紅とんぼ
昭和58年頃から5年ほど。
僕は地元(蒲生)の駅近くにあったスナック「メモリー」の常連でした。
ギターを弾きながら歌ったり、お客さんの歌のサポートをやったりしていたのです。
.
それまで何年かやってきた「喫茶 いずみ」でのミニステージから脱皮したいという思いからでした。
同時進行でライブハウス「ぶどうの木」でPPMなどのアメリカンフォークの演奏も始めていました。
「ぶどうの木」では好きな音楽を演奏し、「メモリー」では歌謡曲など「流しの武者修行」に明け暮れました。
.
昭和から平成に移り変わった頃、「メモリー」は店を閉じます。
5年間の営業でしたが、得るものがとても大きかった。
.
「紅とんぼ」を聴くと、メモリーのおしまいの日のことが浮かんできます。
最後まで気丈にふるまうママさんが痛々しく感じられ、こちらが泣けてきて。。。
店の灯りを落とし、扉に鍵をかけた時
「ふう・・・」というママさんの溜息ひとつ。
忘れられません。
.
.
ちあきなおみさんの「紅とんぼ」は『語るがごとく歌う』の極地です。
語りながら淡々と歌い進めるちあきなおみさん。
大きな盛り上がりのあるドラマチックな歌ではありません。
(「喝采」とはある意味対照的かも)
でもその中にも感情の起伏を感じ取れるみごとな歌唱。
たまりません。
.
.
僕が歌うとき、お店のママさんという立ち位置ではなくむしろ常連客のひとりのような気がしています。
ケンさんやシンちゃんやチーちゃんの気持ちで歌えばどんな風になるかな。
.
.
| 固定リンク | 0
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 写真が語る「女の一生」(2021.03.18)
- 【あの頃のこと その2 ~被災地で歌う】(2021.03.12)
- 【あの日のこと】(2021.03.10)
- 次男とアドリブ・セッション(2021.02.27)
- エンタが逝って6年目の春(2021.02.27)
コメント