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2020.08.30

2020年 09月のライブ・コンサート予定

09月06日(日) 喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会 

時 間  17:00~19:00
場 所  喫茶店JUNE(tea room ジュン)
料 金  ¥1000

★昭和の香り漂う喫茶店。
 昭和を彷彿とさせる歌の数々を参加された方々と歌います。
 歌と切っても切り離せないのがおしゃべり。
 ひとつの歌から様々なおしゃべりが飛び出す井戸端音楽会です。
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09月26日(土) アッパーカット☆ギグ

時 間  19:00開場 19:30開演
場 所  八潮 COOL BAR
      八潮市役所近く
出 演  Martin古池(19:30~) / ルチル(20:15~) / ハガクレ(21:00~)
料 金  ¥2000(1ドリンク付き)

友人バンド・ハガクレが企画する対バンライブに出演します。
ハガクレはARBのトリビュートバンド。火を吹くような演奏をお楽しみいただけます。
ルチルは中島みゆきカバーユニットだそうです。(まだお会いしたことがない)

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09月27日(日) みんなで歌おう・弾こうフォークソング

時 間  14:00~17:00
場 所  Live cafe おーるどたいむ
      東武スカイツリーライン 北越谷 東口 徒歩10分

★体にしみこむフォークソングを中心に歌う歌声音楽会。
 参加される方々のおしゃべりが生命線(?)の井戸端音楽会でもあります。
 Martin古池は水先案内人を務めさせていただきます。

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★「朝市コンサート」、「お好み焼きの三貴ライブ」等の毎月のレギュラーライブについては現段階では実施できない状況です。

  越谷市場やお店と実施可否については随時検討の上、開催できる場合はあらためてご連絡いたします。

 

 

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2020.08.28

サハリンの灯は消えず

先日、北方からの引揚げ兵の話を書いた。
あの一文を書いている時、突如フラッシュバックしてきたメロディ。
もう50年以上も前のG.S(グループサウンズ)の1曲だ。

  ♩サハリンの灯は いまなお消えず♩

このフレーズが強烈にすりこまれた。
中学生だった僕は歌詞の意味など頓着なしに聴き、真似ていた。
(サハリンとはなんぞやなどとは思いもせずに歌っていた)
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サハリンとは樺太(からふと)の別称。
北海道の北に位置する大きな島だ。
1809年に間宮林蔵によって島であることが確認されるまでは半島でシベリアの一部と思われていたそうだ。
樺太の領有をめぐり、長年にわたってロシア(帝政ロシア~ソ連~現ロシア連合)との壮大な綱引きがくり返されてきた。
近年に限って言えば日露戦争以降、南樺太は日本の領土となった。
太平洋戦争時には40万人もの日本民間人が住んでいたそうだ。
それが敗戦直前になって参戦したソ連軍によって犯され、以降ロシアによる実効支配が続いている。
いわば「もう一つの北方領土」だ。

敗戦により兵士の帰還、民間人の多くは緊急脱出で樺太=サハリンの地を後にせざるを得なかった。
(軍人・軍属、民間人あわせて約30万人で残りは居残らざるを得なかったそうだ)
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    【サハリンの灯は消えず】  
 
  サハリンの灯は いまなお消えず
  俺の心に 赤く燃える
  懐かしき山 姿もかすみ
  海峡の風 白く凍る
  北国の夏は恋に似て みじかい命
  くれなずむ浜辺 フレップは 淋しく赤く
  サハリンの灯を 恋して咲いて
  ふるさと捨てた 俺を泣かす

  この霧のかげに涙ぐみ 思いで捨てた
  あの人のくれた フレップは 初恋の味
  サハリンの灯は いまなお消えず
  俺はひとりで じっと見てる

    作詞:若木香 作曲:北原じゅん
    昭和43年2月 発売

   (フレップ:コケモモの一種)
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戦後20年以上経ってから、それもグループサウンズの中で樺太への望郷の念をテーマに歌われたことに驚きを覚える。
作曲の北原じゅんは南樺太出身。樺太から引揚げてきた時は16歳。いわば人生の中で最も多感な頃だ。
帰りたくても帰れぬ故郷への思いがこの歌にはこめられている。
そう思ってこの歌を聴くとぐっとくるものがある。
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ちなみに北原じゅんの弟は城卓矢。二人は引揚げ後室蘭で育ったそうだ。
函館出身の川内広範は叔父にあたる(叔母の元夫)。
川内広範は戦後遺骨引揚げ運動、日本人抑留者帰国運動をしていた。
後に「月光仮面は誰でしょう」を始め、膨大な作詞をしている。
北原じゅん、城卓矢はこの叔父の手引きもあり音楽に関わるようになったことは想像に難くない。
(なお作詞の若木香については良くわからなかったが、作詞にあたり北原の意向を汲んでいたのではないかと想像している)

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2020.08.27

母と戦争 その2 薙刀

【母と戦争 その2 薙刀】

1昨年、母は特養・旭が丘の家で「看取りの季節」を迎えていた。
眠りと覚醒の狭間をただよっていた。やがて眠りの時間が日々の大半を占めるようになっていた。周囲からは親しみを込め「眠り姫」とよばれていた。


夏の暑い日だったと思う。
陣中見舞いに帰函していた僕はいつものように眠る母のそばでギターを弾いていた。

ふと気がつくと母の両腕が微妙に前後に動いている。
何度も何度もそれをくり返す。
目は半眼。醒めているのいないのか。

  ん?
  どうしたのさ?

そう問うと母はぼそりと答える。

  なぎなた...なぎなたさ...
  わたしは...なぎなたの方が...得意だ...

瞬間なんのことか分からなかった。

  竹刀は...にがて...
  なぎなたは...身体がおぼえてる...

「軍事教練」のことか!
分かるまでしばし時間を要する。

函館高女(函館高等女学校=現函館西高校)時代に受けた学校教練でなぎなたをやっていたのだろう。
たしかに大正15年生まれの母は女学生時代はまさに戦時下だった。

どうやら母は眠りの中で女学生にタイムスリップしていたようだ。

やせ衰え、骨と皮だけでカサカサの腕がかすかに前後に動く。
胸が突かれ、絶句する。

気を取り直し、詳しい話を聞き出そうと話しかける。
が、母は再び眠りに落ちていた。

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写真は3枚は写真展「女学生たちの青春」より。
馬に乗る母は軍事教練ではないが同じ時代のものと思われる。

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2020.08.26

母と戦争 その1

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NHKのアサイチを観ていた。
今日の特集は「あちこちのすずさん」。
映画「この世界のかたすみに」の主人公すずさんは映画の世界だけではなく、どこにでもいた。「あちこちのすずさん」のそれぞれの戦時中の日常を取材する特集だった。
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若かったころの母が僕に話してくれた戦争のエピソードを急に思い出した。
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母は大正15年(昭和元年)生まれ。娘盛りの頃のお話だ。
戦前、母には初恋の人がいて、その人との結婚話もあったようだ。
しかしその人は戦後ソ連軍に拘束されシベリアに抑留されていた。
やがて数年間の抑留から解放され無事引き上げることができた。おそらく昭和23年~25年頃の話だろう。(函館港にはあわせて30万人以上の人が引揚てきたそうだ)
函館驛まで迎えに出た母が目にしたもの。それは帰還兵たちが驛で一斉にコサックダンスを踊り出すシーンだった。そしてスターリンとソ連を礼賛する言葉だったそうだ。

若き母には、己が目を疑うショッキングなシーンだったそうだ。

  いややや、唖然としたさ
  「百年の恋」もいっぺんで醒めた

その後彼は柏木町の母の家を訪ねてきたそうだが、
母は会おうともしなかったとか。
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数年後、母は元町のカトリック教会で父と知り合う。昭和28年に結婚し、翌年僕は生まれた。
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母が語ってくれた数少ない戦争の話だが、妙に生々しく思い出された。

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2020.08.24

おーるどたいむ de ライブ 夏の陣 2020



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今回は「私を通りすぎた歌たちシリーズ」の 夏の歌編をさせていただきました。

1部は僕が小中学生の頃(思春期)に巷に流れた歌、胸をこがした流行歌の数々を。ひたすら楽しく無邪気なステージを心がけます。


2部は青春時代から現在にいたるまで心に深く残っている歌を中心に。ちょっとマジメな(?)話にも踏み込んで。

歌が肴の井戸端音楽会。そんな感じがすっかり定着した「おーるどたいむ de ライブ」です。
僕もおしゃべりだけどお客さまもまた多士済々。楽しい突っ込みが入ります。

今回はレギュラーサイズのアコースティックギター、アルトギター、ウクレレと大中小3つの楽器を使い分けてみました。それぞれに個性があります。
使い分けることで適度な変化が生まれたように思います。1部、2部合わせて2時間の長丁場。単調にならないためにも良かったかなと思います。

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そして今回はハンマー・ダルシマー(怜子ママ)とニャンダル(宮川さん)の協力を得て何曲か歌いました。
特に「浜辺の歌」では打ち寄せる波をダルシマーが、浜辺にくだけるさざ波をニャンダルが。とても美しく心地いい音色を響かせてくれました。(ギターはアルトを使用)

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「コロナだ、日照りだ!」
なにかとお出かけしにくい昨今。
にもかかわらず「夏の陣 2020」はつつがなく終了できました。
感染予防に気を配ってくださったお店、お出かけくださった皆様には深く感謝いたします。
ありがとうございます。

《追記》
ライブ後、何人かのお客さまからうれしい感想をいただきました。
ある方は「音楽の中から情景や風景を感じる」とのことでした。
「歌詞が胸にすっと入ってきて、自分の中に眠っていた記憶と重なっていく」とおっしゃる方も。
これって唄歌いにとっては最高の褒め言葉!
うれしいやら、恐縮するやら。

「こりゃ次回もますます手を抜けないぞ」
天狗にならぬよう、胡座をかかぬよう戒めの言葉と受け止めました。
次回は10月に「秋の陣」を予定しています。

 

【ライブの模様(動画)】

夏休み(井上陽水)

夏休み(長渕剛)

夏 清津

まぼろしの翼と共に

サンフランシスコ・ベイ・ブルース

夜空を仰いで

父さんのむかしばなし

浜木綿咲いて

通り過ぎる街

浜辺の歌

少年時代

 

 



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2020.08.23

気持ちいいー! 早朝ポタリング

【気持ちいいー!】

久しぶり。曇り空の早朝。
自転車にまたがりゆったりポタリング。
短パン+ランニングの超軽装。
今年の夏は陽ざしがあまりにも強い。ランニングシャツでは長時間外にはとてもいられなかった。でも今日くらいならこのいでたちがいい。


風がむき出しの肩をなでるように抜けていく。
「そよ風の愛撫」だ。

ライブの朝、ゆったりと散歩したり自転車に乗ったりするのが長年の習慣。
ゆっくりと身体を動かし続けながら、ライブに向けて気持ちを少しずつ作っていく。
思いもよらない発想が沸いたり、古い古い記憶が突然フラッシュバックしたりする。
それらがそのままライブに反映されるわけではない。
でも心に揺さぶりをかけることがなんらかの形で活きてくる。
ライブは朝目覚めたときからすでに始まっている。

今朝はBGMを聴きながら走る。
昨夜横浜館内のサラスヴァで行われた富安秀行(ハゲ)さんの配信ライブだ。
ハゲさんのステージは好きだ。
等身大のおっさんの心意気がふわりと伝わってくる。
この「ふわり感」がとても気持ちいい。

昨夜春日部で若い衆(といっても40代半ばだが)の火を噴くような演奏を聴いた。その熱量には圧倒された。でも残念ながらそのテンションの高さに1時間ついていけず、終盤息切れした。

  オレもこの年頃の時は
  こんな熱量でやっていたんだろうな

そう思いつつも60代半ばになった自分のやり方に思いを馳せた。(ハゲさんの言葉を借りれば六十路=「夢想人」=ムソジンだ)
同年代・ハゲさんの配信ライブを聴きながら、自分の立ち位置にゆっくりと引き返すことができた。

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2020.08.22

【雑感】お祭り

コロナの影響で今年は日本全国お祭りが中止となっている。
越谷も「恒例」の阿波おどりが中止。
3年前、僕は東京海上連の一人として阿波おどりに参加していた。
内心ではなんで越谷で徳島の阿波おどりなんだよと思いながらも、生来のお祭り好きの血が騒いでいた。

そんな自分にブレーキをかけるためか、こんな文章を書いていた。

 

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2017年8月21日 記
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このところそーらん節や北海盆歌などの由来や歴史についてあれこれ調べている。

世の中変わって土着の祭が廃れてきているように感じられてならないからということも、動機のひとつ。

歌の内容からそーらん節は鰊漁のワークソングとして歌われてきた。
北海盆歌は炭坑町で歌われてきた。
どちらも黎明期の北海道を支えてきた産業。
そして今ではすっかり廃れてしまった産業だ。


産業は廃れてしまったが歌だけが残った。
お盆祭や秋祭りで歌われるのみで人々の暮らしの実感からは遠いものになってしまった。
そしてそのお祭りも細々と続いている程度。
町おこしなどのためにイベント化され、商業化された巨大な「祭」に吸収されつつあるようだ。

暮らしの実感をすでに持たないのだからやむをえぬ流れなのかもしれない。
一抹の寂しさを禁じ得ない。

高校生の頃「学校祭」のファイアーストームで北海盆歌を歌うため、三橋美智也先生のお弟子さんのもとを訪ね教えを乞うたことがある。
函館に生まれ育った僕に北海盆歌は馴染みの薄いものだった。
(函館の祭は盆祭ではなく、港祭として独自の歴史を積み重ねてきた。このため北海盆歌で踊ることはなかった)

三橋美智也先生のレコードをちょうだいしたが、実はその歌詞は教育委員会などで子供にも聞かせられるような健全なものだった。
炭坑に勢いがあった頃、その歌詞は卑猥なものを含め生活実感のあるものだったという。
土地土地で特色があったり、アドリブででっち上げて歌ったりしていたそうだ。
(ちなみに北海盆歌の元歌は「べっちょ踊り歌」という道産子にはちょい赤面ものだった。)

そーらん節も同じように漁師町で即興的に歌われていたと聞く。
生活実感を失ったそーらん節は今リメイクされ、「よさこいそーらん」などと大々的、かつ全国的なものとなっている。
(なぜ土佐と北海道が結びつくのかいまだもって謎ではあるが)

ちなみに今日まで南越谷阿波おどりだった。
なぜ越谷で徳島の阿波おどりなのかいまだもって謎だ。
越谷にも昭和33年に作られた越谷音頭と町会ごとの盆祭がある。
イベント化され商業化された新しい「越谷の祭」が新たな歴史を積み重ねている。

自分が古い歌や民謡を歌うとき、せめてその歌の背後にある人々の歴史を学び、当時の生活実感を感じていたいものだ。

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2020.08.21

【アルト・ギター】

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今週日曜日の「おーるどたいむ de ライブ」で初めて数曲弾くことにしました。
実はこのギター単にサイズが小さいだけではなく、チューニングもレギュラーサイズギターの完全5度上。
演奏時のコードフォームも換算しながら弾かなきゃならないので、ちょっとやっかいなシロモノなのです。
加えて高音のきらびやかで明るい音色が特徴なので、逆に言うと中低音の深さや音の伸びがちと足りない。
アルトギター1本では弾き語り伴奏にはあまりむかないような気がしていました。
トリオ・ロス・パンチョスやジプシー・キングスのように他のギターとのアンサンブルの中で魅力を発揮するギターのようです。
そんなわけでこれまでライブでは使い切れずに来ました。

コロナ、コロナに熱中症。なにかと重苦しく、暑苦しい今年の夏。
せめてライブではおなじみの歌を中心に、軽く・明るく歌い飛ばしたいと思っています。
そこでアルト・ギターやウクレレも使うことにしました。

ところがどっこい、こいつがなかなか難しい。
自分のキーに合わせるためには、コードフォームをすべて変えなきゃならない。
アレンジもアルト・ギターやウクレレ用に合わせて変えていかなければならない。いつもの調子で弾くと音がへなちょこに。

目下アレンジをいろいろ試し、やっとこさ形になってきました。
いろいろと難しさもあるにはありますが、暗中模索は楽しいひとときでもあります。

本番でこれがうまくはまれば新しい地平が見えてきそうな気がします。楽しみ!

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2020.08.18

「燃えよ剣」を再読する

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司馬遼太郎の「燃えよ剣」を再読した。
若いころは単なる歴史小説としか読めなかった小説だった。
昨年来箱館戦争とそれに連なる戊辰戦争について多くの本を読んできた。
それを背景に読む「燃えよ剣」は生々しく僕に迫ってきた。
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司馬遼太郎は土方歳三を天賦の喧嘩師として表現している。
子供の頃から孤高の喧嘩坊主。
人とつるむのではなく、人を信じず己の才覚で生きて来た。
その土方歳三が同郷の近藤勇という盟友を得、新撰組の立ち上げを行う。
百姓の小せがれが武士になるための闘いでもあった。
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近藤勇は山っ気があり、新撰組の台頭とともに政治家然と振る舞った。
対して土方歳三はあくまでも孤高の剣士たらんとした根っからの喧嘩師を貫いた。
それは箱館戦争で討ち死にするまで貫かれた。
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土方歳三の喧嘩の仕方は綿密な準備から始まる。
自らも斥候を重ね、勝機を計算する。
そして勝てない喧嘩はしない。
(剣の実力は人並み外れて強かったにもかかわらず)
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負けない喧嘩をしない歳三が負けると分かっている箱館戦争に身を投じる皮肉が土方歳三に魅力を感じさせる部分かもしれない。
それはおそらく薩長新政府の世ではもはや戦はなく、喧嘩の場が生まれないだろうという読みと諦観があったのではないか。
喧嘩師として生き、喧嘩師として死ぬるその最後の場面が箱館戦争だと考えたのだろう。
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孤高の喧嘩師土方歳三の物語に花を添えたのはお雪との恋。
亭主を亡くした下級武士の妻お雪に土方歳三は心のやすらぎを見いだす。
それは記憶におぼろな自分の母の面影を見たつもりでいた。
だから江戸での二人の逢瀬はプラトニックなものだった。
京に登り、幕府側の立場から朝廷の警護にあたった新撰組の転機がおとずれる。
鳥羽伏見の戦いだ。
開戦前夜お雪は江戸から京に歳三を追いかけやって来た。
歳三はこの時母の面影とともにお雪に女としての愛情を確認する。
そして二人は結ばれる。
やがて歳三は江戸~東北と転戦し、榎本武揚と共に箱館に入る。
鋼鉄艦を擁し箱館に迫る官軍。
開陽を失い圧倒的な戦力不足に陥る榎本軍。
そこに再び表れるお雪。
歳三とお雪はそこで最後の逢瀬を重ねる。
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負け戦を知りながら闘いに身を投じる歳三。
歳三とともに英国商船で逃げようとは言い出せず、黙って歳三を送り出すお雪。
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後に歳三の葬られた寺に供養料を渡しに箱館にやって来たひとりの女がいた。
それはお雪だろう。
お雪は後年横浜でその生涯を閉じたとある。
歳三を見送り、ひとりで生きたお雪の心の中には死ぬまで土方歳三が生きていたのではないか。
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ふと思い出した。
昭和13年に日中戦争のさなか、頭に銃弾をもらい戦死した叔父。
帰らぬ遺骨を待ち続け、生涯をひとりで生きたその許嫁。
許嫁は後年僕の父に宛てた手紙の中で記している。
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  戦死を伝えられて9年。
  待って待って待ち続けて疲れ果てました。
  でも私はあの方と過ごした短いけれど濃密な時間がある。
  それだけで生きられます。
  今も、そしてこれからも。
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この許嫁の方とお雪さんがかぶり、泣けてきた。

 

 

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2020.08.17

祝❗  30歳‼️  ロードバイク・レッドアロー号

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殺人的に熱い毎日。
ゆっくり長く距離を走れるのは早朝だけだ。
越谷を流れる川から川をつないで一汗流した。

ロードバイク・レッドアロー号をミラノ館の木村さんに組んでもらったのは36歳の夏だった。
あれから丸30年。
いまだに現役で、遠乗りの相棒になっている。

フレーム以外のパーツは幾度となく交換を繰り返してきた。
一番体力に自信があった頃にはトライアスロン仕様にしたこともある。
体力に自信がなくなった頃はシティバイク仕様にしたこともある。

そして今は再び原点回帰のドロップハンドル。木村さんに戻してもらったのは10年前だった。
その時の木村さんとの会話が忘れられない。

「クロモリブテンのフレームがしっかりしてるから、パーツ交換をしながらも乗り続けられるんですよ。この自転車は僕が店を立ち上げた最初の頃に組んだヤツ。うまく乗れば一生もの。だいじにガッツリ乗ってやってくださいね」

その1週間後、木村さんは帰らぬ人となった。

そのフレームもすっかり満身創痍。
何度か買い換えようと思ったこともあったが、木村さんの言葉が思い出され、踏みとどまった。
そして愛着が増していった。

最近は小型のDAHONが下駄がわりになっている。レッドアロー号の出番は減った。
それでも時々はじっくりと長い距離を漕いでやろうと思う。

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2020.08.14

【浜辺の歌】

 

子供の頃から好きでよく歌っていた。ライブでも時々歌っている。
今度の「おーるどたいむ de ライブ」でもハンマーダルシマーとニャンダル(小さなダルシマー)をフューチャーして歌うこととなった。

馴染み深いメロディなんだがその歌詞は実に難解。
大正2年に書かれた歌詞だ。昭和生まれの自分にはなかなか敷居が高い。
考えてみると小学校でも2番までしか歌わなかった。3番は古語であり死語となっている。分かるはずもない。

文学部国文科中退の意地で(?)なんとか解析し、妄想をたくましくして自分なりのイメージをふくらませた。(3番の歌詞の解釈はいろいろあるらしい)

   浜辺の歌

 明日浜辺を さまよえば  
 昔のことぞ しのばるる
 風の音よ 雲のさまよ
 寄する波も 貝の色も

 ゆうべ浜辺を もとおれば
 昔の人ぞ しのばるる
 寄する波よ 返す波よ
 月の色も 星の影も

 はやちたちまち 波を吹き
 赤裳のすそぞ 濡れひじし
 病みし我は すでに癒えて
 浜辺の真砂 まなごいまは

1番2番は昭和生まれの自分でも理解できる。
朝に夕に浜辺をぐるぐると徘徊しながら昔を偲んでいる様子が表されている。(もとほる=ぐるぐると回る)

ところが3番がいけない。さっぱり分からない。

 はやち(突風) たちまち(突然に)
 赤裳(女性の着物の腰から下を覆う衣服。
 濡れひじし(びっしょり濡らしてしまった)
 真砂(細かい砂) まなご(愛子)

ここから考えるとどうやら3番こそがこの歌の核心のようだ。

浜辺を徘徊するうちに気がつくと足下に寄せる波によって着物の裾がすっかり濡れてしまった。昔の追憶に浸るうちに気がつきもしなかった。
私の長患いもすっかり癒えたというのに、この先もこうしていつまでも「愛子」を想ってさまよい続けるのでしょうか。

大正初期のこと、長い療養を必要とした病、それは肺病なのだろうか。
当時肺結核は治らぬ病として社会から隔離され、長期療養を余儀なくされた。治療薬ストレプトマイシンが発見され、肺結核は治る病とされたのは太平洋戦争後のはなし。当然大正時代には「死の病」だった。
(余談だが僕の父も戦後肺結核に冒され1年以上の療養生活を余儀なくされた。父の姉は残念ながら自宅の2階に隔離されながら力尽きて命を落とした)

この女性は「死の病」であるがゆえに嫁ぎ先からは離縁されたのではないか。奇跡的に病が癒えたにもかかわらず、離縁された身として自分の子供にも会うことができない。
こうして朝な夕な浜辺をさまようことしかできぬわが身よ。。。

こんな風に妄想的に解釈するとなかなか重たくせつない歌だ。
小学校では3番を歌わなかったというのも頷ける。

さて、今回のライブでも「核心の3番」は歌いきれない。慣れ親しんだ美しいメロディを2台のダルシマーとギターで奏でることを主眼にすることにした。歌は1,2番をそっと口ずさむのがいい。
とはいえ、自分の中にはこの妄想的解釈をしっかりとおさめての演奏にしたい。

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2020.08.10

75年目のヒロシマ

今年も8時15分、鐘の音に合わせて黙祷をした。

ふと気がついた。
父は当時「回天」乗組員のひとりとして松山の基地にいたらしい。
父からその話を聞かされることはついぞなかった。しかし晩年母を伴って松山を訪問したとのことだ。(母談)
おそらく松山にいたのではないかと想像している。

そして松山基地は瀬戸内海を挟んで広島の対岸だ。

75年前のその日、父は海を挟んで原爆を見たのだろうか。
それともすでに他の基地に転属になっていたのだろうか。
両親とも逝ってしまった今、それを知ることはできない。
(8歳年長のイトコの記憶では「回天」ではなく特攻艇「震洋」の乗組員だったとのことだが、これも不確かな記憶だ。
いずれにしても松山基地に所属していたらしい。

今年の黙祷、これまでよりもヒロシマがより近いものに感じられた。

余談だが松山は「紫電改」基地だった。
小学生の頃読んでいたちばてつやの漫画「紫電改のタカタカ」では紫電改乗組員たちが特別任務として黒塗りのボートに乗り込み、敵艦に爆弾を仕掛けるシーンがあった。これは「震洋」を描いたものだったのだろうか。

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【函館氷(五稜郭氷)】

チコちゃんが教えてくれた。

中川嘉平衞によって日本で初めて氷の塊が商品化されたのは明治2年だそうだ。
それまで高価な高価なボストン産の氷を半年かけて輸入していたらしい。
国内でなんとか生産できないかと各地をまわった中川が最後に行き着いた場所が函館。それも五稜郭のお堀だったという。
五稜郭のお堀の水は近くを流れる亀田川から水を引いていた。
清廉な水、函館の寒気、蒸気船による海路輸送。
氷製造と輸送に函館が最適だったという。

函館の農民には冬場の農閑期の貴重な収入となり、
雪降って一緒に「ジェンコ降ってきた」と喜んだそうだ。
(ジェンコ=ゼンコ=銭こ)

それにしても明治2年といえば、5月に「箱館戦争」のあった年だ。榎本武揚率いる「蝦夷共和国」が五稜郭を拠点に薩長新政府軍と壮絶な闘いをくりひろげ、破れた年だ。
同じ年の冬には「函館氷」が作られ始めたワケだ。

初めて知った氷の話。
チコちゃんが教えてくれた。

余談だが函館ではかき氷のことを「氷水(こおりみず)」とよんでいた。
僕が内地に出てきた初めての夏、広島から長崎、そして佐世保を旅した。
道産子が経験する初めての猛暑。刺すような陽ざしにたまらず広島の喫茶店に飛び込んだ。
「氷水ちょうだい!」と注文した(つもりだった)
ウェイトレスのお姉ちゃんはちょっと怪訝そうな顔。
グラスに山盛りの氷、水をなみなみ注いでテーブルに置いた。
「ご注文は?」
その時初めて知った。内地では「氷水(こおりみず)」のことを「かき氷」とよぶんだということを。

函館では(北海道では)今でも「こおりみず」とよんでいるんだろうか。
ご同輩の皆様。どなたかお教え願います。

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ライブ勘  さんすまいる歌声音楽会

昨日デイサービス「さんすまいる」で歌声音楽会を開催することができた。
この音楽会は2014年から隔月で続けてきたので40回以上もやっている勘定になる。
参加されるご老人たちともすっかり打ち解けあっており、阿吽の呼吸で音楽会を進めてきた。

だのに今まで感じたことのない不安が。
不安は前日から頭をもたげ始めた。歌い出す直前まで落ち着かない気分が続いていた。
唄を歌うこと自体には不安はない。
でも参加者ひとりひとりの発する「信号」を敏感に受け止めることができるか。
即座に対応することができるのか。
それを何らかの形にすることができるのか。
これが不安の正体だった。

ご多分に漏れず、コロナ禍の故に予定されていたライブは半分以上がいまだ「自粛」状態。
毎週ライブを重ねることが長年の生活パターンだった。
ひとつのライブはもちろん本番。
本番でありながら前週のライブのおさらいだったり、次のライブの準備だったりもした。
それを積み重ねながら「歌の精度」を高めるだけではなく、お客さまとキャッチボールをくり返す感覚を磨いてきた。
これを「ライブ勘」というのだと思う。

4ヶ月にわたるライブ自粛期間の影響で「ライブの連鎖」はズタズタになってしまった。
結果「ライブ勘」に自信がもてなくなり、漠とした不安にとらわれてしまったのだろう。

おかげさまで「さんすまいる歌声音楽会」は「不安感」も杞憂に終わり大いににぎわった。
歌い始めると同時にスイッチがバチンと入り、
普段にもまして頻繁で濃密なキャッチボールになった。
僕以上にご老人たちが生歌音楽会に飢えていたご様子。
つまりはご老人たちの熱気に煽られ、僕はすっかりノセていただいた。

2週間後に「おーるどたいむ de ライブ」を予定している。
それまでは1本もライブがない。
今までなら市場やお好み焼き屋さんでライブがあり、そこで歌や「ライブ勘」をたたき上げることができた。
それができない以上、本番で如何に早くライブに入り込めるかが鍵になるだろう。

「ライブの連鎖」がとぎれてしまった「コロナ時代のライブ」の試金石になりそうだ。

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2020.08.03

【喫茶店JUNE たそがれ歌声音楽会】

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広い店内にお一人様、1テーブル。手の消毒。検温と記録。マスク着用。充分な距離。頻繁な換気。
約10名のこじんまりとした歌声音楽会。
これが喫茶店JUNEの新しいライブの形として定着していくと思われる。

そんな厳重な警戒モードの音楽会だったが、中身はとても濃かった。
梅雨が明けたこともあり、夏の歌大特集ではじまり、やがてリクエストアワーへ。
熱気に満ちた音楽会だった。

マスターの提案で今回新しい試みをした。
歌の深掘りコーナーだ。
今朝にマスターから4曲のリクエストを頂戴した。
 ①いちご白書をもう一度(バンバン)
 ②青春時代(トップギャラン)
 ③サボテンの花(チューリップ)
 ④恋(松山千春)
あまりにもポピュラーすぎてめったに歌わぬ唄たちだったので、本番前に急遽準備をして備えた。

マスターは1曲ごとにその歌の背景を語る。
世界情勢であったり、日本での出来事であったり、フォークソングからニューミュージックの流れとその衰退についてであったり。
マスターの語りからぼくの歌につなげていく。

「歌は世につれ、世は歌につれ」
その昔一世を風靡した玉置宏の「ロッテ歌のアルバム」の喫茶店JUNE版とでもいおうか。
ひとつの歌を深掘りすることで、ひとつの時代に思いを馳せる。そのことが歌への理解や思いを深める。

僕も長年やって来た「私を通り抜けた歌たちシリーズ」に相通じるところがあり、おもしろかった。
マスターの語りと僕の歌がいいあんばいで連動する。
脈絡のない4つの歌が時代の流れの中でつながっていく。
お客さまもじっくり聴いてくださり、一緒に口ずさむ。

歌声音楽会に変化と刺激をもたらす興味深い試みとなった。

気がつくと終演時間をはるかに超えていた。
あっという間の2時間半だった。

次回の「たそがれ歌声音楽会」は9月の第1日曜。
17:00スタートに開催することとなった。

「歌の深掘りコーナー」もやることに。
今度はもう少し早く準備をしてコンパクトでかつさらに濃密なものにできればと思う。

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