11月11日(土)16:25
12年間一緒に暮らした猫のモグが旅立った。
10月半ばあたりから急激に弱ってきていた。
医者の診断では腎臓病とのことだった。
ネコの場合特別な病気やケガ以外であれば多くの場合が腎臓を患って亡くなっていくとのことだった。
モグの場合はかなり悪くなっており、人間でいえば人工透析を要するくらいであったらしい。
もともと大食というわけではなかったが、食が極端に細くなっていた。
10月の末には水もあまり摂らなくなっていた。
医師から処方してもらった腎臓の薬と栄養補給のためのシロップをスポイトで口から流し込む日が続いた。
(それすらも受け付けなかったり、口から出してしまったりということも多かった)
11月1日、自力で動くことも難しくなってきた。
部屋の隅に置いた椅子の上が定位置となり、そこから動こうとはしなくなった。
「終末ケア」に移行した。
椅子の上で丸くなったまま1週間過ごしてきた。
その椅子から転がり落ちてしまった。
ここまでと覚悟をした。
静かな部屋にタオルを敷き、そこが新たなねぐらにした。
ひがな丸くなりうずくまったまま呼吸をくりかえすだけとなる。
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11月9日(木)
いつ逝ってしまうかわからない状況になり臨戦態勢をひいた。
啼きもせず、身動きもせず、静かな呼吸だけをくりかえす。
「モグ」という呼びかけに対して尻尾を振ることだけが生存の証のように思えた。
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11月11日(土)
前日の夜から呼びかけに対しても反応が鈍くなってくる。
それまでは尻尾の付け根から大きく振っていた。今は尻尾の先がかすかに動くのみ。
目に宿していた光も少しずつ弱くなっている。
開いていた瞼もとじかけ、伏し目がちになる。
時折ひきつけを起こしたようにピクリと身体をふるわせる。
でもそれは己の意思で動かしたというよりも、生命反応により動いたものなんだろう。
生死の狭間をさまよいながら、消えかける生命の炎をかろうじて灯している。
僕は右足の肉球に指を挟み時折もんでやる。
残されたわずかな力で握り返してくる。
まるで握手を返すかのように。
胸が突かれる思い。
「握手」という親の代から70年続く我が家の儀式。
握手で始まり、握手で終わる信頼の挨拶。
モグもまたそれを最後に示してくれたのか。
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突然、吠える。
身体の底から絞り出すような野生の雄たけびのように思える。
そして宙に向かって四つ足をまわし始める。
それはまるで草原を走る野生の猫のように力強く感じられる。
最後の力を振り絞り、死にあらがったのか。
あるいは野生に戻ろうとする本能のようなものなのか。
もしかしたら「モグ」から「猫」に戻るための儀式なのか。
やがてぐったりと身を丸める。
静かな呼吸だけを続ける。
静かに呼吸だけを続ける時間がどこまでもどこまでも続く。
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陽が落ちるころ、2度大きな呼吸をする。
かすかな鳴き声とともに呼吸をすーっと止める。
16時25分だった。
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もう少し長く生きられるとずっと思っていた。
モグ不在の暮らしがどんなものになるのか想像もつかない。
おそらく本当の喪失感はこれからやってくるのだろう。
思えば我が家にはウサギに始まり、何代かの猫たちがいつもいた。
物言わぬ「小動物」たちだが彼らのいる暮らしにはなにか潤いがあった。
自分の年齢を考えると、この先もう猫や犬と一緒に暮らすわけにはいかない。
なんともやるせない気分だ。
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