【足寄より】
松山千春のコンサートの録画を観た。
すっかり釘付けになってしまった。
不覚にもほろっときてしまった。
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千春の個性は僕にはあまりなじまない。
僕には千春のようなべらんめえなステージトークはできないし、したいとも思わない。
千春のように声量にまかせて歌い上げることも今は好まない。
また歌いまわしで過剰とも思えるほどにためる歌い方も好みではないし、したくはない。
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でも、千春の「フォークシンガー」としての矜持には共感するものがある。
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「愛」を歌うと千春は言う。
彼の言う愛とは男と女のことだけではなく、とうさん・かあさんのこと、兄弟のこと、友人のこと。
北海道に流れる時間と空気。そして森の青さと空の青さ。海の青さと雪の白さ。
それらすべてに対する愛情だ。
そして何より北海道に対する限りない愛情。
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その思いを包み隠さず、千春はストレートに表現する。
自分の歩んできた道のりをなんのてらいもなくステージで表していく。
どこまでもどこまでも直球勝負だ。
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そのスタンスや思い、僕のやってきたステージもまた同じだ。(規模はまったくちがうけどね)
自分の体験を肴にしてやってきた(多少デフォルメしつつも)。
そして直球勝負。
たまにはナックルボールも投げてみたいなとは思う。思うけれどもそれができない。
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千春がフォークソングに傾倒していくきっかけは小学生の頃、4才年長の姉さんにPPMなどのアメリカンフォークを教えてもらったことだそうだ。
中学生になり岡林信康、高田渡、加川良などの影響を受けたという。
そして高校の学校祭。
前夜祭の暗闇のなかで「私たちの望むものは」を歌った。
これがきっかけでフォークソングにのめり込んでいく。
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僕もまた3才年長のイトコ・エンタにPPMを教えてもらったのが始まりだった。
中学生の頃、函館労音での高石友也リサイタルで魂がふるえた。
高石友也、岡林信康に強い影響を受けた。
そして高校の学校祭。
同級生・新谷君と組み「私たちの望むものは」を歌った。
たくさんの人を前にして初めて歌った衝撃。
これは大きかった。
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フォークソングと関わるきっかけが同じ。
同じ北海道の田舎町でのスタートだった。
年齢も千春は僕の1学年下の昭和30年生まれ。同世代だ。
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「フォーク第2世代」
かつて千春は自分のことをそうよんでいた。
先人(岡林さんら第1世代)たちの影響を受けて歌い始めたフォークシンガーという意味だ。
そして僕もまた「フォーク第2世代」のひとりだ。
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でありながら、僕は若い頃「千春は好きでねぇ」と言い続けていた。
「千春はナマイキだけど、千春の書いた歌はいい」などと言っていた。
それは多分「近親憎悪」というヤツなのかもしれない。
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また北海道に対する強いこだわりを持つ点で千春と変わりはない。
でも千春は北海道に住み、そこに根を張って歌っている。
一方僕は北海道を棄て、内地にやって来た。
そこから来る気後れのようなものもあったかもしれない。
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加えて商業的に成功し、全国区の千春。
対してこちらは場末の唄歌い。
ひがみ・やっかみがなかったといえば嘘になる。
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コンサートで「足寄より」を歌う千春が映し出される。
「オレだらそんな風には歌わねぇぞ」
「もっと力抜いて歌ってけれや」
内心そう毒づきながら、目頭が熱くなってる自分がいた。
オレ、
もしかしたら、、、
ほんとは松山千春ってヤツが好きなのかもしれない。
そう思える歳になったてことなのかな
なんてことをひとりごちでいた。

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