青空(寒空?)演奏
快晴の越谷でしたが、風が強く体感温度は実際の気温より低く感じられる青空演奏でした。
いつものように前半2時間は中央市民会館の建物の影で独り演奏。
後半1時間ちょいは菅原さんと青空越冬隊での演奏でした。
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ひとり演奏では午前中に蔵出しした「自分を通り過ぎた冬の歌たち」を次々と歌いつなげました。
自作曲、フォークソング、歌謡曲、演歌、カントリーソングと節操なしにくりひろげる「冬の歌」メドレー。
広場にはほとんど人影なく、自分と向き合いながらの演奏となりました。(寒い冬はどうしてもこんな形になってしまいがち)
ひとつひとつの歌と向き合うことができるので、これはこれでいいなとは思っています。
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そんな中でも警備員のオジサンに声をかけていただいたり、時折通り過ぎる散歩の方々に会釈や拍手をもらったりということはありがたいものです。
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今回は85歳のおばあさんが遠慮がちにとなりに腰をおろし、しばし聞き入ってくれました。
「群青」を歌っている時でした。
「群青」は戦死した息子を思いやる老いた父親の心情の歌。
僕は「群青」を歌う時いつもイメージするのは日中戦争のさなか青島で戦死した叔父とその父、つまり僕の祖父です。
兵隊おじちゃん(会ったことのない叔父のことを僕たちはそうよんでいました)は当時の函館の新聞では大きく取り上げられたそうです。
「名誉の戦死」だの「軍神」だのと言う言葉で埋め尽くされていたとか。
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表向きは気丈にふるまったであろう祖父ですが、内心では傷心を抱えていたのではないか。
そんな風に思えてなりません。
傷心をいだきながら冬の大森浜をひとりさまよい歩く祖父のイメージが僕の中では定着しています。
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そんなことを想い浮かべながら「群青」を歌っていると、それまで少し離れたところで聴いていたばあさんがすっと近寄ってきました。
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となりに座って聴いてもいいかしら
その歌、もう一度聴かせて
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それまでは歌と自分自身に向かっていた意識をこのばあちゃんに向け直して再び歌う「群青」。
突然ばあちゃんの目からひとしずくの涙。
僕は少々ドギマギしながらも歌い続けます。
歌い終えてそっとばあちゃんに目を向けます。
ばあちゃんは問わず語りで自分の半生を語り始めます。
現在85歳になったこと。
ご主人を亡くして21年になること。
ご主人は69歳で他界されたこと。
そしてピアノを弾くのが好きだったこと。
その他もろもろ・・・
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そんな話しをうかがいながら、僕の父も68歳で亡くなったこと。
音楽が好きであったこと。
父を失った母は92歳までひとりで生きてきたこと。
そして僕自身は父の逝った年齢を超えることが出来、来年69歳になることなどを語ります。
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請われるままに何曲か歌いつづります。
そのひとつひとつに深く頷きながら聞き入るばあちゃん。
やがて腰を上げ
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どうもありがとう
寒いから、お身体に気をつけて歌ってくださいな
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そう言い残して去って行きました。
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これが今回の「青空演奏」のめぐりあいでした。
寒風の中、歌ってて良かったと思える瞬間です。
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2部は菅原さんの待つ陽のあたる場所に移動して一緒に演奏。
常連の井上じいちゃん、そして安嶋さんが聴きに来てくださいました。お寒い中を本当にありがたいことです。
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「青空越冬隊」の今回の出し物は手慣れた「ナターシャセブン集」です。
今回は菅原さんが「明日になればね」等、新曲を仕入れてきたので、そこからスタート。
冬至を超えたばかりで陽が落ちるのが早い冬の夕暮れ。
陽が陰るまでの1時間をみっしり歌いました。
1年半を毎週一緒に歌ってきた菅原さん。
アイコンタクトと阿吽の呼吸。
いいあんばいで青空越冬演奏を進めることができました。
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次回は12月31日。
大晦日が「青空演奏」となります。
1年の締めくくり。歌いおさめていきたいと思います。
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