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2023.07.13

3年目を迎えるギター・ウクレレ・ワークショップ@JUNE

ティー・ルーム・ジュンさんでワークショップを始めてから、今日でまる2年が過ぎた。
毎月2回、2~3時間のワークショップだが参加者は5~6人で落ち着き、順調に推移している。
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ワークショップの趣旨は初心者から中級者までマンツーマン形式で、一人一人によりそいながら技能を高めていくというものだ。
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初心者というのはギターやウクレレに初めて触れるという人。
ギターの押さえ方や弦のつま弾き方といったイロハをお教えして、それに慣れ、身につけてもらう。
当面はギターとたわむれる楽しさを体感できるようになることが目標。
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中級者というのはある程度ギターを弾きながら歌えるという人。
こちらは曲のアレンジや表現の仕方をアドバイスしながら、その人に合ったやり方を見つけていく。
自分で弾き語りを楽しむだけではなく、他の人に心地よく聴いてもらえるようになるのが目標。
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初心者と中級者が混在するワークショップ。
2~3時間の間に5~6人の参加者と実際にマンツーマン応対できる時間は短い。
一人あたり10~15分。これをふたまわりするだけで精一杯。
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ひとまわり目は前回のワークショップで提起した課題の出来具合を確かめる。
良くなった点・まだ足りない点をそれぞれはっきりさせることが目的。
その上で足りなかった点を補うためのやり方を提言し、ふたまわり目までの個人練習をしてもらう。
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そして次の人とのマンツーマンへと移っていく。
参加者全員ひとまわり目が終わるとおよそ1時間が経過する。
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そこでふたまわり目に移行する。
1時間の個人練習の成果を確かめて、あらためてその段階での問題点を整理しあらたな課題を提起する。
残りの1時間を集中的に個人練習に当ててもらうとともに、次回ワークショップまでの課題としてもらう。
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こんなやり方を2年間続けてきたが、皆さん目に見えて上達してきた。
それが我がことのようにうれしい。
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上達といっても個人差がある。
ウクレレやギターの音を出すのすら苦労していた人がきれいに音を出せるようになってきている。
ギターに合わせて歌うことができなかったがつぶやくようにだが歌えるようになってきた人もいる。
シンプルにただ歌ってきた中級者の方も徐々にだが強弱を意識したり、Aメロとサビの伴奏パターンを変化させて唄のダイナミクスを意識するようになってきている。
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その歩みは牛のようにゆっくりとではあるが、一歩ずつ前へと進んでいる。(三歩進んで二歩下がる状態とも言えるけど)
これが2年間継続してきたことの積み上げなんだろうと思う。
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3年目に突入するにあたって密かに立ててる目標がある。
初級者の方々は向こう1年で中級者レベルに。
中級者の方々は自分の感覚で弾き語りのアレンジができるように。
そこまで積み上げていくことができればうれしい。
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そこから先は僕は本来の「水先案内人」の役割に徹することになる。
いまはまだ「アドバイス」とは言いながらも、「教える」ことの方が多い。
弾き語りとは本来本人の感性によって築いていくもので、教えられてどうにかなるというものではない。
過去の経験値を基にしてヒントを提示するのが水先案内人の役割だろうと思う。
ヒントを活かすか、他のやり方にトライするかは本人次第。
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参加者全員がそんな風にいずれなれることが3年目を迎えた今の僕の願いだ。

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2023.07.07

たなばた様

 ♪ たけにたんざくたなばたまつり
  おおいはいやよ
  ローソクいっぽんちょうだいな ♪
  (くれなきゃかっちゃぐぞ!)
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今年もやってきたたなばた様。
毎年毎年あきもせず書いてきたが、函館で幼少時代を過ごした子供たちには決して忘れられない行事のひとつだ。
特に昭和40年代くらいまでの函館の子供たちには特別な行事だった。
夕暮時から真っ暗になる時間帯を手に手に提灯や手作りカンテラを持って子供たちだけで家々をまわるという行為のわくわく感はハンパではなかった。
一面闇におおわれた中に浮かび上がるローソクのぼんやりとした灯りは妖しげでさえあった。
(ぼくの育った青柳町は函館山の麓だったので「灯りさざめく松風町」などとは違って、夜の暗さは際立っていた)
闇の中をカンテラの灯りをたよりに歩くことで、なんだかちょっとだけ大人になったような気にすらなった。
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なんで子供たちがローソクをもらい歩くのか。
長年の疑問で毎年自分なりに考察をしてきた。
ご先祖様の盆帰りで暗い夜道をローソクで照らすためか、といったあんばいだ。
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函館イベント状況局のおもしろい記述を見つけた。
それによると箱館(当時はこう記された)では江戸時代後期からねぶた祭のようなものをやっていたそうだ。
竹で組み、彩色を施した和紙を貼り付けた大きな灯籠(山車)で練り歩くというような行事だったらしい。
灯籠の灯りは大量の蝋燭が使われていた。
その蝋燭をもらい集めるのが子供の仕事だったということだ。
やがて(昭和初期)にその祭りは行われなくなったが、ローソクもらいの行事だけは風習として残った。
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目からうろこのような記述だったのでリンクを貼る。
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今の「ローソクもらい」はローソクの代わりにお菓子をもらい歩いてるそうだ。子供の安全ということもあるので、比較的明るい時間帯に保護者同伴というケースが多いようだ。
「妖しげなたなばた様」で育った世代にとってはちょっと淋しい感じがする。
それでも江戸時代の末期からつづくこの風物詩が、姿形を変えながらも末永く続いていってほしいものだ。
そう願わずにはいられない。
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[函館の七夕「ローソクもらい」と「大いに祝おう」の謎]
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[最近のローソクもらいの風景と歌]

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