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2023.01.31

2023年 02月のライブ・音楽会等予定

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2月10日(金) 喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会 

時 間  16:00~18:00
場 所  喫茶店JUNE(tea room ジュン)
料 金  ¥1000 (1ドリンク付き)
水先案内人 Martin古池

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02月12日(日) フォークの歌声音楽会@おーるどタイム

時 間  14:00~17:00
場 所  Live cafe おーるどタイム
      https://oldtimemk.exblog.jp/
水先案内人 Martin古池
お問い合わせはおーるどタイムまで。
  Tel:048-971-1812  
  Mail:oldtimemk@yahoo.co.jp
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02月19日(日) おーるどたいむ de ライブ 冬の陣
時 間  15:00~ 
場 所  Live cafe おーるどタイム
      https://oldtimemk.exblog.jp/
出演   Martin古池 : トリオ・コッキーズ(土屋一宏・高橋康夫・Martin古池)
木戸銭  ¥1000+オーダー
お問い合わせはおーるどタイムまで。
  Tel:048-971-1812  
  Mail:oldtimemk@yahoo.co.jp
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02月20日(月) さんすまいる歌声音楽会
時 間  13:30~14:30
場 所  デイサービス・さんすまいる
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02月26日(日) 歌声音楽会@民家ライブハウス・楽龍時
時 間  13:00~15:00
場 所  民家ライブハウス・楽龍時
      HP
      アクセス
水先案内人 Martin古池
参加費  ¥1000+オーダー
★新たな歌声音楽会です。
 昭和の歌謡曲を中心としつつも、
お客さまのリクエストをもとに進めていきます。
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02月02日(木) ギター・ウクレレ・ワークショップ@JUNE
時 間  16:00~18:00頃
場 所  喫茶店JUNE(tea room ジュン)
料 金  ¥1000 +オーダー
水先案内人 Martin古池
★2月の2回目のワークショップは21日(火)を予定しています。
 日程変更の可能性もありますので、その場合は追ってお知らせします。
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02月 毎週土曜日 青空演奏

時 間  12:30~15:30
場 所  越谷中央市民会館前の川沿い芝生広場

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2023.01.30

【おひなさまのいえ】

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新装版「おひなさまのいえ」(世界文化社刊)という絵本が本日発売される。
初出は2012年3月で重版を重ね、装いも新たに発行されることとなった。
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新装版第1刷りにあたり挿入歌を作って演奏してほしいという依頼が世界文化社からあった。
昨年秋のことだ。
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依頼の主は編集者のN女史。
15年ほど前に世界文化社絵本の歌シリーズ・三部作を手がけた時の編集担当の方だ。
当時僕は印刷設計~印刷立ち会いを担当し、同時に絵本の歌を作った。
できあがった絵本と歌を携えて「絵本コンサート」を幾度も開催した。
書店や幼稚園、時には葛飾柴又の団子屋さんの前での路上コンサートなどもやった。
出版社と印刷会社がタッグを組んでの「絵本コンサート」は業界としては希有な出来事だった。
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あれから15年たった。
突然のN女史からの連絡は涙が出そうになるくらいうれしく、懐かしかった。
印刷業界を離れて早十余年になるというのに、忘れずにいてくれてお声をかけていただけた。
これは元印刷マンとしても、歌い手としてもうれしいことだ。
喜んでお手伝いさせていただくことにした。
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手始めに依頼があったのは、15年前発行の「おせちのおしょうがつ」という絵本の歌をリメイクすることだった。
この本も重版を重ね子供たちに読まれ続けてきた絵本だ。
そしてかつての「絵本コンサート」のきっかけになった記念碑的な歌だ。
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本日発売の「おひなさまのいえ」は僕が印刷を離れた後にできた本なので、僕自身は印刷に関わっていない。
作家は「おせちのおしょうがつ」と同じねぎしれいこ先生。
絵も「おせち~」同様吉田朋子先生。
15年前のコンビ復活だ。
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歌詞はねぎしれいこ先生があらかじめ書いて下さっていた。
絵本のストーリーに沿った内容の歌詞だった。
人形屋さんで売れ残ったおひなさまたちが、飾ってくれる家を探しに旅に出る物語。
最終的には小さな空き家を見つけ、きれいにしてそこを安住の地とするという内容だ。
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メロディをつけるにあたり、絵本を何度も読み返しイメージと妄想を膨らませていった。
深読みを進めると子供向けに書かれたものであるとともに、現代社会へのアンチテーゼをも感じさせられた。
たとえば売れ残った人形は落ちこぼれ人間で、その人間が自身のアイデンティティを確かめるために旅に出るという物語として読めないこともない。
それは大人社会だけではなく子供社会にも広がっているのが現代だ。
「おひなさまのいえ」がグッと近寄ってきてくれた。
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ねぎし先生のシンプルな歌詞に子供たちが口ずさめるようなシンプルなメロディのくりかえしで応えることにした。
1番から4番までシンプルな形を重ねる。
最後の4小節にちょっとした仕掛けを。
旅だったひな人形たちへの共感とシンパシーを込めたメロディを付け加えた。
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来月予定している「おーるどたいむ de ライブ 冬の陣」の1部、近況報告コーナーでお披露目しようと思っている。
もし、機会があれば足を運んでいただければさいわいです。
そして書店で世界文化社刊「おひなさまのいえ」をお買い求めいただければなおさいわいです。

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2023.01.29

シャケの飯寿司(いずし)

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今年も津軽海峡を渡って故郷の味「シャケの飯寿司」がやってきた。
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中学校時代の同級生S君手作りの飯寿司だ。
一昨年はシャケが不漁で高かったことと、S君のオヤジさんが病気だったこともあり飯寿司は作らなかった。
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昨年秋に親父さんが他界されたこともあり今年は作ってくれた。
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S君の親父さんは飯寿司作りの名人で、S君はその一番弟子。
親父さんが亡くなられたことで彼が名人に昇格。
親父さんが亡くなられた10月から11月は気温がグッと下がり、飯寿司作りには最適の頃だ。
おそらく今年の飯寿司はS君の万感の思いが込められた逸品だと思う。
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そんなことを思いながら飯寿司を味わっている。
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子供の頃、我が家で作る飯寿司はシャケではなくニシンだったりホッケだったりした。
シャケは高くて手が出なかったんだろう。
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大きな樽に大根やキャベツ、にんじんといった野菜と魚を何層にも積み重ねていった。
固く炊いた米や麹も同時に挟んでいく。
最後に蓋をかぶせ、その上に漬物石を乗せる。
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庭に立てられた小さな掘っ立て小屋(物置)の中で漬物作りは進められる。
そのままひと月くらい寝かして発酵を待ち、正月頃から食べ始める。
物置の中には飯寿司のほかにたくあんなどの樽が3~4個あったように記憶している。
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小学生の頃、漬物をつける母の手伝いをさせられた。
寒いし、手はしゃっこいし、できれば避けたい手伝いだった。
でも今思えばいい経験だった。
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内地に出てきてから一度だけ飯寿司に挑戦したことがある。
みごとに失敗した。
飯寿司作りには気温が高すぎたんだろう。
すっかりアメてしまった(「あめる」は腐る、傷むの北海道弁)
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以前帰道した折りにお土産屋さんで飯寿司を買ってきたのだが、これが旨くない。
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S君の送ってくれる飯寿司は昔ながらの懐かしい味、懐かしい香り。
親父さんの後を継いだみごとな名人技だ。

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今年もごっつぉーさん!

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2023.01.28

五代目 柳家小さんのこと


書棚から昔読んだ本を引っ張り出しての再読が楽しい。

若い頃読んだときには感じられなかったことが、今の年齢なりに感じられることが新しい発見になる。
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今は五代目 柳家小さん師匠の本を読んでいる。
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1994年第3刷発刊本を古本で買った上製本(ハードカバー)だ。
葛飾柴又の健文堂古書店で1500円で購入したと記録されていた。
おそらく江戸川河川敷のグランドで共同印刷サッカー部の試合後、チームメイトと別れてひとりで散策しながら見つけた古本屋さんだろう。
その時の記憶も、なぜ小さん師匠の本を買ったかも記憶に残っていない。
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「昔ばなし」として小さん師匠の戦争体験を軽妙な語り口で書かれていたこと。
小さん師匠が二・二六事件にまきこまれていたことの驚き。
そんなことが読後感として残っている。
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五代目 柳家小さん師匠のことはよく覚えている。
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東京に出てきて最初の冬だった。
僕は学校に近い巣鴨にあった「磯忠」という飲み屋さんでアルバイトをしていた。
貧乏学生で日々の食はアルバイトの給金に頼らざるを得ない暮らしだった。
そんな中で「磯忠」のまかない飯と、客の飲み残した燗冷ましをくすねて飲めることは魅力的だった。
(僕はここでお酒を覚えたようなものだ)
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小さん師匠は時折「磯忠」に奥様と連れだって足を運んでこられた。
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当時、「大関」(だったと思う)のテレビ・コマーシャルで小さん師匠が旨そうに酒を飲むシーンが流れていた。
ぐいーっと呑み干して、額をぺたんと叩き、目を細めるシーンが印象的なコマーシャルだった。
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はたして「磯忠」での小さん師匠がどんな呑み方をされるのか、興味津々で眺めていた。
が、期待に反して師匠は言葉少なに淡々と呑まれるのみ。
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  コマーシャルでの表情ってのはやはり芸なんだな
  にしてもいかにも旨そうに飲み干す芸
  やっぱりすごいもんだ
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妙に感心したものだった。
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小さん師匠の「試し酒」という動画を見つけた。
五升の酒を呑めるか呑めないかというお得意先(?)の「だんなさん」と「使用人」の賭け話。
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大きな杯を抱え込む姿。
呑むほどに酔うほどに変わっていく「使用人」の表情の変化。
酒を飲み干すたびにきこえる聞こえる「ごくっ」という音と舌鼓の音。
迫真の芸だ。
そして一升杯に見立てられた扇が、本当に大きな杯に見えてくる妙。
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あらためて感心させられた。
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2023.01.22

眠れぬ夜に古き本

つい先日「眠らさる」と書いたばかりなのに、昨夜は久しぶりに眠れぬ夜を過ごしてしまった。
長年の「睡眠負債」を返し終えたとはとうてい思えぬが、ちっとも眠たくならないのだ。
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読みさしの本は読み終えてしまったので、書棚を漁っていたらこの本が出てきた。
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   「落第坊主の履歴書」
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遠藤周作が1989年に書いた本だ。
実はこの本は30年前に父の蔵書の中からくすねてきた1冊だ。
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父は3年にわたる闘病暮らしの中で愛読した作家が何人かいる。
瀬戸内寂聴、吉村昭などのほかに遠藤周作も愛読していた。
「落第坊主の履歴書」はそのうちの1冊だった。
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遠藤周作はシリアスなカトリック作家として「沈黙」や「死海のほとり」、「イエスの生涯」、「海と毒薬」などを書いている。
一方で狐狸庵先生と称してユーモアあふれるエッセイを数多く残している。
「落第坊主の履歴書」はシリアス作家とユーモア作家が同居する遠藤周作の原点について書かれたものだ。
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父と遠藤周作は1年違いの同世代。
共にカトリック信者でありながら、生真面目な信者にはなりえなかったという共通点がある。
おそらく共感するものが多くあったのだろう。
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僕自身も若い頃遠藤周作を読みふけった時期がある。
カトリックの家庭に生まれ育ちながら、それに対する違和感と抵抗が強かった。
遠藤周作の視点は一知半解とはいえ、大いに共感したものだった。
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実は「落第坊主の履歴書」を僕はまだ読んでいなかった。
遠藤周作のほとんどの作品は読んだにもかかわらず、この1冊は表紙を開くことすらせず書棚の奥に眠らせていた。
それはおそらく病床であえぎながらも本を読に続けた父の姿がちらつくためだったかもしれない。
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父は余命がそれほど残されていないことを悟り、己の生と死についての意味を模索し続けていたと思われる。
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「子宮作家」と言われた瀬戸内晴美もまた同世代作家。
彼女が得度し尼僧になったのは1973年(昭和48年)。
おそらく仏門とカトリックの違いはあれ、得度にいたった経緯とその後の作品に生きること・死ぬことに対するなにがしかのヒントを求めたのではないか。
それは「生と死を通して活きる」ということだったと思われる。
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吉村昭も同世代の作家だ。
特に初期の作品には死をテーマにしたものが多かった。
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父は「生と死を通して活きる」ことを模索しながら68歳で帰天した。
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僕は65歳を過ぎたあたりから自分の生と死について目を向ける時が来たと思うようになった。
「カウントダウンの人生がスタートを切った」という風に思っていた。
それは父が病に倒れ、闘病暮らしの始まった時期に重なる。
とはいえ目前のあれこれに追われ続け、なかなか目を向けることはできずにいた。
父の亡くなった68歳までは「元気で生き続ける」という想いがあった。
(それは暗黙の了解として弟と共有されてきた。弟は今年その一里塚68歳を迎えようとしている)
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深夜、書棚をガサガサ探りながら偶然手に取った「落第坊主の履歴書」。
それを見たとたんに思った。
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  もうそろそろいいんでないかい。
  オヤジの死んだ68歳も
  無事元気で通り過ぎることができたことだし。
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なかなか読めなかったこの本の表紙をやっとめくることができた。
そして、、、
一気に読み上げた。
遠藤周作のこと、父のこと、そして自分のことが頭の中を駆けめぐった。
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窓の外はうっすらと白んできていた。

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2023.01.21

赤色エレジー

フォークの歌声音楽会の唄本を作り始めています。
毎日1~2時間で10曲が目標。
すでに3日目になるというのにいまだ8曲。
パソコンに向かって歌詞を書き込むたびに「筆」が止まってしまいます。
歌詞を吟味し、その歌の世界にどっぷり浸かってしまう。
いつもの妄想癖が止まりません。
音源を聴いてまた涙して・・・
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今朝は「赤色エレジー」で筆がピタッと止まってしまいました。
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高校2年生の頃でした。
テレビのブラウン管の中で苦しげに歌うあがた森魚さん。
「ガロ」という漫画雑誌に連載していた林静一の「赤色エレジー」。
墨1色の白黒漫画なのに、なぜがどぎつい赤の極彩色をイメージしていました。
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高校生の一知半解のイメージでしたが、なにか胸に迫るものがありました。
当時の世相は70年安保闘争が敗北し、挫折していく若者たちがいる一方で、個人の私生活に拘泥していく「三無主義(無気力・無関心・無責任)」「しらけ世代」と呼ばれる若者もまた増えていました。
そんな落ち着かない世相の中で「ある愛の詩」や「小さな恋の物語」などの映画がヒットする一方で「同棲時代」(上村一夫)などの社会の底辺でうごめく若者を描いた作品もまたありました。
「赤色エレジー」もまたそんな作品のひとつかと思います。
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あがたさんの独特の感性はそういう混沌とした世相の中で醸成されたものなのかもしれません。
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当時はキワモノ的なざらっとした肌触りの歌として受け止めていました。
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若いとは言えぬ年になりあらためて「赤色エレジー」の歌詞を吟味し、あがたさんの歌を聴き直し感じるもの。
それは当時には模糊としていた世界が身に迫ってくるものでした。
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後になってあがた森魚さんが函館・潮見中学の6級先輩だったことを知りました。
思春期に同じ学び舎で過ごした生徒生活の中であがたさんが影響を受けたものはあったんだろうか。
以来ずっとそう思っていました。
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函館のこだるま食堂でライブをしたことがあります。
その数日後にあがた森魚さんもまたこだるま食堂でライブをやっています。
ドアにはあがたさんのライブポスターとぼくのライブポスターが並べて貼ってありました。
ニアミスです。
あがたさんのライブ当日、ぼくは内地に向かう飛行機の中にいました。
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昨年、あがたさんが企画している王子・飛鳥山での音楽ピクニックに参加しました。
初めてあがたさんと話しをする機会を得ることができました。
その時は僕の時間の都合で突っ込んだ話しをすることはできませんでした。
いつか「赤色エレジー」のこと、当時の世相のこと、そこから今のあがたさんにどうつながってきたのか。
じっくりうかがってみたいものです。
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こんな寄り道ばっかりしてるから、唄本作成作業は滞るばかりです。
ふう・・・😅

 

赤色エレジー https://youtu.be/dKBFWMQHR58

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2023.01.20

喫茶店JUNE たそがれ音楽会



ケーブルテレビ・J:comの取材と収録があった今回の「たそがれ音楽会」でした。
そんな話しを聞きつけてか、普段よりもたくさんの方が参加され、店内は満席状態。
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水先案内人としてはいつもより四方気を配って臨みました。
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①できるだけ多くのリクエストにお応えする
②初参加の方にも楽しんでもらえるように進める
③音楽会の生命線ともいえる「おしゃべりキャッチボール」は少々コンパクトになるけれど、たえず維持する。

できるだけ普段通りの音楽会にし、素の状態を収録してほしかったのです。
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参加者の年齢構成は50代~80代と幅広く、その中でも60代が多い。
リクエストの傾向はフォークソング系・グループサウンズ系が多く演奏としてはやりやすいものでした。
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ただそれだけに終始しては80代の参加者がおきざりにされる恐れがあります。
そこはいろいろ工夫して進行していきます。
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たとえばグループサウンズ系のリクエストが続いたらロカビリーを入れるという具合に。
共に時代は違えども日劇ウェスタンカーニバルで一世を風靡したグループサウンズとロカビリー。
「花の首飾り」と「ダイアナ」がそこでつながります。
つまり60~70代と80代の嗜好がそこで結びつきます。
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幕間に受けた比較的お若い方のリクエスト(セーラー服と機関銃)は歌集に収録されていないので、2部のオープニングにソロで歌います。
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カントリー好きのご老人にはこちらから水を向け「テネシー・ワルツ」や「カントリー・ロード」などを織り込みます。
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のど自慢で「川の流れのように」を歌い鐘を鳴らしたというご婦人のために彼女のキーで伴奏をつけます。
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「五番街のマリー」のリクエストに対してはギターワークショップで課題曲にしていた山口さんに伴奏を代わってもらったり。
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ほぼまんべんなく全体のご要望に応えられる内容にできたかと思います。
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そしてなによりありがたかったのは常連さんたちの懐の深い対応でした。
新規参加者のリクエストを優先的に受け入れてくれ(普段はわがままにリクエストをしてくれる方々が!)、適度にチャチャを入れたりしながら場の空気を活性化してくれます。
その甲斐あってか新規参加者の方もおしゃべりに加われる空気になりました。
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いつもと違う条件下の「たそがれ音楽会」でしたが、いつもと同じような空気感で進めることができてほっとしています。
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収録された動画は編集の上、2月中は11CHで放映されるそうです。(ただしJcom契約者のみ)。
またショート・バージョンは3月いっぱい草加駅前のAKOSビジョンで流されるそうです。

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〔追記〕
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Jcomでは「歌声音楽会」という名前から年寄りが集まり童謡・唱歌を中心に歌っているというイメージを持っていたように思われます。
何度も何度も童謡・唱歌を歌うシーンを作ってくれと言われました。(「里の秋」のリクエストがあったので1曲だけ歌いました)
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たしかに高齢者の比率が高い「たそがれ歌声音楽会」。
でも高齢者の好む歌=童謡・唱歌という図式にはちょっと抵抗があります。
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長年歌声音楽会をやってきましたが、童謡・唱歌のリクエスト比率は1%にも満たないのが実際です。
水先案内人のぼくが水を向けなければなかなか歌うことはないというのがこれまでの経緯です。
むろん童謡・唱歌は子供の頃親しんできた歌に違いありません。(ぼく自身を含めてね)みなさん目を細めて歌ってくれます。
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でも高齢者とはいえみなさんそれぞれに青春時代があり、それぞれに胸を熱くした歌があります。
それはロカビリーであったり、カントリーソングであったり、歌謡曲やGSソング、フォークソングであったりするワケです。
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Jcomさんの思惑を裏切るようで申し訳ないけれど、たとえ収録といえどいつも通りの「たそがれ音楽会」を再現したいと思っていました。
そしてそのような進行になり、内心ほっとしています。
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2023.01.19

【眠らさる】

このところやたら「眠らさる」。
「眠らさる」というのは北海道弁。
意図せずとも自然と眠っているというような状態のことをいう。
(「食べらさる」とは食べようと意識せずとも自然と食べてしまうという意味)
「眠れる」という標準語とは微妙にニュアンスが違う。
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この冬場に入ってからとにかくやたら「眠らさる」。
床につくのは以前から晩方11:00ごろだが、朝めざめるのは今は7時から8時。
8時間~9時間は眠っている。
もっとも夜中に1~2度小用のため目覚めるし、頻繁に夢を見ているようだ。
眠りとしては深いとはいえないのかもしれない。
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秋口までは朝5時前頃には目覚めていた。睡眠時間にして5~6時間。
そしてそれは物心ついてからずっとそうだった。
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毎日8時間以上も眠らさるのは生まれて初めての経験かもしれない。
夜明け前後の写真を撮るのが好きなのだが、この冬はさっぱりだ。
夕方から日没くらいの写真しか撮れない。
なかなかいいシチュエーションにめぐりあえずにいる。
(添付した写真は一昨日。雨上がりに一瞬だが太陽が顔を出した日没の景色)
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睡眠時間が長くなるということは行動時間が短くなるということだ。
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子供の頃からの性癖で行動時間にやたら用事を詰め込んでしまう。
あれもやりたい、これもやりたいと欲が深いたちなんだろう。
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でも最近は「あれをやったら、今日はこれができない。あきらめよう」という風に変わってきている。
最初はなんとなく惜しい感じがしていたが、その分その日にやることに時間をかけることができるようになった。
ひとつのことに集中して、時間をかけるというのもいいものだ。
そのことに対して深く想いを馳せることができる。
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最近の1日の過ごし方はこんなあんばいだ。
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ゆっくり起きて、ゆっくり朝食を取る。
午前中のうちにその日やりたいことに手をつける。
それは集中して音楽会の準備をすることだったり、書き物をしたりだったりする。
(早起きだった頃は午前中に2つや3つのことに手をつけることができた)
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昼食を軽くとった後に家を飛び出す。
カメラを携えての散歩だったり、自転車でポタリングだったりする。
3時間ほどの散歩やポタリングは肉体的にも精神的にも欠かせない日課だ。
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帰宅するともう夕方。
晩飯までギターや歌に興じる。
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夜の時間帯はぼんやり時間を過ごす。
撮りためた映画を1本観終えるといい時間になる。
風呂に入り、ぼんやりしたあと床につき読みさしの小説に目を通す。
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そして再び「眠らさる」。
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「眠らさる」ことに功罪があるとすればこんな感じだろうか。
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行動時間が減ったことでやれることが少なくなった。
起床時間が遅くなることで一日のゴールデンアワーを過ごせなくなっている。
これは「罪」の方。
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反面「功」の部分も生まれている。
時間の関係でできないことをあきらめる勇気(?)を持てるようになった。
その日できることに集中できるようになった。
これはこれで悪くはないかなという気もしている。
人生の中でより多くの体験をすることに価値を求めるのもあり。
反面体験の数ではなく、ひとつの体験や物事に集中し深く感じることもまたひとつの価値だろう。
「量より質に価値を認める」ということだ。
あるいはこれまでやってきた量が飽和に達し、質に転換したといえなくもない。(ヘーゲルの弁証法じゃないけどね)
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今しばらくは「眠らさる」ことに身を委ねようと思う。
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2023.01.17

歌集 フォークの歌声

今年の目標のひとつはフォークソング歌集を作ること。
おーるどタイムでやっている「フォークの歌声音楽会」で使うため。
昨年末の音楽会で使い勝手のいい歌集を作るとつい公言してしまったのでした。
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「フォークの歌声音楽会@おーるどタイム」では歌集の代わりに「楽器me」というサイトの画面をディスプレイに映して唄とギターのガイドラインにしています。
とても便利なサイトなんですが今ひとつ使い勝手が良くない。
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①まず、検索して出てきた歌詞・コード譜を弾きやすいキーに都度転調しなければならない。
②さらには時々ヘンなコードが登場する。メロディラインに対して違和感あるコードを選択しているケースが散見します。
③かと思えばコード進行を単純化しすぎていてあまりおしゃれではないケースも多々あります。
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これらに手を加えて歌いやすく、弾きやすい、そして違和感なくちょっとだけおしゃれなコード進行の歌詞・コード譜に仕上げていくのが狙いです。
できた譜面はPDF化して、これまで通りディスプレイに映し出して利用するというもくろみです。
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手始めにこの正月から目次リストの作成に取りかかりました。
いわゆる「フォークソング」としてくくられている唄や、その周辺の唄を歌手・バンド別に五十音順の目次リストを作り上げました。
なんとその曲数たるや600曲弱にのぼりました。
(これでもかなり選別してポピュラリティの高いものに絞ったんですがね)
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昨日の「フォークの歌声音楽会」で参加者に配りました。
さらに追加する歌があるか検討してもらうためです。
今回はフォークソングに特化したので、良く歌っている歌謡曲などは除外しています。
参加者の中にはフォークソングよりも歌謡曲や童謡・唱歌を好む方もいらっしゃるので、その辺の意見を頂戴したいと思っています。
歌謡曲や童謡・唱歌編は数年前に「たそがれ音楽会」用にすでに作り運用しています。そこから転用すれば良いのかなという読みです。
ある程度出そろったら、いよいよコード譜自体の作成にかかります。
過去作ったコード譜が百曲以上はあるのでその手直しから始める格好になります。
およそ200曲分のコード譜ができたら歌声音楽会で実用化できるかなと思います。
残りの400曲ほどは徐々にコード譜を作り追加していくことになります。
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完成のめどがなかなかつかない、言い換えればたえず成長し続ける歌集になるのかなと思っています。
(「たそがれ音楽会用の歌謡曲編も同様に少しずつ育っている途上にあります)
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時間をかけてでも少しずつ追補し育てていく裏にはある願いがあります。
「フォークの歌声音楽会」の参加者の年齢層は同世代。60代がほとんどです。
(中には70代の方もいます。来年には僕もその仲間入りをします)
同世代の面々が音楽会を通して一緒に年を重ねていければいいなという想いです。
たとえば10年後にみんな70代~80代になっても、歌や演奏を通して共に「育って」いければうれしいなと思います。
「老々井戸端音楽会」です。
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歌集も軌を一にして少しずつ育てていければいいなと思っています。

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フォークの歌声音楽会@おーるどタイム

新年初の「フォークの歌声音楽会」をなごやかに、にぎやかに終えることができました。
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今回は遠路ももっちさんがマンドリンで参加して下さいました。
リリカルなマンドリンの音色が加わると歌も演奏も華やぎます。
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加えて河辺さんご夫妻も久しぶりに来てくださいました。
河辺さんのピアノは格調高く演奏にぐっと厚みが増します。
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文代さんのプサルタリーも全体の音量に埋没することなく随所で存在感をのぞかせてくれます。
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チノネさんのギター(時にパーカッション)もいい感じ。
チノネさんはリズム感がしっかりしているので時に暴走しがちな演奏を引き締めてくれます。
(僕は彼のギターやパーカッションをメトロノーム代わりにさせてもらっています)
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たくさんの楽器が大きくばらけることなくまとまりを感じさせてくれる。
それに一役かってくれたのがふく助さんのベース。
それぞれの楽器をトリモチでくっつけるように音の輪郭を作ってくれます。
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この役割はふく助さんがベースで参加してくれる以前は僕のギターが担ってきました。
ベースがその役割を担ってくれることでギターの自由度が高まりました。
全体の音の中で足りない部分を補うような弾き方ができるようになったのです。
たとえばストロークの人が多い時は分散和音を弾いたり、逆に分散和音を弾く人がいるときはその音を活かすような軽いストロークにしたりとか。
結果として演奏全体にまとまりが生まれ、それに乗っかる形で歌が活きてくる。
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昨年後半から少しずつそんな風に進化してきていたのですが、今回は実にいいあんばいになりました。
(正月早々縁起がいいわい)
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参加者の構成も理想的な形に。
歌を聴いてくれる方々があれば、楽器はできないが歌ならお任せという方がいる。
楽器の演奏に集中する方もいれば、弾きながら歌う方もいる。
そしてなによりもうれしかったのは、演奏した(歌った)唄を肴に自由奔放なおしゃべりが飛び出す。
めざしている「井戸端音楽会」にさらに一歩近づいた感のある年の始めの「歌声音楽会」でした。
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次回は2月12日(日)14:00~17:00です。
関心おありの方がいらっしゃいましたら、ぜひともお運びください。

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2023.01.02

2023年01月 ライブ・音楽会予定

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01月15日(日) フォークの歌声音楽会@おーるどタイム

時 間  14:00~17:00
場 所  Live cafe おーるどタイム
      https://oldtimemk.exblog.jp/
水先案内人 Martin古池
お問い合わせはおーるどタイムまで。
  Tel:048-971-1812  
  Mail:oldtimemk@yahoo.co.jp
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01月18日(水) 喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会 

時 間  16:00~18:00
場 所  喫茶店JUNE(tea room ジュン)
料 金  ¥1000 (1ドリンク付き)
水先案内人 Martin古池

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01月29日(日) 歌声音楽会@民家ライブハウス・楽龍時
時 間  13:00~15:00
場 所  民家ライブハウス・楽龍時
      HP
      アクセス
水先案内人 Martin古池
参加費  ¥1000+オーダー
★新たな歌声音楽会です。
 昭和の歌謡曲を中心としつつも、
お客さまのリクエストをもとに進めていきます。
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01月10日(火) ギターワークショップ@JUNE
01月24日(火)  仮予定
時 間  16:00~18:00頃
場 所  喫茶店JUNE(tea room ジュン)
料 金  ¥1000 +オーダー
水先案内人 Martin古池
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01月 毎週土曜日 青空演奏

時 間  12:30~16:30
場 所  越谷中央市民会館前の川沿い芝生広場

2023

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2023.01.01

「古池の雑煮」の軌跡

我が家の元旦の雑煮は毎年決まっている。
昆布と鰹節でとった一番出汁に少々の塩と香り付け程度の少量の醤油で味付けした汁。
餅のほかには小松菜を散らしただけの簡素な雑煮だ。
祖父母の代から今にいたるまで長年食べ続けてきた、いわば「古池の雑煮」だ。
100年近く食べ継がれてきた雑煮にはそれなりにいわれがあるし、少しずつ変遷もしている。
この正月は「古池の雑煮」についてちょっと書いてみたい。
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祖父母は明治37年に愛知県知多半島から北海道・函館に移り住んだ。祖父19歳、祖母18歳の時だ。祖母のおなかの中には赤ん坊がいた。
祖父は呉服関係の小商いで身を起こし、後に冠婚葬祭に関わるご祝儀用品専門店・レンカ堂という小さな商店を構えた。
(現在も従兄弟が3代目として細々と商いを続けている)
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苦労して身を起こした祖父は「質素倹約」を旨としていた。
最初の「古池の雑煮」はそんな祖父の意向を反映したものだったと思われる。
醤油汁に小松菜と一緒に餅を煮込んだだけの文字通り簡素な雑煮だったという。
これは愛知県知多半島の雑煮は小松菜を使うことが多かったことからきていると思われる。
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大家族だったことに加え、住み込みの丁稚さんたちも多数いた。
また正月は冠婚葬祭の最たるものだ。師走から正月にかけて忙しくしていた家だ。
(僕の父は11月30日に生まれたが、祝い事はまとめてやってしまえと言うことで役所には1月2日生まれとして届けられたぐらいだ)
おせち料理などゆっくり味わえる正月ではなかったようだ。
おそらく大正時代の初めからこれが「古池の雑煮」だった。
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昭和28年、父と母が結婚した。
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母は初めて本家レンカ堂で食べたこの雑煮に辟易したようだ。
母が子供時代から食べてきた雑煮はしっかりと出汁をとり、柏肉、なると、三つ葉を浮かべた上品なすまし汁だった。
(母の実家の名を取って「伊藤の雑煮」とよんでいた)
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  小松菜雑煮を初めて食べた時はグェーッとなったさ
  大鍋の底に餅がぐでぐでに伸びてこびりついてるし
  醤油汁は煮しまってるし、小松菜はくったくた
  食べられたもんでなかった
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という母の証言が今も耳の底に残っている。
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とはいえ嫁の立場では長年続いてきた雑煮を大幅に変えるわけにも行かない。
一計を案じた母は小松菜雑煮の形はそのままにしつつ、昆布と鰹節で出汁をとった。
加えて餅を焼くことで表面を固め、ドロドロにならぬようにした。
味付けも醤油汁ではなく、少量の塩と風味付けに醤油をたらしたものにした。
これが我が家の雑煮のスタンダードになった。
一見質素な雑煮だが、それなりに手間暇をかけることで上品な味付けになった。
母にしてみると大正時代から続く「古池の雑煮」の形は変えずに味付けを大幅に変えることができ、内心ほくそ笑んでいたのではなかろうか。
はたして父の口から出てきた言葉は以下の通り。
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  簡素だけど、一番餅の味がわかる
  それが小松菜雑煮だ
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それから30年の時を経て、独立した子供たちはそれぞれの家庭でそれぞれの小松菜雑煮を継承している(と、思われる)
僕は子供の頃の母の作る雑煮をそっくり真似つつも自分の感覚で小松菜雑煮を作っている。
毎年出汁の取り方や餅の焼き方を少しずつ変えて試している。
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今年はこれまでより少し薄くのした餅を厚手のフライパンでじっくり焼いてみた。
このやり方だと餅が焦げすぎない。
今まではガスの直火で焼いてきたため、餅の表面が焦げすぎて真っ黒になっていた。
昔は石炭ストーブの上で餅を焼いていたため、そのなごりともいえる。
真っ黒になった餅をお湯に通すのは雑煮造りの欠かせぬ一工程で、僕もそれに倣ってきた。
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今回フライパンで焼いた結果、湯通しをする必要が無くなった。
出汁汁がにごることもない。適度に焦げた風味も残る。
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こうして少しずつマイナーチェンジをくりかえしながら、大正時代から続いてきた「古池の雑煮」を綿々と食べ続けている。
(ちなみに我が家の正月の雑煮は3種類。カミサンの実家の味、豚肉とゴボウの醤油味。「山形雑煮」。そして母から教えられた「伊藤の雑煮」)
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毎年1月2日の晩、我が家には子供たちがそれぞれの家族とともにやってきて新年宴会を催す。
僕はその歴史を語りつつ、「古池の雑煮」を食べさせている。
いつの日かこの雑煮を子供たちが僕のために作ってくれる日が来るのを想像しながら。
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昭和の初め頃と思われる。本家レンカ堂の店先。
椅子に座っているのが若き日の祖父。
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