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2020.11.09

東京オリンピック・ファンファーレ&マーチ

今思えば古関裕而の楽曲に初めて触れたのはオリンピックだった。

1964年(昭和39年)
僕は小学校4年生、10歳だった。
東京オリンピックの開会式で鳴りひびいたファンファーレ。
その瞬間、躰に電撃が走るような気がした。
くりかえし流れる「東京オリンピック・マーチ」。
小さな白黒テレビのブラウン管を食い入るように見つめていた。
もちろん小学生の僕には古関裕而という名前すら知らなかった。


その後しばらく学校ではオリンピック・マーチが流れていた。
運動会の行進にも使われたんじゃないかな。
僕はマーチに合わせてスキップしてスギブチ教頭先生から注意を受けた記憶がある。
(いまあらためて聞くと、リズムはチャッカ・チャッカ・チャッカ・チャッカでスキップにぴったりだと思うんだがな)

★東京オリンピック・ファンファーレ・マーチ


子供のころからマーチが好きだったらしい。
5歳の頃、函館西高校の吹奏楽部の野外演奏会が公民館で催され、僕は母に連れられて聴きに行った。
イトコのたあちゃんが西高吹奏楽部で部長を務め、トランペットを吹いていた。
当時、函館西高の吹奏楽部は全盛期で全道大会で何度も優勝し、全国大会に行っていたらしい。
函館山の麓に鳴りひびき、こだまが帰ってきた。(そんな風に感じた)
僕はでかい口をぽかんと開け空を見上げて「ああ、いいなぁ」「ああ。いいなあ」と連発していたらしい。(近所の語り草になっていたと聞く)
この時の記憶は結構はっきり残っている。
.
来月の「喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽」で古関裕而特集のリクエストを受けている。
古関裕而の歌はいろいろ聞きおぼえている。
でもこれまでほとんど歌ったことがない。
老人施設でのコンサートでも古関の歌とは接点がなかったので、リクエストを頂戴しても歌えなかった。(「高原列車は行く」くらいしか歌えなかった)

このたびせっかくいただいたリクエストなので、古関裕而の歌に真正面から向きあっている。
戦前、戦中、戦後に分けて何曲かやろうと思い、10曲ほど選曲した。
いざ選んでみると、まったく知らないわけでもない。というかほとんどみんな知った歌ばかりだった。
そればかりではない。自分とは接点のない歌と思っていたが、調べれば調べるほど思わぬ接点が出てくる。
むろんそれは直接の接点ではなく、戦死した叔父や両親を介してのことだ。いわば自分のルーツにつながるものだ。
やっと正面から古関裕而に向き合えるような気がしてきた。

「たそがれ歌声音楽会」ではファンファーレのハミングで「古関裕而コーナー」をスタートさせるのも面白いかもしれない。

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