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2024.10.09

変貌 「太陽のない街」から「陽のあたる街」へ

かつて務めていた共同印刷とその周辺を歩いた。
退職したのは2011年3月。東北大震災の直後だった。
それからすでに13年にもなる。
このあたりに足を向けたのは実に10年ぶりほどだ。
会社のそして街の変貌ぶりに驚き、ちょっと切なさを感じた。
会社が全面的に建て替えられ、新社屋になったという話は聞いていた。
以前の社屋は戦前に建てられた鉄筋コンクリートのゴツゴツした古めかしい建物だった。
それがすっかり近代的に。
カーブを描いたフォルムで全面ガラス張り。
威風堂々としたビルがそびえ立っていた。
僕が40年近くうごめいていた印刷現場は地方工場に移設され、今ではオフィスビルに特化されたらしい。
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 俺にとっての共同印刷はもう心の中にしかない
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そんな感慨にふけってしまった。
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そしてそれ以上に切なかったのは街の変貌だった。
かつては共同印刷の周辺の陽もあたらぬような路地裏には小さな印刷屋や製本屋がひしめいていた。
大通りから路地に入れば、あちらこちらから印刷の音や製本の音が聞こえてくる。
タンタンタンタンという小気味のいいリズミカルな機械の音。
溶剤や油の入り交じったような独特の香り。
そして紙の匂い。
バラックに毛の生えたような建物を開けっぴろげにして作業する製本屋。
路地のあちこちでは菜っ葉服を着た人たちが一服する煙草の香りが漂っていた。夏には日影を求め、冬には日だまりを探しながら。
そんな風景は路地という路地で見ることができた。
それがこの街の風物詩。
僕の好きな風景だった。
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それらは見事に消え去っていた。
路地という路地はきれいに整備され、明るく「健康的」な雰囲気に変わっていた。
静かでおだやかな雰囲気が漂っていた。
機械の音が聞こえない。
印刷や製本の匂いも漂ってこない。
菜っ葉服と煙草の香りもない。
みんなない、なにもかも根こそぎない。
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かつてこの街は「太陽のない街」と言われた。
大正末期の共同印刷の労働争議を題材にしたプロレタリア小説から来ている。(徳永直:著、戦旗社:刊)
僕が勤めていた頃はさすがに「太陽のない街」に描かれた風景はもうなかった。
それでも路地裏に「太陽のない街」の雰囲気をかすかに感じることができた。
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今は「陽のあたる街」にすっかり変貌してしまった。
ここで暮らす人たちにとってはそれは良いことなのだろう。
健康的で文化的な今風の暮らしを手にすることができたのだから。
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でも失われた街の風物詩を思うと淋しく、切なさを禁じ得ない。
失われたものへの哀憐の情とでもいうのだろうか。
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駅に向う帰路、昔よくお世話になった飲み屋や古本屋が健在だったことが救いだった。
さすがに古本屋は代替わりしたようだ。かつての白髪のおじちゃんから金髪に染めたあんちゃんが奥で店番をしていた。
なじみだった飲み屋・遠州屋の名物、モツ煮で一杯やろうかと思った。
残念ながら開店前であきらめて、帰りの電車に乗り込んだ。

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