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2024.08.27

配信ライブの難しさと面白さ

SOMPOケア配信ライブを始めてもう1年以上になる。
ようやっとここ最近になって自分流配信ライブのやり方が定まってきた。
なんのことはない。
対面式のいつものライブと同じでいいんだ。
この結論にようやっと1年がかりでたどり着いたわけだ。
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最初の頃は見えない聴視者さんに向って語り、歌うことはまるで雲をつかむような感じだった。
加えて集音マイクが口元すぐ近くにあり、身動きがとれない感覚に陥っていた。なにしろ生音演奏を信条としてきた僕からするとまるで点滴の管でつながれている気分でなんともあずましくなかった。
そしてなにより聴視者の顔が見えない恐怖感ったらなかった。
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長年「リアクションのライブ」というスタイルでやってきた。お客様の表情を読み取り、やりとりを重ねながら進めていくやり方。聴視者の表情が読み取れないというのは致命的だった。
聴視者とのやりとりがほとんどできない中で、リクエストが数少ない聴視者とのつながりだった。
1曲でも多くリクエストを頂戴するために呼びかけ、60分枠の多くの時間を割いたりもした。
それでもリクエストは3~4曲。多くても5~6曲だった。全然来なかったこともあった。
顔にこそ出さぬが内心では焦りが生まれた。
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リクエストに対するこだわり(リアクションに対するこだわり)が薄れてきたのは今年に入ってからだと思う。
今、自分が歌いたい歌をたとえ一方的ではあっても歌うことの方がより自然に感じられたからだ。
配信ライブの名称も「歌声喫茶」から「歌謡ショー」に変更してもらった。「歌声喫茶」ではリクエストを元にみんなで歌うというイメージが先行し、自分自身もそれに縛られてしまうと感じたからだ。
一方的にではあるができるだけ生き生きと歌えるようにすればいいのではないか。そう考えるようになった。
楽龍時の誠オーナー始め、スタッフの皆さんのご努力もある。
集音方法をエアーマイクに変えるなど僕がより自然に歌えるようにと骨を折ってくださったことも大きかった。
たとえ一方的な歌いかけでも、今現在自分が歌いたい歌の方が生々しく歌えるに決まってる。
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ただし選曲やプログラムはかなりこだわっている。
聴視者=グループホームのご老人たちが思春期~青春期に胸を熱くしたであろう歌の中から、僕自身もまた大好きな歌を選ぶ。
そんなフィルターを通すことが選曲で一番大切だと思っている。
10年以上も続けている函館の特養「旭が丘の家」での「歌謡ショー」が大きな経験として活かされている。
リアクションライブを捨てた以上、演奏の下準備と練習には相当に神経を使うようになった。
それぞれの歌の背景や時代考証したり、歌に込められた作者の思いに自分なりに思いを馳せる。さらには自分なりに解釈を加えていく。
この点では喫茶店JUNEで長年やっていた歌声音楽会の「歌の深掘りコーナー」での経験が役立った。
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今回の「SOMPOケア配信歌謡ショー」ではさらに一歩突っ込んでみた。
まず選曲で僕自身の思春期時代に好きだった歌、つまりグループホームのご老人たちが大人になりたての頃の歌を中心に選曲・プログラムした。
さらにこれまでは「座り」で歌っていたが、今回は「立ち」で臨んだ。
全般にリズミカルな選曲が多くなり。
立つことによってよりリズムに乗った演奏ができた。
もっといえば、より自由になれた感じがする。
スクリーンに映し出される各ホームのご老人たちが手拍子を取ったり身体を揺らしたりしているのが見てとれる。表情までは分からなかったが、良い反応だったのは間違いない。
良い感触だった「歌謡ショー」。
たぶん、このやり方が当面スタンダードになるのではないかな。
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配信ライブの難しさと1年間闘ってきたが、ようやっと素直に面白さを感じられるほどになってきた。

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