それぞれの「街」
高石ともやとナターシャセブンの名曲中の名曲。
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ナターシャのコンサートでは「街」が必ず歌われていた。
高石さんが歌い出すと会場全体に歌の輪が広がりはじめ、静かな大合唱となった。
感動していた。
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多くの人に歌い継がれている「街」。
僕もおーるどタイム de ライブでは必ず〆の歌として歌わせてもらっている。
ライブの参加者もまた一緒に口ずさんでくれる。
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高石さんが当時暮らしていた(活動の拠点にしていた)京都を背景に淡い恋心を歌う「街」。
「京都」という文字が歌詞に出てこないが故により一層京都を感じさせるとも云える。
逆にこの歌を聴く人それぞれの生まれ育った街にもなり得る。
懐の深い唄だと思う。
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高石さん自身が生まれ育ったのは北海道の田舎町、雨竜町だ。
京都と比べると北海道は(和人の)歴史が圧倒的に浅い。
雨竜町が開発されたのは明治20年代だそうだ。
北海道人の多くは知らずのうちに京都の町や歴史に畏敬と憧れの念を抱く。
まったく勝手な想像ではあるが、高石さんもそんな思いがバックグランドにあったかもしれない。
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僕自身何十年もの間歌わせてもらってきた「街」。
僕にとっては京都と故郷・函館の街とが重なりあっている。
時には今住んでいる越谷と重なりあったりもする。
「初恋の涙」であったり「君と僕の明日」に想いを馳せたり。
幼い恋の淡い想い出を大切にそっと取っておきたい。
誰もがそう願うのではないだろうか。
その意味でこの歌は舞台が京都であってもいいし、長崎や徳島であってもいいし、東京や山形や札幌であってもいいんだろうと思う。
この歌に心を動かされるそれぞれの人に、それぞれの「街」があるんだろうと思う。
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【自分の中で勝手に描いている「街」の風景】
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下駄の音 路地裏通り 雨上がりの屋根
窓越しの手まり唄 おさげがみの思い出
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昭和30年代の半ばくらいまでは路地裏で鞠をつきながら歌う女の子が普通にいた。
雨上がりだったんで家の中で手まり唄を歌うのが窓越しに聞えてたのかな。
雨上がりだったんで家の中で手まり唄を歌うのが窓越しに聞えてたのかな。
雨上がりの屋根は京都なら瓦屋根なんだろうな。(函館じゃトタン屋根だからサマにならないな)
下駄は当時はやった相撲の下駄だろうか(若乃花とか柏戸とか書かれていたヤツだ)
幼なじみのあの娘はおさげ髪。いつも一緒に遊んでた。
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街の角 喫茶店 古い美術館
山かげの細い道 初恋の涙
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中学生くらいになり、色気づいてきた思春期。
行動範囲も路地裏通りから街の角や山かげの小径にまで広がってきた。
幼なじみのあの娘がなんだかまぶしい存在に。
そうか、これが初恋というものか。
なんだか知らぬが胸が苦しい。
思い切って胸の内を明かそうか、いやいやなんだかおっかない。
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夕焼け雲 五重の塔 石畳の鳩
プラタナスの道で 君を待ちながら
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函館には五重の塔はないけれど、夕焼け雲を背景に浮かぶ教会の鐘楼のシルエット。
石畳で鳩は見かけないけれど、岸壁にはカモメがとまってる。
元町の基坂のプラタナスの並木で君が来るのを待っている。
待ち伏せなのか、約束なのか。
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大学通り 流れる川 走る路面電車
背の低い山を見て 君と僕の明日
路面電車に乗って湯の川で降りる。近くを流れる川。そしてほど近くには函館大学。
青春期を迎えた君と僕。
遠く函館山を見ながら想う君と僕の明日はいかに。
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この街が好きさ 君がいるから
この街が好きさ 君の微笑みあるから
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君と僕がどうなったのか。
それはご想像におまかせするとして、
ただただこの街が好きさ。
君の想い出あるから。
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