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2020.08.14

【浜辺の歌】

 

子供の頃から好きでよく歌っていた。ライブでも時々歌っている。
今度の「おーるどたいむ de ライブ」でもハンマーダルシマーとニャンダル(小さなダルシマー)をフューチャーして歌うこととなった。

馴染み深いメロディなんだがその歌詞は実に難解。
大正2年に書かれた歌詞だ。昭和生まれの自分にはなかなか敷居が高い。
考えてみると小学校でも2番までしか歌わなかった。3番は古語であり死語となっている。分かるはずもない。

文学部国文科中退の意地で(?)なんとか解析し、妄想をたくましくして自分なりのイメージをふくらませた。(3番の歌詞の解釈はいろいろあるらしい)

   浜辺の歌

 明日浜辺を さまよえば  
 昔のことぞ しのばるる
 風の音よ 雲のさまよ
 寄する波も 貝の色も

 ゆうべ浜辺を もとおれば
 昔の人ぞ しのばるる
 寄する波よ 返す波よ
 月の色も 星の影も

 はやちたちまち 波を吹き
 赤裳のすそぞ 濡れひじし
 病みし我は すでに癒えて
 浜辺の真砂 まなごいまは

1番2番は昭和生まれの自分でも理解できる。
朝に夕に浜辺をぐるぐると徘徊しながら昔を偲んでいる様子が表されている。(もとほる=ぐるぐると回る)

ところが3番がいけない。さっぱり分からない。

 はやち(突風) たちまち(突然に)
 赤裳(女性の着物の腰から下を覆う衣服。
 濡れひじし(びっしょり濡らしてしまった)
 真砂(細かい砂) まなご(愛子)

ここから考えるとどうやら3番こそがこの歌の核心のようだ。

浜辺を徘徊するうちに気がつくと足下に寄せる波によって着物の裾がすっかり濡れてしまった。昔の追憶に浸るうちに気がつきもしなかった。
私の長患いもすっかり癒えたというのに、この先もこうしていつまでも「愛子」を想ってさまよい続けるのでしょうか。

大正初期のこと、長い療養を必要とした病、それは肺病なのだろうか。
当時肺結核は治らぬ病として社会から隔離され、長期療養を余儀なくされた。治療薬ストレプトマイシンが発見され、肺結核は治る病とされたのは太平洋戦争後のはなし。当然大正時代には「死の病」だった。
(余談だが僕の父も戦後肺結核に冒され1年以上の療養生活を余儀なくされた。父の姉は残念ながら自宅の2階に隔離されながら力尽きて命を落とした)

この女性は「死の病」であるがゆえに嫁ぎ先からは離縁されたのではないか。奇跡的に病が癒えたにもかかわらず、離縁された身として自分の子供にも会うことができない。
こうして朝な夕な浜辺をさまようことしかできぬわが身よ。。。

こんな風に妄想的に解釈するとなかなか重たくせつない歌だ。
小学校では3番を歌わなかったというのも頷ける。

さて、今回のライブでも「核心の3番」は歌いきれない。慣れ親しんだ美しいメロディを2台のダルシマーとギターで奏でることを主眼にすることにした。歌は1,2番をそっと口ずさむのがいい。
とはいえ、自分の中にはこの妄想的解釈をしっかりとおさめての演奏にしたい。

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