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2020.08.10

【函館氷(五稜郭氷)】

チコちゃんが教えてくれた。

中川嘉平衞によって日本で初めて氷の塊が商品化されたのは明治2年だそうだ。
それまで高価な高価なボストン産の氷を半年かけて輸入していたらしい。
国内でなんとか生産できないかと各地をまわった中川が最後に行き着いた場所が函館。それも五稜郭のお堀だったという。
五稜郭のお堀の水は近くを流れる亀田川から水を引いていた。
清廉な水、函館の寒気、蒸気船による海路輸送。
氷製造と輸送に函館が最適だったという。

函館の農民には冬場の農閑期の貴重な収入となり、
雪降って一緒に「ジェンコ降ってきた」と喜んだそうだ。
(ジェンコ=ゼンコ=銭こ)

それにしても明治2年といえば、5月に「箱館戦争」のあった年だ。榎本武揚率いる「蝦夷共和国」が五稜郭を拠点に薩長新政府軍と壮絶な闘いをくりひろげ、破れた年だ。
同じ年の冬には「函館氷」が作られ始めたワケだ。

初めて知った氷の話。
チコちゃんが教えてくれた。

余談だが函館ではかき氷のことを「氷水(こおりみず)」とよんでいた。
僕が内地に出てきた初めての夏、広島から長崎、そして佐世保を旅した。
道産子が経験する初めての猛暑。刺すような陽ざしにたまらず広島の喫茶店に飛び込んだ。
「氷水ちょうだい!」と注文した(つもりだった)
ウェイトレスのお姉ちゃんはちょっと怪訝そうな顔。
グラスに山盛りの氷、水をなみなみ注いでテーブルに置いた。
「ご注文は?」
その時初めて知った。内地では「氷水(こおりみず)」のことを「かき氷」とよぶんだということを。

函館では(北海道では)今でも「こおりみず」とよんでいるんだろうか。
ご同輩の皆様。どなたかお教え願います。

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