洗濯ばば
函館シリーズ第4弾
「洗濯ばば」と呼ばれるばあさんが函館の西部地区を根城にしていました。
西部地区というのは元町、青柳町、谷地頭町、住吉町、宝来町、末広町といった函館山の麓の町々です。
今ではすっかり観光地となっていますが、昭和30年代~40年代は住宅地であり、商業の町であり、漁師町でした。
頭を剃り上げ、糸のような細い眼をしたばあさんをこれらの町々の公園やお寺、神社の境内でよく見かけました。
手にはバケツを持ち蝙蝠傘を杖代わり。背中にはいろいろ荷物をたすき掛け。
公園などの水飲み場でよく洗濯をしているところから「洗濯ばば」と呼ばれていたようです。
今でいうホームレス。
でも決して「ほいと」(乞食)ではありませんでした。
聞いた話では家々の洗濯や子守をして、代わりにいろいろ生活の資を得ていたようです。(生活の資といってもほとんどが食べ物やせいぜいだら銭(小銭)だったと思いますが)。
誇りが高き浮浪者で、決して物乞いはしなかったと聞きます。
普段は凛とした顔立ちをしていましたが、我々子供たちがちょっかいを出しからかうと細い眼をつりあげて怒ります。その顔はおっかなかった。
今思うと瀬戸内寂聴さんのような顔立ちだったような。。。
当時の大人たちが「洗濯ばば」のことをどう思っていたかは知りませんが、子供たちの間ではある種畏れのようなものを感じていた気がします。
大人になり、たまに「洗濯ばば」の生き方についてぼんやり思うことがあります。
浮浪者=波間に浮かび漂い生きる者。
決して群れることなく、己の思うがままに生きていた。
そこに確たる意思があったのか、はたまた風に吹かれて生きていただけなのか。
孤独だったかもしれない。されど失う何ものもない自由人。
社会からはみ出したところに居場所を見つけて生きていた。そんな「洗濯ばば」の暮らし。
何ともいえぬ潔さを感じます。
にしても、函館の寒く長い冬。
「洗濯ばば」どうやって過ごしていたのだろう。
いまだに謎です。
函館のご同輩、もしご存じでしたらお教えください。
「洗濯ばば」を記憶の中に埋もれさせてしまうのがなんとも惜しくてね。
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