【記録】喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会
今年初の「たそがれ歌声音楽会」は蔓延防止等重点措置発令の日でした。
音楽会場の喫茶店JUNでは従前の感染防止対策に加え、お酒の提供ができない状況。
「ちょっと淋しいけれど、まあしょうがない」とみなさん割り切っての音楽会でした。
長引く「コロナの時代」にみなさんすっかり慣れたようです。
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今回はマンドリンのももっちさんが参加してくれました。
ほとんどの歌にマンドリンのサポート。
気持ちよかった!
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1部はいつものようにお客さまのリクエストにひとつひとつお応えしての演奏。
あっちのお客さまから、こっちのお客さまからとリクエストが途切れません。
何曲かは2部に持ち越しということに。
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2部は恒例の「宿題コーナー」です。
今月はムードコーラスの特集。
皮切りはマスターじゅんさんのトークから。
ムード歌謡とムードコーラースの「定義づけ」。
世の中の流れに沿って変化してきたムード歌謡について語ります。
歌の方もその定義づけにそう形で年代順に進めることにしました。
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1曲目の「誰よりも君を愛す」は昭和34年、まだ「戦後」が少し残っている頃の歌です。
吉田正のジャズ音階を感じさせるメロディ、情念の人・川内康範が同名の自作小説をもとにした歌詞。
これにハワイアン調のマヒナスターズの演奏と松尾和子の情念たっぷりの歌。
ムードコーラスのはしりとなった名曲です。
(この歌の良さを感じるようになるまで僕は60年もかかりました)
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続いて昭和40年代初めの頃の歌。
「ラブ・ユー東京」「たそがれの銀座」
(共にロス・プリモス)
世の中は高度成長期のまっただ中。
オリンピックも開催され、戦後は過去のものとなった「昭和元禄」の頃です。
夜の銀座にくりだす社用族が増え、銀座の街で生まれては消えていく恋の花。
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「小樽のひとよ」(昭和41年)は旅芸人が地方クラブで出会った女性との悲恋をモチーフにした歌です。(実際には小樽ではなく釧路のクラブだったそうです)
昭和40年頃には「夜の銀座文化」は東京だけではなく地方でも花開いていたということなんでしょうね。
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昭和40年代も後半になると、ムードコーラスの曲調もライトなものに変わっていきます。
歌の内容は別れ歌がほとんどなのですが、軽いタッチ(あるいは長調)のメロディラインのためか「情念」をあまり感じさせません。
それがまたいい。
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「別れても好きな人」~「宗右衛門町ブルース」~「ふりむかないで」~「中の島ブルース」。
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「中の島ブルース」はクールファイブで大ヒットとなっていますが、実は元歌は秋葉豊とアローナイツ。
アローナイツは北海道・歌志内炭鉱のアマチュア社内バンドだったそうです。
その後札幌のクラブで歌うようになったとか。
なので「中の島ブルース」は当初札幌の中の島が舞台。
後に全国区にするため大阪、長崎の中の島公園を付け加えられたそうです。
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昭和50年代に入りムードコーラスも少々様変わりしていきます。
スナックなどでカラオケが導入され、またディスコなどのダンスシーンも増えていったせいでしょうか。
素人にも歌いやすい、踊りやすいといった楽曲に変わっていったように思います。
「足手まとい」~「星降る街角」
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ももっちさんのマンドリンが気持ちよく響きました。
共通の譜面をもとに、キーだけ決めてそれぞれに準備をしてきました。
現場で音合わせなしのぶっつけ合奏でしたが、いいあんばいに仕上がりました。
特に最後にやった「星降る街角」でリフをガットギターとマンドリンのユニゾンで。
決まった時の快感!気持ちよかった!
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次回は2月18日(金)16:00~18:00。
宿題コーナーはお休みして、全編リクエストとおしゃべりでやることになりました。
強いていえば「テーマを決めず行き当たりばったりに歌う」というのがテーマ。
これもまた楽しみです。
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