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2023.01.22

眠れぬ夜に古き本

つい先日「眠らさる」と書いたばかりなのに、昨夜は久しぶりに眠れぬ夜を過ごしてしまった。
長年の「睡眠負債」を返し終えたとはとうてい思えぬが、ちっとも眠たくならないのだ。
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読みさしの本は読み終えてしまったので、書棚を漁っていたらこの本が出てきた。
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   「落第坊主の履歴書」
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2023_01_22-2
遠藤周作が1989年に書いた本だ。
実はこの本は30年前に父の蔵書の中からくすねてきた1冊だ。
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父は3年にわたる闘病暮らしの中で愛読した作家が何人かいる。
瀬戸内寂聴、吉村昭などのほかに遠藤周作も愛読していた。
「落第坊主の履歴書」はそのうちの1冊だった。
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遠藤周作はシリアスなカトリック作家として「沈黙」や「死海のほとり」、「イエスの生涯」、「海と毒薬」などを書いている。
一方で狐狸庵先生と称してユーモアあふれるエッセイを数多く残している。
「落第坊主の履歴書」はシリアス作家とユーモア作家が同居する遠藤周作の原点について書かれたものだ。
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父と遠藤周作は1年違いの同世代。
共にカトリック信者でありながら、生真面目な信者にはなりえなかったという共通点がある。
おそらく共感するものが多くあったのだろう。
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僕自身も若い頃遠藤周作を読みふけった時期がある。
カトリックの家庭に生まれ育ちながら、それに対する違和感と抵抗が強かった。
遠藤周作の視点は一知半解とはいえ、大いに共感したものだった。
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実は「落第坊主の履歴書」を僕はまだ読んでいなかった。
遠藤周作のほとんどの作品は読んだにもかかわらず、この1冊は表紙を開くことすらせず書棚の奥に眠らせていた。
それはおそらく病床であえぎながらも本を読に続けた父の姿がちらつくためだったかもしれない。
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父は余命がそれほど残されていないことを悟り、己の生と死についての意味を模索し続けていたと思われる。
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「子宮作家」と言われた瀬戸内晴美もまた同世代作家。
彼女が得度し尼僧になったのは1973年(昭和48年)。
おそらく仏門とカトリックの違いはあれ、得度にいたった経緯とその後の作品に生きること・死ぬことに対するなにがしかのヒントを求めたのではないか。
それは「生と死を通して活きる」ということだったと思われる。
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吉村昭も同世代の作家だ。
特に初期の作品には死をテーマにしたものが多かった。
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父は「生と死を通して活きる」ことを模索しながら68歳で帰天した。
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僕は65歳を過ぎたあたりから自分の生と死について目を向ける時が来たと思うようになった。
「カウントダウンの人生がスタートを切った」という風に思っていた。
それは父が病に倒れ、闘病暮らしの始まった時期に重なる。
とはいえ目前のあれこれに追われ続け、なかなか目を向けることはできずにいた。
父の亡くなった68歳までは「元気で生き続ける」という想いがあった。
(それは暗黙の了解として弟と共有されてきた。弟は今年その一里塚68歳を迎えようとしている)
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深夜、書棚をガサガサ探りながら偶然手に取った「落第坊主の履歴書」。
それを見たとたんに思った。
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  もうそろそろいいんでないかい。
  オヤジの死んだ68歳も
  無事元気で通り過ぎることができたことだし。
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なかなか読めなかったこの本の表紙をやっとめくることができた。
そして、、、
一気に読み上げた。
遠藤周作のこと、父のこと、そして自分のことが頭の中を駆けめぐった。
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窓の外はうっすらと白んできていた。

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