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2020.11.28

傷だらけの古いギター

🎵僕の古いギター
  傷だらけの僕のギター🎶

30年近くもあちこち連れだってきた。

八ヶ岳の森の中の音楽会。
土俵岳の山頂コンサート。
谷底の清津峡キャンプ場の丑三つ時ライブ。
北海道ギター旅。
etc.etc.....

劣悪な環境にも耐えてきた。
カンカンに乾燥した真冬の市場。
猛烈な湿気の真夏の市場。
もうもうたる煙と油混じりのお好み焼き屋さん。

10年前にとうとう耐えきれなくなり壊れた。
ブリッジがメリッと剥がれた。
もうダメかと諦めかけた。
馴染みの楽器屋さんの一言で思いとどまった。

なんとかなると思いますよ

何ヵ月もかけての大手術。

ボディに研磨をかけてブリッジはついた。
ブレーシングも含めて全面的な見直しと調整。

再び生き返った。
ただもとのきらびやかな音は甦らなかった。

その後何年かかけてパーツを少しずつ変えた。
ブリッジやナットを象牙にしたり、サスティーンを改善するオートチャンバーという器具をブリッジの下に装着した。

今は好みの音で気持ち良く鳴ってくれている。
が、大手術の後遺症かロッドの調整ができなくなった。
ネックが反り、ロッド調整で無理に締め上げると破損しかねないそうだ。

ライブや音楽会での出番は減った。
もっぱら家で自分のためだけに弾いている。

愛着あるマーチントリプルOだ。

Martinooo

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【お知らせ】春日部 味亭 第二回オープンマイク

 

今度の日曜の午後、出演させてもらいます。
9組の出演者がそれぞれの演奏を披露する予定です。

主催のshi-mo音楽教室の下坂さんにお声をかけていただきました。
下坂さんは長年にわたっておつきあいのあるなじみの楽器屋さんでお世話になった方です。
楽器のメンテナンスや調整を始め、弦の選択など細かなところまでかゆいところに手の届くようなアドバイスを頂戴してきました。
僕の好みの音や演奏方法を熟知していて、それに合わせた的確なアドバイスはありがたかった!
いわば僕の音楽ブレーン的な存在でした。

半年前に独立して音楽教室を立ち上げました。
恩返しの気持ちも込めて出演させてもらいます。

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11月29日(日)12:30~17:00
韓国料理 味亭
https://s.tabelog.com/saita…/A1102/A110204/11031914/top_amp/
東武スカイツリーライン 春日部駅 東口 徒歩数分
(線路沿いに越谷方面に戻ったところです)

なお、Martin古池の出番は13:30~の予定です。

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【場末のフォークシンガー】

5年前、仕事帰りに立ち寄ったラーメン屋で感じたことを投稿していました。

当時の僕は転職後、やっと自分なりの仕事の仕方が見え始めた頃でした。
日々「新規案件」や「アフターフォロー」に追い立てられ、尻に火がついたような状態でした。
二足のわらじで長年続けてきた音楽活動も文字通り必死にやっていました。

「場末のフォークシンガー」という言葉は歌うたいとして自分はかくありたいというイメージです。
生活の場に根ざし、市井の人たちと想いを共有する歌い手でありたい。そんな願いから来るイメージでした。

ところが追い込まれる日々の中でそんなイメージも忘却の彼方となっていたのです。
古いラーメン屋で薄れていたイメージがふと蘇った瞬間でした。

コロナ下で自分の歌うたいとしての立ち位置を見直す昨今です。
原点にある「場末のフォークシンガー」のイメージを再確認することも悪くはないかな。
そう思い再録しました。

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2015年11月27日

今週もなんとか切り抜けた。
寒空に背を丸めてとぼとぼ。
ふらっと足を踏み入れる古ぼけた中華屋。

ラーメンの湯気と煙草の煙。
あったかい空気と満員のお客のしゃべり声。
濃密。

お客はけっこう年配のおっさんだらけ。
料理人もおっさんなら、接客も白髪パンチパーマのおっさん。
紅一点の皿洗いもオバサン。

そこかしこでオダをあげるおっさんたち。
多分定年過ぎて、第一線を退いた70にちょっと手のかかるおっさんたち。

「仕事の仕方」談義に唾を飛ばしてる。
でもどこか実態のない論議がちょっと哀しい。

一線を退いても、戦ってきた日々をどこかにまだ引きずっているのかも。
社会や家庭や仲間内の中にあって自分の存在を確かめたいのかも。

あと何年かすると、自分もまた仲間入りするだろうお年頃。
どこか哀しく、どこか親しみを覚えるのは自分もそこに近づいているから?

みんな何十年もこの店にかよいオダをあげてきたんだろうな。

壁には巨人軍の松原選手と駒田選手に寄贈された硝子。年月を感じる。
長い年月かけっぱなしの札が油で茶に薄汚れている。
ラーメン 350円也

餃子とかた焼きそばをつつきながら疲れが少しずつ薄れていくのを感じる。

ふと思う。
オレが一番歌いたいのはこんなおっさんたちになんだよな。

場末の片隅でひっそりと、おっさんたちやオバサンたちに囲まれて。
何とはなしに人生を語りあいながら歌い、時を同じくする。

そんな歌うたいにオレはなりたいんだと思う。

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2020.11.23

【お知らせ 喫茶店JUNEたそがれ歌声音楽会】

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12月6日(日)15:00~17:00
今年最後の「喫茶店JUNEたそがれ歌声音楽会」となります。
開始時間はいつもより1時間早い15:00からです。
(今回は恒例の「残業演奏」はせず、きっちり17:00で終わる予定.....です)

昨日やったおーるどたいむでの歌声音楽会は同年代(50代~60代)の集まりでした。
「たそがれ歌声音楽会」はちょっと先輩世代(60代~70代)の集まりです。

「昭和の香りただよう古い喫茶店で、昭和を彷彿させる歌の数々」がコンセプト。
特集コーナーはお客さまからリクエストの多かった古関裕而。
今週で最終話を迎える朝ドラ「エール」の影響は大きかったようですね。
常連参加者のみなさまも夢中になって観られていたようです。
特に戦後早々のヒット曲への思い入れは強いご様子。

そんなわけで戦前、戦中、戦後に分け、馴染みの深い歌を準備しています。
僕の世代では古関裕而の楽曲を知ってはいても、特別な感情をいだくことはありませんでした。
なにしろその時代はまだ生れていなかったわけです。
頭では理解しても、情にまではいたらなかった。

それぞれの歌の背景や時代について調べ想いを馳せる。
時代の移り変わりに翻弄される古関裕而の心情を慮る。
僕にとってはとても貴重な体験で、いい勉強をさせてもらっています。
昭和29年生れの「戦争知らない子供たち」の一人である自分。前の世代の歌たちを、そしてそれらの時代をどう受け止めるのか。
妄想にひたる毎日を過しています。

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日 時  12月6日(日)15:00~17:00
場 所  ティルーム ジュン(喫茶店JUNE)
      東武スカイツリーライン 獨協大学前 東口
      徒歩3分
参加費  ¥1,000(1ドリンク付)
水先案内人 Martin古池

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2020.11.21

【鬼の笑いそうなお知らせ】

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「おーるどたいむ de ライブ 冬の陣 2021」を来年1月に開催させていただきます。

今回はありまじろうさんとのツーマンライブです。
題して「道産子編」。

ありまさんは長年、札幌のジャックインザボックスを根城に歌ってこられた道産子シンガー。(現在は中野「じみへん」を中心に歌われています)

僕は越谷に根をおろして歌ってきましたが、その根っこにあるものは北海道。
初めてお会いしたのは昨年の札幌ラッキーフェスでした。

北海道をルーツに持つ二人の道産子が、越谷の地でステージを共にする。
なんだかワクワクしています。

来年の話しで鬼がへそで茶を沸かしそうな話しですね。
でもみなさま。1月17日(日)の夕刻、お運びくださいますようお願い申し上げまする。

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日時  1月17日(日)16:00開演
場所  Live cafe おーるどたいむ
     東武スカイツリーライン 北越谷駅 東口
     徒歩10分くらい
      048-971-1812
木戸銭 ¥1,500+オーダー
出演  ありまじろう / Martin古池

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2020.11.19

みんなで歌おう・弾こうフォークソング @おーるどたいむ」のお知らせ

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今度の日曜日(11月22日)、14:00から
毎月恒例の「みんなで歌おう・弾こうフォークソング @おーるどたいむ」を開催いたします。


青春時代に胸を熱くしたフォークソングを中心に参加者みんなで歌ったり、弾いたり。
(フォークソングと銘打ってはいますが、歌謡曲ありグループサウンズありと選曲は自由。というか節操なしではありますが・・・)

歌を肴におしゃべりしながら時代をふりかえる、アットホームな井戸端歌声音楽会。
Martin古池が水先案内人を務めさせていただきます。

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日 時  11月22日(日)14:00~17:00
場 所  Live cafe おーるどタイム
参加費  無料(ご飲食をお願いいたします)

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「私が都島を愛する理由 清水明日香」

「3voices show」で知り合った清水明日香ちゃんに関する記事です。
プロ歌手としての豊かな経験とともに、ご自身の故郷に密着し根をおろした音楽活動。
とても共感できたので載せさせていただきます。

 

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「3 voices show♩」を観に信州・飯田~愛知・豊橋へ

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富安秀行(ハゲ)さんとMiwa Horioちゃん、そして清水明日香ちゃんのライブを観に信州・飯田、そして愛知県・豊橋まで車を走らせました。

ハゲさんとMiwaちゃんの歌はこれまで個々に聴いていて、その魅力知っていました。大好きな歌い手さんたちです。
加えて今回は清水明日香ちゃんという歌い手さんも加わるってんで、遠出してでも聴きたかったんです。

いやんや素晴らしいショーでした。
3人それぞれに力のある歌い手さん。
3つの違った個性がぶつかり合い、せめぎ合い、その上での調和が素晴らしいの一語に尽きます。

聴き慣れたハゲさんの歌も若い二人に触発されたか、パワーアップ(?)。
ベテラン・ハゲさんを二人の若手女性シンガーがサポートするという図ではなく、ステージの上で対等にぶつかりあうという印象でした。
ぶつかり合っても干渉し合わず、調和しているのはハゲさんの懐の深さと引き出しの多彩さがあってのことなんだろうと思います。

この3人のバトル(?)を締め、全体の輪郭を際立たせたのは池野礁さんのパーカッション。余分な音は入れぬ小気味のいいリズムが心地よかった。

ライブというよりはまさに「ショー」という印象でした。
特に飯田・Space TAMAでの演奏はショーそのもの。
豊橋・voice of CBはハゲさんのホームグランドということもあってか、ライブ要素の強いショーでした。
どちらも素晴らしかった。
出来ることならば各務原・6-21MUSIC ROOMの演奏も聴きたかった。
3日間で熟成していく様子を観たかったな。

今度は関東でもやってくれないかな。

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2020.11.09

東京オリンピック・ファンファーレ&マーチ

今思えば古関裕而の楽曲に初めて触れたのはオリンピックだった。

1964年(昭和39年)
僕は小学校4年生、10歳だった。
東京オリンピックの開会式で鳴りひびいたファンファーレ。
その瞬間、躰に電撃が走るような気がした。
くりかえし流れる「東京オリンピック・マーチ」。
小さな白黒テレビのブラウン管を食い入るように見つめていた。
もちろん小学生の僕には古関裕而という名前すら知らなかった。


その後しばらく学校ではオリンピック・マーチが流れていた。
運動会の行進にも使われたんじゃないかな。
僕はマーチに合わせてスキップしてスギブチ教頭先生から注意を受けた記憶がある。
(いまあらためて聞くと、リズムはチャッカ・チャッカ・チャッカ・チャッカでスキップにぴったりだと思うんだがな)

★東京オリンピック・ファンファーレ・マーチ


子供のころからマーチが好きだったらしい。
5歳の頃、函館西高校の吹奏楽部の野外演奏会が公民館で催され、僕は母に連れられて聴きに行った。
イトコのたあちゃんが西高吹奏楽部で部長を務め、トランペットを吹いていた。
当時、函館西高の吹奏楽部は全盛期で全道大会で何度も優勝し、全国大会に行っていたらしい。
函館山の麓に鳴りひびき、こだまが帰ってきた。(そんな風に感じた)
僕はでかい口をぽかんと開け空を見上げて「ああ、いいなぁ」「ああ。いいなあ」と連発していたらしい。(近所の語り草になっていたと聞く)
この時の記憶は結構はっきり残っている。
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来月の「喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽」で古関裕而特集のリクエストを受けている。
古関裕而の歌はいろいろ聞きおぼえている。
でもこれまでほとんど歌ったことがない。
老人施設でのコンサートでも古関の歌とは接点がなかったので、リクエストを頂戴しても歌えなかった。(「高原列車は行く」くらいしか歌えなかった)

このたびせっかくいただいたリクエストなので、古関裕而の歌に真正面から向きあっている。
戦前、戦中、戦後に分けて何曲かやろうと思い、10曲ほど選曲した。
いざ選んでみると、まったく知らないわけでもない。というかほとんどみんな知った歌ばかりだった。
そればかりではない。自分とは接点のない歌と思っていたが、調べれば調べるほど思わぬ接点が出てくる。
むろんそれは直接の接点ではなく、戦死した叔父や両親を介してのことだ。いわば自分のルーツにつながるものだ。
やっと正面から古関裕而に向き合えるような気がしてきた。

「たそがれ歌声音楽会」ではファンファーレのハミングで「古関裕而コーナー」をスタートさせるのも面白いかもしれない。

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2020.11.03

アビーロード フォーク・ニューミュージック祭

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先月「アッパーカット・ギグ」でお知り合いになった学さんにお声をかけいただき、出演させてもらいました。

コロナのため半年もの間ライブ活動を制限せざるを得ない状況が続いています。やむをえないことと受け入れて、今できることだけに集中している昨今です。
それでも「ライブ勘」が錆びついていくことはなんとしても避けたい。
そんな折にいただいたオファーはうれしかった!
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今回のテーマは「我が心の北海道」でした。最近「離郷・望郷」をテーマとすることが多かったのでその延長上でちょっとだけ切り口を変えてみました。
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「カントリーロード」
先月書いた日本語歌詞版の「故郷に帰りたい」をオープニングにしました。日本語版を自分の身体になじませたいため欠かせない歌でした。
第1投目にしたのはポピュラーな歌で客席の反応を見ながら、ライブのスタンスを決めるためでした。(この後3曲は皆さんの知らない歌が続くのでね)
歌い始め、早々に手拍子をを頂戴し、やがて客席からのハーモニーや輪唱コーラスに。
さすがにみなさんミュージシャンや音楽好きな方々です。反応と立ち上がりの早いこと早いこと。規定方針通りにライブを進めることにしました。
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「函館物語」
実はこの歌をやりたかったのでテーマを「我が心の北海道」にしたのでした。歌うのは昨年の冬以来。冬の定番ソングなのですが、今年はコロナが続きそうで歌う機会が少ないだろうと予想していたからです。
石川啄木が書いた函館の句を2つ、バースとして付け加えます。
初めて聴くこの歌。カントリーロードの賑わいから一転、静かにそしてしっかり聴いてもらえているのが伝わってきます。
ありがたや!
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「元町(MOTOMACHI)」
これもまたみなさん初めての歌。歌詞を書いてから3回目の人前演奏でしたが、キーを1度上げることで徐々になじんできました。少し弾んだ感じを強調したワルツに仕上げました。
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「日暮れの思い出」
数年前、住む人のいない函館・青柳町の生家を壊し更地にしました。他人様の手に渡る前夜、僕は寝袋を持ち込み夏草の上で一夜を明かしました。星空を見上げながらこの家、この場所で過した子供の頃を思い出していました。
そんなことを話しながら歌う「日暮れの思い出」。
カーターファミリーピッキングでゆったりと歌います。
これまた初めて聴く歌に最初は耳を傾けてくれました。
やがて少しずつ手拍子が。この少しずつというのが実に気持ちいい!歌が少しずつふくらんでいく感じがします。
後打ちの手拍子が曲にとてもマッチします。
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「大空と大地の中で」
最後は北海道出身の同世代(フォーク第2世代)、松山千春のこの歌。
さすがに皆さんご存じで、歌い始めると皆さんご一緒の大合唱(?)。きれいなハーモニーまでつけてくださる。
歌詞を先導しながらのエンディングソングでした。
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「Moon bow」
(お約束の?)アンコールも頂戴しました。
「大空と大地の中で」の大合唱で場の空気が暖まっていたので、みんなで歌えそうな「Moon bow」に。
故郷への「月の架橋」です。
冒頭のハミングをしつこくくり返しメロディをすりこみます。
早々にハーモニーであわせてくれ、1コーラス目の途中からは手拍子もいい感じに入ります。
曲間のハミングはいったんピアニシモまで落とし、徐々に音量を上げていきます。ダイナミックな合唱になりました。


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おかげさまで楽しいステージになりました。
あらためて思います。
ライブは客席とのキャッチボールがあり、初めて生き生きしたものになっていく。
今宵、場と空間そしてひとときを共にしてくださった皆様に心から感謝です。
なによりもオファーをくださり、終始率先して反応してくれた学さんの気配りに感謝です。

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【追記】

今回意識したことがあります。
基本的に「ご当地ソング」なんですが、その舞台を少しずつ的を小さく絞っていくことでした。
ウェストバージニアの炭鉱町から北海道の炭鉱町へ。

産まれ育った函館の町から、函館の中の元町へ。
元町に隣接する生まれ育った青柳町の家へ。

実はこの「手法」は「函館物語」のバースに使った石川啄木の次の句に触発されています。
「東海の小島の磯の白砂に 我泣きぬれて 蟹とたわむる」
東海(=広い海)→小島(日本)→磯(函館大森浜)→その中の白砂と的を絞りながら小さな「我」の存在を表していくやり方です。
啄木はそれを五七五七七の31文字の中で表現していますが、僕はそれを31分の中で出来ないかなと思っていました。

その意図が人に伝わる必要は全くないけれど、ライブをする者のちょっとした遊び心はあってもいいかなと思います。

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2020.11.02

【記録】 喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会

 

秋深まる日曜の夕暮れ時、三々五々と集まり一堂に会する常連の皆様。文字どおりの黄昏音楽会。
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三橋美智也大特集から始まり、昭和30年代の流行歌を歌う前半戦でした。
参加者の皆様はその頃に思春期~青春期を過ごされています。(僕はその頃まだ幼少期でしたがラジオから流れる三橋美智也の歌は耳になじんでいます)
「リンゴ村から」、「夕焼けとんび」、「古城」、「星屑の町」、そして「哀愁列車」。(「達者でな」はハーモニーが難しく歌いきれませんでした)
皆さん遠い目で、そして嬉々としながら口ずさみます。
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思えば三橋美智也さんは昭和30年代の日本の空気をよく体現している歌い手ですよね。
戦後の混乱も落ち着き、復興に向かう昭和30年代。
多くの庶民は希望と期待を秘めながら日々を過ごしていた。
希望や期待の裏側には挫折や傷心もあったことでしょう。
三橋さんはそんな人たちの心にすっと入りこむ歌を歌っています。
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あの時代を経験した人には実感を持って響いてくるんでしょう。
田舎から積み出される真っ赤なリンゴに町へでた恋しい人のことを重ねたり、集団就職で都会にいった兄のことをトンビに問うたり、大切に育てた馬を町に売りに出す人の気持ち。
その時代ならではの哀感がただよう歌たち。
テレビやネット、そして飛行機や新幹線などの交通機関が発達し、狭くなった(近くなった)今の世ではなかなか生まれにくい情感なのかもしれません。
人生の黄昏を迎えんとしている参加者(僕自身もそのひとり)の皆さんには、若き日の自分を思い出す歌たち。
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三橋美智也を歌い終え、やがて昭和30年代の歌へと移っていきます。
ひとつひとつの唄に引き出されるそれぞれの思い出話しなども飛び出し、音楽会はゆったりしたテンポで進んでいきます。
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やがて古関裕而と「エール」の話しに。
やはり「栄冠は君に輝く」を歌う久志のシーンに皆さん感涙したご様子。
次回、12月は古関裕而大特集をやることになりました。
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後半は「さだまさしをマスターが大いに語り、僕は歌う」コーナー。
さだまさしがソロデビューした1976年(昭和51年)に焦点を当てます。世相と絡めながら語るマスターお得意の切り口でした。
そんな中で歌ったのは「案山子」「関白宣言」「雨やどり」。
そしてリクエストにお応えし、「秋桜」「無縁坂」。
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「案山子」や「秋桜」はライブテーマの1ピースとしてよく歌ってきました。
ところが他の歌はこれまでほとんど歌ってきませんでした。
どこかで苦手意識がはたらいていたようです。
何度も歌いながら準備をしましたが、なかなか気乗りがしませんでした。
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しかし不思議なものです。
いざお客さまを前にし、歌い始めたとたんにスイッチがバチッと入りました。
歌のストーリーの中に自分がはまり込み、演じていきます。
一節ごとに感情がゆらぐお客さまの視線に後押しされていくのがわかります。
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この体験で気づかされたことがあります。
僕が「関白宣言」や「雨やどり」に苦手意識を感じていたのは、歌いまわしが難しいと言うことだけではない。
自分が発したいと思うメッセージをそこに感じなかったためなんだと思います。
つまり自我というフィルターに引っかかり、そこではじかれていた。
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ところが自我を棄て、歌の世界に身を没することで、そのストーリーを演じることが出来る。
そしてそれは聴き手の放つオーラのようなものに後押しされて可能になる。

これは僕にとっては大きな気づきとなりました。
これまでもステージから自己顕示を排し、お客さまと気持ちをすりあわせることに腐心してきました。
そこからさらに1歩踏み込むことが出来たような気がしました。
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この後、越谷アビーロードで別のライブが入っていたので定刻の18:00で音楽会は終了しました。
いつもなら小一時間は「残業演奏」をするところです。
お客さまたちは事情をご理解くださり、快く送り出してくれました。
手をふり、「がんばれー!」と次のライブに向けエールまで送ってくださってね。

今回も充実した歌声音楽会となりました。

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