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2022.12.22

再会

自転車散歩中、公園のトイレに立ち寄った。
用をたしてトイレから出るとじいさんが順番を待っていた。
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  お待たせしました
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と、挨拶を交わし目が合う。
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  おおっ!
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互いに声を出す。
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  お久しぶりでした! (僕)
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  最近見かけないね (じいさん)
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越谷市場でやっていた「朝市コンサート」で顔見知りになったじいさん。
16年もの間、ほぼ毎回顔を合わせていた。
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  コロナになってからというもの
  市場開放デイが中断していて
  コンサートもできなくなったんですよ (僕)
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  ここ数年、
  市場は火が消えたようになっとるよ (じいさん)
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実はこのじいさん、忘れられない人だった。
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「朝市コンサート」を始めた頃、じいさんはチャーミングな奥さんを伴って買い物に来ていた。
5~6年もの間、睦まじく通っていた。
まさにおしどり夫婦だった。
奥さんは離れたところでいつも足をとめて聴いてくれていた。そして小さく手をたたき、軽く会釈をして二人は去って行った。
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ある日突然、奥さんは車椅子の人になった。
じいさんは車椅子を押しながらそれまでと変わらず買い物をしていた。
奥さんは離れたところに車椅子を停めてもらいしばし歌を聴いてくれた。
そして以前と同じように小さな拍手と会釈を残して帰って行った。
そんなことが何年か続いた。
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おしどり夫婦の姿が突然見えなくなったのは「朝市コンサート」が10年目を迎えた頃だろうか。
なんとなく気にはなっていたが、いつのまにかおしどり夫婦のことを忘れていた。
それから2年ほど経ち、じいさんが一人で市場に姿を現した。
目はどことなくうつろだった。
歌っている僕のすぐ目の前を通っても心ここにあらずという体で通り過ぎていった。
僕も前のようにじいさんに会釈をするのがためらわれていた。
そんなことが1年近く続いたろうか。
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ある日、若い夫婦(と思われる)を伴ってじいさんが現れた。
たぶん息子さんがお嫁さんを迎えたんだろう。
じいさんは彼らを連れて買い物に来始めたのだと思う。
じいさんの目には光りが戻っているように感じた。
以降3人連れの買い物ツアーが続く。
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息子さんも、お嫁ちゃんも僕の歌には好意的でいつもしっかり聴き、惜しみない拍手を送ってくれた。
若いだけ合って反応がストレートだ。
チャーミングなばあさんが控えめの拍手と会釈だったのとは対照的だった。
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やがてこの買い物ツアーに赤ん坊が加わった。
赤ん坊は音に合わせて首を振っていた。
そして赤ん坊は成長し歩くようになる。
歩きながら歌に合わせて身体をゆするまで育った。
孫を見るじいさんの目はやさしかった。
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そんな頃、巷にコロナの嵐が吹き荒れた。
越谷市場の市場開放デイは密を避けるため中断することとなった。
それに伴って「朝市コンサート」もまた中断せざるを得なかった。
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あれから3年の月日が流れた。
じいさんの顔に刻まれたシワは以前よりも深くなった。
声もしわがれていた。
すっかり老いていた。
それでも笑顔はあの日のままだった。
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「朝市コンサート」はおそらくこの先再開されることはないだろう。
それでも16年もの間続けることができたことは僕にとっては大きな財産だと思う。
ひとつの家族の歴史を(ほんのわずかとはいえ)かいま見させてもらうことができた。
じいさんに想いを馳せさせてもらえた。
2週間ごとにくりかえされる小さなめぐりあいの数々。
そのありがたさが今になってなおさらに感じられる。
僕にとってこのじいさんは「朝市コンサート」の象徴だったように思えてならない。

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