが再開を信じつつも、心は半ば折れかけた。
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もうひとつはコロナの影響だった。
得体の知れぬ「伝染病」に誰もが不安におののいた。
「濃厚接触」などあろうはずのないキャンプ場。
なのにマスクをつけざるを得ない空気だった。
社会はライブハウスを目の敵にし、人が集まることを非難した。
そんな状況ではたとえ広大なキャンプ場であったとしても音楽祭など開催できようはずがなかった。
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中断が入れば人の心は弱る。
翌年の再開・再会に向けたパワーは半減する。
それでも18回までこぎ着けることができたことがうれしい。
キャンプ場管理人のアキラッチはもちろん、音楽会の言い出しっぺで1回目から深く関わってきた僕にとって今回のLive in 清津峡は20周年記念でもあった。
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中止せざるを得なかった2回もその後音楽祭を続けることができたことによって意味を持った。
第1回目は出演者2名、お客さん4名、管理人一家数名のこじんまりとしたライブだった。
その時3歳の小さな娘だった萌ちゃんが、「カレシ」を連れてやって来るまでに育った。
中学生の若武者ツカサがいつのまにか三十路を越えて達者な演奏を聴かせてくれる。
そしてなにより胸に来たのはそのツカサのバックアップを受けて19歳の健太郎がデビューしたことだ。(健太郎の父親は当時まだ高校生だったヤエちゃん)
10年前の僕とツカサのステージが思い浮かぶ。
(健太郎とツカサの写真を撮り損ねたのが悔やまれる)
バトンは間違いなく受け渡されている。
彼らのステージを観ながら、そんな感慨にひたり少々涙目になる。
20年という時間はそれだけでひとつの歴史だな。
そんな思いにふける。
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20周年を彩る試みがなされた。
これまでは日曜日の昼間に開催されてきたLive in 清津峡。
それを土曜日の晩、「夜祭り」に形を変えた。
これまでやってきた前夜祭の枠と時間を拡大した。
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ランプの灯りだけが頼りのステージは幻想的だった。(まぶしすぎるLEDは使用不可とした)
客席の後ろで盛大にたき火をして暖をとった。
たき火でお尻をあぶりながらステージを見つめる。
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マイクもスピーカーもない生の音が木々にぶつかり、すり抜け流れくる。
キャンプ場には電気がない。スポットライトもなければPA装置もない。
ランプの灯りと自分の身体、そしてたき火の暖かさだけが頼り。
まるで原始時代にいるような錯覚と高揚感が生まれる。
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便利さと快適さに包まれた我々「現代人」にとって、あえて不便さに身を置くことは貴重なことのように思える。
昔の人たちがあたりまえにやってきたことをたとえ一時であったとしても体感することに意味がある。
重たいザックをかつぎ、さらにかさばる楽器をかかえ、標高差150メートルの山道を歩かなければたどりつけない清津峡キャンプ場。
この山道を歩く時間は現代社会から大昔の社会へのタイムトンネル。
そこでくり広げられる音楽祭。
僕にとってなにものにも替えがたい大切な場所であり、大切な時間。
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この先何年、この山道を往復できるか分からない。
身体の続く限りこれからもLive in 清津峡に通おう。
そう、想いを新たにした第18回 Live in 清津峡だった。
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