2016年2月13日の「朝市コンサート」の記録だ。
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「朝市コンサート」は毎月2回、越谷市場でやっていた早朝のコンサート。
買い物に来られるお客さんに2時間ほど歌いかけていた。
2005年から2020年までまる15年間続けてきた大切な「レギュラーライブ」だった。
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残念ながらコロナ以降中断し、この先も再開する見通しは立っていない。
でも僕は「朝市コンサート」で紆余曲折を繰り返し、失敗を重ね、そして様々なことを学んできた。
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再掲載するのは10年を経過したころの「朝市コンサート」の記録。
ようやっと市場での自分のスタンスが確立したころだった。
このころ感じていたことは今につながっており、これからも自分の指針の一つになるように思う。
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[うれしかったこと その1]
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コンサートの終盤、専太郎さんの『夢』を初めて人様の前で歌う。
まだ手探り状態で臨んだ。
それなりに歌いこんではいたけれど、まだまだ借り物状態。
でも本番の緊張感の中で、稽古では決して入らぬスイッチがカチャッと入ることが多い。
結果、歌は化ける。
本番の化学変化が起きる!
一気に歌が化けた。
稽古では手の届かなかったかゆいとこに、すんなりといっちゃった。
厳密にいうと歌自体が化けたんでなく、歌と自分の微妙な距離感が一気に詰まったというべきなのかもしれない。
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コンサート終了後、いつも辛口の漬物屋のかぁちゃんがわざわざ店から飛び出してきた。
いい歌だね!
あんたはこういう歌をもっと歌いなさいよ
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[うれしかったこと その2]
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いつものようにラストソングは『テネシーワルツ』。
市場ではもう150回以上は歌ってる勘定だ。
ちょっと一呼吸おき、ゆったりとしたギターソロから始めるおなじみのパターン。
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すぐ先を歩いていたじいさんの足がぴたりと止まる。
うつむき加減に耳をすましている。
歌い終える。
ギターの余韻が消えるころ、突然の拍手。
一番好きな歌だ
あんたはお若いから知らないかもしれんが
トミー藤山さんというカントリー歌手の歌う
『テネシーワルツ』が好きでな
あんたの歌うのを聴いていて
トミーさんを思い出した
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知らぬはずがない。
何を隠そう、僕の歌う『テネシーワルツ』はトミさんがお手本なんだから。
トミさんの歌とは比べられないけどね。
なにしろとてつもない実力、経験に裏打ちされ、世界を相手に歌ってるトミ藤山さん。
こちらはしがない場末の歌うたい。
それでもなんだかとてもうれしかったのです。
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[うれしかったこと その3]
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力が抜けきっていたこと。
最初から最後までムダな力がほとんど入らずに歌い通せたことがとてもうれしい。
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市場でのコンサートは「風物詩」になることが目標。
喧騒と雑踏の中で歌ってる姿が、市場の風景の一コマでありたい。
特別な景色ではなく、ごく自然にそこにあって当たり前というのが目標。
市場の中でその空気と共存し、溶け込んでいるってのが望ましい。
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それには気負いがあってはいけないと思ってきた。
人間だからどうしても「欲」がでる。
聴いてもらいたいとか、うまく演奏したいとかね。
でもそういう気持ちが残っているうちは「風物詩」にはなりえないと思う。
つまりは自然ではないってことだ。
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ここ数年、「欲」や「力み」はずいぶん減ってきたと思う。
それでも2時間歌っているうちには、必ず数回は「欲」や「我」が見え隠れしてきた。
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今日は何の引っかかりもなく、す~っと歌い始め、思いのままに好きな歌だけを淡々と歌い続けることができた。
時折いただく拍手や会釈や朝のご挨拶にも舞い上がることなく、笑顔でお返ししながら淡々と歌い続けた。
ギターの音もさらっと流れてすーっと消えていく。
唄も淡々と虚心坦懐で歌うことができた。
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そんな状態だったから『夢』も自然な気持ちで歌え、「化学変化」につながったような気がする。
漬物屋のかあちゃんが反応してくれたことや見知らぬ爺さんに拍手をいただけたことは、終始自然にできたことへのご褒美かな。
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稽古では「欲の塊」になる。またそうでなければいけない。
でも本番では脱力し「無」で歌う。
そんな境地に早くなりたいものだ。
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