« 2021年2月 | トップページ | 2021年4月 »

2021.03.30

今度の日曜日は「喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会」


June20214

昭和の香り漂う喫茶店で、昭和を彷彿させる歌の数々。
あの日を思いながらみんなで歌いましょう。
.

1部は参加される方々のリクエストやアンコールで進めます。
Martin古池が水先案内人とギター伴奏を務めます。
.

2部は特集コーナー。
今月は「布施明」特集。
マスター・じゅんが語り、Martin古池が歌います。
.

*****************************

4月4日(日)16:00~18:00
.

ティールームJUNE
  東武スカイツリーライン 獨協大学前(旧松原団地)
   東口下車 徒歩3分
   ☎ 048-936-4211
.

参加費 1000円(1ドリンク付き)

.
水先案内人 Martin古池
.

*****************************
★写真は10年以上前に札幌の外れ、野幌原生林でも演奏風景です。
 「賞味期限切れ」とか「別人28号」とかいわれそうですが、
 お気に入りの一枚なもんで・・・

| | | コメント (0)

2021.03.21

再開! 再会! みんなで歌おう・弾こうフォークソング


2021328

お休みしていた歌声音楽会@おーるどたいむを再開いたします。

3月28日(日)14:00~17:00 
Live cafe おーるどたいむ 
参加費無料 ご注文をお願いいたします
水先案内人 Martin古池

| | | コメント (0)

2021.03.20

【お知らせ】 おーるどたいむ de ライブ 春の陣 2021 道産子編

De-2021_20210320190401
【おーるどたいむ de ライブ 春の陣 2021 道産子編】
.
延期していたありまじろうさんをお迎えしての「道産子編」を開催する運びとなりました。
.
おひがらもよく(?)5月1日(土)の夕暮れ時。
.
詳細はあらためてご案内いたします。
お運びのほど、どうぞよろしくお願いいたします。

****************************
.
5月1日(土) 16:00~
Live cafe おーるどたいむ
出演 ありまじろう / Martin古池
木戸銭 ¥1500 (ご飲食もお願いいたします)
.
****************************

| | | コメント (0)

2021.03.18

写真が語る「女の一生」

今日3月17日は2回目の母の命日、つまり3回忌だった。
できることならば函館まで行き、墓参りをしたかった。
こういうご時世でそれもかなわなかった。
今日はせめて母の人生を辿りながら歩くことにした。
.
母は大正の終わりに生まれ、激動の昭和を生き抜き令和に変わる直前に天命を全うした。
大正、昭和、平成と三つの時代を股にかけて生きたことになる。
(ギリギリ令和をみることができなかった)
.
その人生、決して順風満帆というわけではなかっただろう。
むしろ様々なことに直面しながらもひとつひとつ乗り越えてきたんだろうと思う。
ごく普通の娘がごくごく普通の母親になり、様々に心を痛めつつもそれを飲みこみながら生きてきたんだと思う。
.
母を思うときふと流れてくる歌がある。
小田俊明さんの「夢」という歌。
.
  こんな夢を見ました 
  あなたはとても若く
  まだ幼い 小さな私を 温かく抱きしめて
  春の光の中で 朝の風に吹かれて
  愛すること 許すことの意味を教えてくれた
  長い時の旅を終えて 今静かに眠りにつく
  命をかけ産んでくれた その勇気を忘れないと
  さよなら ありがとう 二度と戻らぬ季節
  朝の夢に消える影が 後ろ手に手を振った
  さよならありがとう 駆けてゆきたいけれど
  にじむ景色かすむ影が 後ろ手に手を振った
  もう戻らぬ小さな影が 後ろ手に手を振った
19247
娘時代。おそらく太平洋戦争開戦前、函館高等女学校入学のあたりではないか。
19531
昭和28年6月10日。古池信夫と結婚。函館カトリック元町教会にて。
195457
子育て時代。近所の函館公園と思われる。昭和33年頃か。
19541-1
家の前で。昭和30年冬。
1953217
昭和62年。子供たちがみな独立し夫婦ふたりだけの暮らしに戻った頃。
Photo_20210318102701
夫・信夫が帰天。平成5年4月13日。札幌カトリック小野幌教会にて。
199654
札幌でのひとり暮らしが10年ほど続いた。毎年渡り鳥のように内地に住む子供の元へ遊びに来ていた頃。
越谷の屋台にて。
200315
10年ほどのひとり暮らしを経て、函館に戻る。「旭が丘の家」に入居。
2018_12_02
平成30年クリスマス。この3ヶ月後母は帰天した。

| | | コメント (0)

2021.03.12

【あの頃のこと その2 ~被災地で歌う】

17211981_1223258057794757_69868290194929
2018年3月に投稿した記事の再録です。
震災の年は僕個人にとっても多くの出来事があり、多くを考えさせられる1年でした。
そして10年たった今も答えは見つけられず、自問自答が続いています。
 「人」としてどう生きるか。
 「歌うたい」としてどう生き、歌っていくべきか。
おそらく答えはどこまでいっても「風の中」。
自問自答を積み重ねることがこの先もずっと続くんでしょう。
.
.
*****************************
.
.
震災のおよそ2週間後、僕は共同印刷を退職し「天下御免の人生浪人」の暮らしに入った。
天下御免とは言いながら内心は穏やかではなかった。
50代半ばを過ぎてからの再就職は容易ではない。
いくつかの印刷会社からお誘いはあったが、丁重にお断りをさせていただいた。
せっかく印刷の仕事を辞したのだから何か新しいことに挑戦したいと思っていた。
50代半ばはそれができる最後のチャンスとも思っていた。
.
.
けれどもそれは容易ではないことだったし、震災後、求職の需給関係も悪化していた。
震災で家族や家だけではなく職までも失った方々がたくさんいた。
それは地震の直接の打撃を受けることの少なかった東京や埼玉の求職事情にも影響していた。
失業給付の切れる1年後まではじっくりと構えることにした。
どんな職業であれ自分が意義を見出し納得できるものをぎりぎりまで探すことにした。
腹をくくった形だ。
.
.
そんな時友人から被災地へ慰問活動参加の打診を受けた。
迷った。
  「震災直後の被災地に出向き歌うことなんかできない」
率直な気持ちだった。
震災直後からSNS(ミクシー)などで多くの書き込みがなされていた。
「今すぐにでも被災地に向かい音楽を通し被災者を励まし、力を与えよう。それはミュージシャンの務めだ」という考えと
「これだけ大打撃を受け、生きることに汲々としている被災者に音楽が与えられるものはない」という考えが真っ向から対立していた。
そこから派生する様々な意見が飛び交っていた。
みんな迷い悩んでいた。
音楽に携わるものとして何ができ、なにができないか。
また何をなすべきか、なにをなすべきではないか。
.
.
人生浪人を始めたばかりの僕には時間はあった。
でも軽い気持ちでは決められなかった。
人様に「与えるべき何か」など自分にはないというのが正直な気持ちだった。
一方で「慰問キャラバン」参加の返答期限は迫っていた。
被災地に出向き、そこで自分が歌えるかどうかはわからない。
でもこの目で現実の一端を凝視すべきだ。
そう思い参加を決めた。
キャラバン隊は2人のマッサージ師、3人の歌うたいの5人。
ハイエースに機材とキャンプ道具を積み込んで宮城県に向かった。
.
.
現地の惨状をみた。
避難所ではたくさんの方と話をした。
それでも「ステージ」に立つ瞬間まで迷いは続いた。
「ステージ」に立ち段ボールで仕切られた体育館を見渡した瞬間スイッチが入った。
  歌おう。
  言葉はいらない。
  ただ歌おう。
  自我を捨て、この体育館の空気になろう
そんな気持ちだった。
.
宮城県の数か所の避難所を回る数日間の旅で感じたことは多かったし、大きかった。
困難に耐え、後ろに引きずられながらも前を向こうとする被災された方々に自分の今の状況(人生浪人と先の見えない再就職活動)を重ね合わせた。
自分もまた復興途上と思った。
その後の音楽やライブ活動に対する自分の立ち位置も少し整理された。
大切なキーワードは「己を捨てて空気になる」ということだった。
.
.
その後、いくつもの復興支援チャリティコンサートへの出演を依頼された。
被災地での活動について述べるように頼まれた。
でも多くを語ることにためらいがあった。
チャリティコンサート主催者は「何をなすべきか」について語ってほしかったようだ。
でもそれを決めるのは個々人で、僕にはそれを先導、扇動などできはしない。
だからこの目で見たことを淡々と話すだけにとどめてきた。
.
.
あの日から7年目の今日、親しい友人からのお誘いでチャリティコンサートに出演する。
震災当初とは違い、「風化」が進んでいるように感じる。
これまでとはちょっと違った切り口で臨もうと思っている。
言葉はいらない。ただ歌うのみ。
参加する方々の胸にほんの少しでも引っかかることを願うばかりだ。
.
.
***************************************
もしかしたら写真はこの投稿をした前年のリメンバーコンサートの時かもしれない。
この時歌ったのは
 ①永久欠番
 ②谷間の虹
 ③花は咲けども
 ④歩きつづける時
 ⑤泣かないでアマテラス
とあった。

| | | コメント (0)

2021.03.10

【あの日のこと】

2012年3月。
2週間後に長年勤めた印刷会社退職することになっていました。
申し送りや挨拶回りで気ぜわしく過ごしている頃、「あの日」が来ました。
.
その日のことを書き留めたメモ帳を元にまとめたのが以下に掲載する文章です。
あれから10年の歳月が過ぎました。
日本は多くの災害を経験し、今はコロナという名の災害に向き合っています。
僕個人も1年間の浪人生活を経て自動車損害保険の職に就き8年間勤務し、今再び人生浪人暮らしをしています。
時は流れ、幾多の出来事が通り過ぎていきました。
でも「あの日のこと」は忘れられないし、忘れてはならないと思います。
備忘のため、あの日の記録を再録したいと思います。
.
*****************************
.
14:46 
突然、横に大きくゆれだす。
同僚たちは叫びながら机の下にもぐりこむ。
瞬間、中学生の時体験した十勝沖地震のことが脳裏をよぎり、出入り口まで急ぐ。
  あの時は末広町の同級生の家が真ん中から裂けた。
  道路には亀裂が入った。
  3階建ての函館大学の1階が押しつぶされた。
出入り口から外に出ようと地面を見ると建屋と道路の境目に亀裂が入りそれぞれ左右逆方向に揺れている。
危険を感じる。
上を見上げると5階建ての建屋を這うように設置された配管パイプが音をたてている。
建屋がつぶれるのが先か、配管が落ちるのが先か。
コーポレートマークを大書きした金属の巨大な壁が屋上の上でぶるぶる波打っている。
いつでも飛び出せるように身構えながら揺れがおさまるのをまつ。
.
15:30
社内放送で全社員の避難を促し始める。
場所は播磨坂の桜並木。
広く、長い坂は多くの人で埋めつくされている。
くりかえしやってくる余震だが、皆つとめて冷静に事態をうかがっている。
この日退職の挨拶をしに得意先SB社を訪問する約束だった。
先方の様子をうかがうとともに、延期の依頼をしなければなるまい。
そう思い、何度も電話をするがつながらぬ。
.
17:00
避難命令は解除され、社にもどる。
ただちの退社を促す放送。
同僚たちが帰るのを見届け、18:00に退社。
少し歩きはじめるが手のカバンが邪魔になる。
白山のオリンピックに立ち寄りザックを買う。
自転車売り場は人の列が延々とつながっている。
.
19:00
上野の山を裏道伝いに抜け、日光街道をめざす。
途中三ノ輪のAb印刷に立ち寄る。若い工場長は教え子だ。
他のオペレータを帰し、ひとりで印刷機を回している。
  なんとしてもこいつだけは上げとかなきゃなんないんですよ
  あしたの朝一が、引き取りなんで。
  ばかやろ、明日なんかトラック走らねぇべ!
  しゃあねぇな、俺も手伝ったるよ
.
20:30
Ab印刷を出て再び歩きはじめる。
日光街道は車も人も自転車も身動きとれぬほど込み合っている。
どこまでものろのろと続く長蛇の列。
急いでもしょうがないと腹をくくり、その動きに身をまかせる。
.
23:00
竹ノ塚を抜けようやっと埼玉県に入る。
人の群れは少しずつだが隙間ができはじめる。
急に冷え込んでくる。
空腹になるがコンビニは店を閉めている。あいている店も買い物客でごった返している。
あきらめて列からはずれひと休み。
家族に電話をするもののいまだにつながらない。
.
24:00
草加を抜ける。
人はずいぶん少なくなるが車道はあいかわらず渋滞が続く。
旧日光街道に面した自治会館では急設休憩所が設けられている。ありがたい。
水を分けてもらい一服する。煙草がうまい。
.
1:00
やっと松原団地の松並木。土の道が疲れた足にやさしい。
人はばらけ、数えるほどになる。
ベンチで一服していると、見知らぬおじさんに声をかけられる。
  すいません。煙草を1本分けてもらえませんか。
疲れはてた表情でうまそうに煙草を吸うおじさんと話す。
袖振り合うも多生の縁というが、みょうな一体感を感じる。
.
1:30
蒲生に入る。
あと一息。
ラーメン屋「まんぷく」が店を開けている。
店内は客がひしめいている。
急に腹が減り、吸い込まれるように店に入る。
なじみの店主に広東麺を頼む。
とろみのある熱い麺が五臓六腑にしみわたる。生き返った心地だ。
家に電話。
やっとつながり、全員の無事を確認する。
長男は足場の上にいる時に地震がきたという。やばかった。
.
2:00
ようやっと家にたどり着く。
「まんぷく」からの1キロが途方もなく長く感じられた。
テレビに目をやる。
とんでもないことになっている。
小石川から越谷にたどり着くので精いっぱいだった。
こんなことになってるなんてちっとも知らなかった。
あまりの状態に発する言葉もない・・・
嗚呼・・・

| | | コメント (0)

2021.03.08

【喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会 3月の巻】

今月も唯一の音楽会となった「たそがれ歌声音楽会」。
緊急事態が延長されたにもかかわらず、常連さんをはじめとして多くのお客様にお運びいただきました。
ほんとうにありがたいことです。
人数制限、検温。消毒、マスク・フェイスシールド着用、お1人様1テーブル、随時換気こんなのがすっかり当たり前になった「たそがれ歌声音楽会」。
以前はお客様同士が身を寄せ合うようにして歌ったり、おしゃべりをしたりというのが「売り」の音楽会でした。
「密によって生まれる親近感」とでもいうのでしょうか。
今の状況になり水先案内人としては広い店内にばらけて座るお客様の様子を把握するのが少々難しくなりました。
それに伴って音楽会のアプローチも少し変わってきました。
水先案内人とお客様方、お客様同士のキャッチボールはそのままです。
でも「みんなで一緒に歌う」という相互通行の性格がやや薄れてきたようです。
かわりにライブ的な性格が強くなってきています。若干ですが一方通行的な要素が強くなっているといいますか。
当面はこのやり方が適当なのかなとも思っています。
.
1部ではお客様からのリクエストを引き出すための羅針盤のようなリストをお渡しするようになりました。
今月は「春の歌」が中心のリスト。
音楽会の口火を切ったのは「港の見える丘」。
十曲程度のリストの中から選んでいただきました。
この歌がきっかけになりおしゃべりが始まります。
そしてそこから次の歌につながっていき。。。
結局リストの中からは2~3曲しか歌わなかった。
それだけおしゃべりが進み、音楽会は活性したとも言えます。
(羅針盤リストを準備する方は大変ですがね😁 リスト曲はすべてちゃんと歌えるようにしとかなきゃならんので)
.
2部は「菅原洋一特集」。
前回、2月に頂戴したお題です。
例によってマスター・ジュンが語ります。
古い新聞の切り抜きを元に菅原洋一との思い出を語るジュンさん。(なんて物持ちがいい!)
それを受けてMartin古池が歌います。
「恋心」「知りたくないの」「芽生えてそして」「今日でお別れ」と傷心の女心を情感たっぷりに歌う菅原洋一の歌は実に難しい。
練習段階では気持ちを乗せられず苦労しましたが、やはり本番となるとスイッチが入ります。
自分なりのアプローチではありますが歌の世界に自然に入ることができました。
お客様も目をつむってじっくりと聴いてくださいました。(特に女性軍が)
実は歌詞の内容を辿るとそれぞれの歌をつなげることでひとつの物語ができます。
(今回は時間の都合でできませんでしたが「愛のフィナーレ」を加えると完璧な物語になります)
そんなストーリーを意識しながら歌いつないでいきました。
最後の歌は「忘れな草をあなたに」を皆さんと歌います。
僕が歌い始めるとそれまでじっくり聞いてくださった方々も一緒に口ずさみ始めます。
そこで2コーラス目からはアレンジをアルペジオからルンバに変え、テンポも少し上げ軽いタッチにしました。
これがよかった。
傷心ソングも重厚な菅原洋一調で締めるより、軽めに愛唱歌風にした方が明るく終れますもんね。
.
.
次回の「喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会」は4月4日(日)16:00~18:00。
4月の宿題は「布施明シリーズ」を頂戴しました。

| | | コメント (0)

« 2021年2月 | トップページ | 2021年4月 »