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2020.08.10

75年目のヒロシマ

今年も8時15分、鐘の音に合わせて黙祷をした。

ふと気がついた。
父は当時「回天」乗組員のひとりとして松山の基地にいたらしい。
父からその話を聞かされることはついぞなかった。しかし晩年母を伴って松山を訪問したとのことだ。(母談)
おそらく松山にいたのではないかと想像している。

そして松山基地は瀬戸内海を挟んで広島の対岸だ。

75年前のその日、父は海を挟んで原爆を見たのだろうか。
それともすでに他の基地に転属になっていたのだろうか。
両親とも逝ってしまった今、それを知ることはできない。
(8歳年長のイトコの記憶では「回天」ではなく特攻艇「震洋」の乗組員だったとのことだが、これも不確かな記憶だ。
いずれにしても松山基地に所属していたらしい。

今年の黙祷、これまでよりもヒロシマがより近いものに感じられた。

余談だが松山は「紫電改」基地だった。
小学生の頃読んでいたちばてつやの漫画「紫電改のタカタカ」では紫電改乗組員たちが特別任務として黒塗りのボートに乗り込み、敵艦に爆弾を仕掛けるシーンがあった。これは「震洋」を描いたものだったのだろうか。

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