エンタ 7回目の命日
時の流れのあまりの早さにめまいすら覚える。
父方のイトコ・古池エンタ幸介が旅だってもう7年になる。
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幼少期を兄弟のように一緒に育った3歳年上のエンタだったが、
思春期に入ると僕にギターの手ほどきをしてくれた先生でもあった。
函館西高のビートルズ・コピーバンドではドラムをたたいていた。
文化祭などでは女子生徒の黄色い声を一身にあびていた。
そんなエンタは僕にとっては憧れでもあった。
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やがてエンタは東京へ。
そして僕は室蘭へ。
以降音信は途絶えていた。
風の便りで音楽を続けていることは知っていた。
ネジロにしているのは中央線であることもなんとなく知っていた。
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ネットで偶然、高円寺の「居酒屋エンタ巣」をみつけピンときた。
エンタに違いない!
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「居酒屋エンタ巣」を訪ね、戸を開けるとそこには仕込みに追われるエンタがいた。
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エンちゃんかい?
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おそるおそる声をかけると
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おお、マサ坊か
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およそ40年ぶりの再会だった。
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マサ坊、おめぇ「ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」知ってるか?
オレ、今これにはまってる
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再会の挨拶も何もかもすっ飛ばして、いきなりストレートな音楽話しをするエンタ。
40年前のことがダブっておかしかった。
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マサ坊、おめぇ「P.P.M」知ってっか?
なんまらカッコいいぞ!
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中学生だった僕がギターの弾き語りを始めるきっかけになった会話だった。
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僕の知らない40年の間、エンタも音楽を続けていた。
「南阿佐ヶ谷ブルースバンド」や「レイジー・キム・ブルース・バンド」でドラムをたたいていた。
「南阿佐ヶ谷ブルースバンド」時代にはB.B.キング来日コンサートで前座も経験したらしい。
そんなことはちっとも知らなかった。
ブルースバンド時代の音源はなく、聴くことができないのが残念だ。
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エンタが30代前半のころ「ENTA&gushi」というユニットで活動をしていた。
いろいろ音源を残したが、その中でもこの「僕の星まで」という歌は秀逸。
僕も好きな歌で、今でもライブなどでよく歌わせてもらっている。
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アップしたのはENTA&gushiのオリジナル音源。
1983年5月29日録音となっているから、エンタが33歳頃の若い声。
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そして最近の僕の音源。
(サポートギターはらんぶりん・まっくさん)
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相棒のgushiさんとはFacebookで今もやりとりをさせていただいている。
いつかMartin&gushiで一緒に「僕の星まで」を演奏することがふたりの夢だ。
(お互い遠隔地に住んでおりなかなかかなえられずにいるが、いつか必ず!)
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